風が吹いた日
院内のリハビリルームでは多くの患者が運動訓練に励んでいる。自分も数年前ここで同じことをしていたなと思い返し、獅子堂ミミリは辺りを見渡した。
部屋の隅に妹のペシェリを発見。嬉しさがこみあげ思わず駆け足になってしまう。頭の両側で結んだツーサイドアップテールが歩調に合わせてぱたぱたと上下する。
なんてはしたない――と思ったが時すでに遅し。おかしさを堪えた顔で妹のペシェリがこちらに向かい手を振っていた。
見られていた。とんだ失態だ。笑顔でごまかし手を振り返す。
連れ添いで来ていた幼馴染みの包苞道ツツジが「ったく、まるで犬ね……」と呆れを漏らし、ミミリはそちらにもごまかす笑顔を振り向けた。
「お久しぶりです姉さん、ツツジ」
普段端麗な顔を和らげペシェリはそう二人を出迎えた。
「だいぶ良くなりましたね」
ミミリに言われ彼女は壁に体を預けながら確認するよう左腕と左膝を曲げてみせる。
「はい。違和感もだいぶなくなってきました」
「自分の細胞から造った有機義体つっても、そう簡単には馴染まないもんだしね」
ツツジの言う通りペシェリの左半身の一部はいまや義体だった。
勇士である彼女たち三人は半年前の戦いに参加していた。所属する<勇征軍>第十二軍団は衛生軌道上を最終防衛ラインに設定し、敵の進行予測地点に沿って星系全域に部隊を展開。第八の地球、<エイス・イルシャローム(八天球)>の防衛に乗り出し、全ての敵を殲滅したのだった。
この<ティタン・フォール>を最後に<勇征軍>は解散。全ての勇士は日常へと帰っていった。
だがペシェリは五体満足のまま終戦を迎えられなかった。戦いのさなか進退窮まり、重傷を負ってしまったのだ。彼女はひと月以上昏睡状態の身で生死の境を彷徨い、覚醒後は満足に体を動かせないほど弱りきっていた。
いまはこの通り。器具の補助こそ必要なものの一人で動けるほどだ。勇士の肉体は常人を超越した再生力を持っているがここまで回復したのは驚きといえる。
「元気になってよかったわよ。いやー、あの時はさすがに私も駄目かと思ったわ」
「運がよかったとお医者様も仰っていました。怪我も出血の具合も」
「陳腐だけどこういうのを奇跡っていうのかもねー」
「奇跡なんかじゃありません。ツツジがいち早く駆けつけてくれたおかげですよ」
「ったく、あったりまえよ。友達と同じ時間を過ごせなくなるのは……つらいからね」
――そう、それでお別れだなんてあまりにも辛いし悲しすぎる。
同じ時間を共に過ごせるのもこれが最後なのだから。
「積もる話もあるでしょ。久しぶりなんだし姉妹水入らずでいってらっしゃいよ」とツツジがそんな風に気を利かすのでミミリはペシェリと院内にある空園テラスへとやってきたのであった。遠慮することはないのにとは思うが彼女の厚意を無下にするわけにもいかない。せっかくなので甘えさせてもらうことにした。
ペシェリに行きたいところをたずねたところ、「姉さんにお任せします」というのでここを選んだわけだが――。
「いい眺めですね」
「でしょ。私のとっておきの場所なんだ。入院してたときよくここに来て街並みを眺めてた。ここにいると心のなかがまっさらになって澄んだ気分になるんですよね」
闘病の現実を忘れて安らぐ一時をここで過ごしたのだろうとペシェリは当時の姉の心境を推し量り、どこか悟った表情を浮かべた。
「……なるほど。確かにそんな気がします」
あたたかい風が吹き抜け頬を撫でる。自分も入院していた頃あの人に車椅子を引かれてよくここで他愛ない話をしていたなと当時の記憶を掘り起こし、ミミリは目を細めた。
そしてあの時も今と同じ風が吹いていた。
「一昨年のことなのにもう随分むかしのことのように思えますね。姉さんとケンカしたのも」
忘れようもない。あれは二年前の五月……十四歳になったばかりのころだ。
「『病気がなおったのになんで勇士なんかになったの!』ってすごい剣幕だったよね、ペシェリ。しばらく全然口きいてくれなかったし。最後にはとっつかみあって大げんか。姉妹なのに初めてみたよ、ペシェリのあんな顔。正直美人が台無しだったよね」
「やだっ、よしてください。……恥ずかしい」
過去の醜態を思い出したのか頬を赤くして口を尖らせるペシェリ。普段薔薇のように棘刺す印象のある秀麗なその顔にふわりと可愛気が浮かぶ。
双子の姉妹だが二卵性なのであまり顔かたちは似ていない。ミミリは母親似の愛嬌ある丸顔。妹ペシェリは美形の父親の遺伝を受け継ぐ細面の美人。唯一双子らしく似た点は母譲りの薄いマゼンダブロンドの髪くらいなものだ。しかし共通点があるというのは嬉しい。自分の一部かのように妹をより愛おしく感じることができる。
「ごめんね。あの時はペシェの気持ちぜんぜん理解出来てなかった私。でも今はわかる気がする。ペシェリを見ていると心が痛いもん。私が病気だった時もこんな気持ちだったんだね」
「いいんです。私ももうこだわっていません。それに私もわかる気がします、姉さんが勇士になった理由。ただ純粋に守りたかっただけなんですね。この景色のなかにあるものを」
生まれ育った熊葛の街。石畳の街路、瓦葺き屋根と西洋モダン家屋が混ざりあった街並みのなか、点々と春先の筍のように生えた建設現場の梁が目立つ。
重機の音、工具が鉄材を叩く音、人々の賑わい。
過去の傷を乗り越え現在を生き抜くという人々の活力が耳に届いてくる。
一方で生々しい戦禍の爪痕も。
半年前の戦いで地上に落ちてきた艦船の躯体や、ティターンの破片によって作られたクレーターじみた窪地。山肌に突き刺さったフォールイン達の体の一部――千切れた手足と体が斜塔じみたモニュメントのように幾本も聳え立っている。
世界じゅうどこもこのような有様だ。皆ひどく傷つき、ひどく失った。
だが傷だらけの土地の上でも人は生き続ける。そこに在るということは失われていないから。
「でもこの景色を守る為に私達はきっと戦うことになる。同じ人間と。わかり合おうとしても信じようとしても人は譲れないものを守る為に誰かを傷つけなくてはならない。奪い奪われ――哀しい事ですが」
「秋津の国の侍ですものね、私達は」
「そうです。私達にはこの国を、故郷の人々を守る責任と義務がある。その時はきっとやってきます。本当は誰も傷つけたくはないけれど……」
それが彼女達の将来に待ち受ける現実だった。<フォールイン>を討ち破ったこの力を今後は故郷と国を守るために振るわなければならない。その結果、誰かの運命を狂わせることになろうとも。
負の連鎖は連綿と続いていく。人は人であることをやめられない。人であることに拘り、人であることを愛し、間違いとわかりつつも誤った道を進んでしまう。それを正しいと信じて。
そんな人間の業を全うし自分も過去の人々と同じように生きていくしか出来ないのだという宿命を受け入れかけている妹に、ミミリは明るく声を投げかけた。
「じゃあその悩みは解決したも同然ですね」
「どういうことです?」
「風が吹いたんですよ」
「風?」
「私が最後の<フォールイン>を倒して地上に墜ちて目が覚めたとき、さっきみたいな優しい風が吹いていたんです。その時に感じたの。全ての人の心がひとつに繋がって高いところに昇っていくような温かい光を。私達はもう大丈夫、もう誰も傷つけあう必要はないんだって」