絶対お願い権
い草の香りが漂う和室の客間。テラスの縁側では青葉をつけ始めた庭の木々に野鳥が羽を休めさえずっている。春の風情を窓越しに眺め暇をつぶしていたところ、着流し姿の顕醒が盆に茶と菓子を乗せやって来た。
ミミリとツツジはあわわと佇まいを直し、正座を組んで向き直る。
「お待たせしました。ああ、楽にして下さい。しかし仕事とはいえアイドルのお二人が私の教室などに足を運んでくれるなんて。お陰で今日は大盛況でしたよ」
「いえ、そんな。喜んでもらえて何よりです。引っ越されたんですね」
「ええ、日向が勇士になって出て行ったあとに。前の家は引き払いました」
茶をすするツツジを横目で見て間を置き、ミミリはためらいがちに口を開いた。
「その、日向君のことで先生にお話があって……」
唐突にあがった息子の名に、顕醒の穏やかな目が剣呑の色を帯びる。
「……なにかあったんですか?」
「ええ、実は――」
と切り出そうとしたところだ。
「ぅえふぅっ!」
背中に重い衝撃を受け畳に突っ伏した。うつ伏せになったミミリの上に子供達が続々とまたがり乗っかかる。
顕醒の子供達だ。去年、ミミリは日向に連れられ、冶月家に二週間ほどホームステイしていた時期がある。そのとき日向の弟妹達にもすっかり懐かれて……というより舐められている。
特に弟二人には。
「<J―Mina>の『ミミリ・N・フリージア』じゃん、なんでこんなところにいんのー?」
生意気が人の皮を被ったような性格の次男、斗司が珍しい物を見た風に言う。彼にはさんざんいじり倒されよく悪戯の的にされたものだ。正直苦手である。
「えやー」とお尻をパンパン叩く三男に、「お下げもいじゃえー」と続く末の次女がミミリの髪を掴んで引っ張り回す。
「ぼへぇえー、それをもぐなんてとんでもないツインテールには夢がつまって――じゃなくてやめてくだひゃい、いたいいたいもげちゃいますほんとうに、頭皮と毛根から!」
抵抗できない状態のミミリは為す術もなくいいように、二人のおもちゃにされる。
もみくちゃにされながら足伝いに布地が下がる感触をはたと感じた。
下が妙にすっきりし、まさかと思い振り返る。
「いぇーい、ミミちゃんのおパンツゲットー!」
と戦利品を掲げて勝ちどきをあげる斗司がいた。
「えへへぃ~、アイドルのパンツ~。ヤシオクに流せばいくらになるかなあ、えへへぃ~」
ららら~みたいな韻を踏んですりすりとパンツに頬ずりする少年のゲスイにやけ顔におぞましさを覚え、ミミリは淑やかさをかなぐり捨ててわめき散らす。
「わーっ!? ちょっ、売り飛ばそうとしないでくださいよッ! 返してくださいっ!!」
「すんすん。おお……花の蜜のようないいにおいがする。勇士って神様に近いからかな」
「ヴァあぁッ!? いやぁかえしてっ! いい加減にしないと本気で怒りますよ――ぐぶぅっ!?」
斗司が背中にずんと腰を落とし、ミミリはすり潰した挽肉のような呻き声をあげる。
子供とはいえさすがに三人はきつい。幼少のころ愛犬のセントバーナードにも同じ仕打ちをした覚えがある。彼もこんな理不尽な気分を味わいながら耐えていたのだろうか。
「やれるもんならやってみなって。知ってるぜ、勇士って人間に危害を加えられないんだろ。『契約』で人に対して殺意を抱く衝動をロックされてるから。人を守る勇士が人を殺しちゃ本末転倒だかんな。わははは」
「むぅぅ……」犬に似たうなり声を殺し、
「むがぁー!」と気合い一声。ミミリは力いっぱいに体を這いずって体重の力点をずらし、負荷が弱まったところを突いて強引に立ち上がる。
「わぁっ!?」
背中から転げ落ちた三人は、ダンゴ虫のようごろごろと畳の上を転がっていく。
泡を食って逃げ出そうとする斗司。ミミリはその背中を追いかけふん捕まえ、足を払って態勢を崩し、そこをひょいと持ち上げ腰だめに抱え込む。おしりペンペンの構えだ。
秋津の侍は女子供であろうと過度な無礼不届き者には容赦しない。容赦しないのだ。
「でも正当防衛が許されるほどにはゆるいし、『事故』は含まれないんですよ! まったく揃いも揃って悪い子ばかりですね、おしおきです! あとパンツ返しなさい!」
斗司の手からパンツをひったくり、ミミリは鋭く振りかぶった手の平を打ち下ろす。
「わぁっ、ごめんなさい! 『お願い、やめて』!」
「うっ……!?」
突如ミミリの体がビタリと硬直し、平手を打ちかけた姿勢のまま固まった。しめたと斗司はミミリの腕からするりと抜けだし、勝ち誇った底意地の悪い笑みを浮かべる。
「へへへ、勇士の弱点その二。『人間のお願いにはなんでも応える』ってな。おっとミミリ姉ちゃん、『頼むから』動かないでよね」
己のピンチを悟ったミミリは、引きつった笑顔で負けじと強がってみせた。
「悪害を為すようなことじゃなければ、ですけどね。でも安心して下さい、近いうちに契約も見直されてその条項は外されますから。その時は覚悟しておいてくださいね」
「うっせ、調子くれてんなよこのどピンク! 『お座りしてワンって鳴け』!」
自分の意志ではない。何者かに操縦されている感覚が全身を襲い、体が自動的に動く。
『心』に刻印された象術――誓約マクロが働き、一切無駄のない迅速な動作で命令を――犬のお座りポーズを実行する。
「――わ、ワンッ! ……ぐぅぅ、秋津の侍がこんな……。く、屈辱です」
正直、捲れ上がったスカートの隙間から見えている。一定層のマニアに受けそうな格好のまま固まり、ミミリは苦渋を噛みしめた顔で斗司を睨み付ける。
いつかきつくお灸を据えてくれる――。顔にそんな言葉を貼り付け主張したが当の斗司には馬耳東風。そんな斗司はしめたとミミリの腰だめに飛びつき、畳の上に押し倒す。
倒れた拍子にミミリはきゃっと小さく悲鳴をあげ、馬乗りに覆い被さってきた斗司の邪悪なしたり顔を見てぞっとなった。
「わははー。やーい駄犬、駄犬。ラブラドール・レトリバーみたいなアホヅラだぜぇ。さぁーて、お次はティーンエイジャー発禁ギリギリのアララでウフフなことでも――」
――ああ、終わった。アイドルとして、乙女として……。きっとあられもない姿を写真に撮られた挙げ句ネットにばら撒くぞと脅され、俗に聞く「うすいほん」「どうじんし」のような××××な×××で×××××な展開に――!!
「おらおら、なき声がとまってんぞぉ~? ご主人様の頼みが聞けないってのか。あ~ん? もっと『良い声』で鳴けるはずだろぉ~? 知らぬ歳じゃあるまいし~」
ゲスな笑みを浮かべ、斗司はミミリのぷにっとした頬を、ぺち、ぺち、と叩く。マシュマロのようやわらかな少女の肉の感触を確かめるよういやらしく、ねっとりと、官能的に。
次第にそれは愛撫にかわり、優しくも蹂躙する手つきにかわった。首から喉にかけてくすぐるよう指先ですくい上げ、輪郭のラインをじっくり味わったあとうなじを襲う。
そして不意打ちのよう背中に手を突っ込まれ、思わず「ひゃうっ!?」とミミリは裏返った声をあげてしまい、跳ね上がった表情をとっさに押し殺す。
肩胛骨の間をみがくようこすりあげる指使いは、臀部をじっくりまさぐられるような感触に近い。
というよりそんな気分になる。
ミミリは蕩けた顔で頬を紅く染め、気のはけ口を探す。ゆっくりと胸を上下させ、口から蠱惑的な甘く熱い吐息をつくことでその代わりとする。
「はぁ、はっ……。だめっ、やめぇ――」
「おお……」と鼻を伸ばして生唾をごくりと飲み下す斗司。
半泣きの表情でミミリは胸元にぐぐと膨らむ少年の熱と硬さを感じ、下腹部にきゅうと締まる息苦しさを覚えた。下着の上にじめりとした湿気が広がる。
まさにまな板の上の鯉。抵抗する術などない。為すがままにされ、耐えるしかない。
背中を堪能し終えた斗司の手は、次なる標的を襟からのぞく鎖骨に定め、しゃぶるような指使いでなぞり始める。乳房にあたるかどうか微妙な距離感にぞくぞくとしてしまい、ミミリは腰砕けな甘いあえぎを甲高くあげる。
「ふあぁ――っ!? ……くっ、こんな……!」
しかしこれ以上の屈辱は我慢の限界だった。
武士の一分勝るものなし。
一生を恥辱に晒すくらいならいっそ――と、いよいよ覚悟を決めた時だ。
「いい加減にしなさい、このエロガキ!」
少女の声とともに、一斗缶で殴ったかのようなごつい拳骨の音が響いた。頭蓋の芯まで届いたであろう、あまりの痛さに斗司は畳に突っ伏してごろごろともんどり打つ。
「いでぇー! あにすんだよ雪依姉ちゃん」
ミミリの危機を救ったのは日向の一つ下の妹、長女の雪依だった。ボブショートが似合う中性的な少女でミミリの数少ない同世代の友人である。
「黙りなさい。中坊になったとたん下品により磨きをかけおってからに。父さんが大事な話してんだからあっちいってな。言うこと聞かないと今夜の晩飯ぬきだよ!」
反論は許さないと肩を怒らせる雪依。やはり飯抜きはきついのか斗司はぐっと口を引き絞り、ふてくされた顔になる。
「ちぇー、わかったよ。りょーかい、りょーかい。退散しますよー」
憎まれ口を叩きながらミミリを開放すると、彼は弟妹達の手を引きしぶしぶと客間から退散していった。
その間際――。
「……ゴリラ女。だから好きな男も逃げちゃうんだよ」
ぼそっとこそりと。
「あんですってこるぁッ聞こえたわよ斗司! もう許さないからね! あ、二人ともゆっくりしていってね。あいつらは私がかわりにうんと叱っておくから。私怨も交えて」
小さく不穏な一言を発し、雪依は顔を赤くしたままどたどたと部屋を後にしていった。
「あの斗司ってやつ、なかなか骨があるわね」
始終を傍観していたツツジが煎餅をぼりぼりと囓りつつ漏らし、茶をひと口すする。
「まー、まだ怖いものしらずのガキね。財布と胃袋握ってる奴には大人しく従うもんよ」
直後にギャーと断末魔が家の奥から響き、ミミリは「はは……」と渇いた笑みを飛ばした。
冶月家の家事全般を取り仕切る雪依を怒らせることは生活面において死を意味する。この晩、斗司は空腹に耐えながらそれを実感することになるだろう。
「すいません、子供達が無礼を。片親だと目が行き届かないせいでやんちゃになって仕方ありませんね。やっぱり母親が必要なのかなあ。――ああっ、失礼。話の続きを」
「ああ、はい。先生に見て欲しいものがありまして」
気を取り直し、ミミリはバッグから薄型タブレットを取り出し顕醒に差しだした。
画面をタッチ。タブレット表面に家屋の上から撮影された昼の中東市街地の景観が表示される。メインストリートの端、商店のビル脇、一際大きな赤丸で囲われた箇所をタッチ。画質は粗いが、そこには目深にフードをかぶった少年の姿が確かに見て取れる。
更にフリックで拡大。補正処理が施され徐々に鮮明になっていく。見紛うことのない息子の姿にピクリと頬を震わせ、少なくとも動揺を覚えたふうの顕醒だったが。
「これは……中東か。場所は?」
「イルビド、ダルアー、ティベリアの三方に囲まれた緩衝地帯です」
「なんと……。あの地は国境と民族が入り混じる衝突のモザイクだ。政府の自治が及ばない空白地帯がたびたび生じる故に争乱も絶えない。だが今あの地を支配しているのは国家などではない。たしか組織の名は――」
「『拾う者』――」
彼らは国家同等の組織力を誇り、四半世紀前からあの地を実効支配している。かつて合衆連邦に打倒された敵対政府の重鎮や官僚がブレーンにいるとか。それが彼らの傑出した組織力の正体であると合衆連邦のシンクタンクは分析している。
「軍事力も侮れない。紛争バブル時代の残党が味方していますからね」
当時、元兵士や象術士の多くはPMC業を興し、大小様々な戦争ビジネスに参画するようになった。しかし大国同士が恒久平和維持調印を結んだ近年、大国が裏で演出する紛争はほぼ消滅し、PMCの需要も激減した。結果、職を失った彼らの多くは流浪の戦闘集団と化し、政府の自衛力が脆弱な地域で略奪や犯罪を働き糧を得るようになったという。
「やがて彼らは亡国の志士たちと結託し、中東の地へ流れ、今に至る。さまよう亡霊の集合体。それが『拾う者』の正体なのでしょう」
「どこにも帰れる場所がなかったんですね。彼らには……」
「今の時代、武人が価値を持つ場所は少ないですからね。いまだ彼の地では現地統括政府への領土解放を掲げる、合衆連邦主催の国際連合軍と『拾う者』の小競り合いは継続中……。しかし日向はなぜそんなところに……。あなた達は息子を探しているんですか?」
「はい、合衆連邦からの依頼で。日向君には疑いがかかっています。『拾う者』に与しているのではないかと」
「日向が? ばかな……。あの子は最も勲功をあげた勇士の一人でしょうに。対フ戦争を終わらせた救世主とよぶものもいる。自分の立場と責任は重々承知しているはずだ」
「あくまでも嫌疑です。ですがティタンフォールのあと人間社会のコミュニティになじめず居場所をなくしてしまった勇士も少なくはありません。そんな理由で『拾う者』に加わった人もいるらしいと。もちろん彼はそうではないでしょう。けど思い当たる節があって……」
「どのような?」
――それを口にすれば先生はどう思うだろうか。
言葉に迷い目元を伏せる。ちらりと恐る恐る師の顔を窺う。
彼はこちらへと目を向け、ただ静かに言葉を待っていた。何を言おうとも受け止める――。師の瞳に覚悟を見取り、その人格と心の強さを信頼し、ミミリは告白の意志を決めた。
「時おり見せるんです、ひどく乾ききった顔を。まるで全てに失望してしまったような、とても空っぽな顔を。もしかしたらそんな気持ちを引きずりながら戦っていたのかもしれません」
「サインはあったわけか。息子と最後にあったのは半年前ですが、そんな素振りはみじんも見せなかった。心配をかけまいとしていたのか……」
「先生。たとえば自分の未来が見えたとして、運命に絶望するという事はあるのでしょうか?」
スイカ畑で得た不安がそれだった。日向は自らの力で先を視すぎてしまったのではないかと。
「わかりません。その人の境遇や心にもよるでしょう。だが少なくともあの子は当て嵌まらないと思います。危機を知ればまず防ごうとした。違いますか?」
「はい。何度も救い、救われました。全ては無理でしたが、及ぶ限りのことは仲間と力を合わせて」
そこで顕醒がはたと何かに勘づいたかのよう俯き、頭をがりがりと掻き始めた。
「ああ、困った……。私も息子の事が分からなくなってきたぞ……」
ぼそりと嘆きをこぼし、彼は眼鏡の端をくいと直す。
「これは仮定なのですが、その取捨選択の葛藤が日向を悩ませていたとは思えませんか? もしあの時、もしああしていれば。大のために小を切り捨てることもなく――。そんな現実の結果に対する悩みが日向をあの地へ誘ったとは思えませんか」
「……可能性は、ありますね」
「闇は見えないゆえに闇。心も同じく……。私達には見せず見えなかった闇が彼にもあったのかもしれない。いや、これ以上の追求はやめましょう。考えれば切りがない。だがもし――」
ゆっくり間を置く。
「真実が残酷なものだったら?」
研ぎ澄まされた刀のような光が顕醒の瞳に宿る。
短い一言に武人として、一剣士として矜持を問う因果を感じ取り、ミミリは声を震わすこともなく毅然とこたえた。
「その時はかつての仲間のよしみ。自身の忠に従うだけです」
「覚悟はできているわけですか。……わかりました、息子を頼みます」
にこりと口端をつり上げる。普段の顕醒が見せる穏やかさだった。
「……そこまで腹を決めてたってわけか」
「ツツジ?」呟きを拾い損ね、ミミリは聞き直す。
「いや、なーんも」
返って来たのはとぼけた短い一言。幼馴染みの真意を測れずミミリは小首を傾げるしかなかった。