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二二.疑問

 翌朝、鹿子木は筑波ホビークラブの受付にいた。

「そうですか、落合室長が自白しましたか。良かったですね、鹿子木さん」

「ええ、まあそうなんですがね……」

「あれっ、あまり喜ばれていないようですね。何か納得できないことでもあるのですか?」

「落合の自白によれば、彼は文句の付けようがない程の強い動機を持っていました。しかしですね、フグ毒の入手のこととなると途端に歯切れが悪くなるんです」

「詳しく話してください」


「港北に対するやりどころのない気持ちについては非常に細かく説明してくれたのです。それに比べ、フグ毒の入手方法の話はかなり曖昧だし、簡単にしか答えないのです。昨夜、神尾さんからフグ毒についていろいろと教えて頂きましたので、その知識を使って尋問してみたのです」

「ほう、流石鹿子木さんですね」

「フグ毒は、自分で釣ってきたフグから抽出したと言うので、どんな種類のフグを使ったかを訊いたのです。落合は海釣りをするのですから、フグの種類についてもある程度の知識はあると思いましてね。そうしたら、『フグの種類についてはあまり気にしていなかった』という返事が返ってきたのです。そこで、シロサバフグとかハコフグなどは使わなかったかを訊いたら、『使ったかもしれないが、よく覚えていない』というのです」


「それはおかしいですね。これは一般論ですが、天然物から微量の目的物を単離する時は、できるだけ目的物の含有量の高い材料を使うのだそうです。綺麗にしていく作業の過程で、目的物の量がどんどん少なくなっていってしまうからなのです。そのため、抽出に用いる材料は相当吟味して選ぶと思います。だから、材料として用いたフグの種類をしっかりと答えることは難しいことではないでしょう。文献などでよく調べた上で、フグ毒の含量の高いとされるトラフグやマフグなどを使うことになると思います。毒性物質がほとんど含まれていないシロサバフグやハコフグを抽出する材料に使うなんてことは考えられません」


「そうですよね! それから、落合は、海で釣ってきたフグから毒の含量が高い内臓を使って抽出したと言っているんです。フグ毒の入手に関してすんなりと答えたのはこの部分だけです。フグ毒を綺麗にしていく過程で、毒を含む部分が溶けにくくなった時の対処法について訊いたのですが、薄い酢酸を使うことをしっかりとは把握していなかった様子なんです」

「それもちょっとおかしいですね。文献通り精製しても結構溶かすのは大変なのだと思うのですが……」

「そうでしょう! 落合は自分の手でフグを材料にしてフグ毒を精製してはいないような気がするのです。まるで誰かを庇っているような感じなんですよね」


「そうですか……。あのー、警察ではフグから精製したテトロドトキシンの標準品を保有されていますか?」

「標準品ですか?」

「ええ、そうです。港北さんが亡くなった原因がフグ毒だと断定できたのは、警察でフグ毒の標準品と今回使われた毒とを比較検討したからではないかと思うのです。ですから、きっと警察ではフグ毒の標準品かその分析データを持っているのではないかと思うのです」

「そうですか。それでは電話で訊いてみます。少しお待ちください」

 鹿子木は受付から廊下に出て携帯電話でつくば東署に問い合わせた後、何カ所かと連絡を取ってから戻って来た。


「神尾さんの言われた通りでした。科捜研でフグ毒の標準品を保有していましてね。そのデータと比較することで今回の結論を出したとのことです」

「そうですか。それは良かった。それでは鹿子木さん、その標準品がフグの内臓から抽出、精製されたものかどうかを問い合わせていただけないでしょうか? それから、もしその通りだとしたら、テトロドトキシン以外の不純物、つまり綺麗にしきれなくて精製したテトロドトキシンに含まれてきてしまっている微量の物質が、今回使用されたフグ毒に含まれていた不純物と同じかどうか調べていただけないでしょうか?」

「はい、分かりました。早速戻って頼んでみます」

 そう言うと鹿子木は急いで帰っていった。


 その日の夕方、鹿子木は再び筑波ホビークラブに姿を現した。

「神尾さん、私はあれから科捜研に行って、直接担当者に訊いてみたんです」

「それはお疲れ様でした。それで、結果はいかがでしたか?」

「今回の事件では、科捜研のデータベースに入っているフグから精製したテトロドトキシンのデータと照合してフグ毒と断定したのだそうです。それで、神尾さんに言われた不純物があるかどうかを訊いてみました。あそこで保有しているデータは標準品を溶かした液について分析したものでしたが、確かに微量の不純物が入っているそうです。それを今回のフグ毒の不純物と比較してもらったのですが、標準品に含まれていた不純物のほとんどは今回の毒の分析結果には含まれていませんでした」

「やはりそうでしたか」

「科捜研の担当者も不審に思ったらしくて、保有していた標準品をその場で溶かして再分析してくれたのです。その結果は、保有していた標準品のデータと完全に一致し、港北の命を奪った毒はフグから精製したものとは別物だと推定されました」

「そうだったのですか。それで担当者の方の見解はどのようなものだったのですか?」


 鹿子木は手帳を開いて、専門用語を一字一句間違わないように注意しながらコメントを読み上げた。

「担当者によりますと、『今回港北殺害に使われたテトロドトキシンはフグから精製されたものではない可能性がある。さらに、テトロドトキシンは海洋細菌が一次生産者であって、細菌が作り出した毒素は生物濃縮によってフグなどの体内に蓄積される。フグ以外にもイモリの一種や、ヒョウモンダコ、ツムギハゼ、カニ、巻貝などいくつかの生物中に発見されている。今回のテトロドトキシンはフグ以外の生物から採られた可能性もある』と言っていました」


「やはりそうでしたか。港北さん殺害に使われたテトロドトキシンはフグから精製されたものではないと判断して間違いないようですね。また、落合さんはフグを材料としてフグ毒を精製した経験はなかったのだと思います。現時点では二つの可能性が考えられますね。

 一つ目は、落合さんがフグ以外の生物を材料としてテトロドトキシンを手に入れた可能性。ただ、もしそうだったら、鹿子木さんが落合さんを尋問された時、落合さんがそのことを隠す必要性はなかったと思われますよね。

 二つ目は、鹿子木さんの言われる通り、落合さんは誰かを庇っていて、真犯人がフグ以外のものから何らかの方法で精製したテトロドトキシンを中国酢に溶かしてあの人形の容器に入れ、それを落合さんが受け取り、事件当日港北さんに渡した可能性です。もしそうなら、落合さんはその人を庇っているのでしょう」


「なるほどね。でも真犯人を庇うっていっても、殺人ですよ。仕事のシフトを代わってあげるのとは訳が違いますからね」

「そうですね。落合さんが自分で罪を受けてもその人を庇いたいほどの人なのでしょう」

「一つ目の可能性は相当低そうですから、落合が真犯人を庇っていると考えて……。さて、これからどうすればいいのでしょうね?」

「そうですね……。それでは、鹿子木さんと私とで手分けをして調べていきましょう。鹿子木さんは落合さんから少しでも真犯人の手掛かりになることを何とか訊き出すことに専念していただけませんか?」

「はい、もちろん。それが私の本来の仕事なんですから」

「落合さんが自分を犠牲にしてでも庇おうとしている真犯人も落合さんと同等かそれ以上に港北さんを憎んでいたと考えられますから、ある程度は絞り込めるのではないでしょうか。ただ、港北さんの我儘というかゴリ押しというか、他人のことを全く考えようとしないで自分の名誉や利益のことだけを追求する姿勢からすると、あの研究所の人たちだけに絞らないほうが良いように思えます。場合によっては落合さんの友人や親族の人たちにまで範囲を広げる方が良いかも知れませんね」


「分かりました。研究所以外の人についても対象にして、もう一度訊き込みをやってみます。それで、神尾さんはどうされるのですか?」

「私はフグ以外の生物でテトロドトキシンを体内に蓄積するもの、例えば、両生類やタコ、魚、甲殻類や貝などからテトロドトキシンを精製した例について調べてみます。うまいこと文献が見つかって、その中に不純物のことが書かれていればラッキーなんですけどね。なかなか難しいのではないかと思いますが……」


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