第一話 メイドと王子
誰もが特別な力を持っている。だからその特別は特別じゃなくなって普通になる。けれど、私は普通の力を持たずに生まれてきた。それが普通なのにこの国では異常だった。
私には何もない。空っぽだ。なのにどす黒い力が私の中から出ようとしていて、それはいつまで経っても私のことを苦しめる。その度に必死で押さえつけて、私はみんなに、王に、助けを乞うた。
「……ごめん、メーリャ」
短く謝る。私より六歳も年上のメーリャは、肩にかかった白銀の長髪を払って首をゆっくりと左右に振った。
「貴方が謝ることではありません」
木の枝に似た魔女の杖をしまい、メーリャは私の頭を撫でる。メーリャの顔はよく見えなかったけれど、声色は憐れむようなそれだった。
「……ごめん」
「シャルム、お願いですからそんな顔はしないでください」
「でも」
「『でも』じゃありません」
私なんて、生きている価値はないに等しい。それでも、城に住まわせてもらっている以上は生きなければならない。
居館の一室で仕事に追われていたメーリャを見上げ、私はわずかに頭を下げた。唇を噛み締めた。ただのメイドが国王直属の配下である魔女にこれ以上時間を割いてもらうわけにはいかない。それでも、もう少しだけ姉のように慕っている彼女に甘えていたかった。
「メーリャには、私の気持ちなんて絶対にわからない。……あと、そんなに他人のことを心配してると老けるのが早くなる」
「聞こえてますよ?」
最後の方は小さく呟いただけなのに、魔女のメーリャには意味がなかった。こうして少しだけ揶揄っていると、楽になれた。
私は小さな笑みを浮かべ、ベッドから立ち上がってメイド服を整える。すると、遠くの方から慌ただしい足音が聞こえてきた。その足音の主は、私たちがいる部屋に許可もなく入室した。
「エメリヤン様! アトラス王がお戻りになりました!」
「アトラス王が?! わかりました、今行きます!」
「あ、私も……」
「貴方は仕事に戻ってください」
黒く微笑むメーリャを前にして、ようやくメーリャに苦手意識を抱いているアトラスの気持ちを理解する。
開けっ放しにされた扉から去っていく二人の後ろ姿を見ると、メーリャの背中が徐々に徐々に小さくなっていくのがわかった。
「いー……、だ」
普段なら絶対にしないけれど、私は両頬を引っ張って舌を出した。
メーリャには、わからない。アトラスと様々な国に訪れている、魔法騎士団の頭のメーリャには。
「シャルム、いつまで仕事をサボっているの」
「レベッカ……。ご、ごめん」
「別に人は足りてるし、あんたは役立たずだからいいんだけど。ほんっとエメリヤン様と仲良いわよね」
メイド仲間のレベッカは、さっきの話を立ち聞きしていたのかそんな言葉を吐き捨てた。
メーリャを含んだ国王直属の魔法騎士団は、アリシア国民全員の憧れの的。そんな彼女たちと仲良くしていると、嫌なことをたくさん言われるのは当然のこと。しかも相手は〝私〟なんだから、レベッカは好き放題に言葉を吐けた。
「良くない……です」
「敬語苦手なんでしょ? 下手に使われた方が不愉快だから。っていうか、あの方々にはタメ口なのに私たちだけに敬語で喋られても困るから」
レベッカは盛大にため息をつき、杖を振って私の体を引き寄せる。メーリャの部屋から引きずり出された私は床に顔を強打して、痛む鼻を思わず抑えた。鼻血は流れなかったけれど、私は文句を言うこともできずに立ち上がって視線を伏せた。
「……わかった」
そうしてこくりと頷いた。
魔法騎士団と仲が良いのも、敬語が苦手なのも、当然のように訳がある。けれど、ただのメイド仲間であるレベッカには何も話せなかった。話してはいけないとアトラスが言って、私も話したくなかったから私はずっと黙っていた。
*
一通り終わった掃除の成果を前にして、ある程度の達成感を覚えながら私はごりごりと首を回す。その途中で見えた空は、茜色の夕日に染まっていた。
「あ」
そういえば、昼間に出ていったメーリャは一度も帰ってこなかったな。唇を噛んで、キングドラゴンと魔女の末裔であるアトラスと魔法騎士団のことを思い浮かべる。
私があの場所へ行ける日は、一生来ない。そう思って悲しくなった。
「ちょっと! みんな聞いた?!」
振り返ると、慌ただしそうに食堂に入ってきたレベッカが私以外のメイドたちを見回して息を整えている。何をそんなに慌てているのだろう。いつものレベッカらしくない。
「ベルニアが悪魔によって滅ぼされたって! カッツァは生存者さえいないらしいわ!」
刹那に聞こえたどよめきは、彼女たちを不安にさせていた。そこに故郷がある子は泣き出し、周りの子はかける言葉を持たずに戸惑いだす。
私は唇を噛み締めて、血を舐めた。何度も何度も噛み締めている唇は荒れている。時々気づいたメーリャが治してくれるけれど、癖なのか完治した日は一度だってなかった。
「ちょっ、落ち着いて! 私だってそんなに知らないわよ!」
レベッカがみんなに問い詰められて困っている。それを止める者はいない。レベッカがここのリーダーみたいなものだから。
瞬間、そんなレベッカの赤目と目が合った。レベッカは袖に隠していた杖を振り、私に紙を飛ばしてくる。受け取ったそれに書かれていたのは、アトラスが私を呼んでいるという旨のものだった。
呼ばれたら行く。だって私はアトラスに仕える彼専属のメイドだから。なのに気が進まなくて、長い廊下を一人で歩く。
アトラスが呼んでいる王の間は食堂の真上に位置しているのに、一瞬だけ遠回りしようとした自分を叱って前を向いた。
「アトラス!」
走り出し、勢いよく開けた扉から飛び出す。自分の勢いを殺しきれずにたたらを踏むと、玉座を見上げるようにして立っていた二人の来客と目が合った。
私と同年代に見える二人は兄妹のようで、血のような赤髪を持つ少年と銀髪を持つ少女に驚いた私はそのまま転ぶ。来客がいるなんて知らなかった。いたらこんなに急いで来なかったのに。
拳を握り締め、魔法騎士団の彼女たちが端に整列しているのを視界に入れた。この七人の幹部が揃っているいうことは、この二人の地位は並のものではないということだ。
アトラスの来客はみんな偉い人なのに、成人もしていないような人がこの王の間にいるなんて。信じられなくて、呆けた顔で二人を見上げた。
「お、お前……」
戸惑う少年の声で我に返り、両手足に力を込める。
「大丈夫ですか」
起き上がると、目の前に少女が立っていた。私よりも幼そうに見える銀色の彼女は、近くで見ると細部まで整った顔立ちをしている。
「あ、えと……。大丈夫」
「そうですか? そうは見えませんが」
声まで可愛らしい子供だった。なのに金色の目で私の体を舐め回すように眺めてくる。
「アイオン! 困ってるだろ、離れてやれ」
「はい、アポロ」
顎を引いたアイオンが戻った。アポロと呼ばれた少年は、「ごめん、こいつ世間知らずなんだ」と言って謝った。
「シャルム、すごい登場の仕方だったな」
頬杖をついているアトラスは、三十代くらいの若き王だ。今日もまた絢爛豪華な装飾品で身を着飾り、玉座にふんぞり返っている。
「うるさい、ハゲ」
「ハゲてない」
「アトラスが急に呼び出すから」
「それはすまん。アイオンに君を紹介したくてね」
アイオン、というのはやはり先ほどの少女だろう。まばたき一つせずに私を見つめる不気味な彼女は、またアポロに窘められている。
「アイオン、この子が以前話したシャルロットだ。一応メイドとして雇っているが、俺の家族みたいな子でもある。見かけたら仲良くしてあげてくれ」
「はい、アトラス」
「シャルムもな」
「わ、わかった」
家族――。今まで一度もそうだと思わなかった日はないけれど、明言されると擽ったい。
アトラスが魔法騎士団の幹部たちを家族と呼ぶ日はないけれど、私にとってはこの八人が家族だった。
「ていうかアトラス、この二人は?」
まだ紹介されていない。再び少年の方へと視線を移すと、もう一度目が合った。
「ん? あぁ、そうだったな。シャルムにはまだ紹介してなかったか」
「もぉ〜。オウサマ、しっかりしてよぉ。ボケてんのぉ?」
「どうやら、俺たちの王様は本当に年齢詐称をしているようだな」
「そうですね。もう庇えませんね」
腰をくねらせるイザベラに、真顔のディーノ。メーリャは頭を抱えている。
「ちょっと待て、年齢詐称ってなんだ! 俺はちゃんと三十六年前にこの国に生まれたんだぞ?! 記録だってある!」
「アンタドラゴンの末裔なんでしょ? 何言っても怪しいよ」
「ていうか三十六歳なんだ……!」
「国王! お子様のご予定はあるんですかー?!」
「あぁぁああ! 穢らわしいですわ! そうなったら私祖国へ帰ります!」
林杏、マルガリータ、ファラフ、五鈴。みんなでアトラスを弄るのは日常茶飯事。だからアトラスが国王と呼ばれても、正直ピンと来たことはなかった。
「アトラス、本題。みんなも今は余計なこと言わない」
言うと、七人が口を閉ざす。こんなところをレベッカに見られたらまた何を言われるかわからなかったけれど、これが日常茶飯事だった。
「彼女はメルクーリ家の専属魔女、アイオン。そして彼は、ベルニア国第四王子のアポロ・メルクーリ王子だ」
瞬間に耳を疑った。
「ベルニア、国?」
さっきレベッカが言っていた、悲劇の王国。彼らが住んでいたはずの首都カッツァは、生存者さえいないらしいけど。
「なんだ、もう知っていたのか。ベルニアは滅んだが、国民たちは世界中に逃げることができたらしい。それもこれもアイオンのおかげだそうだ。たいした魔女だよこの子は」
「あ、アトラス王。こいつこんな見た目ですけど、多分王より年上ですよ」
「えっ?!」
「まっ……じでぇ?! 嘘でしょそれぇ〜! ちょっと、何をどうしたらそんな風に若返るのぉ〜?!」
アトラスよりもイザベラの方が驚いて、幼い見た目のアイオンを拘束する。アポロ――アポロ王子はそれを止めなかった。兄妹じゃなくて赤の他人だった二人は離れ、興味深そうにアイオンを囲む他の幹部たちの雰囲気でなんだかお開きムードになる。
どうすればいいのかわからずに戸惑っていると、いつの間にか隣にアポロ王子がいた。
「よろしく、シャルロット」
「よ、よろしく」
「他の人たちも他国から来たらしいけど、シャルロットも?」
「えっと、そう」
「どこの国?」
「えっ……?」
思わず目を見開いた。たいしたことを聞いているわけじゃないのにそうしてしまった。
「ごめん……なさい。わからない」
「そっか。なぁ、今こんな感じだし城の中案内してくれない?」
「あ、わかった」
「うん。よろしく」
アポロ王子を連れて外に出る。案内って言われても困るけれど、アポロ王子の方が困ってるだろうから従わなきゃ。
「この下は、食堂。でも今は大変そうだから後にする……のです」
「のです?」
「ご、ごめん……なさい! 私、敬語が苦手で……!」
「いや、いいよ。敬語なんか使わなくても」
「えっ?! でも、貴方は王子……」
「いいんだよ。滅んだから」
どうしてそんな大変なことをこうもあっさりと言うのだろう。不思議で不思議で仕方がないのに、アポロ王子の表情が笑っているようで笑っていないことに気づいたら反論なんてできなかった。
「……ありがとう」
だからせめて、私も笑った。
「シャルロットは笑った方が可愛いな」
「えっ?!」
「さっきからずっと下ばっか見てるけど、シャルロットは笑ってた方が可愛いよ」
「……シャルムでいい。みんなそう呼んでるから」
アポロ王子が頷いた。私は居館を案内した。しばらく相槌を打っていたけれど、不意に彼が口を開く。
「何?」
私は、塔の階段を上がりながら返事をした。
「シャルムはなんでメイドなんだ? アトラス王は家族みたいって言ってたのに」
「……わからない」
本当は、なんとなくだけどわかっている。ただ、それを話そうとすると私の秘密も話すことになるから止めた。
「そっか」
アポロ王子は、深く追求しようとはしなかった。振り返ると、アポロ王子とまた目が合う。
……この人は多分、人の話をちゃんと聞ける人だ。だからもう少し話してみようと思った。
「ただ、私は彼らとは違う。違うから、私はメイドなんだと思う」
「それは、魔法使いじゃないって意味?」
「…………」
「ごめん、アイオンから聞いた。お前ってこの国唯一の人間なんだろ?」
アポロ王子から視線を逸らす。背中を向けて、ただ歩く。
「俺もさ、この国に入ることはできたけど魔法使いじゃないから風当たりがちょっと強くてさ。なのにシャルムはすごいよな。それでもずっとこの国で生きてんだから」
私は、王子という地位にいる人にすごいと言われるような人間じゃない。それでも、ようやくわかってくれそうな人が現れたことは嬉しかった。
「シャルムは、魔法騎士団の人たちに負けないくらい強い人だよ」
「ありがとう」
そう言って肯定されることはなかったから、嬉しかった。
「今日が終わっても時々話聞いてくれるか? 俺、アイオンに引っついてこの国に来たようなもんだからちょっと肩身狭いんだよ。その代わり、悩みや愚痴があるならいつでも俺が聞いてやるからさ」
「私は……」
言いかけていた言葉を飲み込んだ。違う。そうじゃない。そんな言葉さえ吐けなかった。
アポロ王子は、私の秘密を知ってもこうして話しかけてくれるのだろうか。いや、それは多分ない。こんなに優しくしてくれるのは今だけだ。
「……ありがとう」
だから何も言わなかった。けれど、その言葉で私は充分に救われた。




