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六.鹿子木の思惑

 筑波ホビークラブの正面奥の壁に掛けてある大きな柱時計が午後五時を示していた。そろそろ会員たちがやってくる時刻になったので、洋介は各部屋の状況を一通り見て回ってから読書室に行って雑誌に目を通し始めた。鹿子木康雄がゆっくりと重そうな足取りで部屋に入ってきた。

「やあ鹿子木さん、こんにちは。今日は元気がなさそうですね。察するところ、あまり捜査が順調には進んでないようですね」

「実はそうなんですよ。あれからもう一回関係者のほぼ全員に酢の物に関して詳しく話を訊いたんですけど、これといった収穫はなかったんです」

「そうですか、それは残念でした」


「そう簡単に残念でしたなんて言わないでくださいよ。この件は、そもそも神尾さんの指示で始めたことなんだから」

「指示だなんて……。私は鹿子木さんの上司ではありませんから、そんなことできるはずがないじゃないですか」

「いや、ご免なさい。私の言い方が悪かった。ただ、どうして神尾さんが酢の物にこだわっているのか、未だに分らないものだから」

「酢の物は思いつきの一つに過ぎないのですが……。もしも単なる食中毒じゃないとすれば、何か普通ではないことが起こったと考えざるを得ないでしょう。酢の物はその一つの候補になると思ったんですけどねー」

「そんな軽い根拠だったんですか?」

「私はそんなに軽い根拠だとは思ってないんですけど。それじゃ、鹿子木さん、単なる食中毒だという確たる根拠はあるんですか?」

「それは……、フグ料理専門店でフグ毒が原因で人が亡くなったからですよ」

「でも、それじゃ私の酢の物が怪しいという主張とそれほど変わりないじゃないですか。食中毒だという証拠は今のところ何もないんでしょう?」

「まあ、それはそうなんですけど……」


「私は今回の事件が殺人事件だという前提に立って考えてみたいんです。食中毒については警察の方できっと十分な捜査をされていることでしょうから」

「何か嫌味な言い方に聞こえるなあ……」

「そんな気はありませんけどね。とにかく、酢の物に関しては鹿子木さんの熱心な捜査で何も新たなことが出てこなかったのだから、方向転換してみましょうか。つまり、殺害方法の捜査はひとまず置いておくことにして、動機の点で誰か怪しい人は浮かんできませんか? あの店の仲居さんまでが港北さんを恨んでいたのだから、研究所以外にも動機を持つ人がいる可能性は非常に大ですが、とりあえずはあの研究所に絞って考えてみましょうよ」

「そうしても良いのですが……、警察では食中毒だとの見解のほうが大勢を占めているのが実情なので、研究所の方々には殺人事件だという観点からの突っ込んだ事情聴取をしていないのです」


「鹿子木さん。そうだとしても、これまでの捜査で分かっていることが少しはあるでしょう?」

「そうですね……、港北という人は周囲の人たち、特に部下の人たちから恐れられていた存在でした。恨まれても仕方がないようなことをやってきたようです。だから、あの研究所の比較的若い人たちに動機はあったと見てもよいでしょうね」

「その中で特に強い動機を持っていたと考えられる人はいないのですか?」

「私から見れば、退職することになった谷村を含めて部下全員が強い動機を持っていたとしても何もおかしいことはないと思えます。M研究室の人たちの話によると、研究所内で港北のお気に入りと言われている落合でさえ、酷い扱いを受けていたそうです。しかし、彼は港北から嫌われないよう相当注意して接していたようなので、目を掛けてもらっていたようです」


「そうですか。ちょっと困りましたね。私も研究室の皆さんから話を訊いてみたいですね。しかし、私は警察の人間じゃないからそんなことはできませんよね」

「それはいい。是非お願いします」

「きっと今回の事件に関連した何かヒントになるようなことがどこかに隠されていると思うんです」

「それでは、神尾さんと一緒にお話を訊かせてもらえるようあの研究室の人たちにお願いしてみますよ」

「出過ぎないように十分気を付けてやりますから、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願い致します」

 鹿子木は満足そうな微笑みを浮かべて帰っていった。


 翌日の午後早い時間に愛が筑波ホビークラブの受付に顔を出した。

「こんにちは、神尾さん」

「やあ愛ちゃん、こんにちは。もう授業は終わったの?」

「ええ、今日は午前中しか授業がなかったのです。だからお昼を食べて直ぐにここに来ました」

「愛ちゃんは学校のクラブ活動なんかはしてないの?」

「女子大のクラブって、私には何だかフワフワした感じがして、あまり馴染めないのです」

「そうなんだ。でも友達と一緒に街を歩いたり買い物をしたりお茶を飲んだりはしないの?」

「前はしていたのですけど、この頃あまり気乗りがしなくなってしまったのです。ここに来ている方が気分がいいのです。来ちゃダメですか?」

「とんでもない、もちろん大歓迎ですけど……。こんな所なんで、何だか申し訳ないような気持ちがするんです」

「良かった。これからも毎日のように来ますからね」


 そんなところに電話のベルが鳴った。鹿子木からだった。

「あっ、神尾さん。昨日の話ですけどね、研究室の人たちに話しておきました。皆さん、協力してくれると言っていますので、よろしくお願いします。それから、谷村ですがね、彼はもうあの研究所には出勤していないんですよ。新しい職場に移ったばかりなので、そこに押し掛けても迷惑だと思って、夜、喫茶店に来てもらって話を訊いているんです。警察に来てもらうのも申し訳ないでしょう。ですから、谷村は他の人たちとは別に機会を持とうと思います。それとですね。これまでは少なくとも表面上は食中毒事件として皆さんに話を訊いてきた訳です。しかし、今回は食中毒以外の可能性についても意識して、もう少し広げて話を訊くようにしようと思います。神尾さんはそうしたいんでしょう?」

「そうです。それで結構です。どうも有り難うございます。研究所には近い内に行ってお話を訊きたいと思います。谷村さんはその後にしましょう。鹿子木さんのご都合はいつならよろしいでしょうか?」

「いつならって、私はほとんどこの事件に掛かりっきりなんだから、神尾さんのご都合のいい時ならいつでもお付き合いしますよ」

「それでは……と。今日は金曜日ですよね。週明け直ぐというのも皆さんお忙しいでしょうから、来週の水曜日、四月二十四日の午後にしましょうか。週末になるとゴールデンウイークにくっ付けてお休みされる人がいるかも知れませんが、水曜日ならまだ大丈夫ですよね」

「分りました。月曜日までには皆さんの了解を取っておきます」


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