宝を手に入れたけど荷物が一杯。何を捨てますか?
「エルサレムを包囲してローラー作戦であぶり出すか。連合軍と七課から選りすぐった捜査員全員にオラクアプリを使わせて。いいアイデアだ」
「捜査員のなかには企業の私兵もいるはずです。合衆連邦を伝手に選定を頼みましたからね。組織だっての行動なら彼らも迂闊に目立つ行動はしないでしょう」
ミミリとヒューケインはカフェの一角で捜索の指示を送っていた。詩翅も同席している。
グラス型ウェア端末を通して見るエルサレム市街には、地上から空に向かって延びる赤い一本線が等間隔で並び立っている。街の俯瞰図を映す手元のタブレットの上ではただの赤い点。見方によっては円陣を組んで歩くテントウ虫の群れのようにも見える。
それらは全て象術で編まれたARマーカーで、オラクアプリと連動して捜査員の位置を示す『首輪』の意味も持たせてある。異変があれば変色して報せる仕組みだ。
「だな。連中にはオラクを使って日向を探し当てる作戦だと言い含めてある」
「しかしそれは建前。日向君の未来視の力はオラクを遙かに上回っています。予知どころか多岐にわたる可能性を瞬時に把握できるとも以前言っていました。なら彼は予めこちらの動きを読んで包囲の輪をかいくぐり、オラクの観測範囲に入らないよう、距離を保って合間を縫うよう移動するはず――というか、誘導させます」
言い切り、ミミリはタブレットにペンを走らせる。捜査員を示すアイコンを丸で囲い、地図上に線を引く。アプリと紐付けされた捜査員達のグラス端末には、指定された移動ルートが表示されているはずだ。
味方と呼ぶにはグレーだが、目的を遂げるには彼らの力を頼るしかない。
「包囲網にはあえて二箇所穴を作って、どちらかに飛び込んだら片方網を閉じる。あとは俺達で捜査員の配置を適宜指示して、つかず離れず、出口を作り塞ぎつつコントロールし、日向の逃走経路を確保してやる。そうとは気づかれないように」
「私達は敵を出し抜いてその出口に先回り――という作戦です。でも私達の存在に気づいて何らかアクションを起こすかもしれません。むしろその可能性に賭けているのですが」
「さすが元相棒。信頼してるのな」
「女房役でしたからね」
コンビを組んでいたから日向の癖は読めるほどに読める。それは向こうも同じだ。彼が取るであろうおおよその動きをイメージしながら、指示出しの作業を地道に進めていく。
気がつくと注文した瓶コーラが、びっしょりと汗をかく程度には時間が経っていた。
「特に動き無しだな。アテが外れたか?」
「それはありえませんよ。ナーゼルさんに頼んで裏を取ってもらったじゃないですか。アンマンやよその街にもいなかったし、出国したという話もなかったって」
「そうだよなぁ」
とヒューケインは気を紛らわすようコーラに口を付ける。
つられて詩翅もコーラに手を伸ばすが、口に含んだとたん朴訥としたその顔に不満の色がありありと浮かんだ。
「おっとなんじゃい。気が抜け取るんかこのコーラ? 炭酸うっすいのお」
言われてミミリも口にする。コカの香りと人工甘味料の甘みだけが口の中に拡がり、舌の上で跳ね回る炭酸の辛みは申し訳ていどにしか感じられない。
「あれ……? 薄いですね」
「コーラは炭酸がパチッときいてないとのぉ。口の中で弾けてビビッとくる刺激。これがなかったらコーラじゃないわい」
「そうですね。気が抜けてると味気ないですし、なんか損した気分になりますよね」
「そうじゃ、そうじゃあ。ノーソーダ、ノーライフじゃあ」
よほど許せないらしく、詩翅はプラカードのようにコーラ瓶をぶんぶんと掲げ抗議を叫ぶ。
「詩翅さんはコーラがとてもお好きなんですね」
「おうよ。コーラだけでご飯三杯はいけるほどのコーラ愛好家よ。コーラ茶漬けに大根のコーラ漬け、コーラの味噌汁。一日の始まりはきまってこれよ」
「朝一番から血液が粘っこくなりそうなメニューですね……」
自慢げに親指を立てる詩翅にミミリは引きつった笑みを浮かべたが――
「しかしこのコーラ……。まるで今のお姫さんと一緒じゃな」
その一言に、ぴたりと凍り付いた。
「まるで、今のお姫さんと一緒じゃな」
その一言に、ぴたりと凍り付いた。
伊達か酔狂か読めない目で、詩翅はゆらゆらとコーラ瓶を傾け、ごくりと一口あおる。
「初めて会ったときよぉ、気の抜けたコーラのような顔しとったでぇ。味気なくって、ふわふわ浮いて、どこに向かって行けばいいのか分からない――。そんな感じにの」
驚き半分、頷き半分――。
「へぇ……。すごいですね。そういうの、わかるんですか?」
肯定も否定もせず、ミミリは聞き返す。試されているのか――。頭によぎった疑念を表には出さず、詩翅に興味の素振りを向けた。
「人相読みが得意でな、こいつにはちょいと自信がある。まあただの占いみたいなもんじゃ。気を悪くしたのなら失礼した」
ほっと緊張を解く。ただの雑談。こちらの思惑を測るブラフではなかったようだ。
(それとも、彼は私の――)
別の不安もよぎったが、ミミリは気のせいだと即座に打ち消し、はにかむ。
「いえ、そんな。今度教えてもらってもいいですか、やり方」
「おうよ大歓迎じゃ。いやあ、興味をもってくれるとは嬉しいのう」
「勉強されたんですか?」
「こいつは田舎の婆さまから教わったんじゃ」
「お婆様にですか。田舎にはたまに帰られたりするのですか?」
「さあのう、最後に帰ったのはいつだったか。姫さんはどうなんじゃ」
「いやぁ、最近はすっかり留守にしがちで。帰るとお婆様との『お茶会』がコワくって」
ミミリは祖母の顔を思い出す。彼女が親族のなかで最も畏怖する存在が祖母だった。古ゆかしき秋津撫子を絵に描いたような人で、特に礼儀と振る舞いには重点を置く。
バラエティー番組などで失態を演じようものなら、「獅子堂の娘がなんてはしたない!」と即座に雷がおちるのは日常茶飯事。当然海外でもだ。一度の電話で通話料金が六桁に届いたこともある。祖母のが。
芸能活動も気が気でない。おもに祖母の通話料金的な意味で。
「ところで詩翅さんは、なんで今のお仕事をやろうと?」
「鉄火場のほうが性に合うでぇよ。炭酸抜きコーラじゃ満足できんのよ」
ニカッと笑い、詩翅はコーラ瓶を掲げてみせる。
平穏よりも危険な非日常を好む自分は、戦の中に有意義を見出す生粋の武人。平和とは水と油のごとく反りが合わんのよ――。言外にそう独白を述べているふうに思えた。
そこでふと目に入った。
ごとりと置かれた詩翅のコーラが、ぱちぱちと弾けて炭酸の泡を噴く様を。
先ほどの比ではない。よく振った未開封のコーラを開封した時のような、盛大な泡立ちようだ。今にも瓶の口から溢れ出しかねないカラメル色の泡を、詩翅はお著簿口でずずうと吸すり上げる。
「おっとっと。あぶねえのう、ほんに」
(これは……? 象術でも使ったのかな。でもいつの間に……?)
不思議に答えを見つけられぬまま、ミミリはごくごくと美味そうにコーラを飲み干す詩翅を眺めていたが、
「二人とも、ブレイクタイムはそこまでだ。嘆きの壁で事件アリだ」
イヤホンを小突きながら傾注しろというヒューケインの声にびくりと我に返った。
捜査メンバーには何か些細な事でも変化や騒ぎがあれば報告するよう指示してある。もしかしたら日向が何か行動を起こしたのかも知れない。
「――わかった。現地警察に協力を仰いで現場を押さえてくれ。落書きだってよ。白い塗料で、でかでかとラテン語で『Avis nidum』。日本語で直訳すると『鳥の巣』。なにかの暗喩か?」
「だとは思いますけど。現場に行って調べて来ましょうか?」
「ああ、頼む。俺も動く時は連絡する。詩翅氏と二人で行ってくれ」
言ってヒューケインはこつこつと指先でテーブルを二度叩き、長い瞬きを一つ。
チームで使っていた符丁。
『バックアップ』『不測の事態に備える』――。
「わかりました」ミミリはタブレットを畳んで立ち上がり、隣に座る詩翅を一瞥する。
彼が敵でも味方でも近くに置いておいた方がいい。ヒューケインの意図はとどのつまりそういう事だろう。
「詩翅さん、お願いします」
「おうよ」
コーラを一気に飲み干し、詩翅はのそりと腰を上げた。