戦いの火蓋③
「ブラインちゃん。一つだけ言っといてあげる」
隙あらば今にも跳びかからんと身構えていたブラインに向かってダグラスは大きな掌をこちらに突き出して制止をかけた。
「アタシの独自魔法を知ってるからって勝てるなんて思っちゃダメよ」
「勝てるっすよ。戦いの中で相手の系統と独自魔法を知っていることがどれだけ有利かわかってるっすよねぇ?」
「そうね…」
ダグラスの右足に力が入る。
ブラインが身構えた瞬間、弾丸のような速さで眼前まで迫り来るとその巨大な拳をブラインの顔を目掛けて振り抜いた。
「ぐっ…!」
ブラインは歯を食いしばり、すんでのとこで腕でそれを防ぐが、吹き飛ばされることでもその威力は殺しきれず衝撃で口を切り、つーっと顎を血が伝った。
デカイ。のに速い。
筋肉の塊と称してもよいダグラスの肉体。
見てくれはパワーに偏りすぎてスピードは遅そうなものだが、それはまったくもって見当違い。
言わば、大砲を背負った人間が馬よりも速く駆けてくるようなものだ。
「まだよ」
仰け反りながらもぞくぞくっとブラインの背筋に悪寒が走る。
低く小さな声で発せられた声を薄く細い刹那の攻防の中で確かに聞いた。
メキメキメキッッッ!!!
ブラインの脇腹に重い鈍痛が響く。
ダグラスの拳がめり込むように腹を抉っているのが原因だとすぐわかる。
「ぎぃぃっ!!」
我慢強さでは誰にも負けない自負があったブラインでさえその威力は耐えきれず、小さな悲鳴をなんとか歯を食いしばって堪えるのがやっとだった。
「ってぇ!!」
負けじとくの字に曲がった態勢から強引な反撃を試みるが、ブラインの放ったアッパー気味の拳は空を切った。
「わかったかしら?」
ガクガクと足が震え、立っているのがやっとなブラインとは反対にダグラスは綺麗なファイティングポーズを取りながら軽やかなステップを踏む。
「何がっすか?」
脂汗を流しながらブラインは聞く。
「あなたがアタシの独自魔法を知っていてもなんの意味もないってことよ。あなたとアタシでは独自魔法抜きに戦闘能力の差がありすぎるわ」
「はっ、そんなのはじめからわかってますよ」
虚勢を張りながらブラインはべっと唾を吐く。真っ赤に染まった唾を。
「こんな力の差、はじめっから想定してましたし、なんなら想定よりも下回ってますよ」
「下回ってる?」
ダグラスの余裕の笑みが微妙に歪む。
「うす。正直、想像上の先輩ならさっきの顔面の右ストレート、ガードなんて関係なしに頭と首を離される。そんぐらいの覚悟をしてました」
「……それ以上続けるのはやめなさい」
笑顔のまま抑揚のない声でダグラスは言うが、ブラインはへっと吐き捨てる。
「思ったより大したことないっすね先輩。これならさっさっと終わらせてポップルウェルの所に応援へ行けそうっす」
「いい加減にしろよゴラァァァァアアアアァァァァァ!!!!!」
激昂したダグラスは先ほどよりも速くブラインの元へ一足飛びで突進する。
思わず退いてしまいそうな鬼の形相のダグラスを迎え打たんとするブラインはというと待ってましたと言わんばかりに唇を舐めた。
まだ自分がこの騎士隊にいなかった時、つまり席の座を持っていなかった時、ダグラスの下について任務に行ったこともある。
隊長こそキールしかいないと言ったブラインであったが、一番尊敬している先輩は目の前に立ちはだかる巨大な先輩、ダグラスであった。
だからこそ知っていた。
ダグラスは普段温厚そうな乙女を装っているが、稀に見るド短気であることを。
そしてこの先輩の唯一付け入る隙であることを。
「死に晒せぇぇぇぇ!!クソガキガァァァァァァァァァァァァァァー!!!!」
ダグラスの怒声が大気を震わせ、雨粒を弾く。
大ぶりで放たれた渾身の右ストレートは正しく大地を震わす大鎚。
「俺もただツッパってるわけじゃねーんすよ」
臆すことなく、冷ややかな態度でしっかりと相手を見据えたブラインは流れるような動作でカウンター気味にダグラスの大きな顎を拳で捉え、振り抜いた。
「……!!」
この戦いで何度目の悪寒だろうか。
幾度となく襲いかかるその重圧にほんの一瞬の間、ブラインの身体が固まった。
振り抜いたはずの拳が…ダグラスの顎にぴったりと吸い付いて離れない。
強靭な首の筋肉はブラインの渾身の右ストレートにさえ耐え得る。
だが、少なからずダメージはあるようで僅かながらダグラスがふらついたのがわかった。
「あなたの考えることなんてお見通しよ」
ふらつきながらも渾身のカウンターを耐え抜いたダグラスの右手からゴォゥンと唸りを上げて繰り出される正拳突き。
ブラインも同じく右拳を出して応戦する。
しかし、狙うのはダグラスの顎ではなく、その迫り来る拳。
手を痛めかねないが、その反動で後退することができると判断したからだが、決してそれだけの理由でこんな危険なことを実践しようとは思わない。最悪、右手が使い物にならなくなる。
「うぐっ!!」
力比べでは勝てず思惑通り、ブラインは後方へ吹き飛ぶが、ダグラスからは目を離さない。
まるで後ろから引っ張られるように着地した後も泥の中を二本の線を引き、滑りながらダグラスとの距離は離れる。
「試しにわざと打たせてみたけどあなたこそ案外大したことないのね」
数メートル先でダグラスは首をコキコキと鳴らしながら不敵に笑った。
ダグラスの怒りは演技。
わざわざ隙を見せてブラインの力を測ったものだ。
「もういいわ。とんだ期待はずれね。もうさっさっと終わらせてあげる。それでルークちゃんにでも遊んでもらうわ。生憎アタシはキールちゃんは好きだけど女の子には興味ないの」
濡れた髪を整えながらダグラスは独自魔法の態勢に入る。
ブラインのよく知るあの技だ。
「どうっすかね?」
左手で手首を押さえながら右手の状態を確かめつつブラインはニヤリと笑う。
「先輩が独自魔法を使うってんなら俺だってとっくに準備は整ってんすよ」




