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十四.洋介の両親

 筑波ホビークラブの敷地からそれ程遠くない所に神尾洋介の父母、芳雄と初子の家があり、未だに独身の洋介はその家に居候を決め込んでいた。もっとも、ほとんどはホビークラブの小部屋に泊まってしまうので、両親の家に帰って寝るのは週に一、二回であった。

 小野村愛は芳雄と初子が好きで、筑波ホビークラブに顔を出す前によく神尾家を訪れていた。


「やあ、愛ちゃん。今日もセンスのいい服装で決まっているね」

 芳雄は眩しそうに比較的低くてよく響く声で言った。

「またー、小父様はそんなこと言って」

「いえ、愛ちゃん。本当に素敵よ。羨ましいくらい輝いていますわ。まったく、洋介も訳の分らないことばかりしていないで、愛ちゃんみたいな人と一緒になってくれれば私たちもどんなにか安心できるんでしょうけどね」

 初子は、いつもの台詞をいつものように言った。立派に成長した人は世間でも認められている所に勤め、適齢期に結婚し、可愛い子供を儲けるのが当たり前だと信じている初子には、洋介の生き方は許容範囲を逸脱していると映るため、洋介の顔を見る度に再就職と結婚を勧めていた。


 初子は小柄だが均整がとれた体型で鼻は先がツンと尖った可愛い形をしている。遠近両用眼鏡の奥の二重でやや大きな目がやさしそうな顔立ちに見せている。昔は長く伸ばしていた頭髪も最近はかなり白くなってきたため少し栗色がかった黒に染め、肩くらいまでのショートカットにしている。横浜で生まれ、地元の高校から東京の女子短大まで名門と言われている学校を卒業し、当時はまだ東京にあった研究所に就職した。修士卒で同期入所した芳雄と知り合い、結婚後退職して主婦業に専念し、研究所移転に伴ってつくばに移り住んだ。お茶、お花、お琴、ピアノなど習い事は一通りこなすものの、芳雄に連れられてテニスに行くが、運動は得意ではなくお付き合い程度にしかできない。喋り方はやや高い声だがきちんときれいな言葉を話し、いつもセンスの良い衣服を身に着けている。


「もう、小母様はいつもそんなことばかり言われるのだから。洋介さんはとても立派なことをされていて、クラブの会員の人たちからも大変尊敬されているのですよ。鹿子木さんみたいな警察の人も随分と頼りにしているのですから、洋介さんのことを悪く言わないでください」

「あははは、愛ちゃんにそう言われると、親としては少し安心するんだけどね。まあ、洋介の話はいくらしても進展しないから、これくらいにしておいてと。愛ちゃん、ちょうどいいところに来たね。知り合いから頂いたハーブを育てていてね。今、採ってきてハーブティーを淹れてかみさんと飲んでみようとしていたんだよ。愛ちゃんも一杯いかがかな」


 いつもの優しい笑顔で愛を誘った芳雄は中肉中背で筋肉質の均整のとれた体型をしているが、最近お腹が少し出始めた。真っ白で多めの頭髪を持ち、趣味のテニスで真っ黒な顔をしている。歳のせいか若干垂れ目になったが、端正な切れ長の一重まぶたで鼻骨がやや高い。服装はいつも妻初子のチェックがあるためこざっぱりしたものを身に着けている。

 東京都区内で生まれ、中学時代は軟式テニスに夢中になり、高校から大学まで硬式テニスにのめり込んだ。ごく普通に大学院修士課程を修了し、研究機関の研究者になった。一九八〇年までの筑波移転に伴って、後に町村合併してつくば市となる旧桜村に移り住んだ。大変有能で研究所長にまでなったが、他のところに横滑りすることもなく六十歳で定年退職した。筑波移転後、筑波山が大変美しく見えることと、神郡かんごおりも神尾も『神』という字が入っていることから神郡が気に入り、かなりの頻度で神郡地区に来ては歩き回り、何人かの人たちと親しくなった。小野村壮一郎はそんな友人たちの一人である。筑波ホビークラブが設立されたのとほぼ同時期に近くの古民家を購入し、リフォームして引っ越していた。


「わあー、嬉しい。私、ハーブティーが大好きなのです。香りを楽しむことってとても素敵ですよね。是非ご馳走してください」

 愛は神尾夫妻に誘われるまま勝手口からダイニングキッチンに上がり込んだ。あまり大きくないテーブルの上に、今洗ったばかりの淡緑色のハーブがキッチンタオルの上に置かれ、ガスコンロの上ではやかんが蒸気を吹き出していた。芳雄は無造作にハーブを丸めると、透明なガラス製のティーポットの上部に押し込み、やかんのお湯を注ぎながら、説明し始めた。


「愛ちゃんは旧旭村を知っているでしょう? ほら、霞ヶ浦の北側の海岸沿いにある所。今は町村合併で鉾田市になったけど」

「ええ、大洗の手前にある所でしょう、知っていますわ」

「あそこではなかなかいいメロンが生産されるんだよ。わが家ではお中元として親戚やお世話になっている人たちに旧旭村のメロンを贈っているんだ。最初はね、洋介のところの会員の方に教えて頂いて、住所氏名を書き出してその方にお願いして発送してもらっていたんだけど、一昨年から、栽培している農家に自分で直接行ってお願いするようにしているんだ。やっぱり、現地に行って栽培農家の方とお話して、自分の目で品物を確かめてからお贈りするのはいいよね、安心できて。それに、農家の方たちも喜んでくださるし。自分たちが丹誠こめて生産した農産物に自信と愛着があって、ただ単に流通経路を通じて売るより、購入してくれる人に直接説明して買ってもらえると嬉しいんだね。それに、少しは自慢もしてみたいようなところがあるし」

「それは私にも分ります。欣也小父さんも似たようなことをよく言っていますから」

 欣也小父さんとは源三郎の息子、小野村欣也のことである。もともと源三郎がやっていた稲作を手伝っていたが、源三郎が筑波ホビークラブの管理人になったのを機会に後を継いだ。数年前から多角的農業経営を目指して野菜の生産を行っており、さらに果物栽培にも乗り出そうとしていた。

「ああ、源さんの息子さんね。最近頑張っておられるそうね」

 初子がカップを用意しながら口を挟んだ。


「去年その旧旭村の栽培農家に発送をお願いに行った時、ハウスを見せて頂いたんだ。とても親切なご夫婦で、メロン栽培を一所懸命やっておられてね。参考になる栽培技術を知るためにいろいろな所に出かけていって研究されているらしいんだよね。愛ちゃんはメロンの表面にあるネットがどうしてできるか知っている?」

「えっ、あのネットって、自然にできるのではないのですか?」

「多分自然にもできるんだろうけど、綺麗なネットは栽培技術で作られるものなんだそうだよ。メロンの果実が適当な大きさになった頃、水分管理を厳格に行なうと、夜の間にメロンの果皮の表面に細かい割れ目ができるんだそうだ。そうなるとメロンが自分でその割れ目を修復してネットの一部ができる。これを繰り返してようやくあのような綺麗なネットが出来上がるんだそうだ。水分を与え過ぎるとメロンの果実の所まで割れ目が進んでしまって商品にはならない。だから、どのくらいの水分を与えるかということは、メロンの商品価値を決める上で非常に重要な栽培管理技術ということになるのだそうだよ」

「わあー、そうなのですか。私、全然知らなかった。それじゃ、綺麗なネットがかかったメロンを作るのはとても大変なのですね」

「愛ちゃん、この人、偉そうに説明していますけどね、私たちだって去年生産者の方に教えて頂いて初めて知ったんですからね。お父さん、ハーブティー、そろそろいいんじゃない?」

「おっと、もう三分経ったかな」

 芳雄は、初子の言葉に笑いながら頷き、ティーポットを持ち上げてカップに静かに注いだ。


「メロンのハウスに行く前に、生産者の方の庭にあるメロンの選果場所で、いつものようにお中元の送り先をお知らせして、どのメロンを何個ずつ送るかを決めたんだよ。決めるといったって、そんなことはすぐ終わってしまうんだけど。その後、メロンのことやら世間話やらをしていたら、ちょうどハーブティーを淹れたからって勧められて私たちも一杯飲ませて頂いたんだ。とてもいい香りで、私は直ぐに気に入ってしまったという訳だ」

「そうなんですよ、お父さんなんてお代わりまで頼んでいたんですからね」

「だって、本当に美味しかったんだよ」

「あのハーブティーはご自分たちで飲むおつもりで淹れていたのに、減らしてしまったんですからね」

「あっははは。まあ、そういうことがあった後、そのお宅から少し離れた所にあるビニールハウスに車で連れていって頂いたんだよ。先ずは、メロンの説明を詳細にお聞きし、それが一段落着いてからハウスの傍に植えてあったハーブの所に行って私たちに見せてくれて、いくつかの種類の株を分けてくださったんだ。本当に親切な方たちだね」


 芳雄はハーブティーを注いだカップを愛の前に置き、飲むように手で勧め、話を続けた。

「帰ってきてから、直ぐに庭に植えておいたのがうまく付いたので、今日かみさんと飲んでみようとしていたところなんだ。どうだい、香りと味は?」

「とってもいい香り。美味しい。小父様、このハーブ、レモンバームでしょう?」

「ああ、そうだよ。愛ちゃんはハーブについて詳しそうだね」

「少しだけですけど」

「物の本によると、ハーブティーは今日みたいに単一のハーブだけでも美味しいけど、レモン系のハーブにミント系のハーブを加えてもいいらしいね」

「そうですね」

 愛は微笑んで芳雄に応え、少し間をおいてから、話題を変えた。


「小母様。洋介さんて、子供の頃はどんな少年だったのですか?」

「愛ちゃんが疑問に思うのも当然よね。何だか訳の分らないことをやっている人が、昔どんな子供だったか知りたいと思いますよね」

「いえ、洋介さんはさっきも言ったように立派なお仕事をしていらっしゃいます。他人に対してとても優しいし、正義感も人一倍強いようですし。どんな子供だったんだろうっていつも考えていたのです」

「そうねー。小さい頃は外で遊ぶのが好きで、学校から帰って来るとランドセルを自分の部屋に置いたら直ぐに外に出ていって、近所の子供達と日が暮れるまで遊んでいましたね」

「あまり勉強はしなかったのですか?」

「試験前少しはやっていたみたいだけど、普段はちっとも机に向かわなかったわね。学校の先生にお聞きしたんですけど、授業は一所懸命聞いていたようね。でも、私には理科系の大学に入るなんてとても思えなかったわよ。ちょっと飽きっぽいところがあって心配していたくらいですから。こつこつと研究するようになるなんて子供の頃の洋介からは考えも付かなかったわね」


「喧嘩なんかしなかったでしょう?」

「そうね。友達とはほとんど喧嘩したことはなかったわね。でも、友達がいじめられていると黙って見てはいられなかったみたいで、一度顔から血を流して帰ってきたことがあったわ。何でも友達がいわれなく苛められたので、苛めた人たちと喧嘩してしまったって言っていましたね」

「やっぱり、小さい頃から正義感が強かったのですね……。動物なんか飼ったことはなかったのですか?」

「洋介が小学校一年生の時に犬を飼ったのよ。長生きをした犬で、十五年くらい丈夫で生きていたわね。その犬がまだ小さい時、冬で外がとても寒い日があったの。あんまり寒いので玄関の中に入れてあげたんだけど、洋介はそれでも心配で、玄関にふとんを持っていって一緒に寝てあげていましたわ。動物にはいつも優しかったですね。私にも優しくしてくれて、ちゃんとした所に勤めてくれるといいんだけど、ちっとも言うことを聞いてくれませんわ」

 愛と芳雄は顔を見合わせて笑った。


「今の小母様のお話をお聞きすると、現在の洋介さんと同じですね。小川奈津江さんていう方、ご存知でしょう? 最近シルクスクリーンを教えにホビークラブに来られている方」

「小川奈津江さん……? 奈津江さんねー。あっ、そうか。『なっちゃん』ですね。ほら、お父さん。佐藤奈津江さんですよ。頭の良いしっかりしたお嬢さんがいたでしょう」

「ああ、覚えているよ。あんたがよく言ってたよ、『あんな女の子が洋介のお嫁さんになってくれたらいいのに』ってね」

「その小川さんも、洋介さんのこと、昔とちっとも変わってないって言われていました」

「私から見ても洋介は変わってないね。子供の時の感性を持ったまま大人になったって感じがするね」

 芳雄はむしろその方がいいとでも言いたげに微笑みを浮かべながら付け加えた。


「洋介さんて女性にモテたんでしょう?」

「あんまりモテたという話は聞いたことがないわねー。小さい頃は、『女の子は直ぐ泣くからずるい』なんてよく言ってたくらいだから。あまりうまくお付き合いできてはいなかったのではないかしら」

「そうだったのですか。でも高校や大学ではお付き合いしていた女性はいたのでしょう?」

「大学の時は仲良くしていた方がいたみたいですよ。私たちはきっと結婚すると思っていたんですけどねー。研究所を退職する少し前に別れちゃったみたいなの」

「洋介さんがその方を嫌いになったのですか?」

「私たちには何も言ってくれないから詳しいことは分からないけど、どうやらその女性、別の男の人と結婚してしまったようだったわ」

「そうなのですか」

「そのことがあってからね、洋介が女性と親しくできなくなってしまったのは」

「もうその辺でいいだろう、その話は。ところで愛ちゃん、洋介はまた何かの事件に首を突っ込んでいるみたいだねー」

 芳雄がいつものことだという感じで愛に確認した。


「ええ、また鹿子木さんに頼まれたみたいです。ちょっと前につくば市内であったフグ中毒で人が亡くなった事件です。食中毒か殺人かまだはっきりしてないようですけど、洋介さんや鹿子木さんは殺人事件だと思っておられるようです」

「そうか、それで洋介はまたこの家に帰ってこなくなってしまったんだな。しかし、どうしてこんなに事件が次々と起こるんだろうねー。今回の事件はまだ殺人事件かどうか分らないにしても、最近の事件を見ていると、どうも自分のことだけを大切に思ってしまった人たちが自分の考え方を正当化した結果、事件が起こっているような気がしてならないんだよ」

 芳雄の言葉が終わらないうちに、愛の携帯電話が鳴った。高校時代の友達の吉葉亜紀からであった。愛は急いで神尾夫妻に礼を言い、勝手口から外に出てから話を始めた。


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