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盗賊ギルドの恋愛 ~レオンディールとユメちゃんの場合~

 太陽の復活祭の翌日である元旦、長い長い宴会と太陽への祈りを終えた人々は、ひどく満ち足りた気持ちと人によってはひどい二日酔いと一緒にベッドに入り、夕方まで深い眠りにつきます。あたしなんかは夕方にベッドから起きるのが大変で、次の日の朝まで寝ていたいくらいなんですけど、それでも起きるのはお城で素晴らしいお祝いがあるから!

 一張羅のフリルのついたケープコートを羽織って、太陽が山の端に近付く頃、あたしはアパートから外に出ます。今日ばかりはどこのお店もお休み、なのに道はお洒落した人でいっぱい。あたしも人の波に乗っかって、商店街から官僚の坂道を通ってお城に向かいます。お休みの看板がそこかしこにかかった商店街や官僚の坂道は、人こそ多いけれど調理の煙もなくていつもよりひんやりしている気がします。宴会の料理が尽きてから何も食べてないお腹の中が冷たい空気だけになってくぅくぅと鳴っていますけど、きっとそれは道行く人誰もが同じ。でも家で食べてくるなんてもったいないことはしません。だってお城では、素晴らしいご馳走が無料で食べられるんですもの。

 ――さて。

 今日ばかりはお城では何でも無料で楽しめます。ですからお財布を置いてくる人も多いんですけど、反対にポケットに入れっぱなしにしてる人も多いんですよね。スッてもその人がお城で困ることはないし、人々も浮かれていますから、あたし達盗賊にとっては罪悪感も少ないし、なかなか素敵な稼ぎ時です。あたしもちょっと、最近やってないから腕を試しておこうかな……。

 ちょうど前を歩く男の人の、コートのポケットが僅かに膨らんでいます。コートはでっぷりと太った体型にぴったりですからきっとオーダーメイド、お財布の中身もなかなか期待できそうです。

 すっと足を速めて、追い抜きをかけます。幸い男の人の足はあまり速くなくて、色んな人が追い抜いていきますから、あとから疑われることもなさそう。

 軽く体をぶつけながらポケットに手を伸ばして財布を抜きます。抜いた財布はすぐにゆったりしたコートの袖に隠して、そのままこっそり自分のポケットへ。ここで振り向いたりなんかしませんけど、男の人が全く気付いてないのは気配でわかります。……うん、あたしの腕も鈍ったってわけじゃなさそうです。油断してたらナナリちゃんやベルンちゃんに追い抜かれ……いや、もうあの2人はあたしなんかとっくに追い抜いてると思いますけど。何せこなしてる数が違いましてね……そういえばナナリちゃんは、すぐ下の双子の弟と妹を、賢神の教会でやってる初歩学問の教室に通わせてあげれるんだって喜んでました。ウェイトレスのお給料だけならナナリちゃん合わせて7人の兄弟が生きていくのでやっとでしょうから、かなりスリで稼いでるはず。いやあ、半年もしないうちに、たくましく育ったものです。

 さて。腕が鈍ってないことと、後輩が頑張ってることを確かめていい気分になったところで、そろそろクレドランス城が見えて来ました。小高い丘の上にあって、城壁も外壁も白で統一されているのは、太陽の光を何よりも美しく跳ねさせるため。人の波に合わせてゆっくり来たので時間はそろそろ夕方、漆喰を使わずに高価な白石を積んで作られた外壁は、夕焼け色にどんどん染まっていきます。まるで壁が、自分から優しい赤に光っているみたい。

 いつもは王族とお城で働く貴族や下働きの人達しか通れない城門は、今日は大きく開かれています。そして城門を入る前から僅かずつ漂って来て、城壁をくぐった途端ふわんと濃くなるいい香り!

 普段は兵士達の訓練に使っているという広い広い広場、そして雪の積もった庭園、その一面に冷たくならないように小さな火で炙っている料理の皿が並んでいるんです。奥の方では牛や豚、羊が何頭も丸焼きにされ、庭園にある五つの噴水では、それぞれ赤ワイン、白ワイン、蜂蜜酒、果実酒、それに特産の林檎のジュース、が噴き出していて、いくらでも飲んでいいんです。ここではちょっと辛めの白ワインよりも、甘い蜂蜜酒や果実酒があたし好み。……ええ、うん。子どもみたいな舌だ、とは自分でも思ってるんですよ。でも美味しいじゃない、甘いお酒。お酒を楽しみすぎて酔っぱらったら、林檎のジュースでのどを潤すのがお薦めです。

 今日ばかりは貴族も物乞いも、同じ皿から料理を分け合い、同じ噴水からお酒を汲んで飲むんです。夜になるとお城の中では舞踏会が開かれて、これも二階のバルコニーから誰でも観覧できるんですよ。舞踏会で踊る貴族の人達は、夕方のうちにたっぷり食べておくことが多いとか。……と思ったら、あそこでじゃが芋とベーコンのチーズ焼きを摘まみながら、片手に豚のあばら肉を持って交互にかじっているのは、レオンディールじゃありませんか。

「レオンディール、こんにちは!」

「……っと、アリカちゃんかぁ。こんにちは」

 慌てて振り向いたレオンディールは、あたしの顔を見てほっと息を吐きました。

「あら、あたしで良かった? それともがっかり?」

「良かったに決まってるじゃないか。せっかく貴族が少ない端の方だからこんな風に食べられるのに、母に告げ口しかねないおばさま方なんかに見つかったら台無しだよ」

 そう言いながらレオンディールは、手掴みにした豚のあばら肉から、肉を食い千切って幸せそうに頬張ります。確かに貴族のご子息と言うには、あまり相応しくない仕草ですけど、そうしているレオンディールはそりゃもう幸せそうなんです。

「あぁ美味しい。アリカちゃん、信じられる? うちの母は『下品なこと』っていうのがとことん嫌いでね、母によれば『食べたいものを食べたいだけ食べて、お酒を飲んで途中で眠るなんて下品ですわ』ってことでね、うちの太陽の復活祭の宴会ってばコース料理なんだよ」

「ええ!? 話に聞いちゃいたけど、随分厳格ね」

「本当にね。王様の宴会だってここまで堅苦しくはないだろうってくらいだよ。あのソースで絵を描いたちょっぴりの串焼肉やら、繊細なデザートやら、お酒だってちょびっとしか注いでもらえないしね。父は母にぞっこんだから我慢してるみたいだけど、僕の代になったら是非無礼講の宴会に切り替えたいところだよ」

 肩を竦めてレオンディールは、白いソースとチーズがたっぷり絡んだじゃが芋とベーコンをたっぷり皿からスプーンで掬ってぱくり。「うん、これは美味しいよ。アリカちゃんもどう?」と勧められたので一口いただいてみたら、牛乳とバター、それにチーズの香りが口の中に一気に広がって、じゃが芋はほっくほく、ベーコンも燻製の香りがしっかりとついてすごく美味しくて、もう口の中がとろけちゃいそうです。

「本当だわぁ美味しい!」

「でしょー。もちろん全部美味しいんだけどさ。この宴席はうちの国が一番誇れる文化だよまったく」

 既にレオンディールは結構食べ歩いているみたいで、美味しい料理がどこにあったか教えてくれます。そうやって宴席をうろうろしながら話し込んでいるうちに、ふとレオンディールがあたしの左薬指に目を留めました。

「あれ? 新しい指輪?」

「うん。太陽の復活祭のお祝いに、デュオンからもらったの。あ、そうそうレオンディールにもちょっと用意したんだけど、ごめんねここで会えると思ってなかったから、次に来た時に……どうしたの、レオンディール?」

 話を聞いていたレオンディールが笑いをこらえているような顔になったので、あたしはちょっとムッとしながら尋ねます。レオンディールは「デュオンも大変だなぁ」なんて聞こえないように呟いたつもりらしいですけど、あたしの耳にはばっちり入ってました。

「どういう意味よ?」

「え、聞こえてた?」

 いやーもうしっかり。普通の人には聞こえるか聞こえないかギリギリかもしれませんけど、盗賊の耳をなめちゃいけません。

「そっか、ごめん……くくくっ」

 ついに忍び笑いを漏らしてから、レオンディールはニヤニヤ笑いを浮かべたまま口を開きます。

「あのね、貴族の間では、指輪を渡すのは求婚の作法の1つなんだ」

「へーそう、きゅうこん、きゅうこん……求婚!?」

 冷たい口調で相槌を打っていたんですけど、言葉の意味を理解した途端にぱぁっと顔が熱くなります。きっとあたしの頬は、真っ赤に染まっていることでしょう。

「そして求婚を受け入れたならば、その証にもやっぱり指輪を贈るんだ。そして婚約の証にその指輪は、お互いの左手の薬指に着けられるんだよ。ぴったりじゃないか」

「そ、そっそそそそそんな! これ、指輪だけど護符だし……」

 レオンディールがなおも何か言ってますけど、あたしの頭の中はぐるぐるよくわからないものが回っています。その中にあるのは昔の思い出だったり、最近交わした会話だったりばらばらですけど、共通点はどれにもデュオンがいるっていうこと。

 本当に小さい頃は、ちょこちょこ後を付いて回っていました。盗賊の技を教わる時は、あたしより何でも上手く出来て、あたしにも偉そうにアドバイスをくれるデュオンが嫌いになったこともありました。でもあたしがデュオンと違って読み書きや算数を主に学んで、ギルドの受付として抜擢された時、とっくに立派な盗賊であり稼ぎ頭の一人になっていたデュオンは、ようやくあたしを一人前に扱ってくれて、それが嬉しくて。それ以来あたしにとってデュオンは、頼れる兄貴分にして一番の友達、だったんです。だったんです、けど……。

「デュオンは、そんなこと知らないかもしれないわよ? いや、きっと知らないと思う」

 ようやくそれだけ言ったけれど、声が震えているのがわかりました。だってデュオンがあたしのことを好きだなんて、考えてもいなかったから。

 もしそうだとしたら、あたしは嫌なのかしら? ……嫌じゃない、かもしれないんですけど、今は考えられないって気持ちでいっぱいです。

「さぁ、ねぇ? まぁ偶然にしちゃ、出来過ぎだと思うけど」

 レオンディールのくすくす笑いを恨めしく眺めながら、あたしは何とか平常心を取り戻します。そしてふと、レオンディールの左手の薬指にも、光るものがあることに気付きます。

「ってことは、レオンディールも婚約してるの?」

「おっと、気付かれたかぁ」

 そう言ってレオンディールは、左手の薬指を示してみせます。あたしのものとは違う、真ん中の宝石が強調された作りの指輪。中心で輝く薄い青の宝石は、もしかして青の金剛石かしら。

「生まれた時からの許嫁でね。物心つくまでは何とも思ってなかったんだけど、結婚式まで顔も見ないってのが嫌で嫌でたまらなくって。だから舞踏会で探し出して、いろいろ話したりするようになった」

「へぇ……レオンディールもなかなか積極的なのねぇ」

「気が合わなかったら何としても断りたかったけど、幸いちょっと気が強いけど頭の回転が速くって、話していて飽きないんだよね。それに、優しいところもあるし」

 レオンディールの微笑みが、からかうようなものから優しいものへと変わります。今話してる女の子のことが、愛しくて仕方ないんだなって。

 デュオンがあたしを見るときの顔が、そういう優しい顔だったか……あたしには、わからないんです。レオンディールよりも、ずっと一緒にいる時間は長いのに。

「だから去年の春に、こっちから求婚したんだ。もちろん僕の贈った指輪は、今も彼女が着けてるよ」

 指輪を着けた手を軽く掲げてそう言ったレオンディールの顔は、とっても誇らしげでした。本来なら政略結婚であった結婚を、ぶち壊さないまま見事恋愛結婚に変えてしまったなんて――あたしと同い年のレオンディールが、急に大人に見えました。

 25歳。レオンディールももうすぐ結婚し、家庭を持つのでしょう。そして来年の春26歳になるあたしは、とっくの昔に嫁き遅れです――大抵の女の子は誰かから縁談を勧められて15歳から18歳で結婚しますけど、盗賊ギルドに育てられたあたしに、縁談を持ってきてくれるような親戚やおせっかいな近所のおばちゃんなんて存在しません。でもある意味でそれは、自由恋愛ができる身分ってこと。

 だけどまだ、デュオンが本当にあたしを好きなのか、そしてその気持ちにあたしが応えられるのか、いろんなことが信じられなくて。

 でも、レオンディールの話はとっても素敵でロマンティックだと思いましたから、あたしはそっと小さな声で囁きました。

(まるで盗賊ね。愛するお嬢様の心を、見事奪っちゃうなんて、ね)

 そう言うとレオンディールの顔が、既に暗くなりかけた空の下でもわかるほど、ぱぁっと明るく輝きました。同じく囁き声で、笑顔を抑えられない様子でレオンディールが口を開きます。

(ありがとう。それ、僕にとっては最高の褒め言葉だよ)

 そして豚のあばら肉を食べ終え、骨を骨受け皿に捨てたレオンディールは、「今日も舞踏会でその子と踊るんだ。同じ子としか踊らないから野暮って言われてるけど、一番可愛い子と踊りたいからね」と言って、軽やかな足取りで去って行きました。


(恋愛、かぁ……)

 小さく吐いた溜息は、白く染まって吐き出され、消えていきます。

(あたしはユメちゃんと、嫁き遅れ友達するはずだったんだけど……)

 ユメちゃんは、恋をしています。恋の相手は、恋愛詐欺師のギルド長。

 だからこそ本当に愛する女性は作りたくないというギルド長を、それでもいいと追いかけ続けているユメちゃん。

(そうだ、ユメちゃんは何かすごいことを元日にやるって言ってたけど……)

 どこでやる、と聞いてなかったことに気が付いて、もう終わっちゃったのかしらとあたしが悔しい思いをしそうになったところに。

 舞踏会の軽やかな音楽が、聞こえ始めた時のことです。

 歌声が、耳に届いたのです。音楽に合わせて、最初は小鳥が囁くように、けれど徐々に高らかに。

「それは偽りの愛 踊りの輪にくるくる回る偽りの愛

 それは本当の愛 心に秘めて誰にも見せぬ本当の愛」

 そこでぴたりと歌は止まります。けれど誰もが歌声の主を探します。そして目元を覆う鳥の顔を象った仮面を着けて、向けられた灯りにキラキラ銀色と七色に輝く派手な衣装を着て、薄赤色のマントを羽織ったのは――ユメちゃん!?

 ユメちゃんが立っていたのは、王城の尖塔の一つでした。確かに舞踏会をやっているから王城には入れますけど、一般人が入ってもいいルートは厳密に決められて、しっかりと見張りが付いています。それをどうやって潜り抜けたのか、あとで聞いてみないと……でもそれよりも、こんな大胆なことをやって、ついに捕まっちゃったりしないか、その方が心配です!

 今だって周りの衛兵達が、「あれが噂の夢の早足じゃないか!?」「捕まえたら報奨金だろ?」「でも、どうやって?」と言いながら、それでも武器を持って続々と駆け寄っているのです。

 けれどあたしの心配をよそに、ユメちゃんはくるりと尖塔のてっぺんで一回転してみせます。そうすると赤いマントに描かれているのが、日の出の光景だと良くわかります。

 そして向き直ったユメちゃんは、再び朗々と声を響かせます。今度は歌ではなく、語るように。

「偽りの愛、本当の愛、それが真実かは誰も知らない。あなたも、あたしも」

 すっとマントが広げられます。銀色の布で作られた裏地に刺繍されたのは、大きな赤い矢。

 赤い矢を放つのは愛の神。その矢に一度貫かれたら、想いを成就するまで辛い恋に悩まされ続ける。

 そう、まるでユメちゃんは――マントの裏地に描かれたその矢に射られたかのように見えました。

「ならばもっと確かなものをあげましょう。赤い矢よりも輝くものを。その気になれば、一夜の愛も買えるもの。本当の愛が手に入らないなら、それも悪くはないでしょう? 夢の早足、早足の夢、あなたも夢が欲しくない?」

 くるり、ユメちゃんが体を回します。今度はマントがなびくほど勢いよく、そしてなびいたマントから舞い落ちる金色の――あたしはユメちゃんが、急いで金貨を欲しがった理由に納得しました。

 そう、ユメちゃんはくるくる体を回しながら、金貨を振り撒き続けているのです。もちろんそれに気付いた人々はわぁっと駆け寄り、押し合いへし合いしながら金貨を懐に詰め込み始めます。

「おい、盗みに入ったんじゃないのか?」

「だが、今がいい機会だ、捕まえないと……」

 そう囁き交わす衛兵達も、まるで黄金の雨のように撒き散らされる金貨にちらり、ちらりと視線が泳いでいます。そして黄金の雨が止んだかと思えば、ふっとユメちゃんの身体は尖塔の屋根から消えていました。

「お、おい、消えたぞ!」

「飛び降りたか!? 風の魔法かもしれんぞ!?」

「捕まえろ!」

 衛兵達が我に返ったように走り出します。けれど金貨を拾う人達がなかなか避けてくれないみたいで、近付くのに随分苦労してるみたいです。頭の回る衛兵は、「いや、中に入ったのかもしれんぞ」と慌てて王城に駆け込んで行きましたが――おそらく尖塔の窓から飛び込んだなら、ユメちゃんが尖塔を駆け下りる方が速いでしょう。夢の早足の名は伊達じゃないのです。

 けれど、あの衣装を着てどうやって抜け出すのか――それを教えてくれたのは、ユメちゃん本人でした。

 ぽんと肩を叩かれて振り向くと、下働きのメイドさんのお仕着せに身を包んだユメちゃんが、手を振って去っていくところ。メイドさんの中にはお仕着せを着たまま家に帰る人もいますし、確かにゆったりとして露出のほとんどないお仕着せを着れば、すっぽりと怪盗の衣装は入ってしまいます。いくら退職するときにはちゃんと返さなきゃいけないお仕着せでも、故買商のエレカおねえさんに頼めば、一枚くらい出てくることもあるでしょう。

 偽りの愛。本当の愛。

 ユメちゃんの歌が、頭の中でまだぐるぐるしています。ユメちゃんの決して叶わない恋は、偽りなのか、本当なのか――まるでユメちゃんは、それを問いかけているようで。

 ふと、少し前に言っていたユメちゃんの言葉が、頭に浮かびます。

(ギルド長にね、プレゼントしようと思ったんだけど……断られちゃって。特別な女の子は作れないから、って)

 もしかしたら、ばら撒いた金貨は――もちろんそのお金全部が、ギルド長へのプレゼントのために貯めていたものじゃないとしても。

 一仕事終えたはずなのにユメちゃんの顔がどこか寂しそうだったと思うのは、そのせいでしょうか――。


(レオンディール、ユメちゃん……それに、デュオン)

 いろいろ物思ったり思い悩んだりしながらも、結局デザートまでたっぷり食べてしまって膨れたお腹を抱えて、あたしはちびちびと蜂蜜酒のコップを傾けます。お城の宴席といえど、高価なグラスをいくつも割られてはかないませんから、こうして使うのは銀の箸亭と同じ木のコップ。料理の追加もそろそろ終わって、お酒を飲みたい人以外はぼちぼち帰ったり、舞踏会を見に行ったりしている頃。噴水の近くにあるベンチに座る人もおらず、あたしはベンチを独占してぼんやり物思いにふけっていました。

 ユメちゃんが引き起こした騒ぎのせいか、一時だけ止まっていた舞踏会の音楽も、もう止まることなく流れています。酔っぱらった頭に、その音楽がくるくる、くるくる。レオンディールの笑顔が、ユメちゃんの歌が、それにデュオンの声がぐるぐる、ぐるぐる。

「ちょっとそこ、いいですかい?」

 そこに聞こえたしゃがれ声に、あたしは慌ててベンチの真ん中からすこし体をずらします。「ありがとうごぜえます」と言って腰を下ろしたのは、擦り切れかけた古着に身を包み、腰を深く曲げた物乞いらしきお婆さん……と、よく見たらココットおばあちゃんじゃないですか。

(まったく、お酒を飲みながら辛気臭い顔をするもんじゃないわよぅ)

 あ、とあたしが呟いたのが聞こえたのか、ココットおばあちゃんの声が耳に届きます。ココットおばあちゃんは職業柄か、話しかけた人にしか聞こえないような声を出すのがすごく上手なんです。

(おおかた恋のことでも考えてたんでしょうけどねぇ)

「へ!? あ、う!?」

(ほっほっほ、あたしも若いときは男を想って物思いもしたもんさ。こんな婆さんからじゃ想像も出来ないだろうけどねぇ……)

(……おみそれいたしました)

 囁き声で敗北を認めたあたしは、赤くなった頬を誤魔化すように蜂蜜酒を呷ります。酔っぱらってさらに頬が赤くなるかもしれませんけど、もうそれでもいいかなぁって。

 ちょっとばかり支離滅裂ですけど、酔っぱらいだから仕方ありません。

 にやりと笑っていたココットおばあちゃんが、また新しく始まった舞踏会の曲に、くいと眉を軽く吊り上げます。

(気楽なもんだねぇクレドランスは。ウォーレンスが戦争の準備をしてるってのに)

(……戦争!?)

(ま、どこを攻めるのかまではわかんないけどねぇ……今年は大きい戦になりそうですよ)

(…………まぁ、どっちにしろあたし達がやることはいつも通りだけどねぇ……)

 盗賊が戦争に行くなんて、聞いたこともありません。だからあたしは、戦争があろうとなかろうと、いつも通りの日々が続くんだと思って――その後すっかりウォーレンスのことなんか、忘れてたんです。

「おーお、アリカちゃんにココ……おおっと」

 後ろから聞こえた声と同時に、ココットおばあちゃんが鋭い視線を後ろに飛ばします。慌てて口を覆ったのは、木の大きなコップを持ったダルムさん。どうやらとっくに空っぽみたいで、両手で交互にコップを弄んでいます。

「あらダルムさん、まだ飲んでたのぉ?」

「アリカちゃんだってそうだろぉ?」

 あぁ、酔っぱらいの声です。あたしの声も、相当浮かれた感じですけど。

「飲み過ぎは身体によくないわよぉ」

「酔っぱらいが言っても説得力ぁねぇなぁ」

 げらげらと大笑いするダルムさん。まったく、その通りです。

「まぁ俺はぁ二日酔いがぶり返してきたんでそろそろ帰るぜぇ。ま、一仕事してからな……」

 後半だけ小さい声で言ったダルムさんに、あたしは「ちょっと気を付けなさいよぉ、酔ってるんだから」と声を掛けます。わかってるわかってる、と言って、ダルムさんはふらふらと手を振って去って行きました。

(まったく、ダルムも不注意ねぇ、こんな酔っぱらって仕事をするなんて……)

 ココットおばあちゃんの声が耳に届きますけど、それが不吉な予言になるとは、当のココットおばあちゃんですら思っていなかったでしょう。


 ――ダルムさんが人を殺して逃げた。

 翌日出勤したあたしを迎えたのは、その事実でした――。

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