一得一捨(4)
ジープは全て囮。イスラエル領内の四方に散った車両のいずれかに日向が乗っていると詩翅は七課の身内に嘯き、それを真に受けた敵は未来視による感知を恐れて必要以上に接近することはない。
だがそのこけおどしが通じなくなるのも時間の問題。脱出を急がねばならない現実は依然としてある。
オウザと日向は死海のほとりをひた歩く。死海を超えて大きく東へ迂回、ヨルダン領内を南に下り、エイラートへ向かう計画だ。発案者であるヒューケイン本人はツツジと共に殿を引き受け、斥候を務めるミミリと詩翅は進路上の警戒に当たり、遠巻きに二人をフォローしていた。
夜の冷気に溶けた塩風が肌の生傷にじっとりと染み込む。むずがゆさを覚えつつ日向は前を進むオウザの背中を無言で見つめ、思慮を馳せた。
(この人はやはり、人間とは思えないな……)
一時期は心の師として教えを仰いだ男だが、その心は深遠すぎて理解が及ばない。いや、自分がまだその域に達していないだけか。ミミリの他にもう一人、自分の元を訪れる人間の姿が見えたが、まさかオウザその人だとは思わなかった。
(何故かこの人の未来だけははっきりと予測出来ない。考えられるのは――)
『構造』の海へ踏み入る。ヒトでは精神が破壊されかねない狂気の領域だが、勇士の『心』はそこに秘められた知識とアクセス出来る。
検索する。しかし――
(どこにもない……、彼に関することは……。やっぱりそうだ、この人は……)
彼自体が世界の『外』にある『異世界』。我々とは条理の違う概念で動いている『何か』。人の形をしているだけで、おそらくその正体は――――。
世界から隔絶されるほど晦冥の底まで意識を潜らせていた日向だったが、
「この件が終わったらどうするつもりだい?」
と掛けられたオウザの声に現実を思い出した。
「え……?」
「この旅が終わったら何がしたい?」
「……あ、ああ」
再び重ねられた問いに気を取り直す。
「そうですね……、まだ決めていません。家に帰るわけにも行きませんし」
「そうか、それが賢明だろう」
「一座さんはどうするんですか?」
「またいつもの生活に戻るさ。当てもなく放浪し、腹が減れば狩りをする、困った人がいれば手を差し伸べる。そして一晩だけ屋根を貸してもらう。そんな塩梅だね」
「いいですね、そういうの。何にも縛られてなくて自由で」
「私には持つものがないだけだよ。我ら『零訪の民』はそれ以外の生き方を知らない。今さら文明のなかで腰を落ち着けようにもすぐ放蕩の虫が騒ぐ。体一つが財産の殺伐とした生き方だよ」
「もしかしたら僕は、あなたの生き方に憧れて旅に出たのかも知れません。何か……、人間の尊い意義や答えが見つかるんじゃないかって」
「ははは。私の場合、たまたまこの生き方が性にあっただけだよ。他の生き方を羨める内は元の生活に帰った方がいい。そんなのは不満や愚痴と変わらないし、そこに希望を見出しても根本的な救いにはならないよ。…………やっぱり、家には帰りたいのだね?」
言われ、死海の砂を踏みしだく一歩ごとに家族の顔が浮かんでは消えた。距離は離れていても心は繋がっている。
家の戸を跨げばきっと事情も聞かず家族は帰りを迎えてくれるだろう。そこでは幼い頃と変わらない、いつもの時間が流れる。斗司の悪戯を咎める雪依が怒鳴って拳骨で殴り付け、父がまぁまぁと宥める。それを末の兄弟と困った顔で眺める自分がいる。夕食は家族揃って卓を囲み、雪依が「どう、おいしい?」と料理の感想を催促してくるのだ。
帰ればいつでも箱のなから取り出せる幸せ。自分にはそれがあるのだと日向は思い出し、目頭にこみあげてきた熱を拭い去った。
「……ええ、どうやらそうみたいです」
「それに関しては安心するといい。全てはじき収まる。『過ち』が幅を利かす道理はないのだから」
全てを見通しているかのような含みを持たせ、オウザはそれきり口を噤む。
それにしても冷える。十月でも日本の初夏とそう変わらないイスラエルの気候だが、砂漠にほど近いこの地域では昼夜の寒暖差がひどく、時には雪さえ降るほどだという。
死海を超えてアンマンの砂漠地帯に入ればその表情はさらに様変わりする。日中の陽射しによって大気中の水分が蒸発し切った作用がもたらす放射冷却効果により、夜の砂漠は氷点下の世界と化す。もし砂漠で夜を過ごす羽目になったなら体温を奪われないよう身を暖かくして耐えるしかない。それでも朝日を凌ぐ対策が出来なければ詰みだ。直射日光の熱で急激に体温が上昇した末に体液が沸騰、死に至る。
だが勇士にはそのような心配はない。摂氏マイナス二七〇度を誇る宇宙空間――『死の海』のなかでも体が凍結することはなく、理論上は生身のままでも活動可能。神に近いその肉体は人外のそれで、『存在の壁』という魔法とは大系の違う霊的な障壁によって世界の摂理から遠ざけられている。故に自然発生的な変化がもたらす事象で死ぬと言うことはないのだ。
世界に存在しながら世界に不在。半霊、半物質が勇士の特性であった。
砂漠に入れば少なくとも人間は二の足を踏む。入念な準備がなければのたれ死ぬのはあちらだ。そういう狙いもあり砂漠へと足を急ぐ。
黙々と歩き続ける。一際高い丘稜を越えると景色が開け、荒野から砂漠に出た。
『空の海』が光を屈折させているせいか、今にも落ちてきそうなほど月が近い。月灯りを返す砂上に北方からの風が吹きつけ砂を運ぶ。未来が見えていた自分も所詮はあのように流されていたに過ぎないと日向は己の半生を重ね、風鳴りが収まった直後、機を図ったかのよう呟かれたオウザの短い一言に耳を立てた。
「私は君を諦めたつもりはないよ」
月光を背に振りかえる。後光を受けて立つ彼は神々しく尊い。正に真の『本物』。
「日向、私と共に来ないか?」
そうだ、この声だ。スイカの話をしていた時もこうだった。渇いた心に染み渡る救いの響き。付き従うのではない。ただ無条件に『正しい』と感じる、人の美意識を喚起させるこの声だ。これに口説かれて、酔い、自分は旅に出た。
だからこそだ。振り切らねばならない。
「……いいえ。いけません」
「なぜかな?」
「あなたが僕の目標ではなくなったからです」
「……ほう」
琥珀の瞳に鋭い冷たさが宿る。
確かに、オウザからは希望の光を感じた。しかしだ。絶望の荒野で見つけた光さえ振り払い、闇の果てを突き進まねばならない。答えのないところに答えを築く。それが世界を捨て、既存の価値の『外』に出た探求者の使命というものだ。
「どうしてもと言うのなら、力尽くでも構いません」
やれるものならやってみろ、僕の力でお前の持つ『正しさ』さえ変えてやる――。日向の言葉に潜む覚悟を汲み取ったのか、オウザは低く哄笑を飛ばした。
「……ははは。狡いな。それが出来ないのが私だというのに。そうだ、私は自発的に『過ち』を冒せない。そう『完成されている』からね。だから自らの『過ち』には贖罪を果たすし、他者の『過ち』を知れば修正するよう受動的に働く。そうそう、それに近いシステムを私は知っている。おそらく君の力もそれに起因する『繋ぐ力』――『彼』からの貸しものだ」
なんだと思う?――とオウザの双眸が日向を射抜く。その視線は遙か遠くの、不可視の存在へと注がれているようにも感じられた。が、日向には表す言葉さえ見つからない。分からないのか、なら答えよう――。オウザの目の奥に宿る意志がそう告げた。
「そいつは対フ戦争の勝利どころか、人の意志、歴史の歪みさえ『嘘』で糊塗し、幸福の結末を演出してきた。自身の力を貸し、無数の協力者を募り上げてね。それは世界の自動的な保全のシステムであり、昇華を推し進める役目の演算機。『構造』の底に潜む、<デ――――」
瞬間――。ごうと風が吹き荒び、掻き消される。
ぽかんとし、時間が前後なく飛んだかのような喪失に襲われた。
それを境にして、成立が不成立に還元される。
――――――。
「……え?」
――オウザは今、何か口にしたのだろうか……?
頭の中が入れ子構造の万華鏡だ。プリズムが入っては消え、直後の場所へ再び戻って入る、消える、入る、消え――その繰り返し。それが何万何億何兆京何垓と煌めき、永久にぐるぐると回って止まらない、終点に到達出来ない。
フラクタルの波が精神を汚染する。
宇宙は神が創った、では神は何者か、知性か、ならその知性を創ったのは何か、『構造』か、では『構造』を創ったのは――――。
循環論法による思考の檻――内的宇宙のループに嵌まり、白昼夢に捕らわれる。起きながら寝ていた自分を必死の思いで叩き起こした末、日向はようやく現実に立ち返った。
「…………一座さん、いま何か……?」
「…………どこまで話したかな?」
「……話?」
「そう、私と話をしていただろう?」
「…………? いいえ。突然なんです、どうかしたんですか?」
もう間も無く砂漠だ。というのに彼は丘陵の上でぼうと佇ずみ、妙な事を聞いてくる。全く事情が飲み込めず、日向は訝しむ。
「ああ……だね。君らに…………が……だ。…………が………るし」
途切れ途切れ、ぼそぼそと独りごちるオウザ。音声が虫食いになっている。支離滅裂で解釈不能だ。モザイクを音に変換したならこのような耳障りなのだろうかと日向は思う傍ら、オウザの異変に一抹の不安を覚えた。
「あの……?」
「失礼、少々考え事をしていた。なんでもないよ、先を急ごう。……だが――――」
「閉じ込められたようだ」
何に? と自問する前に頭を切り換え、日向は周囲に気を注ぐ。注意深く観察し、世界を見直す。これは全体から違和感を抽出する行為――とどのつまり間違い探しに近い。
「『隔絶結界』か……」
滞留する大気、脳が認識する景観。全て酷似しているが、クオリアがそう受け取るだけの『よく分からないもの』。いつ進入したのか、どこからが境目なのか、現実と仮想の縫い目さえ看破できないほど完璧に偽装された世界のイミテーション――『次元の狭間』に閉じ込められていた。
「『構造』と世界の隙間――事象の地平面に任意の対象を落とし、無限ループの空間に封印する……というのが隔絶結界の原理だが、私の認識さえ欺くとはね。マクロを実行した術者は相当の使い手と見える。恐らくは勇士かな」
「たしかこの術、手に負えない<フォールイン>を足止めするのにもっぱら使われていましたよね。ひどい奴だと恒星系ごと一緒に放り込んで」
「たぶんミミリ君たちも同じ状況だろう」
と言ってオウザは小石を彼方に放り投げる。
すると前に投げたはずの小石が後ろから飛来し、ぽとりと地面に転がった。間違いない、この空間は円環ループ状に固定された『密室』。完全に外と遮断されていて内から閉じている。
「こいつの正体は超高密度に圧縮された量子暗号データの論理ブラックホール。我々はその圧倒的情報量の引力渦に捕らわれている。図にすればドーナツの上を歩いているようなものだ、上下左右どの方向を進んでも同じところへ戻ってくる。なんせ無限ループだからね」
「脱出はできるんですか?」
「設定された量子暗号鍵を全て解析すれば」
量子暗号鍵には固定されたパスワードは存在しない。マイクロコンマ秒ごとに姿形を変える波の形を解明し、瞬時にデジタル信号へ変換しなければ解錠は不可能な仕組みだ。いわば常にピースの形が変わるパズル。こんなものを完成させるにはピースの形状を事前に予測するしかない。それこそ未来視に等しい正確さで。
つまり演算マクロを用いて解析しようが途方も無い時間がかかるという事で、この領域を人力で脱出することは実質不可能。
「これの場合、どれぐらいかかります?」
「そうだね……」オウザは裾から突きだした掌をかざし、『壁面』をすっとなぞる。
吟味を終え、彼はさして問題でもないとすまし、こう述べた。
「この情報強度ならざっと一万年ほどだろうかね」
「…………。そのころには何もかも滅んでますね……」
そうなら実際人間も文明も滅んでいる。人類という甚大な資源浪費装置を一万年も機能させておけるほど地球は慈悲深くはない。文明の生み出すエントロピーに圧殺されて自滅するか、気候変動サイクルによる生態系絶滅の煽りで雪崩式に死す運命にある。唯一の活路である宇宙も今や『死の海』、地上からの脱出など論じるまでもない。滅びは確定事項だ。
――が、オウザは可能性を提示する。
「だが勇士は生き残れる」
「全人類が勇士になれば――っていう議論はあったけど、『適正』の問題があるじゃないですか。転化するには一定以上の『霊的級位』が必要だし。端的にいうと『心』の強さと高らしさでしたっけ?」
「数値化出来ない曖昧な『基準』だがね。聖人並みの自己超越を目指す崇高な信念やら、一つの事に打ち込む求道者的な人物は往々にして勇士になれる『適正』があった。しかし至るまでの過程があやふやでは確実な手段たり得ない。それでも人間ではなくなるという忌避感があったんだろう。同意を得られず封じられたアイディアだ。人類に救いの道はもはやない」
「ひどい話ですね。でも今の状況だってひどいもんですよ。どうします?」
「大丈夫、安心なさい。こんな冗長な時間設定をしているということは交渉が狙いだろう。相手のほうからじき接触してくるさ。それに『隔絶結界』は精神に作用する錯覚でもある。時間の経過を体感しているのは『心』だけ。ここから脱出しても肉体は万分の一秒たりとも老いてはいない。だから――」
「だから?」
「寝て待つことにしよう。普段なら私はもうこの時間には寝ているんだ。夜更かしは健康によろしくない。ふわぁ……ではおやすみ」
そうあくび混じりに宣言し、どこからか取りだしたナイトキャップを頭に被るオウザ。
『隔絶結界』には閉じ込めた対象を絶望と諦念で責め立てる精神攻撃の側面もある。相手の狙いには乗らないというささやかな反抗なのだろう。
(マイペースな人だなぁ……)
すぐさま雑魚寝を決め込んだその呑気さには呆れるが感心もする。
それにこの男が無防備を晒すということは、少なくとも今は安全という証拠だ。彼はあらゆるトラブル・危険を避けて安全な道を行く術に長けている。一見あたり前のことのようだがこれがとことん難しい。
いや、実際無理だ。
人、モノ、全てが世界を構築するのに欠かせないピース。だがしかしこのピースは非常に脆い。脆い以上いつかは割れ、割れたピースの隙間から風を呼び込む。時にその綻び方、具合によっては一切合切を吹き散らす滅びの風ともなりかねない。
しかしオウザはその渦中にいようとも風を避け、無風の正道を征く。
何故なら常に『正しい』からだ。動作だけではない、危機を避けるその予見、裏付けする知識、全てが『正しさ』に則している。基本的に彼は危機の隙間に存在するか細い平穏の道しか通ろうとしない。自ら意志しない限り本来トラブルとは無縁の人間なのだ。
(だって言うのに、自分のペースを曲げてまで僕を助けに来たってんだから。よっぽどだったんだな)
彼の気遣いには感謝しなければならない。ミミリ達と敵対したのもその優しさから発したものだ。ありがとうと内で呟き、日向は地面に身を横たえ暫しの安寧に身を委ねることにした。
六時間後。相手からの接触はいまだ無い。
時間的には夜中の三時過ぎ、小腹も減ったので食事を取ることにした。
備えは重要だ。こんなこともあろうかと旅の前に食糧と水の補充はしっかり済ませてきた。
日向は『倉庫』に収納していたパンと食材を取りだし、簡単にサンドイッチを作る。ホールトマトをベースにケチャップとオリーブオイルを適量、刻みチーズをちりばめる。その上に乾燥させたルッコラと切ったサラミを数枚乗せて完成、ピザ風サンドイッチの出来上がり。
「コーヒー飲みます? インスタントですけど」
「ああ、いただこう」
『倉庫』から必要なものを出す。水筒、食器類、マイクロストーブ。野宿対策にこうしたキャンプ用品は一通り備えてある。
ケトルに注いだ水が沸騰するのを待ちながらサンドイッチをついばむ。トマトの酸味とケチャップの甘辛さが舌に心地いい。いつもより美味しいと感じるのは空腹のせい。ゆっくり味わい咀嚼するが一つ物足りなさを覚える。
やはり飲み物が欲しい。日向は口に広がるコーヒーの苦みを想像しつつ、火に炙られ小刻みに震えるケトルを眺め、サンドイッチを呑み込んだ。
「ところで、『隔絶結界』に封じたティターンの一族がどれほどの期間でこれを打ち破ったかご存じかい?」
「……んぐっ、突然だなぁ。……えーっと、確か――。ちょっと待って下さい、食べてからで」
オウザの質問に日向は口を尖らせ、サンドイッチを口に押し込みながら知識の籠をひっくり返す。
「ちなみに強度は百五十億の十の五十四乗年だったそうだ」
『構造』の歴史アーカイブに散逸していた暫定的な宇宙の寿命と同一。ティターンに壊滅させられた直後の<六天球>を星系ごとブラックホール化した上で『隔絶結界』に封じたと聞く。物理と情報の二重結界、どうせ封じるなら宇宙崩壊までという目論見だったが――
「――確か、八十一年」
言い、コーヒーを注いだカップを手渡す。
「そう。たったの八十一年で脱出した。量子的な揺らぎの可能性を全て否定し、全体の時間からすればあっという間の速さで鍵を作り上げたんだ。完成された神存在だからね、わけもない。可能性の闇に惑う人間と違って『正解』しか見えないのさ、彼らは」
湯気をあげるカップに一息吹きかけ、オウザはずずりとコーヒーをすすり上げる。熱さ慣れたのか二口目からは吸い込むように、三口目で一気に飲み干した。
ふう、とまるで長い仕事を終えた体で重く息を吐き出し、
「だから私には非常にたやすい」
彼はすました顔で指を弾く。
空間が晴れた。
虚構の壁が取り崩され、現実へと帰還する。
二人を待ち構えていたのは周囲を取り囲む人の垣根だった。目につく範囲でまず八人、その背後に十数人は後詰めが控えている気配を察し、オウザと背中合わせに日向は活路を模索する。
相手は象術外装と携行火器の完全武装。一歩でも踏み込めば撃つと銃口はこちらの足に狙いを付けて離さない。フルフェイスの下から無言の圧力を発し、抵抗は無意味だ投降しろと暗に仄めかすようじわりじわりとにじり寄って来る外装の群れ。
(どうする……?)
この状況を覆すには『力』を宿らせた言葉一つで十分。しかし無闇に振るえばどのような波及が世界に跳ね返ってくるか分からない。
(最小限で最大限の効果を叩き出すには……)
言葉は決まった。すぐさま口にする。
「『僕らに敵意を向ける者達の兵器は故障し、あるいは壊れ、機能しない』」
願望の言霊が世界を組み替える。
事象をたぐり寄せ、世界を変えて成す。
複雑に絡まった因果の糸が断ち切られ、別の起因、帰結へと結び直され、『元々そうであった』と本来では作られようもない運命の網を構築する。
不可視の強制力が理不尽を呼び起こし、現実は日向の望む形に姿を変えた。
状況を理解していない一人がライフルの引き金を引く。しかしトリガーは発射の手応えを返さない。スライドの爪が壊れたのだと当人が勘づいた直後――
銃器、弾薬、手榴弾、爆薬――あらゆる武器、兵器を構成する部品・要素が機能不全を起こし、瓦解、ガラクタに成り果てた。
象術外装も例外では無く、ナノマシンネットワークシステムを構成するアルゴリズム演算による矛盾を解消しきれず、メモリ負荷がOSマクロをクラッシュさせた結果金属の水と化して崩壊――形状を失い霧散していった。
その下に隠されていたコンバットスーツの姿が顕わになる。
驚きに戸惑う彼らだったが戦意は衰えてはいない。各々マチェットや肉厚のナイフを構え、本格的な戦闘態勢を取る。
どうやら刃物などまでは兵器の範疇に含まれなかったようだ。中々扱いの難しい力だと日向は舌を鳴らす。
一触即発の空気が漂うなか、人垣の隙間からスローナイフが飛来してきた。
注意を逸らした上での完全な不意打ち。
だがそれよりも早く日向は手を打っていた。
「――『そして、飛翔物は決して当たることはない』」
肩をえぐるはずだったナイフは衣服の布を削るだけに留まり砂に突き刺さる。二本、四本と向かってきた投げナイフも決して日向に届くことは無く同じ流れを辿った。むしろナイフのほうから避けていく。
これだけ見せつけられたのだ、さすがに間接攻撃は無効化されると敵も悟ったはず――。
(おそらくこれが精一杯。刃物の切れ味まで無効化したいところだけど、受けてみなきゃ確かめようもないしな。いくら願望が現実になるとはいっても物理的な概念まで改変できるかどうかは怪しいし……。でも念の為言っておくか……?)
息を吸い込み言葉を出そうとしたところだ。
「道を空けなさい」
オウザのその一言に場が凍てつく。
この男と暴力で対等に渡り合える者など一人もいない。言下にあるのは依頼ではなく通告。聞き入れなければ殺すという暴虐発露の宣言。
それでも襲撃者には引けない理由があるのだろう。言葉に従う素振りは微塵もない。
「よかろう」
膨れあがる殺意。
気の裂帛が大気を揺るがした瞬間――オウザの背後から網状の黒い影が覆い被さった。
影が帯へと化けオウザの身を蝕み拘束する。力を込めて解こうとするが帯はびくともしない。
「拘束術か……!」
何事にも動じないオウザが初めてそれらしい焦りを表出させる。
『心』に働きかけ無意識に『動けない』という暗示を刷り込むマクロ。あの影は術をイメージ化した物に過ぎないが、その視覚的な効果は暗示をますます増幅させるのに役立つ。『動けない』という事実は恐怖を煽り、挙動を誤らせる。『正しさ』を見失わせてしまう。
しめたと無防備を晒す彼に向かい刃を突き立てる襲撃者達。その凶刃がカンドーラを幾度も突き刺し、八つ裂きにする。まるで鳥葬。死骸をむさぼり食うハゲタカの群れだ。
――終わった。
肉が抉られ、断ち切られる生々しい音を耳に入れながら日向は始終を眺めていた。
――無論そうだ。決まり切っていたことだ。
相手がそうなるのは。
残響する金属の破砕音、巻き上がる血飛沫、舞い飛ぶ人芥。
ともに砂塵が吹き荒ぶなか、何が起こったのかと日向は分析の目を働かせる。
オウザの踏む足下の砂が溶け、粘土状に変化していた。
(液状化現象――!?)
共振だ。
オウザは一人一人の斬打に対し固有振動数を合わせ、肉体を高周波を纏う鎧へと変えたのだ。
そうして刃物を無効化し、さらに慣性エネルギーをそっくりそのまま相手へ反射させもした。
攻防一体のカウンター。
誰も彼を傷つけることなど出来はしない。その『正しさ』は頼もしくもあり恐ろしい。この地上に一座オウザを圧倒できる存在がいるとすれば、それは他ならぬ彼自身だろう。
「さすがに術を使わせてもらった。だが大したものだ、私にそうさせたのだからね」
実力差は分かったはずだ、まだやるか? と周囲に睨みを利かせ威圧するオウザ。
忌々しげに苛立つ気を感じもしたが、相手は戦力差の開きを認めたのだろう。夜の闇に溶け込むよう音も無く去って行った。
そう、それでいいとオウザは頷く。
「指揮官は優秀なようだ。さあ、先を急ごう」