第二話 旅の終わり
「ヨハン様! 一人でどこに行くの?!」
「ッ!?」
軽く舌打ちをして振り返る。廊下の奥の方にいたオネーサンが、慌ただしそうに俺の方へと駆け寄ってきた。
「な、なに? 別に一人でも問題ないんだからいいでしょ〜?」
不満げに言うと、「そうだけどさぁ」と言葉を返される。ただの八つ当たりなのに、オネーサンは珍しく言い返さなかった。
ふいっとオネーサンから視線を逸らす。すると、誰かの足音が聞こえてきた。思わず視線を元に戻すと、足音の主は他の二人のオネーサンだった。
「あ……」
自分でも落胆の表情を浮かべているのだと思う。不思議そうな表情をする二人を前にして、俺はなんでもないように手を振った。
どうしてだろう。よくわからないけれどこの辺りがモヤッとする。掻き毟るように胸に触れて、首を傾げた。前はこんなのなかったはずなのに。
「ヨハン様?! 胸が痛むの?!」
「大変! 今すぐ見てあげるから早く脱いで!」
「む、胸にが痛いって何?! どういう病気?!」
「えっ?! いやちが……! 多分そういうのじゃないから!」
慌てる三人のせいで俺の方も慌ててしまう。子供だから。王子だから。そんな理由でみんな過保護になっているけれど、本当になんでもないことが大半だからそんなに反応しなくていいのに。
必死で俺に胸を見せろと言う三人をなんとか落ち着かせ、なんでもないようにもう一度笑う。
「別に痛くも痒くもないって! 心配してくれるのは嬉しいけど、もういいから!」
それでも不安そうな表情をする三人のせいで困惑する。自分でも言葉にできないのに、この感覚が三人に伝わるわけない。
「そんなことよりもさぁ、最近オネーサンが姿見せないでしょ? そっちの方心配しようよ〜」
なんでこの話題を振ったんだろ。まぁ、話題変換にはちょうどいいか。
「……え、そうなの?」
「……え?」
瞬間に耳を疑った。聞き間違いであってほしい、そう強く思った。
「えっ……と、私たちは毎日会ってるけど……? ていうかさっきもすれ違ったし……」
言い難そうに、オネーサンが口を開く。隣のオネーサンも無言で頷き、俺だけが取り残されたような絶望に似た感情が沸き上がった。
「……毎日、会ってる?」
必死で頭を動かして、考える。そうして辿り着いた結論を否定するように頭を振った。
「うーん、昨日はバルコニーで会ったしなぁ……」
「ッ?!」
バルコニー。そこで、忘れもしないあの会話をした。
「…………こ?」
「ん?」
「さっきどこですれ違ったの?!」
「うひゃっ?!」
仰け反られたけれど、「あっち」と指差す方向へと走る。
「はぁっ……! はぁっ……!」
なんで俺がこんな目に遭っているんだろう。絶対全部オネーサンのせいだ。
馬鹿みたいに必死になって、足を動かす。汗ばんできた体に服が纒わりつき、俺は思わず眉を顰めた。けれど、走ることはやめなかった。
セルニアとはなんら変わりもない太陽に照らされながら空を仰ぐ。
俺だけオネーサンに会ってないこと。ということはつまり、オネーサンが俺を避けているということだ。
認めたくはなかったけれど、変わることのない真実だった。
「……会いたいな」
避けられている。そう理解した瞬間に、さらに会いたくなってきた。
大きな扉を開けるとぎぃっと軋む音がする。すぐに見えたのは、青が広がった天井だった。外の青空と大差ないそれを仰ぎ、俺は束の間呆けてしまった。
「――フッ!」
耳を割るような金属音で現実の世界に呼び戻される。見れば、オネーサンが暗器を使っていた。
一目見ただけでわかってしまう。確実に素早くなっている、と。
「…………」
唖然とした。思い返すと、悪魔の羽を生やした時にオネーサンは楽しそうに笑っていた。返り血を浴びてもなおだった。
「……オネーサン」
あの人は、〝悪魔の娘〟だった。どこまでも〝悪魔の娘〟の名に相応しかった。
「あっ……!」
俺の声に気づいたのか、オネーサンがこっちを見た。その目には微かに迷いがあった。
「久しぶり、オネーサン」
オネーサンは一瞬だけ周囲を見、諦めたように俺に向き直る。それは、出口が俺の後ろにしかなかったからだろう。
「……そ、そうですね」
それでも、顔は逸らしていた。
「見ない間に随分と強くなったんじゃない? すっごく素早くなってんじゃ〜ん!」
軽く手を上げて俺は言った。本当はもっと近くで話したい。けれど、それじゃ逃げられる。
「鍛えましたから」
ほんの少し得意気に、だけどやっぱり目は合わせず。自分に苛立ちの感情が沸き上がったのは言うまでもなかった。
「俺を見て」
言うことを簡潔に纏めたら、それだけしか出てこなかった。今は、それ以上何も望まないからこっちを一度見てほしい。だから。
「…………」
オネーサンが瞳を動かしてようやく目が合う。青みがかった空色の瞳が、遠くからでも見てとれた。
「オネーサンさぁ、バルコニーでのこと覚えてる?」
唐突だったかもしれない。けれど、俺はずっと聞きたかったしオネーサンもそれで俺のことを避けたはずだった。
こくんと頷かれて、ほっとしたのも束の間。
「あの最後の台詞って……あれってどういう意味なの?」
決意してそう尋ねた。もし意味があるのなら、俺はたったの一つの意味を望んだ。
「……言って、いいんですか?」
オネーサンが不安そうに俺を見た。まるで、言ったら俺に迷惑がかかるとでも言いたげに。
「なら聞いてないから。お願い、オネーサン。ちゃんと言ってよ」
「で、ですよね」
そして次は困ったように眉を下げた。俺が困らせてるんだよね。けれど、罪悪感は微塵もなかった。
「……私、〝悪魔の娘〟じゃないですか」
おもむろに口を開いたオネーサンに少し困惑しつつ、「そうだね」とだけ答える。俺はまだオネーサンの悪魔の力とかわからないけれど。
「ということは、私と契約した悪魔がこの世にいるわけですよ。倒されてなかったら、多分」
「ッ!」
言われてみれば。当然の因果関係に気づけなかったことを悔やむ。
「もしかしたら、そのことでヨハン王子に迷惑をかけるかもしれない。だけど、私はヨハン王子の従者――いいえ、使い魔みたいなものになりたいって思ってます。ヨハン王子は私の主です。だから、叶うなら……これからも傍に居続けたい」
片膝をつき、オネーサンは俺を見上げる。
「そういう意味です」
*
「そういう意味です」
苦しいかな、私は片膝をついてそう思った。まだ少し誤魔化している部分がある。けれど、曖昧で不可解なそれを言葉で表現できなかった。
「……そう、なんだ」
思っていた理由と違ったからか、それとも私自身に対して思ったのかはわからないけれど、ヨハン王子はがっかりした表情をする。
「……駄目、ですか」
なら、私は何処に帰ればいいのだろう。
「えっ、違う違う! 駄目なわけないじゃん!」
「え、そうなんですか……?」
どうやら、前者の方でがっかりしたみたいだった。なら、ヨハン王子は今何を思ったんだろう。
「ありがとうございます」
私には、わからない。
そっと頬に触れると、涙が流れていた。少しだけだったからヨハン王子に見られることはなかった。
ようやく到着したフランク王子の調査を以て、ベルニアを滅ぼした悪魔が全滅したことを知る。
ヨハン王子やお姉さんたちは喜んで、アイオンはわずかに顎を引いただけだった。
「フランク兄さん来た意味なかったね〜!」
「いやいやあっただろ! お前ら誰も悪魔の気配わかんねぇじゃねぇか!」
「確かにそうよねぇ〜」
「フランク王子しかわからないもんねぇ〜」
みんなヨハン王子を囲んで弄っている。
フランク王子が連れてきた他の魔法騎士団たちも、うんうんと頷いていた。
「じゃ、他にやることねぇみてぇだし帰るか。復興の協力は要らねぇんだろ?」
「はい。それは私一人でできます」
「アイオン……いいの?」
「はい、シャルロット。気をつけて帰還してください」
「……うん、アイオンも気をつけてね」
「はい、シャルロット。気遣い感謝します」
アイオンはじっと私を見ていた。私はアイオンと手を取り合い、目と目で語り合う。
帰ることに恐怖を感じないわけではなかったけれど、このままでは何も始まらなかった。




