にーちゃんの問題
夏ゼミのなく坂道から、いつもの駐車場に車を置く。
子供のころが懐かしい。この駐車場にビニールのプールがあって、すでに亡くなった父がいて、プールの淵を踏んで水を外に流すと、
「おいおい、そがーなことすると、水遊びができんよーになるじゃなーか」と、たしなめられた。そばには、兄がいた。ぼーっと、「うち」を見ている。
「涼しいのが、いやなんか?」
そんなことあるはずもない。プールの淵をふんずけていた足を上げて、しかめっつらで、兄を見つめる。
「ばーか」
優しい兄は、ニコッと笑う。
実家に到着する。玄関のかぎを開けようとしたら、空いたままになっている。そして、なんだか、すえた臭いが漂ってくる。
また、にーちゃんがやらかしたんじゃ。
と、うちは思う。
大声を上げて、にーちゃんを呼ぶ。
「来たんじゃけど、入るよ!」
敷居を上がって、ずけずけとダイニングルームに侵入する。
薄暗い室内に、ぽつねんと母が椅子に座って「うち」を見ている。
「ぽちこ、にーちゃんはトイレじゃけ、待っとれ」
「おはよ。かーさん。もう、朝ご飯、食べた?」
かーさんは、虚ろな目をして「うち」を眺めているように見える。
ダイニングテーブルには、なぜか大皿が一つ。幅2センチもある、たぶんキャベツの千切り、そして卵の白身のきれっぱし。もしかしたらではなく、たぶん、目玉焼きの残り物。しかし、くだんのすえた臭いの正体は分からない。でも、確かに、臭ってくるのは間違いない。
足元に注目してみた。
にーちゃんは、風呂に入るとき、ダイニングルームから服を脱いでいって、最後に風呂の手前でパンツを脱ぐ。床には、にーちゃんのTシャツがある。ダイニングルームの曲がり角に、ショートパンツを発見。このショートパンツからは、くだんの強烈な臭いが放たれている。
ものすごい気迫のこもった臭いだった。鼻をつまんで、ポケットの中身を探る。
ボトッ!
その音と同時に、にーちゃんの声が聞こえた。
「よう来た、ようきた」
あのビニールのプールのニコニコ顔だった。
「あのね。えんじゃけど、この代物なんなん?」
うちは、すでに、ぷちっときていたに違いない。
にーちゃんは、たぶん冷静にその代物を観察していたに違いない。
「忘れとった。イノシシの肉じゃ。冷凍にしてくれとるけー、ポケットに入れとったら涼しかったけー、そのままにしとったんじゃ」
その代物は、分厚いビニール袋に包まれていたものの赤黒く変色して、汁がしたたっていた。もちろん、兄のショートパンツも一部分変色している。
うちは、頭がくらくらするのを覚えた。
いっつも、大丈夫、大丈夫、言うとる正体がこれね。
拳に力を込めて、夏の暑さで滾った血潮にまかせて叫ぶ。
「トホホ、は、止めて!」
夏空にぽちこの祈りが炸裂する。