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悪魔の娘の幸福論  作者: 朝日菜
第六章 荒れるセルニア
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幕間  唯一の理解者

『あの宣教師から取り返してやったというのに、お前はいつまで経っても弱いな』


 そう言って、僕の父――いや、育ての父は去っていった。

 激しい雨が、何も知らなかった頃の記憶を奪うかのように降り続ける。父に傷つけられた体から流れる血は、大粒の雨と混ざりあった。


「ッ!」


 無意識に唇を噛み締める。兄たちや騎士たちの罵声が脳裏に響く。雨がうるさい。それ以外の何かが聞きたい。


「アンリ!」


 久しぶりに名前を呼ばれた。顔を上げると、どこかで見たことのある顔があった。


「君は……」


 そうだ。アリシアで出逢い、フランク兄さんに連れ去られたシャルムだった。


「……良かった。無事だったんですね」


 〝悪魔の娘〟が生きていたら、僕ももう少しだけ生きてみようと思える。

 魔法が使えないが故に周りから迫害されてきた僕たちは、まだ、生きていける。




 あの雨の日から一ヶ月が過ぎた。

 僕とシャルムは似ている部分もあってかすぐに気が合い、最近よく一緒にいる時がある。「ヨハンの従者なのにいいんですか」と聞いてみると、「ヨハン王子は悪魔に襲われた場所を巡ってるから平気」と返ってきた。


「ねぇ、アンリ。私も一緒に訓練していい?」


「もちろん。僕の邪魔をしないならいいですよ」


 なんだかんだでいつもこんな日々を送る。本当に邪魔はしてこないし、向こうも向こうで訓練に必死なのだから不思議だ。


「シャルムはそんなに鍛えてどうするんですか?」


 ついつい気になって口を挟むと、シャルムは真顔で振り向いた。


「強くなる為」


 簡潔に答えられたものだから、僕は返す言葉を忘れた。


「どうしたの?」


「……いえ、なんでも」


 訓練を再開する。シャルムも特に気にした様子はなく、羽を羽ばたかせて空を飛ぶ。時々聞こえてくる金属音は彼女の暗器のものだろう。

 ほんの少しだけ、僕たちの間に微妙な空気が流れた。


「シャルム、こんなところにいたんですか!」


「あ、ロイク」


「……ロイク?」


「探しましたよー! おーい!」


 見ると、ロイクがシャルムに話しかけていた。ロイクはチラリと僕を見て、にたぁと揶揄うように笑う。だが、それに悪意がないのを知っていた。ロイクという年下の従者だけが僕を迫害しなかった。

 それでも無性に腹が立って頭を小突くと、シャルムにすぐに止められる。ロイクとシャルムは年が近く従者同士でもあるからか、僕よりも仲が良さそうだった。


「ごめん、アンリ。私行かなきゃ……」


「別にいいですよ。そもそもどうして僕に許可を取るんですか?」


 シャルムは頭を下げ、一人で城内へと駆けていった。残されたロイクは、僕を見てわざとらしく目を細めた。


「アンリ王子ぃ、嫉妬ですか?」


「違います」


「えぇ〜……そうですかぁ」


 残念そうに肩を落とし、ロイクも城内へと戻っていった。

 訓練を終えた僕も戻り、しばらく廊下を歩いていると――シャルムが突き当たりから現れた。


「あ」


 僕がいるとは思ってなかったようで、シャルムは目を丸くする。そして、僕の存在に気づいていないような素振りで踵を返そうとした。


「さすがにそれは無理がありますよ」


 ぴくっとシャルムの肩が動き、気まずそうに壁からゆっくりと顔を出す。今さら何が気まずいのか、僕にはまったくわからなかった。


「……ごめん」


「どうして君が謝るんですか?」


「…………ごめん」


 ため息をつく。シャルムは困ったように僕を見上げた。


「誰かに何かを言われたんですか?」


 そう聞けば、シャルムは口を小さく開けて驚いた。


「そんな顔、してますから」


 そう言えば、シャルムは緊張した面持ちで顎を引いた。


「誰に何を言われたんですか」


 シャルムは迷ったように目を伏せたが、意を決したように拳を握る。


「ヨハン王子に……あまり自分の目の届かないところに行かないで、って。少し不安そうだったから、私、ヨハン王子に何かしたのかなって思って……」


 今にも泣きそうな顔でそう言った。


「それで、シャルムはどうするんですか?」


「しばらく、アンリには会えないかなって」


 ごめん、そう聞こえたような気がした。


「そうですか」


 不思議と僕は冷静になって視線を伏せる。その間にシャルムは「またね」と言葉を残して消えていった。次に視線を上げた時、突き当たりにシャルムの姿はどこにもなかった。

 急に虚無感に襲われた僕は、必死になって廊下を走る。先ほどまでシャルムがいた場所に辿り着いて、曲がり角を曲がっても、シャルムの姿はどこにもなかった。


 妙に締めつけられた胸を掻き毟り、僕は悟る。

 僕は、シャルムなしでは生きていけないと。だから自分を痛めつけるように唇を噛んだ。そういえば、この唇で――。


 あの時は互いに傷心状態で、互いに何かを求めていたような気がする。それは、人によって与えられる一種の温もりだった。


「…………」


 僕は、壁に寄りかかり項垂れた。今度はいつ会えるかなんて、不確か過ぎるものだった。

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