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魔女の花嫁

魔女の花嫁~深緑の魔女と千日村~

作者: 千広

魔女の花嫁

    ―深緑の魔女と千日村―


 コンコン、と、木戸を叩く音がした。緋桜は窓を拭いていた手を止めて、返事をしながら玄関の戸へ向かう。戸を開けると、籠一杯の野菜を持った青年がそこにいた。

 青年は緋桜の姿を認めると、怪訝そうに眉を顰めた。

「あれ?ここ、魔女様の家だよな?」

「魔女?常盤さんのことですか?常盤さんなら、今薬草を採りに出かけています」

「ふうん。で、あんた誰?」

「わたしは、常盤さんのあいがんどうぶつ、です」

 顔に笑顔を浮かべて言う緋桜に、青年は頬をひきつらせた。


 緋桜は、自分を取り囲む人々に戸惑った。常盤の家を訪れた青年は、籠を戸の脇に置くと、緋桜の手を引いて自分の村に連れてきたのだ。

「あんた、愛玩動物が何か知っているかい?」

 恰幅の良い体格の女性が訊ねてきた。緋桜はなぜそんなことを訊ねられるのか疑問に思いながらも、こくりと頷く。

「生活を保しょうして、成長を見守る対しょうのことですよね」

「…、まあ、間違っちゃいないけど」

 緋桜は何も間違ってはいない。ただ、自分が貴族の屋敷で飼われている猫と同じ扱いであることを、知らないだけだ。

 村人たちは常盤とは長い付き合いだ。「愛玩動物」が彼なりの冗談だということは分かっている。要するに、この子を拾って保護したということだろう。村人たちが気になっているのは、どうしてそう言うことになったのか、だ。

「口減らしに捨てられたのかねえ」

「どうかな。この子の紅い目、上手いこと商人に売り込めば金になるだろう。荷として運ばれている所を魔女様が助けたんじゃないか?」

「あの魔女様が、そんな善人のような行いをするものか」

「確かに。あの人にとっちゃ、人一人がどうなろうとどうでもいいことだからな」

「いやいや、ただの人じゃなくて、紅い目だぞ?あり得るかも知れん」

 本当に、村人たちは常盤のことをよく理解している。

「あの、みなさんは常盤さんの知り合いなのですか?」

 答えたのは、緋桜を連れてきた青年だった。彼は人好きのする笑顔を浮かべ、腰を落として緋桜と視線を合わせる。

「ああ。ここは、千日村といって、遠い昔に魔女様の友人が作った村なんだ。他じゃ魔女って言うと忌まわしいものとして嫌われているけど、ここじゃ一種の神様だよ」

「神さま…」

「そう。だから魔女様と一緒に暮らしているあんたは、神使かな」

「……」

 神使。

 緋桜は生まれ育った村では、鬼の子として蔑まれていた。それが、神使。意味はよく分からないが、鬼とは程遠いものであることは分かった。


 ふいに、村の道に風が吹き抜ける。緋桜は乱れた髪を戻しながら、視界の隅に見覚えのある焦げ茶色のローブを捉えた。ローブというのは、この辺では見かけないが、すっぽりと身体だけではなく、頭から首までも覆い隠す着物らしい。

「家に帰っても姿が見えないからどこ行ったかと思えば、いつの間に千日村の奴と仲良くなったの?」

「常盤さん」

 常盤はローブの頭を覆っていた部分を外し、周囲に集まっている者たちを見回した。彼らは一様に、常盤から視線を外す。自分を愛玩動物だと言った緋桜を心配したのも本当だが、常盤が幼い少女と暮らしているということに対する好奇心もあったのだ。黒に近い茶色の瞳が、冷たい光を帯びる。

彼の怒りを治めたのは、緋桜だった。恐る恐る、ローブの袖口を引っ張る。

「どうしたの?緋桜」

「常盤さん、神さまって本当ですか?」

「こいつらが勝手にそう呼んでいるだけだから、気にしなくていいよ」

 それより、と常盤は緋桜の両肩に手を乗せ、村人たちと向き合わせる。

「改めて紹介しようか。僕の『花嫁』の緋桜だよ。これだけで、おまえらには彼女が何者か分かるだろう?」

 花嫁、と聞いて、千日村の人々は眉を顰めた。汚いものを見たような表情をされて、何か失言をしてしまったのだろうかと不安になる。

 そんな緋桜に、常盤が事情を説明してくれた。

「千日村にはね、おまえと同じように百月村から『花嫁』として森に送り込まれた者の子孫がいるんだよ。だからあまりあの村にいい印象を持っていないんだ」

 間に森を挟んで向かい合っている二つの村。距離としてはそれほど離れているわけでもないのに、二つは大きく違っていた。

千日村では、魑魅魍魎は恐怖の対象ではあるが、災害や疫病と結びつけることは決してない。かえって、百月村のように『花嫁』を森に送り出すことは、彼らにとって迷惑でしかないことを知っている。常盤が新たな『花嫁』が現れるたびに、村人に愚痴を言いに来るからだ。

しかし、常盤が百月村に姿を現すことはこれからも絶対にないだろう。彼が千日村に顔を出すのは、友人が住んでいた場所だからで、友人の子孫がいるところだからだ。全く縁もゆかりもない百月村なんて、訪れるはずがない。

『花嫁』を忌まわしい慣習だと思っている千日村の人々も、彼に百月村に行くよう言わなかったし、言えるはずもなかった。人と妖の価値観が違うのを知っているからこそ。

「そうか。緋桜ちゃんは『花嫁』なのか」

「うん。放っておくとあっという間に死体になって、腐臭がするからさ。あんたたちの所に預けようと思ったんだ」

「…そこは嘘でも、可哀想な子供を放っておけなかったって言ってください」

「これが魔女様だ、諦めろ。…あれ、でも俺たち今日までこの子の事、ちっとも知りませんでしたが?」

 疲れたように言う女性の肩に青年が手を置き、常盤の言葉に引っ掛かりを覚えて訊ねた。

「だって教える気なかったし」

「なぜです?」

「こんな見事な紅い瞳をしている奴を、手放すわけがないでしょ」

「「ああ…」」

 村人は、それですべてに納得したように頷いた。

「それで?この子がここにいるってことは、あんたたち家に来たんでしょ。何の用があったの?」

「ああ、はい。この間の薬のお礼に野菜を届けに」

 言いながら、青年はちらりと緋桜に視線を送る。栄養が足りてなさそうな、小枝のように細い手足だ。きっと、紅い瞳のせいで村人に忌避されていたのだろう。こんな子供を『花嫁』にするなんて信じられないが、迫害されていたのならそれはある意味僥倖だ。村から追い出されなければ、常盤に出会い、拾われることは一生なかった。

「この子の分も足しましょうか?」

 女性も青年と同じことを考えていたようだ。他の村人たちも、そうしようと頷いて、各々の家から食料を持ってこようとする。

 緋桜はようやく自分が心配されていることに気が付いた。肩に手を置く常盤の顔を仰ぎ見る。彼は優しさに満ちた瞳で見返してくれた。

「持ってくるのは勝手だけど、僕らはもう帰るよ。緋桜、ちょっといい?」

「はい、何ですか?」

 緋桜が返事をすると同時に、常盤は緋桜の体を横抱きにした。

「へ?」

「飛ぶから、しっかり捕まってね」

 言うや否や、常盤たちの足元に風が集まってくる。彼が低く何かを呟くと、二人の体は宙に浮いた。あっという間に村人たちの姿が小さくなる。緋桜は言葉もなく、眼下に広がる景色に魅入った。

「口が開いているよ」

 からかうようなその声も、緋桜の耳には届かない。赤い瞳は、今まで一度も見たことが無いくらい、楽しそうに輝いていた。頬も上気し、朱に染まっている。

 だから常盤の濡れ羽色の髪が深緑に、見下ろす瞳が湖の底のような藍色に変わっていることにも気づかなかった。


 森の中の開けた場所に見える一軒家を見つけ、それが緋桜たちの家だと思う頃には二人は地に降りていた。常盤の色彩(いろ)も、緋桜が見慣れたものになっている。

「緋桜」

 緋桜が空中散歩の余韻に浸っていると、常盤が名前を呼んできた。はい、と返事をして彼に向き直る。

「千日村の奴らの顔を覚えたことだし、昼間家のことが終わったら遊びに行っていいよ。道は覚えている?」

「え、いいんですか?」

 緋桜は常盤の言葉に首を傾げた。千日村に行っていいと言うのは嬉しいが、自分は彼の愛玩動物だったはずだ。目の届く範囲にいろと言っていたのに、いいのだろうか。

「勿論。同じ年代の子と、いっぱい遊んでおいで」

「あそぶ…」

「おまえがいた村と違って、あいつらは僕を見慣れているからね。その紅い瞳も、好奇の目で見られることはあるかもしれないけど、嫌われることはないよ」

 緋桜は何も言うことができなかった。自分が誰かと一緒に遊ぶなんて、想像したこともなかったのだ。

確かに常盤に比べれば、特殊な色をした瞳もたいしたことではないのだろう。慣れない気づかいにむしろ戸惑った。

胸の奥に、ジワリと温かいものが広がっていく。

 が。

「――まあ、緋桜の性格が悪かったら、結局嫌われるけどね」

 常盤が意地の悪い笑みを浮かべながらつづけた言葉に、緋桜はさっと血の気が引いた。瞳のことで中身の前に他人に避けられていたので、自分の性格がいいかどうかなんて知らない。

 面白い位に狼狽える緋桜を、常盤はただ愉快そうに眺めてた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

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