エピローグ
事件の処理が一段落した後の平日の夜遅く、受付に鹿子木が白い封筒を持って現れた。予め電話があったので、受付には洋介と愛、さらに洋介の父、芳雄が首を長くして待っていた。
「こんばんは。ここのところご無沙汰しておりましたが、ようやく事件の後処理が終わりましたので皆さんにご報告にやって来ました」
「お待ちしておりました。鹿子木さんはご自分の目的が達成されると、このクラブには見向きもされなくなるので、今回は一体いつになったらやって来られるのかと気を揉んでいましたわ」
愛は冷やかすような口ぶりで挨拶してから受付の奥のキッチンに入っていった。
「良かったですね、事件が解決して」
洋介の言葉に鹿子木は嬉しそうに応じた。
「ええ、今回の事件も初めのうちは解決できるなんて思えなかったので、本当に嬉しいですね。これも一重に神尾さんのお陰ですよ」
「いいえ、そんなことはありません。鹿子木さんの捜査への執念が解決に導いてくれたのですよ」
鹿子木は照れ臭そうに頭を掻きながら椅子に座った。愛はいつものようにコーヒーを運んできた。二人の前にカップを置き、少し離れたところに座っていた芳雄に向かって言った。
「小父様もこちらに来られたらいかがですか? きっと鹿子木さんが素晴らしいお話をされると思いますから」
「はい、有り難う。私も鹿子木さんのお話を楽しみにしていましたよ」
そう言いながら芳雄は愛がカップを置いてくれたカウンターの傍の椅子に腰掛けた。
「皆さんにそこまで期待されると何だか恥ずかしい気持ちですが、ご報告させて頂きます。先ず、樺戸の死因ですが、栃木県警の鑑識からの報告書によれば、フグ毒、テトロドトキシンによる中毒死でした」
「やはりそうでしたか」
「それから、神尾さんから依頼されたあの粉ですが、うちの鑑識による分析でテトロドトキシンであることが確認されました。また、不純物の分析では、港北が亡くなった時に使われたテトロドトキシンと人形の容器に残っていたテトロドトキシンとの両方に含まれていた不純物と完全に一致しました。港北と樺戸は全く同じテトロドトキシンによる中毒で亡くなったものと判断されました」
「鹿子木さん、警察では随分と手際よく解決されたのですね」
愛は感心しているというより、やや不審な表情を浮かべて訊いた。
「いや、実は樺戸が遺書を残していましてね。その中に今回の経緯が記載されていたのです。遺書は何通かありました。ご家族に向けて書かれたものは無理ですが、私や落合などに向けて書かれたものをご紹介します。勿論落合には了承してもらっています。ただ、私は昔から朗読が得意じゃなかったので、神尾さん、お二人のために読んでいただけませんか?」
「分かりました。読みましょう」
洋介は鹿子木から白い封筒を受け取ると、中から分厚い便箋を取り出し読み始めた。
「旅館の方へ
この度はご迷惑をお掛けすることになって本当に申し訳ありません。
皆様に暖かく接して頂き、素晴らしい景色と温泉とを堪能しながら静かな時を過ごすことができました。心から感謝致します。そんなお心遣いに背くようなことをしてしまい、さぞかしお怒りのことと思います。本当に申し訳ありません。
この手紙を発見された方は、お手数をお掛けしますが、最寄りの警察までご連絡頂くようお願い申し上げます」
「栃木県警の方へ
私の本当の名前は樺戸大輔と申します。当旅館では谷川という偽名で宿泊しておりました。私は今年三月につくば市で起こったフグ毒殺人事件の真犯人です。お手数ですが、つくば東警察署にご連絡いただければ幸いです。また、この遺書と一緒に白い薬包紙に包んだ少量の粉が封筒の中に入れてあります。この粉は犯行に使用したフグ毒、テトロドトキシンです。私の犯行だと証明するための大事な証拠物質です。この遺書と一緒につくば東警察署の方にお渡しくださるようお願い申し上げます」
「つくば東警察署刑事様
S研究所の落合一郎は今回のフグ毒殺人事件の犯人ではありません。落合は人を殺すようなことができる人間ではありません。彼が自白したのは、私の犯行に気付き、私を庇うためだったのです。
先日刑事さんたちが大洗に来られていろいろ訊かれましたが、それはきっと私を疑ってのことだと思いました。あの時はまだ心の整理が付かず、静かに考える時間が欲しくて姿を晦ましました。その後、昔から気に入っていたここ湯西川温泉にやってきて、静かに自分の行為を見つめ直しておりました。
顧みると、私が大学卒業後にバイオテクノロジー研究から海洋微生物研究に転身したことが、今回の事件へと繋がる出発点になってしまったように思います。大学時代には同じ研究室で古株のドクターとして君臨していた港北忠雄に随分と可愛がってもらいました。同級生の中でも何故か私だけが特別扱いされていたのです。 それにも拘わらず、私は卒業後U海洋微生物研究所に就職し、専門も海洋微生物学に鞍替えしました。小さい頃からずっと大好きだった海に関係する仕事に就きたかったからなのです。それを聞いた港北は激怒したそうです。港北にとってバイオテクノロジーは今後の日本を背負って立つ一番重要な学問だったのだと思います。可愛がってやったのに、私に裏切られたように感じたに違いありません。
その頃から私に対する港北の陰湿な苛めが行われるようになりました。
私には大学時代に付き合っていた女性がおりました。学年は一つ下で隣の研究室にいたのです。彼女とはお互いによく理解し合えていたと私は思っていましたので、就職したら結婚したいと考えていたのです。しかし、水戸に住むようになってからは彼女に連絡しても何故か避けられるようになり、そのまま交際は終わってしまったのです。当時の私にはそうなった原因がよく分かりませんでした。
数年後、私と同期で隣の研究室にいた友人から次のようなことを聞かされました。私が研究室を出た後、港北は執拗に彼女に付き纏い、私が酷い人間であると言い続け、最後には彼女の私への気持ちを変えさせてしまったというのです。港北の日ごろの異常とも言えるしつこさを考える時、私は仕方ないと諦めるしかなかったのです。それからはこの出来事がトラウマとなり、親しい女性ができても港北に邪魔されるかもしれないという恐怖心が沸き起こり、結婚まで進めることができなくなってしまったのです。
また、就職後暫くするとある程度研究成果が上がり、私も学会で発表することができるようになりました。意気揚々とプレゼンテーションを行なったのですが、会場の何人かの先生から非常に批判的で厳しい質問を受けたのです。その後も同じようなことが続きました。私の発表の時は必ずそうなるのですが、私と同じ研究所の同僚の発表には何の質問も出ないのです。最初のうちは私だけが多くの参加者の前で屈辱的な言葉で批判されることの原因が分からず、随分と悩みました。
数年過ぎた時のことでした。同じ学会に属していた先輩研究者の方に呼び止められたのです。その人は、私が港北に対してどんな悪いことをしたのか、と訊いてきたのです。その人も港北から私の発表に対して厳しく批判的な質問をするよう頼まれたというのです。その人は私に同情してくれたのだと思いますが、内緒にすることを前提に、港北から頼まれたということを教えてくれたのです。それで私には全ての背景を読み取ることができました。
その後、港北の私への苛めはどんどんエスカレートしていきました。先ず、学会で知り合った私の上司である野村さんやこの研究所の上層部に、私を中傷することを沢山言ってきたのです。その話の内容を野村さんは教えてくれましたが、私にしてみればほとんど言い掛かりだと思われる内容でした。幸いなことに、野村さんは私のことを信じていてくれて、上層部にきちんと説明してくれましたので、それほど酷いことにはならずに済みました。
その後の事です。私の研究者人生にとってとんでもない障害になることを港北は行なったのです。海洋微生物の利用はまだまだ十分に行われているとは言い難い状況なので、私はずっと『海洋微生物による二次代謝産物の産生』に関する研究をしてきました。本来は人間にとって有用な物質の産生を高める研究をしたいのですが、目的の物質が作り出されているかどうかの測定は産生量が著しく低い場合はなかなか難しいことが多いのです。そこで微量でも簡便に調べることができる化合物を指標として用いて研究を進めていました。そんな指標の中に毒性のある化合物も入っていました。もちろん他の活性がある化合物もいくつもありました。毒性指標はいくつかあった活性指標の一つに過ぎなかったのです。
幸い、研究は順調に進み、二年ほど前には微生物の選抜と培地中に排出された物質を樹脂で吸着させることとの両方により、いくつかの化合物に関してはこれまでの一万倍もの量を産生させることに成功したのです。私は嬉しくて興奮しながら論文を書き上げました。その頃、上司の野村さんは海外の研究所に半年ほど滞在されていたので、メールで簡単に研究の概要だけをお伝えし、論文投稿の了解を得ました。野村さんは好意的に扱ってくれ、私一人の力だけで論文を出すように勧めてくれました。いつもは野村さんのお名前も著者として載せていたのですが、私の将来の為に、この時は野村さんのお名前は載せなくてよいと言ってくださったのです。
喜び勇んで投稿した論文だったのですが、その審査結果は待てど暮らせど知らせていただけませんでした。通常の期間よりあまりに長かったので、ある著名な先生と学会でお会いした時、それとなく訊いてみたのです。そうしたら、『毒性の高い物質の生産性を上げる研究は社会的に見て一種の犯罪行為であり、そんな内容の論文を学会誌に掲載すべきではない』というクレームがどこからかあって、学会としても困惑しているのだとこっそり教えてくれました。
私はその先生に『毒性の高い物質の生産性を上げる目的で研究している訳ではありません。物質生産量を測定するための便宜的なものであり、実際論文にも毒性以外の活性を指標にして化合物の生産量を上げた結果も報告しています』と抗議したのですが、受け入れていただけませんでした。私は、港北が私の論文の情報を入手してクレームを付けたに違いないと思いました。そこで、その先生に『そのクレームを付けている人は港北さんではありませんか?』と訊いてみたのです。その先生は非常に困ったような表情で『そんなことは教えられません』と言われたのです。間違いありません。港北はそこまで酷いことをやってきたのです。結局、私はその論文を取り下げざるを得なかったのです。
落合とは時々北千住で会っていました。その際、S研究所でも港北が落合や若手研究者の芽を摘むような酷いことを重ねていることを、彼から耳にタコができる程聞かされていました。日本、いや世界の純粋な研究者のためには、港北には居なくなってもらうしか方法がないようにその時の私には思えたのです。
都合の良いことに、世の中には発表できなかった論文の中には、毒性物質であるテトロドトキシンの産生量アップの結果も入っていました。一人に静かになってもらうのに十分な量が私の手元にはあったのです。落合から谷村さんの送別会が行われるという話を聞いた時、今回の犯行を思い立ちました。
私が学生の時も、港北はフグ料理が大好きで一緒にカニの酢の物も注文していました。拘り方が尋常ではなかったので、よく覚えていたのです。最近たまたま落合が港北の好みについて話してくれたのですが、彼の食べ物の好みは昔とほとんど変わってないようでした。その時『これを使おう』と閃いたのです。
私には親しくして頂いている中国人の研究者がいます。以前その方に中国山西省の有名なお酢を瓶で頂き、それを冷蔵庫で大事に保存していました。山西省は酢の産地として中国では有名で、中でも最高級の銘柄は大変良いものだということでした。私が頂いたのもその最高級の銘柄のお酢でした。その中国酢に私の研究成果として精製単離したテトロドトキシンを溶かし、容器に入れて落合に渡したのです。
『送別会の当日、会場に持っていき、港北に最高級の銘柄のお酢について説明して渡せば、特別注文するであろう酢の物にかけて食べてくれるに違いない』と落合に言っておきました。
中国酢を入れた容器をそのまま残しておくと犯行が直ぐに分かってしまうと考えました。そこで私は水戸をはじめ、上野、東京、新宿など主だったターミナル駅で駅弁などに付いている珍しい醤油の容器を必死で探しました。ようやく珍しい人形の容器を探し当て、それに中国酢を入れることにしました。落合には『この容器は大変珍しいものなので、後でまた使いたい。使い終わった容器は回収して私に返却してほしい』と頼みました。落合は少し怪訝そうな顔をしていましたが了解してくれました。しかし、あの人形の容器が珍しい形だったということが、私にとって計算外のことが起こる切っ掛けになろうとは思いもつきませんでした。落合からあの容器が回収できなかったと電話で聞かされた時、今日のような日が来てしまうかもしれないという漠然とした不安が生じたのです。
私が真犯人である証拠として、海洋微生物から精製単離したテトロドトキシンの粉末を薬包紙に包んで残しておきます。通常のフグから得られたものとは混入している不純物の種類や構成が異なっていますので、分析、比較すれば簡単に証明できると思います。どうかよろしくお願い致します」
「落合一郎様
落合には本当に迷惑を掛けてしまいました。
今年のゴールデンウイークに北千住で会った時、警察からの捜査について落合が悩んでいる様子をみて、『僕がやったんだよ。もう悩まなくていいよ』と言いそうになりました。しかし、まだ単純な食中毒事件とされる可能性も残されていると思い、言葉を飲み込んだのです。
あくまでも私を庇い、自分が犯人だと言ってくれたこと、とっても有難く感じながら旅立とうと思っています。この一週間、私は今回の自分の行為についてじっくりと出来る限り客観的に考えてみました。
何度考えても、港北の行為は許すことができません。死を覚悟したこの瞬間においても、私は許すことができません。本来、研究するという行為は、人類、もっと言えば、地球に生存している生命体の将来に貢献するものでなければいけないと思うのです。港北の選んだ道は、『自分だけが良ければそれで良い』というものでした。その陰に数多くの若手研究者の将来が無残にも踏みにじられているにも拘わらず。
確かに人を殺めるという行為は認められないことでしょう。ただ、その結果として、落合の部下を初めとする多くの若手研究者の将来に期待が持てる状況が齎されたのではないかと思っています。
もう一方では別の考え方があることにも気が付いていました。落合をはじめとする港北に苦しめられている被害者とともに、私は真正面から闘うべきであったのかも知れません。例えば、報道機関に港北の悪行を詳細に伝えて応援してもらうとか、被害者の会を結成して多くの研究者や世の中の良識を持つ人たちに訴え続けていくなどの手は打てたのではないかと思います。
しかし、現実的な観点で考えてみると、権力とか地位の高さなどというものは本当に力を持っているように私には感じられたのです。『報道機関は一時的なブームとせずにずっと私たちを応援し続けてくれるだろうか、共闘している人たちもあらゆる妨害に立ち向かい闘い続けることができるのだろうか』という不安のほうが勝ってしまったのです。その結果、あの時点では『このような行為を行う者は排除する』という結論しか私には見つけることができませんでした。
私は殺人という行為を犯してしまいました。それを償うべく、敢えて自分自身で精製単離したテトロドトキシンを服用し、港北と同じ苦痛を味わいながら旅立とうと決心しました。これからの日本や世界の若手研究者の育成を落合に託していきます。よろしくお願いします。落合は正真正銘『私の親友』でした。心から有り難う」
読み終えた洋介は深い溜息を付いた。暫くはだれも口を開くことができなかった。
ようやく芳雄が昔のことを思い起こすような目付きで話し始めた。
「研究者は先行きが見通せない真っ暗闇の中で、自分で築き上げてきた僅かな光が差し込む細くて頼りない道を一歩ずつ前進して行くことでしか真理には辿り着けないのでしょうね。その道の周りには不気味な黒い渦が激しく巻いているのです。その黒い渦から『近道を通れば楽で早いよ』という甘い囁きが聞こえる時もあるのです。しかし、その言葉に乗れば、直ぐにその黒い渦に飲み込まれてしまうのです。この黒い渦の中に入ったら最後、研究者はもうそこから抜け出せないのです。もう真理に辿り着くことはできません。
黒い渦への始点は、私を含め研究者それぞれの心の中の闇の部分に潜んでいるのではないでしょうか。私の周りでも何人もの研究者が黒い渦に巻き込まれていきました……。そして、本来研究者が進むべき道には二度と再び戻ってくることはありませんでした」
芳雄の言葉を聞いた三人はしばらくの間言葉を発することができなかった。
切なくなるような沈黙の後、芳雄は再び言葉を発した。
「二人の死は私には耐えがたいこととして映ります。一研究者として悔しくて仕方がありません。恐らく、港北さんという人も若い頃は純粋に真理に向かって研究をしていたのではないかと思います。しかし、研究成果に対する僅かな評判の良さが始まりとなり、更に大きな名声の確保に向かって動き出した時、彼は黒い渦に飲み込まれ始めたのではないでしょうか。
人間、名声や権力を手にすると、若い頃に抱いていた純粋な気持ちを失い易いのです。地位が上がるにつれて物事を見る立場が変わっていきます。これは仕方がないことですが、次第に純粋な視点からは遠ざかり、自分よりも上ばかりを見るようになりがちなのだと思います。我々人間という生き物は、物事を俯瞰的に見ることがあまり得意ではないようですね。時間の流れに対しても俯瞰的に見ることによって、若い頃の純粋な気持ちを見失わないようにしないと、今回のような結末が待っているのかもしれません。
私たちは二人の死を決して無駄にしてはいけないのです。直向きに真理を追究しようとしている若手研究者たちを、これからも支え、守っていかなければならないと思います。たった一つしかない地球という星に棲む運命共同体である生命たちの将来のために」
了
最後まで読んでいただき、本当に有難うございます。
現在、本シリーズの第2作目と格闘中です。「なろう」に掲載できるようなところまでもっていくことができるかどうか……。掲載までどのくらいの期間が必要かまだ見当も付きません。もし何とか掲載できましたら、また読んでいただければ幸いです。




