第二話 ディーノ
「あ……」
日が昇り、西塔へと続く廊下を歩いていると中庭でアポロ王子がアイオンと話しているのが視界に入った。
亡国の王子とその王族の専属魔女。二人にある共通点は出身国が同じというところだろうか。
何を話しているのかはわからないけれど、仲が良いのならそれでいい。王子が一人ぼっちじゃないならそれでいい。昨日とは違うアポロ王子の柔らかそうな雰囲気は、アイオンに心を開いているという証だった。
「シャルム、何を見ているんだ?」
「……ディーノ」
魔法騎士団幹部の中で唯一の男であるディーノが私を不思議そうに見つめている。そうして彼は視線を逸らし、さっきまで私が見ていた場所を確認した。
「あぁ、アポロ王子とアイオンか」
「うん」
隣に立って二人で見下ろす。ディーノは私よりも背が高くて、隣に立たれると影ができた。その影のせいで背中が疼いた。
「アイオンも留学生なの?」
「いや、少し違う。アイオンはアリシアに永住するらしい」
「……そっか。ベルニアは滅んだもんね」
「メルクーリ家の専属魔女も解任されたらしいからな。今後はアトラス王の専属魔女になるんだろう」
「じゃあ、やっぱり魔法騎士団に?」
「どうだろうな。やることは一緒だろうが、俺たちはいずれ祖国に帰る身なのだから」
アリシアの魔法騎士団は、アトラスから教えを乞いたくて世界各国から集まってきた魔法使いたちでできた集団だ。
キングドラゴンという太古から存在しているドラゴンの王。その種族の血を引いているアトラスは、血が教えてくれる様々な呪文を知っている。それを教える代わりにアリシアを守れと命令されているのが、彼ら魔法騎士団だった。
「ディーノは帰らないよね?」
「帰る気はないってだけだ」
「メーリャも……」
「あいつは永住を決め込んでいるけどな」
「イザベラも、ファラフも、マルガリータも、林杏も、五鈴も……」
「少なくとも五鈴は帰るだろう。あいつは安曇の第二皇女なんだから」
そんな。嫌だ。行かないで。どうしたらみんなのことを繋ぎ止められるんだろう。そんなことばかり考えてしまう。
「離れていても、私たちは家族だよね?」
縋るように問うた。ディーノは「家族だ」と答えてくれた。
「ねぇディーノ」
家族はみんなアリシアの為に戦っている。少し前まで戦っていた世界各国と手を取って、別世界からこの世界を侵略しようとしている共通の脅威を――悪魔を倒そうとしている。
「ん?」
家族の中で私だけ無力だった。だからいつも疎外感を感じていて、だから行かないでと嘆いてしまう。けれど、いつか終わりが来るのなら悔いのないように生きていたい。
「私に、戦い方を教えて」
「……は?」
ぽかんと、ディーノがまばたきをした。
「私、別にメイドでもいい。けれど、みんなの傍にいたい。こんな体だけど、だからこそ私は……」
言葉を一つ一つ丁寧に紡ぐ。今までずっと言えなかったこと。そのあと一歩の勇気と切っ掛けをくれたのは、他でもないアポロ王子だった。
「……私も、アリシアを守りたい」
生まれたわけでもないこの地で散々嫌な目に遭わされたけれど、それでも、家族がいるこの地を私だって守りたい。
「シャルム」
「いい加減わからなくなってくる。私は一体なんの為に拾われたの? みんなの……家族の力にはなれないの? このままじゃ本当に穀潰しになる。そんなの私は絶対に嫌」
気がつけば、温かい液体が頬を撫でていた。私は多分、生まれて初めての涙を流していた。見なくてもディーノが困惑の表情を浮かべているのがよくわかる。悪いとは思っていても、私は涙の止め方を知らなかった。むしろ酷くなる一方だった。
そんな私を、しばらくディーノが眺めていた。既に落ち着きを取り戻している彼は、小さな小さなため息をつく。
「シャルムはもう、子供じゃないんだな。俺たちが知らない間に大きくなった」
十二歳くらい年上のディーノは、私の兄のような人だった。そんなディーノは私の頬に手を当てて、片手で涙を拭ってくれる。
「うぅ〜……!」
今まで自分の気持ちを言えなかった分。そして、涙を流さなかった分。余計に恥ずかしくなって思わず顔を逸らしてしまった。
「こら、逸らすな」
ぐいっと正面に戻される。両頬に感じる温もりは、ディーノの両手そのものだった。
ぐっと、何度目かの唇を噛む。ディーノは私にこうも言った。
「シャルムが真剣なのはわかった。ただ、アトラス王がなんと言うか……」
そのまま考え込むように視線を逸らし、眉間にしわを寄せられる。それを見ただけで自分がどれほどディーノを困らせているのか理解した。それだけは嫌だった。
……迷惑はかけない。そう、あの日誓ったのに。
「や、やっぱりいい」
「え?」
「ディーノが困るなら……いい」
視線を伏せた。けれどその選択は間違っていた。ぶわっと一気に涙が溢れる。それは地面に落ちていき、徐々に石を濡らしていった。
瞬間ディーノの両手が離れる。去っていくのか、そう思ったけれど――
「ッ!?」
――両頬に感じた鋭い痛みは去ることを拒んでいた。
「嘘を吐くな」
ディーノがそう言った。
「俺には遠慮なんかしなくていい。一応最年長者なんだからな」
不意に、彼は今まで見たこととがないくらいに優しく微笑む。
「……ディーノ」
その笑顔が眩しすぎて、じゃあと私は言葉を続けた。
「外交にも連れてっ……」
「駄目だ」
今度の笑顔は黒かった。
「なんで!」
世界中の戦争は終わった。だからせめて、外交にはって思ったのに。そう思っていたら駄目なの?
「そういうのは敬語が使えるようになってから言え」
「ッ!?」
正論過ぎて何も言い返すことができなかった。
「ほら、仕事に行くぞ」
「……うん」
とぼとぼと歩きながら西塔へと向かい、魔法で掃除をするみんなに紛れながら私は布で床を磨いた。
*
戦い方を教えてと言ってから数日が経った。ディーノは、あの後から何も言わない。それでも私は待ってみることにした。自分からは何も言えないっていうのも少しはあるけれど、魔力も体力もない私が願うのだからそれ相応の準備が必要なんだろう。それに、ディーノはメーリャたちと一緒で忙しい人なんだから――そう思って無理矢理自分を納得させた。
小さくため息をついて、布切れに手を伸ばす。自分でも効率の悪いやり方だと思うけれど、私は私なりのやり方で東塔を掃除していた。
「シャルム、いつまでやってるのよ」
呆れたように、ほんの少しだけ年上のレベッカが腕を組む。
「……ごめん」
できる人に何かを言われるのは好きじゃない。けれど、正論だから何も言い返せない。そっぽを向くと、レベッカ以外のメイドが話しかけてきた。
「ここはもういいからあっちに行って。アトラス王が港で騒ぎを対処しているらしいからさ」
「騒ぎ?」
「何それ、王様が対処しているの?」
「遭難した船がアリシアの海域で保護されたんだって。ね?」
彼女は肩に乗せた妖精に同意を求める。私には使い魔がいないからわからないけれど、返事をするよりも先に私の足は動いていた。
灼熱の太陽が私を照らす。南海に位置するアリシアではいつものことなのに、今日は少しだけその暑さが腹立たしかった。汗ばんだメイド服をたくし上げて走る。その間、潮風が私の鼻を刺激する。
アリシアの城から港へと続く道を走り、人集りを確認してしばらく息を整えた。
「あ、お前は……!」
その中にいた魔法騎士団の一人が私に気づいて声を上げた。
「一体何が……」
目を凝らすと、アトラスと魔法騎士団の幹部七人――そしてアイオンとアポロ王子たちに見知らぬ国の人たちもいる。彼らが遭難した船の乗船者だろう。
不法入国をしたわけではないのに、どうしてこんなにこの国の重要人物が揃っているのか――。
「あ、シャルム。お前も来たのか」
「シャルロット、ご苦労様です」
遠くの方でアポロ王子とアイオンが手を振ってくれた。人混みを掻き分けて彼らがいる方向に向かえば、掻き分けられた人たちが私のことを睨みつけてくる。それでも私は彼らの元へと辿り着いた。
「シャルムも来たのか。この人たちはセルニアの方々らしくてな、今ちょっと怪しいものを持ってないか調べているんだ」
「セルニア?!」
セルニアと言えば、この世界で一番大きな領地を持っている大国だ。クイーンドラゴンと魔女の子孫が王位についている、アリシアと同じ制度の国。
「調べてるって、遭難者でしょ?」
「念には念をだよ。大丈夫だ、魔法でちゃちゃっと終わるから」
「悪魔が化けている可能性もあるからな。承諾してもらった上で調べている」
「……あ、うん。そうだね」
そう言って、ディーノは魔法使いの杖を振るった。アイオンも彼らに協力をしてくれて、八人の魔法使いたちが五十人ほどの集団を調べ出す。
「魔法使いってすごいな」
「うん、そうだね」
アポロ王子に同意した。だって本当に凄かったから。
結局誰も悪魔じゃなくて、武器を回収させた上でアトラスは入国の許可を出す。私はすぐに案内役を任されて、集団を連れながら城へ戻った。
「シャルム!」
「ディーノ」
「俺も行く」
一人でも大丈夫なのにそう言って、ディーノは私たちについて来た。城についてからはレベッカたちに引き継いで、私はディーノに呼び止められる。
「え、何……?」
「前に聞かされた件なんだが……」
「ッ!」
彼の言う〝前に聞かされた件〟とは、戦い方――魔法騎士団の彼らと同じように自分になんらかの稽古をしてほしいという話だった。きゅっと唇を真一文字のように結ぶと、ディーノは微笑む。
「安心しろ。アトラス王から許可は出た」
「じゃあ!」
「ただ、お前は俺から何を学びたいんだ?」
「それは……」
一晩考えたんだがわからなかったと、ディーノは困った顔でそう続ける。
「私は魔女じゃない。人間でも、悪魔でもない。剣で戦うことも、生身で戦うこともできない」
「…………」
「……暗殺術」
ぴくっとディーノの眉が動いた。
「私は今、それを学びたい」
ディーノは私の声を聞いた。




