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悪魔の娘の幸福論  作者: 朝日菜
第五章 滅びたベルニア
18/30

幕間  今夜は社交界

「うぅ〜……死ぬほど暇! 暇すぎて死にそう!」


 大きな声で文句を言いながら、ヨハン王子は私と一緒に馬車に揺られる。セルニアまでまだ距離があるのに、初っ端からこれだった。


「が、我慢してください……」


 言うとぴくっと彼が動く。すると突然、にやっと笑って私の方まで近づいてきた。


「えっ? ちょっ……」


「ならさオネーサン、何か面白い話してよ」


「お、面白い話ですか?」


「うん。面白い話」


 どうしよう。私、そういうのすっごく苦手なのに。

 思わず俯くと、ヨハン王子が軽く手を叩いて「ならアリシアの話でもいいからさ」と提案した。


「あ、それなら……」


「うんうん! それなら?!」


「……あれは、数年前のことなんですけど」





 いつも通りに仕事を終え、自分の部屋で一息つく。すると、ドタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。


「喜べシャルム! 今夜は社交界だぞ!」


 いきなり扉を開けて笑い出したアトラスに、私は思わず首を傾げる。


「ほらほら見てぇ〜! 女はねぇ、これを着るの!」


 随分と露出の激しい服を出してきたイザベラからそれなりの距離を取るけれど、隣では林杏リンシンがニヤニヤと笑っていた。


「……二人は、着ないの?」


「いやいや着ないよ〜! 私たち魔法騎士団だし!」


 アトラスを追い出すイザベラを横目で見ながら、私は林杏に着飾られる。

 魔法騎士団のみんなは着ないのに、メイドの私が着ていいものなのだろうか。


「私はいいの?」


「あったり前でしょお? シャルムはメイドだけどメイドじゃないじゃない。今日はオウサマのムスメってことで!」


「……娘じゃない、けど。これは必ず着るものなの? 布の面積も少ないし……」


「女だものぉ。そりゃそうでしょ? 露出があった方が可愛いじゃなぁい」


 イザベラと林杏の理屈はよくわからないけれど、二人が言うのなら正しいのだろう。……本当によくわからないけれど。


「よ〜し! できたぁ!」


「じゃ、早く国王のところに行こ!」


「……うん」


 林杏に背中を押されながら、私は渋々と部屋から出る。

 アトラスはどんな顔をするんだろう。ほんの少し期待に胸を膨らませながら、前を向いた。


「国王ー!」


 会場に入って辺りを見回す。ぶんぶんと林杏が手を振る先には、アトラスと魔法騎士団のみんながいた。

 近くまで来てみるとお酒の匂いがぷんぷんする。ダンスよりも飲むことが大好きな王様だ。社交界だってこういうのを楽しみにしているんだからよくわからない。


「三人ともやっと来たかー!」


 ヘラヘラと笑うアトラスに不快感を感じ、私はイザベラの後ろに隠れた。


「オウサマァ、シャルムが引いてるけどぉ?」


「んんー?」


「アトラス王、いい加減にしてください」


「……不潔ですわ」


 アトラスがワインボトルへと手を伸ばす。そんな彼の手の甲を叩いたメーリャがかっこよくて、私は思わずイザベラの後ろから姿を現した。


「ていうかシャルム! めちゃくちゃ可愛くなったじゃん! やっぱりイザベラってセンスいいんだ!」


「イザベラってそういうのなにげ得意だよね」


「えっへんそうでしょお? ディーノもなんか言ってよぉ〜」


「すごいな」


 見上げると、マルガリータとファラフ、ディーノがいた。首が痛くなって視線を下げると、こっちの方へ逃げてきたレベッカとすれ違う。


「……大丈夫?」


「……別に、問題ないから」


 尋ねると、そんな風に返ってきた。

 レベッカが社交界嫌いなのは知っているけれど、それでも頑張ろうとしている姿を素直に尊敬する。


「どうでもいいけど、アンタ飲み過ぎじゃない?」


「いやいやいや、まだ飲める!」


「会話が成立しないですね」


「放っておけ。もう止まらないだろう」


 魔法騎士団の中でも古参の二人が、アトラスを囲んでお酒のことを遠ざける。

 これが、あのアトラス・アリシア……。


『初めまして、シャルロット。俺と一緒に来てくれるかい?』


 私の、光……。


「お前ら卑怯だぞ! 俺から酒を隠しやがって!」


 ……時の流れは残酷だ。この年でそんなことを思った。


「よく見ておけ、シャルム。あれがあの人の本性だ」


「……ディーノ」


 ディーノは私を見下ろし、「似合ってるぞ」と言って微笑む。私も嬉しくなって、だけどまだぎこちなさが残る笑みを見せた。


「シャルム! こいつらに何か言ってやれ!」


 ピッとディーノとメーリャを指差し、アトラスは私にまで助けを求めてくる。仕方なく傍に行くと、何故かアトラスはまばたきをした。


「ん?」


「可愛いな、とても似合っているぞ」


「ッ!?」


 ディーノとは違って大人っぽく微笑むアトラスに、これまた何故か心臓が跳ねた。そのままアトラスは私の腰に手を回し、ぐいっと引き寄せてくる。


「あっ、アトラス!?」


 いつも傍にいない反動からか、アトラスとの距離がすごい近いように感じる。アトラスとお酒の匂いが、私の脳を麻痺させるような働きをする。


「ちょっと……」


 声を上げると、アトラスは楽しそうに笑い――唇を近づけるように倒れてきた。


「ぎゃっ?!」


「何してんだこの酔っぱらい!」


 刹那にファラフに引き剥がされ、私は彼女と共にアトラスから距離を取らされる。イザベラと林杏が私たちを囲んでアトラスを威嚇し、その間をマルガリータが割って入る。そしてディーノとメーリャがアトラスを抑え、五鈴いすずがアトラスを――黒い笑みで見下ろしていた。





「……で、ど、どうなったの?」


 予想以上に興味津々な反応を示すヨハン王子は、前のめりになってそう尋ねた。


「アトラスは五鈴にお仕置きされました。魔法じゃなくて、暴力で」


 戦闘民族のディアボロスと東洋人のハーフを父に持ち、魔女を母に持つ五鈴の攻撃は誰よりも強い。

 たくさんの魔法使いを見てきたアトラスも五鈴の実力を買っているし、天才だったら誰もがアトラスと対等になれる。メーリャも、ディーノも、イザベラも、ファラフも、マルガリータも、林杏も。その中にたまたま私がいて、それが私の日常だった。


「じゃなくて! いや、それもめちゃくちゃ気になったけどさ!」


 ヨハン王子がぶんぶんと首を振れば、釣られるように銀髪も揺れる。


「違うんですか?」


「その……オネーサンの唇、は、無事だったの?」


「あぁ、はい。無事でしたよ?」


 あの陣形は最強だったなと思いながらヨハン王子に視線を戻す。すると、ヨハン王子は安心したように息を吐いた。


「……ち、ちなみになんだけど、まだ誰ともキスしてないの?」


「勿論です」


「そっかそっか! 良かったね、オネーサン!」


 その言葉以降、ヨハン王子は考え込んでしまった。静かになった馬車の中、外を見ると夕日が世界を照らしているのが視界に入る。


(もうこんな時間か……)


 セルニアに着くまで、あと数日。私たちの旅はまだ少しだけ続いていく。

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