4, 素早い噂
デートをした次の日、早速ディーンとカレンの記事はタブロイド紙の大きな一面で掲載された。
しかも写真はレストランでのものだけじゃない。水着を選ぶ所から、海の上でのキス、それに彼が日焼け止めを塗っている所まで!そして、車の側で別れ際のキスまで。
[国一番のリッチな独身 ディーン・ジェラードの今回のデートのお相手は、ミルウッド侯爵令嬢 カレン・ホワイトリー。
二人は買い物を楽しんだ後、ベレスフォード公爵家のプライベートビーチで過ごし、夜のディナーを楽しんだ。一日中熱いデートをしたディーンは今度こそ本気交際?]
カレンの詳細なデータが書かれていて、着ている服から靴に至るまでの値段まできっちり。
ディーンと例えふりでも、恋人みたいに振る舞うことはこんな風に丸裸にされる事だと、震えそうになる。
「もう少し節度ある交際をしてほしいものだな」
父の言葉にカレンは切れた。
節度ある、って何?
これまで何度もディーンがこの紙面を賑わせたか知らないはずもないし、それに昨日はビーチで過ごすと知っていながら送り出したのは紛れもなくこの父だ。
「百戦錬磨のプレイヤーに、経験ゼロのガラスドールがかなう訳ないでしょ!」
カトラリーを乱暴に叩きつけ、カレンは部屋に引きこもる事にした。
ガラスドール、大学ではそんなあだ名を付けられるほど、お堅いカレンだったのに。
ガラスケースに入ってるお人形さん、という意味らしい。
カレンだって、全てを快く許した訳じゃない。自分なりに身を守るつもりはあった。それを思い通りにしてしまったのはディーンで、彼の言う通りにしてしまうのは、カレンだ。しかも……昨日のアレコレは、まだ体に影響を及ぼしている。
「カレン?」
扉越しに聞こえる声はケイトだった。
「空いてるわ」
ケイトは不貞腐れて寝ているカレンの横に、寝そべって顔を合わせた。
「パパ、あなたがあんな風に怒るの初めて見て驚いていたわ」
「ごめんなさい」
癇癪を起こすなんて、子供っぽくて恥ずべき事だった。
「カレンはいい子過ぎたから、少しくらい困らせていいと思う」
小さな子供によしよしするようにケイトが撫でて来る。
こういう時、ケイトはとても姉らしい振る舞いをする。
「パパもママも、私の結婚が決まったから、次はあなたにって思いすぎてる節はあるわね。でも、例えディーン・ジェラードが相手だからって二人ともあなたが傷つくことは望んでないの」
ケイトは来月、有名企業アルバトロスのCEOと結婚する。相手のファビラス・ランドールはケイトよりも10歳年上だけれど、とても頼りがいがあって素敵だと惚れ込んでいる。
両親の気持ちもわからなくはない。
世間が注目するように、ディーン・ジェラードは富も権力もあり、そして素晴らしい容姿をしてる。多少、女性との噂は多すぎるけれど縁を結ぶにはメリットが多いのだ。
一方のベレスフォード公爵家からしても、ミルウッド侯爵家とは手を結ぶのに最適な一族だと言えた。何よりも母同士が仲が良い。
ケイトは社交的で、パーティーに行ってもそつなくこなせる。一方のカレンはアレックスの影から出ることさえ恐れてる。ディーンの、方はそろそろきちんとした相手を見つけて、浮わついた噂を一掃したいと、意図があるように思えた。
「………ありがとうケイト。――――謝ってくるわ」
カレンはケイトに背を押される様にして、リビングルームでパソコンを操作してる父の前に立った。
「さっきは食事の途中で、あんな風に席を立ってごめんなさい。それにパパにあんな言い方もしてしまったわ。いけない事だったと反省してる」
「私はカレンが心配なだけだ。だけど、これまでが頑なだったから、少しは安心してもいるが。今日はお母さんとドレスでも買ってきなさい。これからディーンといるなら、こんな風に注目を浴びるのは避けられない」
「明日にするわ。今日は出かけたくないの」
昨日は疲れたし、そして今日は朝から記事を見て人目が怖い。
そんなカレンを父はため息をついて見送った。
いつもの自分を取り戻したくて、カレンは持ってきていたテキストを広げて、ペンを取り出した。何度も何度も集中し直さなくては、染み付いたみたいにディーンの事が思い出される。
なぜか彼の香りまで、本当にしてきた気がする。
『熱心だね、俺が教えてあげるのに』
今まさに、勉強していたラカル語を流暢に話されてカレンは振り向いた。
「ディーン、どうやって入ったの?」
「普通に、入り口から」
「何しに来たの?今日は約束なんてしてないわ」
「約束?そんなのヤボだな。出掛けよう」
ディーンはカレンのクローゼットを開けて服と靴を選び、バッグを取り出した。
「こんな感じかな?アクセサリーは?」
「今日は行かないの」
「そうやって、引きこもるつもりか?」
「今日はそうするの」
「良いか?カレン。俺は、恋人は大切にする。引きこもるのは不健康だし、人目を気にするなら、魅力的な姿を見せつければいい。俺が君と出掛けたい、そう思ったら……」
「そうするんでしょ………。わかったわ」
立ち上がりディーンが用意した服を手に取る。
「部屋を出てくれないと、着替えられないわ」
「なぜ?俺は今、君を甘やかすのが楽しくて仕方ない。もちろん手伝うに決まってる」
うなじにキスをして、サマーセーターを脱がせにかかる。
特別な感情もカレンに抱いているはずもないのに、ディーンはどこまでも優しくて、意地悪で、これはふりなんかじゃないと勘違いしそうになる。カレンのクローゼットにあったはずの単なる一枚のワンピースは、今この瞬間から特別になった。
薄いグリーンの花柄のワンピース、シフォンのリボンと花細工のアクセサリー。高すぎず低すぎないヒールのサンダル。
小さな籠バッグ。
着ているものは同じでも、
「鏡を見てみろよ、カレン・ホワイトリーはとても美しい女だろ?」
彼が選んでそう言葉を口に出せば、それはまるで仕上げの魔法だ。
彼が心から愛する女性は、きっとこの世で一番幸せになれるだろう。
気がつけばカレンは、ディーンとキスを交わしていた。それも彼の首に手を伸ばして背伸びをしていた。
「カレン………っと。ゴメン邪魔した」
「邪魔じゃなない」
ディーンは笑うと、アレックスにそう言った。
「ちょうど、出かける所なんだ」
「これからはノックするようにするよ」
「ぜひそうしてくれ」
ディーンは笑ってアレックスの肩をたたいた。
その日、ディーンが連れて行ったのは船着き場で、カレンも呆れるほど豪華なクルーザーが並んでいて、その中でもやや小振りなクルーザーに乗り込んだ。
デッキにはジャグジーと、それからプール。パーティーをしてもそこそこ人数を呼べそうだった。これはまさしく海の上のホテルだ。
クルーたちが出航させて、ソファで寛ぎながらワインセラーを開けた。
「何でもいい?」
「何でも」
ディーンの所有なら、まず下手なものは入ってる事はないだろうし、彼の選択はまず間違えない。
「記事、悪かった。まさか、すぐにあんな風に載ると思わなかった」
「そうなの?」
「多分、母がリークしたんだな」
「公爵夫人が……」
外堀から、固めていくつもりなのかも知れない。だけどディーンは、三ヶ月が経てばカレンと付き合い続ける事はないだろうし、カレンもディーンと……現実的に、考えて先に進むことはないと思う。こんな生活はきっと馴染めない。
夢は、覚めるから夢なんだ。
「きっとそのうち、違う話題になるわ」
その新しい話題は、ディーンの新しいガールフレンドかも知れない。
スピードが少しずつ上がっているらしく、風は強くなり、髪をなぶる。
珍しくディーンは黙ってグラスを置くと、ソファに体を預けた。
「カレンの望みは?何がしたい?何が欲しい?」
「何も……。何でも望むものは持っているし、欲しい物はないわ」
「無欲なんだな」
ディーンの表情は、何の感情も窺えない。
だから少し、怖いと感じた。
「下にプールがある。少し泳いでくる、自由にしてていい」
「わかったわ」
カレンは、降りていくディーンをただ見つめていた。