表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/28

二三.再捜査

 いつもの小部屋で簡単な下調べを行った翌朝、洋介は、以前勤めていた研究所にいた時によく使用させてもらっていたB大学図書館に出向いた。退職してからもここの関係者と親しくしており、時々調査のためにその人たちに頼み込んでこの図書館を使わせてもらっていた。この日も電話で了解を得てから入館し、天然物研究関係の学術雑誌を中心に検索を行った。


 テトロドトキシンを高濃度に蓄積している生物に関して報告している論文自体もそれほど多くはない上に、検索でヒットしても実際にその論文を読んでみると、洋介が求めている、精製した際のテトロドトキシンに含まれている不純物に関するものは皆無であった。

 それでも洋介は、カリフォルニアイモリ、アカハライモリ、ヒョウモンダコ、ツムギハゼ、カブトガニ、スベスベマンジュウガニ、トゲモミジガイというヒトデ、更にはハナムシロガイやキンシバイやボウシュウボラといった巻貝などを材料としてテトロドトキシンが得られたという報告が掲載されている論文を丹念に読んだ。

 このような生き物がテトロドトキシンを蓄積する理由は様々であると記載されていた。フグでは卵を捕食されることを防ぐという説やフェロモン的な作用で産卵期にメスがオスを誘引するという説があった。ヒョウモンダコでは毒を分泌して獲物であるカニを麻痺させてから捕獲し、カリフォルニアイモリでは捕食者からの防衛に使われると考えられているようであった。

 さらに、海洋細菌であるビブリオ属やシュードモナス属のテトロドトキシン産生菌に関する論文にもじっくりと目を通したが、これらの菌によって産生されるテトロドトキシン量は微量であり、これらが食物連鎖を通じてフグやタコなどに高濃度に蓄積されると書かれているだけであった。

 夕方の閉館時間まで粘ったが、洋介は何の収穫も得られずに図書館を後にした。始めからある程度は予想していたことではあったが、いざそれが現実のものとなると落胆する気持ちを抑えることができなかった。


 夜になって鹿子木が重い足を引きずるようにして筑波ホビークラブに現れた。

「神尾さん、そちらの調査結果はいかがでした?」

「いやー、一応予想してはいましたが、いくら調べてもテトロドトキシンに含まれる不純物に関する論文を見つけることはできませんでした。今のような文献調査だけでは限界がありますね」

「そうでしたか、神尾さんのほうもダメでしたか……」

「その口ぶりだと、鹿子木さんの捜査の方も進展がなかったようですね」

「その通りなんです。一応、今日の捜査結果をご報告しておきますね」

「はい、お願いします」


「先ず、落合の尋問から始めました。フグ毒の入手に関しては自分で行ったものではないだろうとしつこく追及したんですが、どうしても自分がやったと言うのです。このまま落合の尋問を続けていても収穫は得られないと判断しまして、S研究所に行きました」

「皆さん、素直に喋ってくれましたか?」

「落合が自白したことを告げましたら、皆観念したというか、むしろ警察に協力して落合が犯人ではないことを明らかにしたいという気持ちが滲み出ていましたね。

先ず、釣りが趣味の谷田から訊いたのですが、谷田は自分一人で釣りに行く時は鮎釣りが中心で、海釣りに行くのは落合と一緒に行く時だけだからフグを釣ったことはほとんどないと言うのです。それで、M研究室全員に、落合以外の人物でフグ毒を精製できるような人がいないかを訊いてみたのです。

 皆一応の化学的知識は持っている人たちなんで、やろうと思えば可能だろうとのことでした。しかし、沢山のフグを人に知られないように入手することはそう簡単ではないし、入手できたとしても、その精製は自宅でできるようなことではなく、どこかの研究施設を使わなければ無理で、少なくともあの研究室の中でそんな怪しい実験をしていた人は見てないと言うのです」

「そうですか……、研究室の人たちではなかったのですかね」


「それから何人かのM研究室以外の研究員にも訊いてみましたが、全く収穫はありませんでした。神尾さんに落合の親族や友人についても捜査するように言われていましたので、落合の奥さんに会いに行ったのです。落合は家で研究所や仕事について喋ることはなかったようで、奥さんは落合の研究内容やS研究所の人たちのことはほとんど知らないのです。それでも、フグ毒の精製を行うことができる人の心当たりはないか訊いたのですが、全くダメでした。親族に化学の研究者もいそうもないとのことなので、落合の家族や親族の線から攻めるのは難しそうです」


「そうですか……。あと、残っているのは落合さんの友人ですが、そちらの捜査はまだでしょうね」

「ええ、まだなのですが、一応、落合に化学者の友人はいないか皆に訊いてみてはいます。谷田の話によると、高校時代からの親友で樺戸大輔という男がいるそうです。樺戸は落合とは別の大学に進学したそうですが、学生時代の専門はバイオテクノロジーだったようで、卒業後もずっと親しくしていて、時々会っていると言っていました。現在は大洗にあるU海洋微生物研究所の主任研究員をしているそうです。大洗となれば海に近いし、テトロドトキシンを高濃度で保有する生物の入手も可能かも知れません。それにバイオテクノロジーが専門だったら、テトロドトキシンの精製も可能かもしれないと思いますので、明日にでも大洗に行ってこようと思っています」


「そうですね、少しでも可能性があることは捜査しておくべきですね……。ところで鹿子木さん、落合さんの親友の方の名前をもう一度教えていただけませんか」

「樺戸大輔です。カバノキの『樺』、戸板の『戸』、大きいの『大』、車偏に『はじめ』という意味の『甫』と書いて『輔』です。」

「樺戸さんか……。DAISUKE、KABATOですよね。どこかで見た覚えがあるんだなあ……」

 暫くの間黙り込んでいた洋介は突然立ち上がると廊下に走り出た。数分後、黒い表紙のノートを抱えて走って戻ってきた。


「鹿子木さん、これを見てください。名前がローマ字表記になっていますが、これ、樺戸大輔さんに間違いないですよ。英語表記ですけど所属先もU海洋微生物研究所となっています」

「本当だ。それで、これは一体何のメモなんですか?」

「これは、今日B大図書館で調べた論文の著者名です。樺戸さんの論文のタイトルは『海洋微生物による二次代謝産物の産生向上に関する研究』となっています。私は抄録程度しか見ていませんが、確か扱っている化合物の中にテトロドトキシンが入っていたように思います」

「それは凄い。犯人は樺戸かもしれないですね。やりましたね」

「鹿子木さん、そう早合点しないでください。生産菌によって作られるテトロドトキシンの量は微量なんだと思います。それで、いろいろな生き物の食物連鎖を通じてフグやヒョウモンダコなどに高濃度に蓄積されるということです。樺戸さんの研究は少ない量しか産生できない化合物をどうしたら少しでも多く作れるようになるかについて調べることのようです。テトロドトキシンだけを目的にして研究している訳ではなさそうです」

「何だ、そうなんですか。糠喜びさせられてしまいました」

「でも、一応捜査する必要はあると思います。鹿子木さんは明日大洗に行かれるのですよね? できれば私も一緒に行かせて頂きたいのですが……」

「神尾さんがその気になってくれたのなら、私としては大歓迎ですよ。それでは明朝、お迎えに参ります」

 そう言って鹿子木は嬉しそうに帰っていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ