デーモンはハッピーエンドを手伝う
目が覚めた。
ベッドの上から順に見渡す。見慣れた天井、インテリアの配置、ドアの位置。どうやら一命をとりとめ自室に戻ってきたのだと少女は理解した。
窓から差す陽が赤い。あれから相当時間がたったようだ。
「――!」
身を起こそうとして、びくりとなった。
窓際のカーテンの裾から延びる人影に気づいたからだ。
「なに、誰……?」
闖入者の姿を窺おうとしたが夕陽の逆光が邪魔をする。影法師の丈もゆらゆらと不安定に波打ち、大人なのか子供なのかも判然としない。
警戒を強め、ぐっと身構えた。静かな緊張が場を支配する。
「俺だよ」
あの人の声だった。聞き知った声に、少女はほっと胸をなで下ろす。
「もう、驚かさないでくださいよ」
「ああ違うか。正しくは俺の『心』かな。お前も思い出せよ、久しぶりに帰って来たんだから」
んん、と少女は怪訝を顔に浮かべる。
そこではっとなった。霧が晴れたかのよう頭の中が徐々に澄み渡っていく。
――思い出した。なんとなくだけど。
「思い出したって顔だな。そうだ、ここが世界の『本体』だ。人、神、悪魔、全ての霊長の『心』と『意識』と『想像』が混在し、形になる前の場所。情報と可能性の大海。こここそが『本体』の影である世界の実像、次元の外にある存在の場。即ち――『構造』。まあまだ向こう側にいた時のクセが抜けてないようだし、理解できないならなんか言ってるぐらいに流してくれ」
「死んだわけでは……ないんですよね?」戸惑い気味に訊ねる。
「君の『心』だけがここに来ている。幽体離脱みたいなもんだ。本当はちょっと違うが適当に言うならそんな感じかな。詳しくききたいか?」
はいと肯定を示し頷く。
「オーケー。例えるなら肉体は土地、魂は建物、『心』はその住人だ。『心』は『構造』と世界を自在に行き来できる。ただしここで体験した記憶の持ち越しは出来ないけどな。『心』が肉体に戻ったとたん全部忘れるし、無意識下に残ることもない。ここに関わる情報自体が接触不可能になる」
正直、男の言っている事は半分も理解できなかった。彼の言う『向こう側にいた時のクセ』が抜けていないのだろうと少女は思い、ベッドからのそりと降りてスリッパを履いた。
「――!」歩こうとして体が重いのに気がつく。体を自在に動かせると思ったが当てが外れた。
(ああ……。そうだった)
思い出した記憶から察するに、『構造』は夢や死後の世界とは理屈が違うのだ。
つまり――
「やっぱりだめですね。この体も『心』で出来ているんでしたっけ」
「『心』の性能・強度は肉体の影響を受ける。ここでは資質の許す限り想像を自在に形にできるが、無理はしないほうがいい。『心』が死ねば肉体も死ぬぞ。病気ならなおさらだ」
健全な肉体にこそ健全な魂が宿るという言葉は正鵠を射ていたようだ。伊達に格言ではないらしい。男の忠告に従い、少女はベッドに戻って腰を落ち着ける。
それはさておき、少女はここに来てから抱いていた疑問を口にする。
「でもなんでこんなところに――」と口にしかけたところ、
「呪いでもいいと言ったな。生きられるのなら」
そう被せられた男の言葉に、怖気が走った。
呆気に囚われたのも束の間、少女はなんでと男に畏れの目を向け、びくりと肩を寄せて縮こまる。なぜと質問を口にしようとするが、震えて声にならない。
――こいつは、あの人の形をした『何か』だ。人間じゃない……。
そんな少女の不安を解くよう、男は穏やかに語りかける。
「得体の知れないものに恐怖するのは当たり前のことだ。恥ることじゃない」
そう言われても簡単には信用できない。目の前にいる人ならざる存在に向かい、少女は唇の震えをおさえ、恐る恐る言葉を綴った。
「考え……心が、読めるん、ですか?」
「全部はわからない。『願い』だけだ。俺はこの領域から世界の願いに耳を傾け、願いの実現に尽くす。『構造』というOSに組み込まれたマクロでシステム。いわば<デーモン>だな」
「悪魔(demon)?」
「宗教的な罪悪の擬人化や数学上の蓋然性を指すならそうだが、俺は守護者(daemon)のほうだ。君と取引がしたい。いや、むしろ『お願い』かな。だから君をここに招待した」
「『お願い』……ですか?」きょとんと訊ね返す。
あの人と同じ声と口調だからだろうか、不思議と恐怖も体の震えも収まっていた。
「世の中問題だらけだろう。問題が増えるだけ願いの数も増えてな。とうとう俺の手にも余るようになっちまった。そこで見込みのありそうな奴に声をかけて協力をお願いしているってわけさ。俺が持つ、願いを実現する<ストーリーメーカー>の力、そのコピーを分譲してな」
「<ストーリーメーカー>……?」
「君が望むところの『世界の問題を解決できるすごい力』だ。こいつはすごいぞ。君が望めば因縁と業はその方へと舵を取り、運命は『願い』を結実する。バッドエンドもねじ伏せてハッピーエンドに導く。奇跡の路と路とを結んで広げる『繋ぐ力』なのだ」
少女はうーんと首を捻る。難解な言い回しに多少困惑したが、要点だけはかいつまめた。
「つまりその力があれば、絶望的な状況でも奇跡のホームランで逆転できるし、不幸な人も幸せな人生を歩めるし、繰り出す攻撃が全て会心の一撃になるわで最強の主人公になれると?」
男はびしりと人さし指を向け、おちゃらけた調子で言う。
「そう。例えるならまさにそんな感じ。すごいぞー無敵だぞー。向かうところ敵なしだぞー。世界だってサクッと救えちゃうぞー。君もヒーローだあー」
ぐっと親指でサムズアップを作る男。話に悪徳商法じみたにおいを嗅ぎ取り、少女は足をばたつかせ胡乱な目を向ける。
「うそですよぉーそんなのー。契約したら実は――とか、そんなんじゃないんですかあ?」
疑うのは昔読んだ寓話のせいだ。妖精の姿を借りた悪魔の話。
神になるため星の海へと旅立った王子がいた。しかし王子の恋人である姫は彼の帰りを待ちきれず、どんな願いも叶えるという妖精に不死と復活の魔法の知識を与えよと望んだ。
星の海を旅できるのは神と不死身の存在だけ。姫は魔法で自分とお付きの騎士団を不死の存在にした。これで星の海を旅できる。
いよいよ旅立ちの朝。妖精は姫が旅立ったところでその悪魔の正体をあらわし、願いの見返りに姫と騎士団に一生の忠誠を誓わせ、自らの使い魔に仕立て上げてしまう。
使い魔は主の命令には逆らえない。主の許可なく死ぬこともできない。姫は悲嘆に暮れた。
悪魔は冷たく一行に命令を下す。
悪魔の敵、星の海で出会った神々を片端から殺して回れ――と。
「――おそらくそんな具合に!」
泣きわめかんばかりに糾弾を叫ぶ少女に、男はぐたりと肩を落とし、
「素直に見えて疑り深い子だね君は……」と溜息まじりにつぶやく。
人智を超えた世界のシステムという割りには妙に人間臭い反応をする。この振る舞いすらも駆け引きと交渉を有利に運ぶ悪魔の計略という可能性も捨てきれず、少女は次の一手を待った。
そこでぐぐっと喉に迫り上がるものを感じ、少女はごほごほと咳き込む。たまらずベッドに身を横たえ、くの字に体を曲げ、鼻と涙とよだれを垂らし、狂ったようにシーツを掻き毟る。
体が熱い。四肢が焼き切れそうだ。
「現実の世界じゃ君の肉体は死にかけている。俺なら<ストーリーメーカー>の力で君の病気を治すことだってできる」
「げほっ、ぐっ……。それ……どうい……。ん……。あれ……?」
発作が治まっていく。全身を蝕んでいただるさと筋肉の痛みが引き、肉体に活力が漲っていくのを感じる。痩せ細り血の気に乏しかった体にみるみると赤みが増してゆく。
ベッドから立ち上がり体を動かす。ジャンプ。回転。ほっほっとフットワークも踏んでみる。自在に動く。体が軽い。全盛期のころに立ち戻ったかのようだった。
「うそ……。こんなことって……」
「君は病気の完治を願った。その『願い』を俺は受理した。だが俺は意志の宿った本気の願いしか受け付けない。やる気のある奴にはこうして手を貸すってワケ。ハッピーエンドに導いてやるのさ」
こうも見せつけられては信じるしかない。
「ごめんなさい、疑ってしまって。ありがとう。なんてお礼を言えばいいのか」
「気にするな、慣れてる。で、どうする?」
――たしかにこれなら、自分の――。
「私、やります。その力を貸してください」
目に付く問題を一つ一つ解決していけば世界はより良く、より優しくなっていくはず。彼の口振りからすると自分以外にも多くの協力者がいるのは間違い無い。
<ストーリーメーカー>の力を持つ者どうしが路を繋げていけば、いずれは――。
そんな夢を描く。
「感謝する。だが忠告することがある。これを言うのは公正のためだ。契約を結んだものどうしが平等の立場、関係であるからだ。隠し事をするのはフェアじゃないし、あとから規約文の片隅にあるような条項を担ぎ出して約束を反故にするようなマネも俺は嫌いだ。だからこれを言うのは君に対する敬意であると受け取って欲しい。力を受け取った者に対する」
「その忠告とは?」
「君のいる世界は『不完全の法則』に縛られている。何事も単体では完結できない、常に外部や他者の助けを必要とする世界だ。太陽が水素を消費して燃えているように、星が光なくしては輝けないように、生命は生命を食らわずに生きていけないように。常につじつま合わせのよう何かの『代償』を必要とする。当然この力にも法則に沿った支払うべき代償がある」
「代償、ですか……?」
「人によって違うが、まあ『業』とでもいおうか。君の場合、自分の幸せを半分捨てることになる。力を使うたび何かしらの不運、不幸に見舞われるだろうし、自分の願望と真逆の結果を引くことも度々あるだろう。だが君が諦めたぶん誰かが幸せになることもある。茨の道ではあるが。それでもこの力を受け取るか?」
最後の問いを重ね、男は手をさしだす。
少女は迷い、俯く。
ここが分かれ道。道無き荒野を切り開く非業の道を征くのか、はたまた既存の世界のなかで安穏とした日々を送ることに満足するだけの一生を過ごすのか。
手を伸ばし、引っ込め、だめだと首を振る。
(いけない……)
臆病に吹かれ、たじろぐ。
それでもと改めて覚悟を決し、恐る恐る手を伸ばし、
少女は男の手を――――
目が覚めた。
ベッドの上から順に見渡す。見慣れた天井、インテリアの配置、ドアの位置。どうやら自室に戻ってきたのだと少女は理解した。
陽が明るい。あれから相当時間がたったようだ。
窓際を見やる。
カーテンの裾が、ゆらゆらと揺らめいていた。
そうだ。明日は退院の日だ。
2015.5/14 加筆修正