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二四.U海洋微生物研究所

 鹿子木は朝七時に筑波ホビークラブに姿を現した。迎えが早いことを予想していつもよりは早めに起床したものの、洋介はまだ朝食中であった。慌ててパンを口に頬張り、野菜ジュースで流し込むと、鹿子木の車に乗り込んだ。

 車は国道一二五号線を南下し、土浦北インターチェンジで常磐自動車道に入り、友部ジャンクションから北関東自動車道を走った。そのまま東水戸道路に入り、水戸大洗インターチェンジで降りて国道五一号線で大洗まで辿り着いた。


「神尾さん、このままU海洋微生物研究所に行ってもいいですよね」

「鹿子木さん、そう焦らないでください。多くの研究所は九時に始業するのですから、その辺の喫茶店で朝のコーヒーを味わってからにしましょう」

「そうですか。そうしますか……」

 暫く走ると外観が少々古めかしい喫茶店が見えた。二人はそこに入り、ゆっくりとコーヒーを味わった。洋介は店に備えてあった新聞を読んで過ごしたが、鹿子木は腕時計ばかり眺めて時間を潰した。

「神尾さん、九時五分前です。研究所に行きましょう」

 洋介は頷くと新聞を畳んでマガジンラックに戻してから、店の出口に向かった。鹿子木は支払いをさっさと済ませ、車に駆け寄った。


 U海洋微生物研究所の門から車でゆっくりと中に入っていくと、守衛が警棒で駐車スペースを示してくれた。そこには『来訪者駐車場』と書かれたプレートが掲示してあった。車を降りた二人が守衛所に行くと、先ほどとは違う守衛が中から小さなガラス扉を開けて要件を訊いてくれた。

「私はつくば東警察署刑事課の鹿子木と申します。こちらに樺戸大輔さんという研究員の方がおられると思いますが、お会いしてお話を伺いたいのですが」

「少々お待ちください」

 暫く電話連絡をしていたが、首から下げられるように紐が付いた認証カード二枚を渡しながら、説明してくれた。

「この道を真っ直ぐ行くと、正面玄関があります。この認証カードを右手にあります読み取り機に翳すとドアが開きますから、中に入って一番の面談室で暫くお待ちください」

 二人は会釈してカードを受け取り、言われた通りにして面談室に入った。ここの面談室も全面ガラス張りで外から丸見えである。守衛所からも中の様子を窺い知ることができるように設計されていた。


 数分後、白衣を纏った背の高い筋肉質の男がこちらに近付いてくるのがガラス越しに見えた。

「私が樺戸大輔です。今日は一体どうしたのでしょうか?」

「突然押しかけてきまして大変申し訳ありません。私はつくば東警察署刑事課の鹿子木と申します。こちらは神尾洋介さんで、捜査に協力して頂いている方です」

 洋介は無言で頭を下げた。

「実は、もうご存知のことと思いますが、つくば市にあるS研究所の港北忠夫副所長がフグ中毒で亡くなりまして、現在、落合一郎さんに警察に来て頂いていろいろとお訊きしています。樺戸さんは落合さんの親友だということを聞きましたものですから、お話を伺いたいと思い、やって参りました」

「落合のことですか。新聞報道を読んでおりますし、彼からも話を聞いていますので大方の事は知っています。それで、私は何をお話すればよいのでしょうか?」


「落合さんはご自分が犯人だと言われています。取り調べでいろいろと訊いていますと、フグ毒の入手に関しての説明が納得できるようなものではないのです。どうも誰かを庇っているような様子が窺えるのです。樺戸さんは何かご存知ではないでしょうか?」

「落合が犯行を認めたのですか?」

「はい、そうです。署に来て頂いて話を訊きましたところ、自分がやったと言われました」

「そのことは知りませんでした。落合が犯行を認めるなんて信じられません」

「そうでしょうね。落合さんは本当に良い人のようで、M研究室の部下たちからも尊敬されているようですしね」

 樺戸は首を左右に振って信じられないという表情で何かを考えているようであった。


「警察では落合が犯人だとお考えなのでしょうか?」

「まあ、ご本人が自白されていますので犯人の可能性は十分にあるとは思いますが、先ほども言いましたが、フグ毒の入手に関する供述が曖昧で、信憑性がないのです」

「そうですか……。落合のことだから研究室の部下を庇ってそんなことを言っているのではないのですか?」

「私たちもそう思って、いろいろと捜査しているのですが、フグ毒の入手ができそうな人を見つけることができていないのです。それで、是非樺戸さんから情報を頂きたいと思っているのです」

「さあ……、私にも心当たりはありませんが……」

「そうですか……」


 それまで沈黙していた洋介が口を開いた。

「あのー、樺戸さんは海洋微生物の研究をされていますね。どのようなことを研究されているのですか?」

「海洋微生物による二次代謝産物の産生向上について研究しています。海に生活している微生物はいろいろな物質を産生していると考えられますが、我々人間は、それを効率的に利用することをまだ十分にできてないのが実情なのです。これらの二次代謝産物の産生量は非常に少ないのが一般的です。それで、私はこれらの物質の産生を高めるにはどうすればよいかということを研究しています」

「現在はどのような物質について研究されているのですか?」

「最終的には人間にとって有用な物質、例えば、医薬品とか工業原料などの産生に繋げるつもりですが、現在は第一段階として活性測定が比較的行い易い物質の産生について研究しています」


「そうすると、フグ毒であるテトロドトキシンなどは、極微量しか含まれてない場合でも活性が測定し易いでしょうから、研究対象になりうるのですか?」

「ええ、そうです。テトロドトキシンは毒性を測ればよいので、比較的測定し易いのです」

 暫く黙って聞いていた鹿子木が待ってましたとばかりに口を挟んだ。

「それでは樺戸さんはテトロドトキシンを作っているんですか?」

「いや、作っていると言える程の量を産生させている訳ではありません。先ほどからご説明しているように、物質産生の一つの指標としてテトロドトキシンを使っているだけなので、微生物が出すテトロドトキシンの含量が測定できればそれで十分なのです。従って、刑事さんが期待しているほどの量を作っている訳ではありません」

「ああ、そうだったんですか」

 鹿子木が肩を落として視線を逸らせたのを見た洋介が後を引き継いだ。


「実は昨日、B大学の図書館でテトロドトキシンについて調べたのですが、たまたま樺戸さんが書かれた論文の要旨を読んだのです。確かにあの論文では、まだ非常に少ない量しか産生できてないと記載されていました。ただ、あの論文は五年前に投稿されたものでした。その後研究は進んだのではありませんか?」

「私はテトロドトキシンを沢山作るために研究している訳ではないのです。有用な化合物を海洋微生物に沢山作らせることが目的なのです。だから、いつまでもテトロドトキシンばかり研究している訳ではないのです」

「そうでしたか……。ところであの論文の著者に名を連ねておられた野村明彦さんもこちらの研究所の方ではないのですか?」

「ああ、野村ですか。彼は私の上司です」

「それではお手数をお掛けしますが、野村さんにもお話を伺わせていただけないでしょうか?」

「分かりました。私との話が終わりましたら、野村に頼んでみます」

「鹿子木さん、樺戸さんに何か追加でお訊きすることはありませんか?」

「いや、今のところ特にありません。ですから上司の野村さんに頼んでください」


 樺戸が面談室を出ていくのを見届けてから鹿子木が言った。

「樺戸がフグ毒を沢山作っていたかと思ったのですが、残念でしたね」

「まあ、そうではありますが、五年間という時間を樺戸さんはどのように使っていたのでしょうね。とにかく、野村さんのお話を伺ってから判断しましょうよ」


 十数分待たされた後、面談室の向こうに背の低い細身の五十歳くらいの男の姿が見えた。頭は白髪交じりでだいぶ薄くなっており、服装はブレザーにズボンを着用していた。

「失礼します。私が樺戸の上司の野村明彦です。事情は樺戸君から一応は聞きました。よろしくお願い致します」

「いや、こちらこそ突然押しかけて参りまして、お忙しいところ申し訳ありません。私はつくば東署の鹿子木で、こちらが捜査を手伝ってくれている神尾さんです。樺戸さんから事情をお聞きになっているのであれば、話が早いので助かります。野村さんは、今年の三月につくばで起こった、フグ毒でS研究所の港北さんという方が亡くなった事件のことをご存知ですね?」

「はい、知っております。港北さんとは一応顔見知りではありましたので」

「えっ、野村さんは港北さんと親しかったのですか?」

「いえ、親しかった訳ではありませんが、学会などでお会いする機会がありまして、時にはお話することもあったものですから……」


「そうですか、どんな話をされたのですか?」

「研究分野は私とは少し異なっていますのであまり研究の内容については話したことがありません。ただ、もう樺戸君からお聞きのことだと思いますが、港北さんは樺戸君の大学の研究室の先輩なのです。四、五年港北さんが上だそうですから、二人はそれ程親しくしてなかったみたいですけど、港北さんは、樺戸君がバイオテクノロジーから私たちの分野である海洋微生物学に転向したことがお気に召さなかったようで、樺戸君のすることにあれこれ文句を付けてこられていたのです」

「ええっ、そうだったんですか。樺戸さんはそのことは何も言われませんでしたけれど」

「あれっ、そうでしたか。港北さんの嫌がらせみたいな行動に樺戸君は相当迷惑を被っていたのですが……」


「一体どんな迷惑を掛けられたのですか?」

「ご自分の領域であるバイオテクノロジーが最も優れた学問分野であると思われている港北さんにしてみれば、樺戸君が海洋微生物学に転向するなんてことは許し難いことだと思われたのかも知れません。とにかく、樺戸君がやることにいちいち文句をつけておられました。ただ単に個人的に文句を言われているのであれば、樺戸君もそれほど困らなかったと思いますが、彼の書いた論文の審査官に言い掛かりとも言えるような問題提起をしたり、この研究所の所長に樺戸君を誹謗中傷するような文章を送ったりしましたので、樺戸くんも相当参っていたようです。

 二年ほど前だったかな、どこから聞いたのか分かりませんが、樺戸君の書いた論文の内容が社会的に不適切であるとか何とか言って、論文取り下げを迫ったようでした。ちょうど私が海外の研究所に半年ほど滞在していた時のことだったのと、樺戸君の将来のためと考えたことから、その論文の投稿には私は極力関与しないようにして、彼に一番の責任者になってもらっていたのです。海洋微生物による二次代謝産物の産生に関する重要な論文になると考えていた樺戸君にとってはかなりのショックな出来事だったと思います」

「結局、論文は取り下げられたのですか?」

「私には詳しいことを話してくれなかったものですから、経緯についてはよく分かりませんが、樺戸君は論文を取り下げたのです」


「社会的に不適切とは一体どのようなことなのでしょうか?」

「樺戸君が研究対象にしていたのは海洋微生物の二次代謝産物なのですが、産生量を調べるのが簡単な化合物を指標として使っていたのです。その中に毒性が強い化合物も入っておりました。そのことを港北さんは気に入らなかったようだと聞きましたが、それ以上詳しいことは一切喋ろうとしないのです」

「そうですか……。詳しくご存じの方は他にいらっしゃらないのでしょうか?」

「共同研究者がいたことはいたのですが、ほんの少し手助けをしただけでした。それに、樺戸君は論文に関する問題の処理を一人で行っていたようなので、多分他の誰も経緯の詳細は分からないと思います」

「そうなるとご本人にお訊きするしか方法はありませんね。もう一度樺戸さんに来て頂くことはできますでしょうか?」

「はい、彼がまだ研究所にいれば可能だと思いますが、今日は外出する予定を組んでいたようですから……」

そう言うと面談室にある電話を取り誰かと話をしていたが、こちらを向いて済まなそうな顔で伝えた。

「申し訳ありません。樺戸君はたった今出かけてしまったようです」

「そうですか……、それでは別の機会にお訊きすることにいたします。今日は本当に有り難うございました」


 U海洋微生物研究所からの帰り道、車の中で洋介は静かに言った。

「鹿子木さん、もしかしたら樺戸さんが犯行に使われたテトロドトキシンを作って落合さんに渡したのかも知れませんね」

「私もそう考えていたところでした。署に帰ってから今日入手した情報を整理した上で、明日、しっかりと落合を尋問してみます」


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