第二話 セルニアの王子
白と銀を基調とした慣れないセルニアの民族衣装に戸惑いつつも、なんとかそれらしく着替え終える。
牢屋なのに開け放たれた部屋から出ると、すぐに螺旋階段が視界に入った。恐る恐るそれを上って廊下に出ると、誰もいない。フランク王子でさえいなかった。
「……何、ここ」
よく見ると細部がアリシアの城とはまったく違う。壁にかけられた絵画の装飾も、絵画自体も。
「あれ? オネーサン、そこで何してるの?」
振り返ると銀髪の少年が立っていた。大きな紫色の瞳を見ても、彼がセルニアの王子だということはよくわかる。
アンリよりも下の子なのだろうか。後ろに多くの女性たちを連れているが、全員彼よりも年上そうだった。
「って、なになにその服! どうしたの?! めちゃくちゃじゃ〜ん!」
「え」
「みんな、この子に着方を教えてあげて! ついでに可愛くデコっちゃえ!」
「はーい!」
少年は軽く片腕を上げ、弾けるような声色で私に女性たちを押しつけてくる。私は女性たちに囲まれて、その場で服を脱がされた。
「きゃあああああ?!」
「異国の子〜? この辺では見ない着方してるじゃな〜い」
「どこからこの城に侵入してきたの〜? まだまだ脇が甘いわよ〜?」
「可愛い〜! 照れてる〜!」
「ねぇねぇ知ってる? 東方では『裸のつき合い』っていうのがあるらしいわよ。だから裸でつき合いましょ〜よ」
「デコっちゃおデコっちゃお! 私たちみたいに煌びやかに!」
「貴方目力強いわね〜? いいじゃない、全然負けてないわよ!」
「ヨハン様〜! 見て見てできた〜!」
嵐のように過ぎ去っていく彼女たちを目で追って、いつの間にか正面に立っていた同じくらいの身長を持つヨハン王子を視界に入れる。
「あ〜! いいじゃんいいじゃん様になったじゃ〜ん! オネーサンとっても綺麗だよ〜!」
両手を叩いて喜び、私の周りを回りながらしげしげと眺めるヨハン王子。
聞いたことのない名だ。フランク王子もアンリも知らなかったんだから、どんなに有名でも知らないんだろうけれど。
「……ありがとう、ございました」
私は彼女たちとヨハン王子に頭を下げる。
「やめてよ〜。私たちはだっさい女の子にちゃちゃっと魔法をかけただけなんだから〜」
「そうそう。礼を言われるようなことじゃな〜い!」
にこやかに笑って否定する彼女たちに向かって首を振った。メイドだから、ヨハン王子の取り巻きの人たちの言いたいことはなんとなくわかる。
「……それでも、ありがとう」
逆の立場の気持ちなんて、考えたことなかった。だから、今だけここに来て良かったかなと思う。
「あの、フランク……王子、どこにいるか、わかりますか?」
けれど、連れ去った張本人は未だに見つからなかった。
「え、フランク兄さん? 謁見の間にいるんじゃな〜い?」
そして銀髪を少し弄って、「俺たちもそこに行く途中だったから連れてってあげるよ〜」と先に歩き始めてしまった。
「……ありがとうございます」
ようやく躓かずに言えた台詞は、今日で三回目となる言葉だった。
*
「おっせぇよ。いつまで待たせる気だ」
謁見の間――フランク王子曰く王の間と呼ばれた場所に行くと、早速彼から文句を言われた。
「フランク兄さ〜ん。このオネーサンフランク兄さんトモダチなの〜?」
「なんだよヨハン。知らねぇで連れてきたのかよ」
フランク王子はヨハン王子の質問に答える気がないらしく、適当に首を回して間を詰めてくる。
「フランク王子、私を……帰して」
アリシアに、とは彼らの前では言えなかった。
「はぁ? ……お前、まさか自分のこと人間だなんて思ってねぇよな」
「え」
「お前は人間じゃねぇよ。今まで散々言われてきただろ、〝悪魔の娘〟って」
「ッ!」
そんなことを言われるとは思わなかった。自分が人でも魔女でも悪魔でもないことは知っていたけれど、アトラスは私に人権をくれた。それが当たり前だと思ってそれさえないとは思わなかった。
「〝悪魔の娘〟〜? フランク兄さん、オネーサンのどこが悪魔なの?」
「お前はまだちっちぇからわかんなくてもいいんだよ」
「はぁっ?! ちっちゃくないし! 俺もう十二だし!」
「充分チビだろ」
「そんなわけなくない?! 今だって俺に会いたいっていうオネーサンの為にここに来たのに!」
視線を移すと、ヨハン王子に会いたがっている女性たちが視界に入った。彼女たちには、ヨハン王子の取り巻きの人たちとはまったく違う雰囲気がある。この違いはなんだろう。
「けど、こいつから滲み出てる悪魔の力には気づけてねぇんだろ?」
「えっ、うそ……いやいやジョーダンキツいよ、兄さん」
けれど、それは冗談じゃない。誰よりも私自身がわかっていることだった。
「お前らがこいつのことここまで着飾ったみてぇだけど、こいつはお前らが思ってるほど綺麗な奴じゃねぇよ」
「……ホントに?」
確かめるように彼が呟く。私は思わず耳を塞ぎ、円形となっている謁見の間の中央で片膝をついた。
「こいつは〝悪魔の娘〟だ。十年前に死んだはずの、悪魔に魂を売った民族の生き残り――人でもない、魔女でもない、悪魔でもない生き物なんだよ」
「――!」
どれだけ嫌だと拒絶しても、どうしても聞こえてくる声。私やアトラスたちが秘密にしてきた私のことを、なんでこの人はこうも簡単に話せるのか。そう思って吐き気がした。
気持ち悪い。バケモノめ。そんな瞳を向けられると覚悟した。そうして少し、泣きそうになった。
「へぇ〜……」
ただ、ヨハン王子は驚きつつも拒絶だけはしなかった。
「オネーサン、全然そうは見えないのにねぇ。あ、ねぇねぇ。悪魔に魂を売るってどんな感じ? オネーサンは悪魔の味方なの?」
そして、何故か質問攻めに遭った。
「え、あの……よく覚えてないんだけど、私は悪魔の味方じゃない。人の味方、だから」
つい最近ベルニアが滅んだばかりなのに、彼はその事実を忘れているかのような態度で再び私の周りを回る。
戸惑って、幼くてまだ飲み込めていないだけかもしれないと納得して。幼いと言って突き放すのはヨハン王子に失礼だろうかと少し思った。
「だったら俺たちにも協力しろよ」
「きょ、協力……?」
「世界はアトラスばっか……アリシアばっか持ち上げるが、俺たちだって悪魔を世界から追い払った一族の末裔だ。クイーンドラゴンよりもキングドラゴンの方が強いっつー事実はどこにもねぇのに、あいつらは〝王〟ばっか褒め称えやがる」
「向こうの国民は魔法使いばっかりだし、魔法騎士団も世界で一番多くて世界で一番強いですからね〜」
「ちょっとちょっと! みんな同じ魔法騎士団として悔しくないの?! なんの為に白と銀が入った軍服着てるのさぁ!」
「そりゃ悔しいけどぉ。だったらこっちにももっとお金かけて〜って感じ?」
「それに、アリシアは他国の魔法使い大歓迎だもんね〜。セルニアはセルニア国民しか雇ってないじゃん?」
「ここだけは負けないぞ! ってのが国土だけじゃあね。血筋はどっこいどっこいでも、人脈はアトラス王の方が上っぽいし」
ヨハン王子の取り巻きだと思っていた女性たちは、セルニアの魔法騎士団の人たちだったらしい。二十人くらいの大所帯だけど、女性の人数がこれで全員だったらアリシアには一生敵わないだろう。
ヨハン王子よりもフランク王子の方が悔しそうに顔を歪め、「クソッ! 今度行く時は覚えてやがれ、めっちゃくちゃのぐっちゃぐちゃのぎったぎたにしてやっからな!」と地団駄を踏んだ。
「フランク! ヨハン!」
「あ、リシャール兄さん」
みんなと同じ綺麗な銀色の髪を持つ男性が、複数開いた扉の一つから姿を現す。フランク王子とヨハン王子からリシャール兄さんと呼ばれたリシャール王子は、私に視線を止めて足を止めた。
「謁見中すまない。そちらの女性も……ん? 失礼だが、どなただろうか。お会いする方の中にいなかった気がするが……」
「ぁっ」
「えっ? ちょっと待って、それってどういうこと?」
「貴方が会っているのはフランクか? フランク、いくら自分に会いに来た方がいないとはいえ勝手に城内に入れるのは――」
瞬間、フランク王子が私の肩を抱き寄せた。突然のことにたたらを踏み、恐る恐る王子を見上げる。
「別にいーだろ。こいつは俺のなんだから」
やっぱり物扱いだった。本当に人と思っていないらしく、顔が近すぎるのに彼はまったく気にしていない。だから私が顔を逸らした。
「えぇ〜、フランク兄さんの〜?」
不満そうに抗議を上げるヨハン王子も、私のことを着せ替え人形としか思っていない。協力するのは別に構わないけれど、せめて人並みに扱ってほしかった。
「上手く状況が理解できないのだが……とりあえずそちらの話を聞こう。フランク、詳しく説明してくれないか?」
「だから、俺がアリシアから持ってきたんだって」
「……はい?」
「……は?」
瞬間、空気を読んで早々に黙っていた魔法騎士団の人たちも、順番を待っていた人たちも動きを止めた。だから余計に謁見の間が静まり返る。
ヨハン王子も、リシャール王子も、というかこの場にいた全員が目を見開いていた。そんな静寂を破ったのは、低い笑い声だった。
「ッ! 父様!」
全員が一斉に振り返ると、そこには誰よりも艶やかな銀色の髪を持つ男性が立っていた。




