盗賊ギルドの内乱 ~リルドさんの場合~
血の臭いが薄れゆくと共に、季節は巡っていきます。一番雪と寒さが激しい頃は、1つの穴が開いてしまったようだった盗賊ギルドも、雪が溶けはじめみんなが靴を濡らしてギルドの扉をくぐる頃には、だんだんと元の賑やかさを取り戻していきました。ダルムさんがいなくなったのに非情な、と言うのは酷な話です。盗賊ギルドの処罰でいなくなるギルド員もいれば、言い逃れできないような盗みで憲兵に捕まってそのまま処刑されてしまうギルド員、冒険者として戦いに身を置くうちに命を落とすギルド員……盗賊ギルドに所属している限り、こうした別れは何度も訪れるのですから、あたし達はそのたびに立ち直らなくちゃいけないんですから。
それに、ダルムさんは完全にいなくなったわけじゃありませんでした。ココットおばあちゃんの伝手を辿って、物乞いや靴磨きをしながらいくらかの情報を得て、ココットおばあちゃんに売ったりして、何とか冬を越したそうです。あたしも何度か街で会いましたけど、冬の間にそこそこのお金を貯めたらしくて、簡単な義足を着けていました。何でも「カードで遊ばなくなっちまったら、金が余って余って」だとか。
同じ義足のログロ爺さんのように両手が使えるわけじゃないですから、ギルドに顔を出すことは難しいですけど、他の物乞いの人が代わりに上納金を納めに来てくれることがあります。それに冬の間は厳しいですけど春になったら、みんなで外でカードゲームをする会でも開いてあげようかと、リュンスさん達何人かが計画しているんだとか。盗賊ギルドの掟で処罰されたとしても、その結果生きていればやっぱりギルド員のままです。こうやってみんな、新しい生活、新しい関係にだんだんと慣れていくんでしょう。
――そう、思っていました。
まるで子どもが遊びに使う小さな木の玉が、転がってぶつかって思いもよらない軌道を描くように――ダルムさんがローレム・ディバルドさんとかいう準貴族の人を殺したのが始まり? いいえ、それすらも1つの動きに過ぎなかったんです。
でもあたし達はまだ、次に起こる事件とダルムさんの事件が関係あるなんて、思ってもみませんでした。次の事件が起こっても、まだ――。
まだまだコートが必要な季節ですし、昼の間に雪の溶けた道は夜になると凍り付いてつるつる、気を付けていないと転んじゃいますけど、それでも塀の上から突き出て膨らんだ木の芽に、もうすぐ春なんだなぁって心がほくほくしてきます。抱えたパエリアの包みもあったかくて、その上美味しそうな香りがしてくるのでほくほくしてるのもありますけど。
そのほくほく気分にちょっとだけ水を差したのが、パエリアを売ってくれたおばちゃんの話でした。
「そうそう、今日なんでも処刑があったらしくてね、官僚の坂道に向かう広場に首が晒されてるらしいわよぉ」
「やぁねぇ、首なんか晒したって誰も喜ばないのにぃ」
一瞬盗賊ギルドの誰かが、と思いましたが、だったら捕まった地点で情報が入ってきているはずです。貴族の情報屋にレオンディールがいるように、憲兵の中にも情報屋がいますし、そういう重要な話はココットおばあちゃんが全員に広めるはずです。
よっぽどの重罪で、即座に処刑されたんじゃなければ、ですけど。
とりあえずあたしは広場を通らない道を歩いて、銀の箸亭へと辿り着きました。
だけど――扉を開けた途端、あたしは何か良くないことが起きたんだと知りました。ギルドの空気が、明らかにいつもと違ったんです。いつも賑わってはいるんですけど、今日はそんな暖かなものじゃなくて……ざわめいている、というのが的確でしょうか。
「アリカ先輩!」
がたんと受付の椅子から立ち上がったのは、ベルンちゃん。その横で顔を上げて「あ、アリカちゃん」とちょっと元気なく言ったのはユメちゃんです。挨拶も忘れた様子の2人に、あたしも思わずこんばんはも言わずに「一体どうしたの?」と尋ねていました。
「えっと……」
「あの、王宮に……」
2人が同時に口を開いて、思わず顔を見合わせます。どうぞ、というようにベルンちゃんがユメちゃんに軽く頭を下げて、頷いたユメちゃんが口を開きます。
「王宮に忍び込んだ賊を処刑したってことで、官僚の坂道への広場に首が晒されてるんだけど……」
「うん、首が晒されてるのだけは知ってる。来る時に聞いたわ」
「そっか、賊の正体は、知ってる?」
「ううん、そこまでは」
「そっかぁ……」
あたしの言葉に頷いたユメちゃんは、少し言い淀んでからきゅ、と唇を引き締めて、再び口を開きます。
「その賊っていうのが、リルドさんと所属してた冒険者パーティのみんななの……」
「っ!」
脳裏にリルドさんの姿が浮かびます。初めて盗賊ギルドを訪れたとき、時折上納金を納めに来て軽い世間話や冒険の話をしたとき、そして一番最後に見た、ダルムさんの処罰が行われる前に慌てて出て行った姿。あれが最後に会うリルドさんになるなんて、あのときは思いもしませんでした。
「なんで、リルドさん達は王宮に?」
「それはわかんない……ココットおばあちゃんなら、知ってるかもしれないけど」
「ココットおばあちゃんは?」
あたし達の話を頷きながら聞いていたベルンちゃんが、個室を指し示します。
「レオンディールさんが来たときにココットおばあちゃんが呼んで一緒に個室に。きっと話を聞いてるんだと思います」
「そっかぁ……」
レオンディールがこんな時間に盗賊ギルドを訪れるのも、相当珍しいことです。恐らくは、王宮であったことを伝えるために、ココットおばあちゃんがいる夜を選んだんでしょう。
最初に思いついたのは、リルドさんが追っていると言っていた邪術士のことでした。でも、その邪術士が王宮に入り込んでいる? だとしたら王宮に潜入した理由はわかるけど、王宮に忍び込んでの暗殺なんてほとんど不可能なのに、どうして強行したんでしょう? わからないことだらけのまま、あたしはベルンちゃんと交代して受付の椅子に座ります。
ダルムさんの殺人と処罰、そしてリルドさんの死。少なからず付き合っていたリルドさんの死に胸が締め付けられるのもありますけど、続く不吉な出来事に、何だかまだまだこうして事件が続くような予感が胸の中を渦巻いて仕方ありません。
だけど、いつものように仕事をして、いつものように上納金を払いに来る人はやって来ます。今だってほら、扉が開いて誰かがやって来ますから。
あたしはまた、いつもの笑顔を心がけて口を開きます。
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」
「何があったんだい?」
扉をくぐってすぐにそう言ったのは、デュオンでした。あたしが上納金を受け取りながらリルドさんのことを話すと、「妙だな」と首を傾げます。
「それだったら広場での公開処刑でもおかしくないが、そういう話は来てないんだろ?」
「勢い余って殺しちゃったんじゃないの?」
「確かリルドさんは5人パーティだっただろ? 全員?」
「うーん……」
確かにデュオンに言われてみれば、ちょっと妙です。腕の立つ相手だったら生け捕りに出来なくて殺しちゃうこともありますけど、王宮だったら押さえ込みに特化した大盾の衛兵だっているはず。1人でも生け捕りにしていれば、処刑が行われるはずなのに、それがなかったというのは――確かにおかしいです。
「たぶんその辺り、ココットおばあちゃんがレオンディールから詳しい話を聞いてると思うんだけど……」
そこまで話したところで扉が開き、思案顔で部屋の奥に行ったデュオンを見送って、あたしは次のギルド員の上納金を受け付けます。やっぱりおかしな雰囲気に気付いたギルド員に、何があったのかを説明しながら。
みんな、ココットおばあちゃんやレオンディールから詳しい話が聞きたくて、待っているみたいです。正直あたしも、誰かに説明してほしい気持ちでいっぱいでした。
ですけど――レオンディールは個室から出て来ると、ちょうど帰って来たギルド長を個室に呼んでそのまま急いで帰途に就き、ココットおばあちゃんの方は今度はギルド長と個室にこもって、結局朝になってあたしがハレスくんと交代するまで、出て来ませんでした。
そして、あたしはそれから数日間、家に帰ることができませんでした。
一緒に上がったデュオンと一緒に銀の箸亭で朝ご飯を食べていたところで、高らかなノックの音と共に入って来た憲兵が、こう告げたんです。
「国王陛下崩御による戒厳令のお達しだ。これより戒厳令解除まで、外に出た者は即座に反逆者として処断する」
国王陛下崩御、と聞いて、あたしとデュオンは思わず顔を見合わせます。今の王様は確か40代半ばだとか、それが病気だとも聞いていないのにいきなり亡くなるのは不自然です。
憲兵は1人で何軒も家を回らないといけないのか、すぐに出て行きます。そして勝手口からは慌てた様子で、物乞い達が入って来ました。今までも戒厳令が敷かれたことはあって、そのときは家に帰るというわけにもいかない物乞い達は、とりあえず銀の箸亭に避難してくることになっています。ダルムさんが来られるかどうか心配だったんですけど、物乞い仲間が2人ほど手を貸して、急いで銀の箸亭に連れ込みました。何とか椅子に座り込んだダルムさんが、荒い息の下からあたしとデュオンに「よ、久しぶり」と手を振ってくれたので、あたし達も「無事で良かったわ」と思わずほっとして笑みが出ます。
マスターが肩を竦めて、営業中になっていた看板を休業中に変えます。「ちょっと扉開けただけで睨まれたよ」と言いながら食材の確認を始めるマスターを尻目に、あたし達は食事を終えて、とりあえずギルドに戻ることにしました。
「王様が亡くなって戒厳令だって、外に出ないようにですってよ」
盗賊ギルドの誰かが間違って外に出たら大変ですから、あたしはそうみんなに聞こえるように声を掛けます。一瞬の沈黙の後、わっとざわめきが駆け抜けます。その中であたしは、ココットおばあちゃんが戻ってきていることに気付いて、急いでココットおばあちゃんの元に駆け寄ります。
ココットおばあちゃんはあたしの戒厳令という言葉に、ゆっくりと頷いていました。隣でギルド長が、硬い表情で佇んでいます。
「ねぇココットおばあちゃん、話せること、ある?」
「そうねぇ、レオンディールやリルドの話と、あたしの推測が入った話になるけど……」
盗賊ギルドを覆っていたざわめきが、ぴたりと止みました。ココットおばあちゃんが、ゆっくりと口を開きます。
「そもそもの始まりは、ワイザリック自由都市にウォーレンスの工作員である邪術士が入り込んだことから始まるらしいのよ……」
長い話になりそうだ、と思ったとき、あたしの座った椅子の背に手がかけられました。振り向けば、デュオンが背もたれに手を置いて、真剣な面持ちで話を聞いています。
後ろにデュオンがいるということだけで、あたしは緊張した心が少しだけ、ほっとするのを感じました。
ココットおばあちゃんの話では、邪術士――とても綺麗な女性だったそうです――の工作によって混乱したワイザリック自由都市で、彼女を倒そうとしたのが、リルドさんの冒険者パーティだったとのことでした。ですがリルドさん達は邪術士をワイザリック自由都市から追い出すことには成功しましたけど、そのときに彼女が、ウォーレンスの工作員であることを知ってしまいました。そして邪術士の行方を地道に追っていくうちに、次の狙いはクレドランスだということ、そしてクレドランス城下町に辿り着いたらしいということをも知ったんです。
ですけど、さらに邪術士は一枚上手でした。その美貌を生かして、なんとクレドランスの王様の愛妾として、後宮に入り込んでいたんです。ある貴族の記憶を操作して、その養女として後宮入りするという念の入れようでしたし、さらに王様の傍仕えであるディバルドさん――ダルムさんに殺された人です――が王妃様に気を使って、愛妾になった邪術士が表立ってパーティなどに出る機会や政治に口を出す権力を与えないよう諫言していたので、ココットおばあちゃんの情報網にも引っかからなかったと、ココットおばあちゃんは悔しそうな顔で言いました。
けれどその状況が、ディバルドさんの死で一転したんです。
ディバルドさんの諫言によって押さえ込まれていた邪術士が、ディバルドさんが亡くなった途端に王様を言いくるめて政治の場に顔を出したりし始めたので、邪術士の特徴を聞いていたレオンディールが、もしかしてと思ってココットおばあちゃんに伝え、ココットおばあちゃんがリルドさんに伝えたんだそうです。既にワイザリック自由都市の混乱を見ていたリルドさん達は、同じことをクレドランスで繰り返さないようにと、急いで王城に忍び込むことを決めたのでしょう。もしかしたら、王政のないワイザリック自由都市の権力者の家に忍び込むのと同じ感覚だったのかもしれないわね、とココットおばあちゃんは少し眉を寄せて呟きました。それにいくら無謀だったとしても、自分達がやらないといけない、と気負った結果だったのかもしれません。
ココットおばあちゃんから話を聞いた時は、王様の死についてはまだ情報が入って来ていないとのことでしたけど――おそらくはさきほどの冒険者は暗殺者であり、王様は彼らによって殺されたと公表されることでしょう。本来ならば暗殺なんてことが知れたら混乱が起きますから、しばらく隠しておいて病死ってことにしたりするそうですけど、今回逆のことが行われたのは、きっと邪術士がクレドランスを混乱させるつもりだからです。そして、その目的は――おそらく、ウォーレンスによるワイザリック自由都市とクレドランスへの侵略。そう、ココットおばあちゃんが言った瞬間、静まり返っていた盗賊ギルドにみんなの呻くような声が響きました。
侵略戦争。
城塞国家ウォーレンスと、竜の国ドラゴニコンの間には、何度かお互いに侵略戦争が行われているとのことです。ですけど小国のクレドランスは、長い間平和に過ごしていたのです。軍隊だってそんなに強くないし、何より王様の死で混乱している今攻め込まれたら――折悪く、というかこの機会を狙っていたからでしょうけど、ウォーレンスとドラゴニコンの間には休戦条約が結ばれている、ってココットおばあちゃんは言っていました。
このクレドランスの街が、軍靴に踏み荒らされるんでしょうか。美しいクレドランスの王城が、朝焼けや夕焼けではなく炎に燃やされるんでしょうか。それだけじゃなく、街が炎に包まれて――物語の本に書いてある戦はそういうものでしたけど、それがこのクレドランス城下町に降りかかるなんて、現実味のない想像でしか考えることができないんです。それでもあたしの体が、小刻みに震えだすのがわかりました。
震えているのは手だけかと思いましたけど、きっと体中震えていたんでしょう。あたしの肩に、そっと手が置かれます。あたしより少しだけ大きい、デュオンの手。その手も少しだけ震えていた気がしたのは、あたしの震えが伝わっただけなのか、それとも。
ギルド長が、ゆっくりと口を開きます。普段とは全く違う、重々しい口ぶりで。
「ウォーレンスの侵略より先に、まず王城が混乱するだろうね。国王が世継ぎを決める前に亡くなったんだ……それを狙っていたんだろう、その邪術士とやらも恐ろしい女だね」
それからあえて作ったような軽い口調で「どっちにしろ、僕達は外に出られやしないけどね」と肩を竦めてみせました。ギルドの部屋に響いたのは、みんなのどこか力ない笑い声でした――。
王城の混乱。それを反映するように、戒厳令は何度も解かれ、また発令されました。最初は家にいたギルド員達も、情報や安心を求めてギルドに集まって来たので、あたし達は銀の箸亭の食糧を調達するため、戒厳令が解かれるたびに街中を駆け巡りました。まだ春の収穫前なので、農村からの食糧が秋のうちにあらかた食料品店に運ばれていたのは、クレドランス城下町の誰にとっても不幸中の幸いだったでしょう。レオンディールや憲兵の中のギルド員も、戒厳令の合間に情報を持って駆け付けてくれます。
亡くなった王様は、王子様と王女様合わせて4人のお子様を残していました。あたしも初めて知ったんですけど、クレドランスの王位って、王様が一番優秀だと思ったお子様を指名して継がせるんだそうです。でも、それが準備されていなかったせいで、4人のお子様全員が自分が王位につくべきだと主張したらしくて……1番下の王女様は10歳にもならないそうなんですけど、お付きの人達とかが放っておかなくて、王位を巡る争いに巻き込まれてるらしいんです。時折盗賊ギルドに顔を出しては弟妹の元に戻っていくナナリちゃんが、すぐ下の双子の弟妹と同い年なのに、って切なそうに呟いていました。
ただ1つの朗報は、あの邪術士が王位争いのどさくさで捕えられたってことでしょう。もっとも処刑されそうになったところを、魔法を使って逃げ出したってレオンディールから聞きましたけど……レオンディールもどのお子様に協力するかだとか、いろんなごたごたで大忙しらしくて、顔を出すたびにこけていく頬が随分痛々しげでした。
さらに心配なのは、ダルムさんの姿を見かけなくなったことです。最初の戒厳令の時には銀の箸亭に来てたんですけど、邪術士が逃げ出したと聞いたのと同じ頃から、戒厳令が出ても姿を見せていないんです。他の物乞いに聞いても見かけていないって言いますから、戒厳令にうっかり引っかかって、処刑されたりしょっ引かれたりしていないか不安で仕方ないんです。
そんな中でも受付はベルンちゃんやハレスくんと交代で、普段通り必ず誰かが付いているようにしています。ギルド員が上納金を納める機会はがっくり減りましたけど、その代わりに情報を買いに来る人が多くて、流石のココットおばあちゃんも倒れそうになったんです。その結果、情報屋のみんなに情報を共有してもらって、全員が王城や城下町の情勢については一通り話せるようにすることになりました。
忙しさで目が回りそうな情報屋達とは逆に盗賊達にとっては、繰り返される戒厳令のため街のみんなが外出を控えるので「仕事」が出来ないのが苦しいところです。ギルド長が銀の箸亭のマスターに代金を払って、客室と食事を確保してくれましたから、寝るときは交代じゃなきゃいけないくらいしか不自由はないんですけど、人によっては1日1回くらいは盗みをしないと落ち着かない、なんて人もいますし、そうでなくても銀の箸亭にただいるだけの生活は、確実にみんなの心を苛立たせています。普段はあまり起こらない喧嘩も、カードゲームのルールがどうだとか、誰がベッドで長い時間寝ていたとかで1日に2、3回起こることすらあって、仲介に入ることの多いリュンスさんやデュオン、ギルド長も傷を作ったり、だんだんと疲れて来たりして、時にはリュンスさんやデュオンさんまで喧嘩に加わることまで……ギルド長に面と向かって喧嘩を売らないくらいの理性は、流石に何とか残ってるんですけど……。
街の人達も、長く続く不安な状況にだんだんとピリピリしてくるのがわかります。あたし達が銀の箸亭の買い出しに行く時は、かなり大量の食糧を買いこまなきゃいけません。それで在庫が足りなくならないか不安になったのでしょう、後ろに並んでる人達から怒られて、時には殴りかかられそうになったこともあります。そのときは何とか逃げ出して、それから買い出しはいくつかのお店に分けて行くことにしました。
殴りかかった街の人に、あたしは怒ることができません。みんな苛立ってるのも、不安なのも、同じなんです。これだけ何度も発せられる戒厳令、王城から聞こえてくるきな臭い噂。そして徐々に広がっている、ウォーレンスの軍隊が攻めてくるという噂。どれも努力したって解決できないからこそ、みんないらいらしてるんです。その上状況は、悪くなるばかりなんですから、なおさら。
けれど、事態はまた、思いもよらぬ速さで動いたんです。ウォーレンスの軍隊が、いよいよ動き出したのをきっかけに。
滅びるかもしれない国を前にして、お子様達のうち3人――というよりはその取り巻き達が、王位争いを放り出したんです。早速亡命する貴族も多く、第1王子様もドラゴニコンに亡命したとレオンディールから聞きました。その中で投げ出さず即位したのは、結局第3王子様でした。
それに安心する間もなく、今日はどこの領地が落ちた、こっちの鉱山はとっくに敵に取られて採掘が始まっている、なんて情報が次々に入ってきます。とりあえず戒厳令が解かれて、みんなが外を歩けるようになったことだけが、とげとげしい日々の中でありがたいニュースですけど、出かけるべき街が侵略の危機に晒されてるんですから不安なのは変わりません。
けれど、ただ不安に苛まれている日々は、唐突に終わりを告げました。
「アリカちゃんっ……ぎ、ギルド長を呼んで……!」
――レオンディールが1通の封書を手に、ひどく慌てた様子で盗賊ギルドに駆け込んだのは、軍隊がクレドランス城下町から5日ほどの距離に迫った日のことでした。