渇いた救世主の帰還
スマホ、テレビ、電話、ネット、車、飛行機、電気、当たり前にある身近な道具、日用品。
これらの製法、仕組み、由来を根本から正しく理解し、説明できる人間が果たして何人いるのだろうか。
みんな『よく分からないもの』を『よく分からず』、『よく分からないまま』使っている。
かつての時代の技術や製品製法は、文明の断絶により失われたが――
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『構造』には『世界』の記憶が散らばり、たゆたっている。文明の断絶によって失われたそれ以前の歴史記録は象術により『構造』からサルベージされたものだ。
そのなかには年代の特定できない、超古代文明の記録さえあった。
掘り当てたのは、フォールインの存在、勇士の転化秘術、星の海の渡りかた……。
そこに触発されたかのようフォールインは現れたという話は諸説あるが、おそらく事実であろう。『構造』に眠るのは過去の謎を解き明かす黄金の宝だけではない。未知と恐怖の存在を呼び覚ます罠も仕組まれていたということだ。
中身の見えない暗黒の宝箱。手を突っ込んで掴むのは財宝か魔物か。ギャンブルに身を任せ、モザイクのピースを繋ぎ合わせる作業はいまも続いている。
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ぱたりと文庫本を畳み、ミミリは走るワゴンの車内から荒涼とした大地を見渡す。
(けっきょくツツジこなかったなあ……)
見送りにもこなかった。せめて同行を願って説得しておけばと後悔する。
ヨルダン国境付近。シリアの西南西部は、地中海から旅を経て湿気を失い乾ききった風が吹くステップ砂漠地帯が広がっている。
あるのは砂利に覆われた荒野と道路一本だけ。広々と見晴らしが良く、うってつけの場所だ。
襲撃の。
象術で張り巡らしていた結界障壁に異変を感知。
マクロによる実行。
<車と車内の人間に危害を加える恐れのある飛翔体および攻撃の拒絶>。
ガギギンと金属がひしゃげる音が窓越しに響く。一つ、二つ――六つ。
慣性を失い潰れた空き缶のようになった計六発のライフル弾が、アスファルトの路面をカンコンと跳ね転がっていく。
バックミラーを確認。装甲で補強改修されたSUVワゴンが二台。こちらを追走している。
「きました。後方から敵二」
敵襲。ハンドルを握るヒューケインはピクニックのような気楽さで嗤い言う。
「パターン『G』。手筈通りに」かつて戦場で聞き慣れた隊内の符丁。
「了解。仰せつかります」
戦闘管制疑似人格自動式<プレアネッサ>――起動。
すっと冷酷な意志が瞳に宿り、体の全細胞が戦闘状態に覚醒する。象術による暗示。戦闘用の疑似人格マクロに肉体の操縦を任せ、主人格を情報処理と管制に宛がう。
仮面が必要なのだ。自分は優しすぎる。きっと相手を気遣ってしまうから。
マクロ実行<『倉庫』から武装転送>――『構造』を経由し装備が現出、実像を結ぶ。
ミミリの全身を渦巻く水の膜が覆う。やがてそれは機械的な鎧と化し、黒く色づく。
近年、大手軍産企業が開発した強化象術外装、<メルクリオス>。これ自体が水の性質を持つ遮断と反射の特性を備えた肉体強化象術で、高度で幅広い耐物理、対象術性能を誇る。
いわばパワードスーツだ。自律型液状ナノマシン集合複合体ともいう。ヒューケインがキャリーに手配を依頼した品物の一つだった。
「パターン『G』ってなんじゃ?」詩翅がヒューケインに訊ねた。
「紳士的に(The gentlemen)の『G』」答えるヒューケインは悪ふざけそのもの。完全に状況を楽しんでいる。
サンルーフから身を乗り出し跳躍――着地。ミミリは左右へと蛇行しながらSUVへと肉薄する。
車の窓から覆面の男が自動小銃を構え応射。
迫る十二発の弾丸。しかし音速の飛来物もミミリの目にはスローモーに映る。弾丸が錐揉みしながら大気を掻き分けて進む様がコマ送りで。超人的な勇士の身体性能と情報処理能力が、外装のバッファー効果で更に底上げされた結果だった。
コンパクトな動きで弾道から身を逸らし、回避。SUVと接触寸前の距離で宙返りをうつ。
外装の腰部に携えた刀剣ケースから、自身の身の丈にも近い黒塗りの長刀――<スタッカーレ>を抜く。正面からすれ違いざま一閃。
刀に付与された象術マクロが発動した。編まれた甚大な真空刃が車体を断ち切る。
バギンッと金属の断裁する音が響き、車体が縦二枚颪になる。
二つに分断されたSUVは道路を外れ、滑走し、車内のものを吐きだしながら荒野の向こうへと消えていった。
ミミリは残るSUVが隣車線から接近するのを滞空中に確認、着地と同時にケースから二丁のスローナイフを取りだし、順々に投擲――。
一丁は前輪の左タイヤ。もう一丁はフロントガラスを抉り、ドライバーの腕に突き刺さる。とっさに傷を庇ったドライバーがハンドルを切り違え、そこに追い打ちをかけるよう損傷したタイヤがバーストを起こした。
タイヤゴムが瞬く間にほつれた麻袋のようズタボロに千切れ飛び、ダメ押しとばかりにがくんと車体のバランスが崩れる。
操舵不能に陥ったSUVは大きく挙動を乱し、スキール音と粉煙をまき散らしながらスピンを繰りかえしたのち横転。無様に車体の底を晒すはめになった。
※
一段落したのをみて車から降りてきた詩翅とヒューケインが、ミミリに近づいてくる。
「これが紳士的……か?」
「ど派手に脅してやれば応じるだろ相手が。紳士的な話し合いに。キャリー女史がいうに、『拾う者』は地元のチンピラに業務委託してるって話だったろ。誰かしらは連中と繋がりがある。街で日向のことを聞き込んでいたらこいつらが釣れた。脈ありってことだ」
横臥したSUVから男がのろのろと這い出て来たのを見て、ヒューケインは勧告を叫んだ。
「投降しろ、連合軍だ。身の安全は保証する。わかったら膝を突いて、手を上げて伏せろ」
男は睨むような目を向けてきたが、抵抗の余地なしと判断し、指示に従う様子をみせる。
膝を突き、手を上げて、伏せ――その瞬間、男の背後からRPGを構えた覆面男が姿を現し、こちらがぎょっとする暇もなくトリガーを引いた。
発射筒から対戦車ロケットがジェットの尾をひいて飛び出し、後ろに停めてあったワゴンを直撃。耳をつんざく爆音とともに、木っ端みじんに吹き飛び、ひっくり返る。
カンコンぱらぱらと部品を散らして炎上するワゴン。
「……全然ならんぞ?」詩翅はしらけた顔で言った。
「まー、話し合いより殴り合いの文化なんだろう」
男と覆面はしめたとばかり懐から自動拳銃を取りだし、ミミリに向かって発砲する。
直撃の間際、外装の表面から水の膜がぶわと張り出した。接触の瞬間だけ氷のように凝固――弾丸の軌道を逸らし、あるいは受け止め無効化する。外装に仕組まれたマクロが発動し、攻撃に対して自動防御を行ったのだ。
男達は無駄と分かりつつも泡を食ってトリガーを引き続ける。ミミリは銃弾に構うことなく一足飛びに距離を詰め、瞬きひとつする間に刀を一度二度と振るい、銃を断ち割り破壊。
それでも戦意を失うことなく向かってきた覆面をいなし、放り投げ、腕の関節を極め、背中を踏み押さえ制圧。はたと動く気配を見せた男の喉元に、首を飛ばしかねない勢いで刀の切っ先をビタリと突きつけた。
男の顔が恐怖に引きつる。たじろいだところを刀の柄頭でみぞおちに一発たたき込んで足を払い、地面にねじ伏せた。
「大人しくしなさい。命まではとらないと言ったでしょう」
えほえほと腹を押さえてえずく男に、ミミリはどすを効かせた声で威圧する。
「……わ……わかった。こ、降参する」
「アンタなぁ、初めからそうしとけよ。一つレッスンだ」
呑気な調子で言いながら、ヒューケインはのそのそと足を運び、男の目の前にくると腰を下ろした。
そして、「いいか――?」と一つ前置く。
「恐怖は『心』を裸にする。恐怖の前では理性で取り繕った殻とペルソナによる偽装人格は吹き飛び、動物的な本能と衝動が精神の主導権を握るからだ。生存の道を模索しようとな。あらゆる生命の『心』にはそうしたマクロが根づいていて、優先的に実行されるようになっている」
男の額を軽くデコピンで弾く。
「つまり素直に話聞けってこと。そしたらここまで痛い思いをしなかった。おわかり?」
こくこくと恐怖に怯えた顔で頷く男と覆面。
「素直でよろしい。続きは取調室でやろう」
詩翅はミミリが真っ二つにしたSUVの様子を見に行き、乗員の無事を確認していた。ヒューケインが「詩翅氏、そっちはどうだー?」と響く声で呼びかけると、詩翅は両手で大きく丸を作り、ハンドサインで乗員の命に別状がないことを報せた。
「まじかよ。あれで生きてたのか。すげぇクソ運だな」
二人を縛り上げるかたわらミミリは外装のレーダーを展開し、周囲の警戒を行う。状況がクリアになったとはいえ油断はできない。
一方で外装を纏ったヒューケインが横転したSUVを引き起こし、車体の具合をみていた。
「タイヤを換えれば使えそうだな。捕虜を集めて車に乗せよう。終わったらここから離れるぞ」
※
襲撃してきた男達は全部で五名。行きすがら負傷者に応急処置を施し、人目を避けるためステップのほうへ潜ることにした。どこで敵の目が光っているかわからない。
この大所帯で戦闘は避けたほうが賢明だ。これはヒューケインの弁である。
道路が地平の彼方に消え失せる程度の距離は走ったはずだ。
一つの人工物もない。あるのは鬱蒼と茂る枯れ草と、青葉を蓄えた小高い木々の群れのみ。
ここはゴラン高原。
歴史のなかで争奪が繰り返された、平穏とは縁遠い土地。隣接するガリラヤ湖がもたらす恩恵は、この地を隔てて隣り合う国家をたびたび係争に向かわせた。今では誰のものでもなく、誰かを拾い迎える安住の地でもなく、ただ自然のままそこにある。
だからこそいい。
漂白する自然は流動的で捉えにくい。一体化して溶け込めば文明に慣れきった人間の目など容易にやり過ごせる。身を隠すにはうってつけだ。
小高い丘陵が並ぶ入りくんだ地形に入り、車を茂みの影に隠し、ようやく一息つく。
「連合軍はなんと?」
無線機の受話器を置いたヒューケインに近づき、詩翅がきいた。
「イスラエル駐屯地から輸送機を迎えに寄越してくれるそうだ。三十分ほどで着く」
言いながら双眼鏡で周囲を窺う。特に異常なし。象術結界にも人の気配はヒットしない。
「時間があるのう。捕虜の連中に訊いてみたらどうじゃ。冶月日向のことでも」
そうだなとヒューケインは双眼鏡と携帯端末をしまい込む。
「そうするか。ミミリ、一緒に立ち会ってくれ」
「わかりました」
リーダー格と思しき青年を車から降ろす。あご髭を蓄えた顔立ちのせいで老けて見えるが実齢は二十後半ほどだろう。あかぎれた擦り傷に塗れたその顔は少々やつれ気味に見えた。
「怪我の具合はどうだ?」
無言の反意を目に浮かべ青年はぎろりと睨む。ヒューケインは肩をすくめ、
「やっといてお前が言うなって話だよな。でも恨むなよ。先に仕掛けてきたのは君達のほうだ。少し訊きたいことがある。この少年だ。知らないか?」
写真を取りだして青年に突きつける。
「彼は冶月日向。中東のどこかにいると聞いてな。探している」
無言で写真に目を落としていた青年の眉がぴくりと動き、こちらを見上げた。
「探し出してどうする気だ?」
手応えあり。話に乗ってきたと見てヒューケインは交渉に頭を切り換える。
「こっちから先に質問させてくれないか。アンタ達は『拾う者』に雇われた下請け業者か?」
「ふざけるな。俺達は民を守る為に戦う誇りある戦士だ。あんな下劣な連中と一緒にするな」
「それは失礼した。てっきり悪党かと思ってな。びびってやりすぎちまったよ」
くつくつと嘲り笑いを飛ばすも、青年は安い挑発には乗らないと鼻で笑う。
「戯れ言を。俺達からすればお前らも奴らも一緒だ。合衆連邦政府を隠れ蓑に金儲けを企む腐った資産家どもの手先め」
彼は何か勘違いをしているようだ。これは使えるとヒューケインは口端をつり上げる。
「資産家の手先? 何の話だ。さっぱり見えて来ない」
煽り半分、当惑半分といった口調で返す。
青年は我執に囚われているように見えた。彼のような直情的なタイプは自分の中にある事実を否定されることを最も嫌うものだ。
果たして流れはヒューケインの描いた通りになった。
「とぼけるな。お前ら殺し屋だろう、彼の命を付け狙う軍産企業の連中に雇われた。それとも『拾う者』のほうか!? はっきりいえ!」
冷静な態度から一変。口角泡を飛ばし、激情をあらわに青年はまくし立てる。
「落ち着け、安心しろ。俺達はそんな連中の手先でもないし殺し屋でもない。君のいう彼とは日向のことか? 知り合いなのか?」
「――――!」
途端に青年はしまったと青ざめる。相手の誘いに乗ってむざむざ情報を吐いた。相手がテロリストや本職の諜報員ならここで交渉は終わり。あとは洗いざらい吐かされ、命はなかっただろう。
「…………知らん。これ以上何も話すことはない」
情報は命の綱。己の未熟を悟り、青年は歯がみして目を逸らす。それからは何を訊いてもだんまり。二の轍は踏まないと、甲羅に閉じこもった亀のよう硬く口を閉ざしてしまった。
(あちゃぁ、逆効果になっちまったか……)
どう手管を巡らし情報を引き出せば良いものかとヒューケインが頭を悩ませたところだ。
「お願いです、教えて下さい!」
横に割り入ってきたミミリが青年の肩をつかみ訴えかけた。
ここで手がかりを途絶えさせてなるものかという強い意志を宿した瞳で懇願する。
「私達は日向くんを助けたいだけなんです! お願いします、あなただけが頼りなんです!」
不意を突かれた様子できょとんとする青年。ヒューケインも頭を切り換え、真摯に再び対話を試みる。
「ああ、このとおりだ。今までの非礼は詫びよう。俺はヒューケイン。日向の元上司だ。このミミリも同じ部隊にいた彼の仲間だ。彼には合衆連邦から『拾う者』に手を貸していると疑いがかかっている。かつての仲間として彼の潔白を証明したい。知人だというなら話を聞かせてくれないか。彼がここで何をしているのかつきとめなくてはならないんだ」
「おたくら勇士だったのか、どうりで……」
青年は憑きものが落ちた顔で二人を見る。そして若干だが悩む間を置き、口を開いた。
「俺はナーゼル、日向とは友人だ。話を聞かせてやるよ。どこから聞きたい?」
「知り合いになった切っ掛けからたのむ」
「わかった。半年前のことだ……。
俺や村人のSNSアカウントにこんなメッセージがとどいた。『一週間後武器を持った集団が村を襲う。時間は十四時ごろ』。
当然だれも信じなかった。
予告の日。十三時を過ぎたころだ。ふらりと彼は村に現れた。売店で水を一本買ったあと、何をするでもなく村の入り口近くで座り込んでいたのを覚えている。
ちょっと噂になったけどな。変なよそものがいるって。
気になって俺は話しかけてみたんだが、そしたら彼は、
「なんでみんな呑気にしているんですか?」
と言ってきた。心底不思議そうな顔で。
「なんのことだ?」と俺が聞き返すと彼はこう言った。
「ネットで話題になってますよ。十四時にこの村が襲われるって」
こんな辺鄙な所まで物見遊山とは危篤な奴だと、その時は思ったがな。
それから一時間後だ。予告どおりに事は起きた」
「来たんだな。連中が」
「ああ。武装集団を乗せたトラックが三台、村に乗りこんで来た。『拾う者』の下請けだ。物資調達に来たんだろうな。村は大混乱。みんな泡を食って逃げ惑いはじめた。
村の男衆や自警団の連中が武器を手に戻って来たころさ。
全て片付いていた。三十人以上はいたはずなのに、それを一人でのしちまったんだ、彼は。そのとき確信したよ、あのメッセージの送り主は彼だったんだと」
「陳腐だが奇跡を見たってワケだ」
「奇跡か……。確かにな。俺達は村を守るため彼に助言を求めるようになった。彼の言うことは的確で、何もかも彼の言う通りに事が運んだ。まさに預言者そのものだったよ。
そんな彼の噂は瞬く間に広まった。それに影響されて『拾う者』に対抗しようという気運が各地で高まり、レジスタンスが蜂起し始めたのがここ数ヶ月の話だ。今じゃ日向はレジスタンスの相談役のような事をして彼らの活動を支援している」
「そのせいか。あいつが『拾う者』に目をつけられているのは」
「そうだ。彼を殺せば大人しくなると考えているのだろう。実際はその逆だがな。この土地の人間は恩も怨みも子々孫々代々まで語り継ぎ、決して忘れなどしない」
なるほどとヒューケインは頷く。そして懸念も――。
「うまくダシにされてるなぁ、こりゃ。あいつのお節介を止めてこの国から出してやったほうがよさそうだ。そのうち日向を担ぎ上げてよからぬ事を企む奴もでてくる。人身御供にされるのがオチだ。君の見解はどうだ?」
ナーゼルの第一印象は蛮勇を振りかざす熱血漢のそれだったが、喋り口から察するにどうやら彼には理知的な面もあるようで、多少なりとも学のある人間だと知れた。
ヒューケインが質問を投げたのは彼の博識さを信頼してのことだ。
「事態はもう彼の手を離れているのは確かだ。伝説は一人歩きを始め、野心家の豪族や権力者に都合よく利用されている感はある。しかしこの流れは当分止まらないだろう。疑義を唱える者は村八分だ。どの家も同じだよ。土地と民を守るため我が家からも戦士を出さねばと言った調子だ。だれも逆らえない」
風潮が世間を支配するのは万国共通の倣いか。それが例え間違いだとしても。
だがこの熱狂の先に待つのは非常に危うく破滅的な負の連鎖だ。
黙って見過ごすわけにもいかず、ヒューケインは反論を口にする。
「それでもこれ以上悪化させるよりマシだ。日向がいなくなれば少しは熱も冷めるさ。まあいい。あともう一つあったな。軍産企業に狙われている理由は?」
「別に彼が何をしたというわけではない。『リスク』として計上されているという話だ」
「リスク?」とヒューケインはオウム返しに首を傾げる。
「仲間なら知っているだろう、彼の力を。彼のその力が戦場の発生と継続期間を抑制するというリスクだ。兵器は使われ、消費されることで経済効果を生む。その需要と消費を大量に、かつ研究の観点からも効果的、効率的に見込めるのが戦場という場所だ」
「それが日向をやっかむのにどう繋がると?」
「彼の力はやがてこの地に平和をもたらすからさ。そうなれば兵器の需給場所としての価値は低下する。まだまだこの土地で連合軍に武器を売ってぼろ儲けしたいのさ、連中は。彼が他の戦地でも同じ真似をすればどうだ? 商売あがったりだろう」
「たしかに。企業の将来利益を損ねる障害になるな。だから今のうちに日向を始末したいってワケか。アンタ詳しいな。どの筋でこの情報を?」
「覗き(ハッキング)が趣味でな。つい最近まで連合軍のオフィスで働いていた」
「なるほどね。……しかし、きな臭い話になってきたな」
「ヒューケインさん」ミミリが息をひそめてヒューケインに耳打ちし、見張りに立つ詩翅のほうをちらと一瞥。『内緒の話をしましょう』ということだ。
ヒューケインもそれに合わせる。
「(ああ。味方の中に敵がいる可能性が出てきたな。企業の息が掛かった暗殺者が連合軍にいないという保証もない)」
「(キャリーさんや詩翅さんも指令を受けているのでは?)」
「(上からの命令で知らずの内に手駒にされてる可能性はある。だがキャリーが大人しくなびくタマとは思えない。その彼女が目をつけた詩翅も同じだろう。まあ警戒はしておこう。誰が敵で味方かはすぐ分かるさ)」
「(そうですね。動きはよく見ておきます)」
言ってミミリはするりと後ろに下がり、警戒に戻る。
「で、ナーゼル。日向はいまどこに?」
彼は首を横に振り、
「くわしくはわからん。一月前エジプトから帰ったあと中東の各地を回っていたようだが。仲間内の話では一週間前にガリラヤ、二日前に死海で姿を見かけたらしい」
「近辺だとエルサレムかアンマンだな。そこで見たという話は?」
「さあね。それ以降の足取りは掴めていない」と目を伏せかぶりを振った。
「ためしに両方行ってみるか。他に手がかりもないしな」
「そうですね」
捜索の難航を暗示するかのよう、ステップの渇いた風が吹き抜け、木々を揺らし砂埃を巻き上げる。肌に纏わり付く不快さもなく、かといって爽快でもない。空虚が詰まった風だった。
「うおっ、ちょっと肌寒いな。しかしハワイに比べると乾燥してるよなあ、やっぱ」
「ですねえ。お肌も渇いちゃます。ん……? 乾燥……? 渇いた……。エジプト……」
暫く俯き、ミミリはぶつぶつと独りごちる。
ややあって何かに思い至ったのか、はっと閃いた表情になりヒューケインの肩を揺さぶった。
「わかりました!」
「な、なにが?」
「日向君の居場所です。きっとエルサレムですよ。エジプトの預言者モーセが旅の末辿り着き、かの救世主が生まれた地。対フ戦でも、ここでも、日向君は人々のために力を使い、道を照らし、いつしかそんな風に呼ばれる羽目になった。日向君は自身の境遇から彼らの人生に共感を見出したのでは? 何か得られる物があればと、偉人達の足跡を辿る旅に赴いたのではないでしょうか」
推理としてはまあまあだと言いたげに、ヒューケインは肩をすくめた。
「なるほどね。でも命を狙われてるのになぜこっちに戻って来た?」
「なにか目的があっての事かも。レジスタンスを守るため『拾う者』の注意を引くとか。それに日向君の力なら敵の目をかいくぐることぐらい容易いとは思えませんか」
ふむとヒューケインは頷く。
「じゃなきゃとっくに死んでるか。だとしてどうやって探す?」
「これを使います」
したり顔でにこりと、ミミリはスマホをかざして見せた。
画面には<ORac.>の文字――。