呪いの比率配分は悪意一割、善意九割
正面で淡々とやかましいナレーションを垂れ流すテレビのニュースを見て、感じるものがあったのだろう。
「なんで問題って、なくならないんでしょうね」
大病院の待合室。ソファーに腰掛け検査結果を待つ男に、傍らに座る小柄な少女はぽつりとそんな事を問い掛けた。
男は正面を向いたまま無表情を装い、どの話をするべきかと逡巡する。
彼女は確か十三か十四か。この年代の子は世界が綺麗なものではないと理解し始めた一方、その幻想をまだ捨てきれない境目にいる。
天秤のバランスは非常に危うい。微細な傷で大きく傾く。
『真実』を言うべきか。いや、『真実』は切れるほどに切れすぎる。この歳ごろの子供には特にだ。『真実』の鋭利なナイフは、彼女の心に一生消えない傷を残すだろう。『真実』を『正解』として思い込み、心に刻み込んでしまうだろう。天秤は、大いに傾きかねない。
――やはり綺麗な言葉でペテンを騙ろう。そうだ、それがいい。俺によし、お前によしだ。お前好みの言葉を上手く整えて調理しておいしくごちそうしてやろう。
――だが待て。それは、不誠実が過ぎるのではなかろうか……?
男はちらりと少女の横顔をみやる。彼女の顔には曇りのない疑問に対する好奇心があった。
(……真剣そうだな)
動機は気まぐれの善意と、ほんの少しの悪意。それが男の唇を動かした。
「そりゃあ、間違ってるからだろ」
「間違ってる?」
「そうさ。問題ってのはそもそも間違うから起こる。正しい対処をすれば問題は起こらない。部品を繋ぐネジはまっすぐ回して締めるもんだし、傷口の治療はしっかり消毒してからガーゼを被せるもんだ。いわば原則って奴だ。こいつを守らないと部品や傷口はどうなる?」
「部品はどこかでバラバラになるし、傷口は化膿して大変なことになりますね」
はきはきと少女は答えてみせる。男はその通りだと頷き、続きを語る。
「そうした原則破りを力のある人間が率先してやっているのが今の世の中だ。国のリーダーや大企業の社長とか、宗教の教祖とかクリエイターとか武術の達人とか他にも色々あるが、まぁ、あらゆる分野でトップを行く能力ある強者達がだ。だから問題が増え続ける」
「でも彼らだって人間です。優れた人でも間違いをおかしますよ」
「そうだな間違える、人間だから。けどその影響力が強すぎるのが問題だってことさ」
「どういうことなのでしょう?」
「そうだなあ……。あれがそのいい例かな」
といって男はテレビを指刺す。民族紛争とテロの問題。それらが一向に潰えないのは大国が安全保障の名目で行ってきた紛争と外交政策が大元の原因――そう報じていた。
「悲惨ですね……」
「上に立つ人間が間違うとその影響力も大きい。取り返しのつかない大きな問題になる」
「でも、解決しようと頑張っている人達もいます」
「その解決の仕方や方法が間違っていて、新しい問題を生む原因になっているとしたら? 現にその方法が間違っているからなんじゃないのか、世の中から問題がなくならないのは」
少女は反論の言葉が見当たらず、しゅんと押し黙ってしまう。
それとも無意識に強い口調で威圧してしまっていたか。
どうフォローしようかと男は少女を横目に眺めていたが、
「……なくならないんでしょうか。……無理なんですか、絶対に?」
すがるような目を向け、必死の表情で問い掛けてきた。だがどこか詰問するような硬さもある。気持ちは折れていないようだ。なら『真実』を語り続けよう。
「無理じゃないし絶対でもない。ただみんな答えを知らないだけさ。間違いを起こさないで済む本当の答え――『正解』って奴をな」
「それは――どこかに行ってしまったんですか?」
「そうだな。どっか行っちまったんだろう。間違いばかり起こす人間に愛想をつかしてな」
「そうですか……。じゃあ、私が病気なのも、間違ったせいなのかなぁ」
少女はか細く呟き、ずんと力無く俯く。言葉にあるのは諦めと怒り。大病を患ったという運命の理不尽を、目に見えない存在を呪うことで諫めているふうに見えた。
「悲観すんな、病気は治せる答えがある。近いうち手術なんだろ? せいぜい成功を祈れ」
「はい。せいぜい祈ります」
返事は明るかった。が、無理をしているのは分かる。空元気に違いない。彼女の病気は難病の類だ。生きることに絶望してしまうほどの。治療法はあるが適合するドナーが必要で、手術にこぎ着けるまでのハードルは高い。例え手術に成功しても完治せず再発の可能性もある。
――ガラにもない。元気づけてやろうなんて。
胸の中でやれやれと空を仰ぎつつ、男は少女の頭にぽんと掌を乗せた。
「もし、今すぐ病気が治るとしたらどうする? 不可能を可能にする魔法のような力で。そいつは世界じゅうの問題だってたちどころに解決できるすごい力だ。手にしたいと思うか?」
「そうですね……。欲しいと思うかも知れません。あらゆる手段を尽くしても駄目なら、すがってしまうかもしれません。病気だけじゃなく、世界から問題もなくなって、誰も傷つかない優しい世界がやってくるのなら。けどそんな力、あるわけが――」
「あるとしたら?」
真摯な声で投げかけた。とたん、少女の瞳孔がくわと開く。彼女の澄んだコバルトブルーの瞳が男の目の奥――心を覗くよう問い掛ける。真か偽か。見極めるように。
目を逸らさず真剣に、男は視線を受け止める。少女の表情に、まさかと言葉がよぎった。
「……もしかして、あるんですか?」
真面目な顔を取り繕うのもそれが限界だった。
「フハハハ、あるワケねえだろ! そんなの都合よすぎだろうが。真に受けて。ウソだよ」
からかわれた――。そんな言葉を顔に躍らせ、少女は拗ねたよう頬をふくらませる。
「悪質すぎます! ぶうっ、明日ともしれない病人をからかわないで下さいっ!」
「俺の故郷じゃ嘘に騙されると病気が治るって風習があるんだ。病気が『嘘』になるってな」
「え、そうなんですか」きょとんとして言う。
「ウソにきまってんだろ。またほいほいと騙されやがって、アホ。ちょっとは疑え」
「ぐぅっ! ヒドイです、死んだら化けて出てやります、呪ってたたってやりますっ!」
「ハハハ、そりゃごめんだ。じゃあ俺も呪いをかけてやろう。病気が治る呪いをな」
「呪いなのに治るって、意味がわかりませんよ」
男は答えず微笑み、ぐしぐしと少女の頭を撫でる。すると彼女はくすぐったそうに目を細め、気持ちよさそうにくぅとのどを鳴らした。
まるで子犬みたいだなと思ったが口にはしない。彼女は貞淑で控えめだが誇り高い性格だ。以前冗談まじりに「しぐさや性格が犬に似ているよな」と言ったら、失礼だと凄んで怒られた。
話を切り上げようとした直後だ。院内の雑踏を掻き分けるよう院内アナウンスが流れ、男の名を呼び上げた。
「おっと、検査結果が出たようだ。それじゃ、一足お先に。また明日」
「はい、ごきげんよう。また明日」
※
男の後ろ姿を見送った矢先だった。
「姉さん」
呼ばれて振り返ると、しかめ面を浮かべる双子の妹の姿があった。
母も一緒だ。そういえば今日は二人が見舞いにくる日だったと少女は思い出す。
「まったくもう、手術も近いのにこんなところで。お体に触りますよ、部屋に戻りましょう。いま車椅子をもってきますから」
「うん。ありがとう」
行き交う人混みのただ中に消えていった妹の背中を、母とともにしばらく目で追う。
「なにをしていたの?」少女の顔を覗き込んで、母がにこりと訊ねる。
「ちょっと知り合いの方と話をしてまして。ほら、あの方です」と言って男のほうを指さす。
「……あれ?」
先ほどまでそこにあった姿が見当たらず、少女は首を傾げた。
それほど足早でもなかったはずだが――。
「あれ? おかしいなぁ。さっきまでそこにいたのに」
噛み合わない状況に、なんでと首を傾げたところだった。
喉の奥から込み上げるものを感じ、大きくむせ混んだ。
視界が赤く染まり、上下の感覚が消え失せる。世界がぐにゃりと歪み、自分がどこにいるかさえ分からなくなる。寸断する意識のさなか硬い感触を肌に感じ、床に倒れ込んだのだという事は実感できた。
周囲のどよめきのなか、ひときわ大きな声で必死に自分の名を呼び続ける母と妹の声も。
死、ぬ――。
――いやだ、死にたくない。
――まだ生きたい。呪いでもいい。自分をこの世につなぎ止めてくれるのなら、たとえ……。
認識に幕が落ちる。
意識が途絶えた。
何も、感じられなくなった。
ふわっとした感じで適宜てきとうにお送りしていきたいと思います。
ご意見、感想。良い悪いに限らずお気軽にコメントどうぞ。