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悪魔の娘の幸福論  作者: 朝日菜
第五章 滅びたベルニア
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第一話 ディアボロス

「私の馬鹿……」


 アイオンに案内してもらった部屋に入った途端、思わず扉にもたれ掛かる。


『これからも、お傍に……』


「……なんでヨハン王子にあんな恥ずかしいこと言おうとしたんだろ」


 思い出したらやっぱり恥ずかしさが込み上がってきて、数回壁に頭をぶつけた。


「馬鹿! 馬鹿!」


 言っても言い足りない。もう二度とヨハン王子と顔を合わせられないのではないかと思うほど、思い出したら顔中の熱が止まらなかった。


「……はぁ」


 小さくため息を漏らし、私は大きなベッドに身を委ねる。

 いくら一国の王子と言えど、彼は自分よりも年下の幼い王子様だ。そんな彼に私みたいな重荷を背負わせることを、言葉で伝えるなんて重たいにもほどがある。この言葉だけは心に秘めるだけで良かったのに。


「……ふか、ふか」


 昔はこの柔らかさが怖かった。けれど、硬い床で眠りたいと願っていたわけではない。寝るという行為をずっと嫌がっていたような気がする。

 それでも何故か、アリシアに来た時から寝る時間が楽しみになっていた。


『……良かったな』


「……え、ディーノ?」


 どうしてディーノの名前を呼んだのかはわからない。ただ、今、彼が傍にいるような気がした。

 気がしただけでディーノはこの国にはいない。アイオンの言うことが本当なら、アポロや他の王族、ベルニアの国民たちもこの国にはいない。いるのは悪魔の残党だけで、それをアイオンが倒し続けていたなんて知らなかった。


「ディーノはいない、ディーノは、いない」


 呪文のように繰り返して布団を被る。いつもの香りがしないと少し残念に思って、体を丸める。妙な静寂がこの部屋を包み込むと、寂しさが急に込み上がってきた。


(……なんで寂しいんだろ。十年前はこんな感情なんてなかったのに)


 震えがして膝を抱えた。すると、背中が疼き出した。


(……ここに、悪魔の羽がある)


 今はまだ暴走する気配を見せなかったのが不思議だった。けれど、コントロールできるようになったのだと解釈して安堵した。




 静寂を破ったのは、遠慮がちなノック音だった。


『シャルロット、起きてる?』


 魔法騎士団の人の声がする。目を開けると、朝日が部屋に差し込んでいた。


「うわっ?!」


 いつの間に朝になっていたんだろう。ヨハン王子の周りのことはすべてあの三人がやっていたけれど、私がいなくていい理由にはならないのに。

 肝が冷えた。これも十年前にはなかった感情の一つだった。


「は、はい!」


 慌てて扉を開けると、やっぱりそこには彼女がいた。

 名前も聞かされていない、ヨハン王子は〝オネーサン〟としか呼ばない名もなき魔女。そんな彼女は私よりも明らかに年上で、私にとっても〝オネーサン〟で、だけど〝オネーサン〟と呼んじゃいけない人だった。


「どうしたの? 大丈夫?」


「すっ、すみません、私……」


 なんて言ったらいいのかわからずにただただ手を動かしていると、何故か小さく笑われた。


「元気そうね。昨日ふらふら〜って歩いてたから、心配したのよ?」


「あ……すみません」


 視線を伏せると、彼女の両手が伸びてきて私の両頬に触れてくる。


「え?」


「お願いだから謝らないで?」


「でも……」


「いーのよ。貴方は〝悪魔の娘〟でアリシアの人間だけど、セルニアの客人みたいな子だし……ヨハン様も懐いてるし。困ったことがあったらいつでも相談してね? 魔女としてできる限りのことはするわ」


 優しく微笑んだ彼女は、いい人そうに見えた。

 敵視されているのかと思ってなんとなく深入りはしなかったけれど、そんな印象をこうも簡単に覆してくる。そして、もし私に〝お姉さん〟がいたらこんな感じなのかなと思った。


「……ありがとう、ございます」


 私は、お姉さんの好意に精一杯応えようと思った。





 ベルニアに到着してから早数日、オネーサンが俺の前に姿を現さなくなった。

 ベルニアから出国できるわけがないのは最初からわかっていることだから、危機感みたいなのは特になかった。けれど――


『これからも、お傍に……』


 ――あの言葉の意味は知りたかった。


「はぁ〜あ」


 つまんないなんて、本当は思ってはいけない。何故なら俺は、この国に遊びに来たわけではないから。

 何故かこの国に残っていたアイオンと共に悪魔の拠点を次々と襲い、この国に来ると言って聞かないフランク兄さんの到着を待つ。その間することなんて何もなかった。


「オネーサン」


「なぁに〜? ヨハン様」


「フランク兄さんが来るのはいつ?」


「三日後よ? どうしたの、さっきもそれ聞いてたわよね?」


「だってぇ……」


「変なヨハン様。そんなにフランク様に懐いてたっけ?」


 首を傾げてくるオネーサンとの会話も三日なんて持つはずがない。オネーサン――〝悪魔の娘〟と呼ばれているオネーサンなら別だろうけど。

 会いたいななんて思っても、オネーサンはアイオンと一緒にいるのかなかなか会うことがなかった。これは俺の我儘なのかな、そう思っても止まらなかった。





 アイオンとの交渉の末、私は訓練所を貸してもらえることになった。

 ヨハン王子にはなるべく会わないようにしているし、この力を使う訓練もしたいし、ちょうどいい。天井がないように見える魔法でもかけてあるのか、室内は開放的で私は少し安堵した。


「……ここなら、思い切り飛べる」


 目測で、初めて飛んだあの時よりもこの天井が高いと判断する。そして、軽くストレッチをした。


「よし」


 言葉に出して、覚悟をし、足を思い切り地面に叩きつけて羽を広げる。アトラスやフランク王子、ヨハン王子が飛んだ時をイメージして空を飛ぶ。


「うわっ!」


 高い。けれど、何故か視力が他の人よりも良い私にはなんでも見えた。


「あれ、でも……この後どうするの?」


 あの時はアイオンに連れられて下りたけれど、アイオンがいないとどうしていいかわからなくて混乱する。なのに今、アイオンはいない。


(まさか、アイオンがいなきゃ何もできない?!)


 一気にやる気を削がれたけれど、そんなわけないと私は無理矢理思い直す。魔法騎士団のみんなを思い出せば、なんでもできるような気がした。

 次々と、魔法騎士団の七人の姿が脳裏を過ぎる。


(これは……五鈴いすず、ディアボロスみたい)


 高く高く地面を蹴って飛ぶことができるディアボロス。五鈴が飛ぶ時は魔法を使うのが常だけれど、彼女は時々自分の足でどこまでも飛んでいく時がある。

 最後に加入した幹部の五鈴は、そういう意味でも強い人だった。けれど、私は空中に僅かに留まっただけでそのまま真下に落下する。


(なんで……?! 何か、絶対何かあるはずなのに……!)


 魔法は悪魔が与えたもの。だったら、魔法――魔法騎士団の彼らの言葉を思い出せ。


『シャルムは魔法の素質がないけれど、例え悪魔のものとはいえ力があるんだから鍛えたら相当強くなるはずだよ』


(力が……強い……)


 けれど、それだけでは何もわからない。まだ何かヒントがあるはずだ。


『魔法の力は、自分の思い通りに動かすことができるんだよ〜』


「ッ! まさか……!」


 私は、魔力が背中に集まるように集中する。これが、この力の完成形だ。

 悪魔の羽が動き出す。魔力の膜が羽を纏い、ちゃんとアトラスたちのように飛びながら下りていく。


「やった……!」


 嬉しくて、笑みが零れた。

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