盗賊ギルドの処罰 ~とある女の子の場合~
市場に秋の野菜や果物が揃い、そろそろ冬の作物も登場しようかという頃、あたしは箪笥の奥にしまったマフラーや手袋の行方を慌てて探し始めます。あたしの住んでいるアパートは木枯らしが入り込んできたりはしませんけど(盗賊ギルドのお給料が結構なものなので、なかなかいいとこに住ませてもらってます。ありがたやありがたや)、それでも強い風で時々木の雨戸ががたぴし言います。これが王城か貴族のお屋敷だったら、窓ガラスなんていう一枚の大きなガラス板がはめ込んであって、冬でも昼の間は光が差し込んで明るいんですって。ガラスのコップやワイングラスは銀の箸亭にだって少しはありますけど、大きなガラス板を作るのはずうっと大変らしいんです。
もちろんあたしの部屋にそんな高級なものはありませんから、あたしの部屋は昼でもランプを付けないとろくに物も見えないんですけどね。この季節は暖炉に火を入れるほどではないですけど、ランプに手をかざしてぬくもりを感じたい気分ではあります。
さてと。何とかマフラーと手袋も見つけましたし、そろそろ行きましょうか。今日は夜勤、夜がどんどん長くなってますからちょっとばかり大変ですが、頑張っていきましょう!
屋台で美味しそうな狐色に焼けているホットサンドの誘惑に負けて、ほかほかの包みを手袋の上から持ってほくほくしながら地下室へと下りて行きます。夏とは反対に、下りていけば行くほどに頬を撫でる空気が暖かくなっていきます。
「こんばんはー……?」
けれど扉を開けた先の空気は、なんだか不穏に張り詰めていました。受付にいたハレスくんが、助けを求める目をしています。そして受付の前には知らない女の子――18歳くらいでしょうか、かなり整った顔立ちをしています――と、珍しいことに困った顔をしたギルド長が何か押し問答をしています。
えっと、困った顔をしてるギルド長と、こんな時間に受付にいるギルド長と、押し問答してるギルド長と、とにかく全てが珍しくって、あたしはハレスくんがしきりに助けてと言いたげにこっちを見てるのも忘れて、しばらくぽかんとしちゃいました。
「だからー、そういうことをするなら盗賊ギルドに入ってもらわないといけないんだよねー」
「そんな、盗賊ギルドなんて怖いです。あたしはただ、お金が欲しくて……お父さんは病気で働けなくて、あたしも働いていた料理屋をクビになっちゃって……」
「そりゃ大変だよねー、でも、そういう稼ぎはやっぱり盗賊ギルドに入ってもらわないとー……」
「あなたはあたしの家族を飢え死にさせる気なんですか!?」
「だーかーらー……」
うおおさらに珍しい。ギルド長がちょっと苛立ってます。一見穏やかで普段通りに見えますけど、言葉の端々に力が入ってます。
それも仕方ないでしょう。ちょっと聞いてただけでも、女の子の言うことは堂々巡りで、自分の言いたいことは何も譲りたくないってのが良くわかります。
(一体どしたの?)
あたしはハレスくんの隣に椅子を持ってきて座りつつ、小さな声で尋ねてみます。ハレスくんは一つ溜息を吐いてから、二人に聞こえないように耳打ちしてくれます。
(なんか街で春を売ろうとしてるとこを仕事帰りのリュンスさんに声かけちゃって、ここに連れて来られたんですけど、盗賊ギルドに入りたくないけど春は売りたいってことで、ギルド長まで出て来てこの騒ぎですよ)
(あらぁ……)
春を売る、っていうのは売春のこと。売春は盗賊ギルドの管轄ですから、見つかり次第盗賊ギルドに連れて来られることになります。
まぁ、あたしから財布をスろうとしたナナリちゃんみたいに、最初に見つかった時の盗賊行為についてはギルドに所属してなくても罰則なし、もう二度と行わないならギルドに入らないという選択肢もあり、ってのがうちの原則ですが――他の街で冒険者をやってる盗賊の人に聞くと、これってかなり緩い規則みたいなんですけど――流石にまだギルド長と口論してる女の子みたいに、ギルドに入りたくないけど売春でお金は稼ぎたいってのは認められません。そんなことしたらうちがギルドの意味を為さなくなっちゃいますからね。
それにしてもリュンスさんも不運な……女の子の方は不運とは思いませんけどね、世の中どんな仕事だろうと、守らなきゃいけないルールってのはあるもんじゃないですか。一見、人様に言えないようなことも自由にやってるように見える盗賊だって、同じなんです。
「ですから、あたしは盗賊ギルドには入りません。でも、あたしが稼がないと家族みんな死んじゃうんです……お願いします……」
とうとう女の子は、顔を覆ってしくしくと泣き出しました。……後ろの方で、大きな舌打ちが聞こえます。振り向いてみたら、ナナリちゃんがすごくイライラした顔で女の子を睨みつけてました。
考えてみれば、ナナリちゃんなんて13歳で両親がいなくて、一家の稼ぎ頭です。なんでも6人の弟や妹を、ほとんどナナリちゃん1人の力で養ってるとか。同じような境遇にも関わらず同情したり同感したりする様子が全くないのはあたしにも良くわかります。……だって、ねぇ。
(自分の言うことが通らないのは、相手がオカシイって思うタイプよね、あの子)
(全くです。僕だったら彼女にするのもですけど、一晩のお相手でも御免ですけどね)
あぁ、ハレスくんが容赦ない。……あたしの発言も、だいぶ容赦なかった気がしますけど。
そこに長い溜息。ギルド長が、心底疲れて苛立った顔で、見せつけるように長々と溜息を吐いた後、静かに問いかけます。
「いくら欲しい?」
「え?」
思わず顔を上げる女の子。涙の粒が頬を滑り落ちますけど、ギルド長が心を動かされる様子はありません。
「いくら欲しいって言ってんのー。親父さんの病気治すのでもー、1年生きてくのでもー、一生贅沢に暮らすのでも構わないからー、いくら欲しいの?」
「え、その、あの……」
そんなつもりじゃ、とか何とかおろおろと言った後に、けれど女の子はおずおずと口を開きます。
「き、金貨で10000枚くらい……」
あ……案外図々しい子だわ。銅貨5枚も出せば1人分の定食が食べれて、10枚、つまり銀貨1枚も出せば一晩宿屋の個室に泊まれるこのご時世で、金貨10000枚の要求とは……まぁ、父親が病気ってことですから、それなりにお金が必要なのかもしれませんけど。
ギルド長は黙って自分の部屋に戻り、すぐに出てきます。手に持っているのは、重そうな麻の大袋。
「15000枚あるからー」
「……え?」
「これでもう売春はしないこと。その代わり、ギルドに入るのもなし。でも、次捕まったら……怖いよ?」
手荒く金袋を押し付けて、満面の笑顔でゆっくりと言い放つギルド長。一見綺麗なお兄さんの一番の笑顔ですけど、ギルド長の場合は力が抜ければ抜けるほど上機嫌。つまり、満面の笑みってことはもうかなり苛立ちが溜まってます。ギルド員もそれを知っていますから、片や固唾を呑んで、片やちょっとばかり面白そうにその様子を眺めています。
けれどそんなギルド長の不機嫌を知る由もなく、ぱぁっと顔を明るくして金袋を受け取る女の子。
「あ、ありがとうございます! 一生、忘れませんから!」
そんな大層な言葉とは裏腹に、あっという間に女の子は階段を駆け上がって行きました。その足音が聞こえなくなった瞬間、一斉にみんなが溜息を吐いて椅子に沈みこみます。
それは、ギルド長も例外ではなく。
「つ……疲れたー……」
「あ、あたしも見てるだけで疲れました……」
「僕もです……」
ギルド長の言葉に、あたしとハレスくんはこくこく頷きます。
「そんな泥棒に追い銭みたいなことしないでも、とっとと追い出しちまって次やったら刑罰で良かったんじゃないですかねェ」
「同感だぜ。金がもったいねぇ」
リュンスさんとダルムさんが遊んでいた賭けカードゲームの卓も、流石に中断してたみたいです。ようやく再開してカードを繰りながら二人が次々に言うのに、ギルド長が受付の机に突っ伏しながら、「でもねー」と声を上げます。
「確かにかなり貯金が吹っ飛んだけどさー……あ、自分のねもちろん、銀の箸亭の前でごねられても営業妨害じゃないー? それにー……」
少しだけ言い淀んでから、ギルド長は軽く溜息を吐いて口を開きます。
「刑罰って、気が重くってね。できれば執行する機会が少ない方が嬉しいっていうかー……」
ギルド長の気持ちは良くわかります。盗賊ギルドの刑罰は、懲役刑が中心である表社会のものみたいに、罪人を閉じ込めておいたりできませんし、そんなことでは改心しない人も多いですから、時に残酷とも言われそうな、腕を斬り落としたり顔に傷を入れるなどの、肉体刑が主なんです。さらに、執行はこのいつもみんなが集まる部屋で行われて、その場にいる者は処刑されるとこを見てなきゃいけませんし……その場にいなくても、血の臭いがしばらくは残り続けます。
そもそも刑を受けるようなことをする人が、そんなに多いわけじゃないですけどね。だいたいあたしが見る限りですけど、平均して2年に1回くらいです。
「ま、そうですよねェ」
リュンスさんとダルムさんも、頷いてカードゲームに戻ります。と、そこにギルド長が立ち上がって、つかつかとカードゲームの卓の方に歩み寄り、空いている椅子に座りこみます。
「なんか今日はちょっと作り笑顔できそうにないから仕事いかなーい。ねーねー、入れてー」
「おお! 久しぶりっすねギルド長!」
「へへ、ギルド長かぁ、たっぷり搾り取れそうだぜぇ」
「おいおいィ、ギルド長の腕を知らんのかァ? まァ、こっちも容赦なしで行きますぜェ」
ちょっと暗くなっていた雰囲気が、ギルド長の参戦で一気に明るくなります。それをきっかけに、ナナリちゃんもログロ爺さんと一緒に算数の勉強をし始めたり、ココットおばあちゃんが情報屋達から報告を受けるのを再開したり、ギルドに普段の雰囲気が戻ってきます。
さて、あたしも……おっと、早速誰かギルド員のお出ましみたいです。
今日も元気に笑顔、笑顔。
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」
――ちなみにカードゲームは一晩中続いた結果、ギルド長が見事に全員の有り金全部を巻き上げて、さらに全員引きつれて朝食を奢ってから、颯爽と部屋に戻って行きました。仕方なく賭けに参加していた人達は、みんなして官僚の坂道に繰り出して、今日の生活費を稼いでくる羽目になったそうです……。
その女の子がひと騒動引き起こしたのは夕方のそんなに遅くない時間でしたから、直接見ていた人はそんなに多くなかったんですけど、何せギルド長の我慢の限界を超えたなんて話ですからあっという間に広まって、1週間もしたら知らないギルド員はいなくなっちゃいました。
――積極的に広めてた子がいたのも、事実ですけど。
「やっぱりあの子は覚悟が足りないんですよ!」
ちょうど夜勤が終わって出てきたら、ナナリちゃんもウェイトレスの仕事が終わって、普段着に着替えて出てきたところでした。ちょっと早い時間だったので一緒に朝ご飯を食べて、ナナリちゃんは一仕事しに官僚の坂道に、あたしは自分のアパートに、同じ方向だったので一緒にてくてく歩いていく最中のことです。
ナナリちゃんとはなかなか話す機会がなかったんですけど、誰にでもこの話を吹っかけてるらしいのはみんなから聞いてました。噂があっという間に広まったのは、もしかしたら半分くらいナナリちゃんのせいかもしれません。
「覚悟って?」
「家族を養う覚悟に、裏社会に手を染める覚悟です。私だってあの時まで盗賊ギルドに入るなんて思ってなかったですけど、弟や妹が飢えないためなら、本物の盗賊になるのに躊躇もしなかったし、今だって後悔もありません」
ナナリちゃんも誓約書にサインする前にちょっと迷ってましたけど、あたしはツッコミは入れないでおきました。まぁ、確かにナナリちゃんの悩んでいた時間は他の子に比べれば短かったのは確かですし、盗賊になったからには家族に絶対不自由させまいとして、一生懸命仕事に励む姿は確かに立派なものです。
「まぁ……普通の人には、盗賊ギルドに入るってことが、後戻りできない道に感じちゃうのは事実だろうしねぇ……」
ですけどナナリちゃんと一緒に憤慨するほどあたしはあの人に強い怒りはないというか……別に同情してるわけじゃなくて、そもそもどうでもいいって感じなんですよね。盗賊ギルドに入ってくれるなら大変な環境だし便宜も図ってあげようって思いますけど、あの女の子は結局上手くやって大金をせしめたわけですし、それならそれで大人しく親父さんの病気でも治してあげればいいんじゃないかなって。
「後戻りできないのは私だってわかってましたもん。それに、あの人私より5歳くらいは上でしょ。やっぱり、ああいう自分の行動に何も責任が取れなくて、取る気もない人って嫌いです」
ああ、でもこうして話を聞いてみると、まだナナリちゃんは若いなぁって思います。若いというか、幼いというか、いつもちょっと大人びてるし、しっかりしてるけどまだ13歳なんだなぁって。この頃ってなんとなく、自分なりの正義感とかに目覚めたり、盗賊ギルドに入るような子ならダークヒーローとか気取っちゃったりする頃じゃないですか。……あたしはありました、ええ。
「あ、なんか愚痴ばっかりになっちゃってすみません」
でもそうやって自分を顧みられる辺り、あたしの13歳の頃よりやっぱり大人なんだな、とも思います。
「いえいえいいのよ、気持ちはわかるしね。ナナリちゃん、今日もお仕事お疲れ様」
「あっ……ありがとうございます、アリカさん!」
でもこの笑顔を見ると、13歳らしいところもやっぱりあるなぁって。
「それじゃ、私はこの辺で失礼しますね。アリカさんも、お仕事お疲れ様でした」
「ありがとー、頑張ってね」
というわけで官僚の坂道とあたしのアパートへの分かれ道で手を振って、あたしはあくびを噛み殺しながら道を曲がりました。
アパートに向かうには表通りを通って行ってもいいのですが、あたしは裏道を通ることにしました。表通りは官僚の坂道ほどじゃないですけどお店の呼び込みが多くて、朝ご飯を食べたばかりなのに何か買っちゃいそうなんです。盗賊ギルドに所属しているあたしなら、盗賊はみんな顔見知りですから、裏道を行くのに怖いことなんてありませんからね。
……と、思ったんですけど。
曲がり角に差し掛かったところで、聞き覚えのある声。けれど話し方が全然違ったので、他人の空似だろうと考えて、あたしはそのまま道を曲がろうとして――ふと嫌な予感がして、身を隠したままちらっと覗いてみたんです。
「ちょっと、アンタってばこれっぽっちしか強請れなかったの?」
「仕方ないじゃねぇか、お前さんが金のない男に声を掛けちまったからいけねぇ」
どきりと心臓が跳ねます。大柄な男と向かい合って、差し出された麻袋の中身を検分してるのは、間違いなくあの時の女の子じゃないですか。
しかもあの時の弱々しい態度なんか全然感じさせない、男からお金を受け取るのも慣れた様子です。その様子と言葉から、美人局、という単語が頭の中で紡ぎ出されます。
この物馴れた様子は初心者じゃないです。恐らくは常習犯。
「あーあ、最近いい稼ぎなんかありゃしない。この前は良かったなぁ、盗賊ギルドの長とかいう人が、金貨で10000枚もくれたんだから」
「お、おいっ! 聞いてねぇぞ!」
「話してないもの。そもそももう使っちゃって手元にないしぃ」
「ちくしょう……お前さんだけ良い目見やがって……」
要するに、騙してたんですね。盗賊ギルドのことも、ギルド長のことも。盗賊ギルドに入るのを嫌がったのも、恐らくは……、
「あそこの盗賊ギルドとかいう甘ちゃん組織? も甘いのよ。1回目は見逃します、なんてね。そこではいわかりましたって戻っても良かったんだけど、面白いからごねてみたら10000枚よ。馬鹿馬鹿しくて、盗賊ギルドに入って上納金を納めるなんて出来ないわ」
思わず握った拳に力が入ります。そしてそれが震えているのがわかります。怖いからじゃありません、怒っているから。面白半分に騙して、「これで帰ってくれればいい」って打算があったとはいえ、善意で渡されたお金を何の躊躇もなく使い込んで……それに盗みや詐欺については盗賊ギルドに所属すれば憲兵に捕まらない限り自由にできますけど、武器で脅したり、怪我をさせたりってのは、敵意を持った相手から攻撃されそうになった時とか、冒険者として活動している盗賊が敵対した冒険者や悪人と戦う時以外は、ギルドの掟でご法度です。
絶対に見つからないように足音を殺しながら、あたしは急いで元来た道を戻り始めました――。
掟破りに関しては、盗賊ギルドの存在を知らないで盗賊行為を働いて見つかった1回目でなければ、ギルドに所属していようといまいと絶対に捕まるまで追いかけられます。
あたしの報告を聞いたギルド長は、もちろんその二人のことを掟破りだと判断しました。すぐさまギルドの財産から賞金が懸けられ、街中に盗賊達が散ります。情報屋達も可能ならばその掟破りの情報を集め、ココットおばあちゃんは銀の箸亭に寝泊まりしてすぐさま集まった情報を統合し、皆に伝えられるようにしています。
けれど掟破りの存在を外部の人に気取られないように、あたし達受付は他の都市から来た盗賊に一時的な所属の許可をあげたり、依頼人を情報屋に取り次いだりと普段通りに活動しています。でも情報屋達が外で情報収集に出ることが多いですから、用件を聞いて取り次いだり、次の日とかに来る約束をしてもらってその情報屋に連絡を付けたりしなきゃいけないので、普段よりは結構忙しいかもしれません。
あたしがあの二人の後を付けてアジトを発見していれば話は早かったんですけど、あたしの技術じゃ気付かれないようにその場を離れるのが精一杯でした。けれど1週間後には、あの二人は捕まったそうです。
そうです、というのは――あたしは、その場にいなかったんです。ちょうど昼勤から帰った後に、花街の近くで獲物を探しているところをデュオンとレオンディールに発見されて、護送されてきて……処罰された、そうです。
「女の方は顔に十字傷を刻んで、男の方は右腕を斬り落とした。ま、顔を使って稼ごうとした女と、暴力で稼ごうとした男だからな、妥当なところだろ」
翌日の夜勤に来たあたしに、デュオンは少し眉を寄せながら言いました。血の跡は片付けられてますけど、床石の間に沁み込んだ血がまだ生臭く漂っています。
「まぁ、うかつな人達で良かったというか……ギルド長は?」
「寝てる。しばらく何もしたくないってさ」
「そう……」
何だか会話が続きません。盗賊ギルドに所属している人の処罰が行われた後はもちろんですが、所属していない人が処罰された時も、しばらく血の臭いを含んだ重い空気が、ギルドには漂います。
それに、ギルド長もいろいろと思うところがあるんでしょう。騙されたこともですし、その結果美人局の被害が拡大したり、ギルド員を動員する羽目になったり、それにギルド長は、必要とあれば全く容赦はしませんけれど、だからと言って処罰が好きなわけではないんです。ううんむしろ逆、自分が決定して処罰することほど、嫌いなことはないのかもしれません。
だけど……あまり暗い雰囲気にはなってほしくないです。これはあたしの我が儘ですけど、ギルドをあんなに馬鹿にした人達のために、ギルドが沈みこんじゃうのはすごく嫌なんです。
だから、ドアを開けて入って来たギルド員に、あたしはいつもの笑顔を向けます。
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」
――しかし、この事件がこれで終わったと思ったのは勘違いでした。
その日の夜勤が終わって、帰ろうと勝手口を出てしばらく歩いたところで、いきなり後ろからロープが首に掛けられたんです。何とか右手を挟めた分だけ自分を褒めてあげたい所ですけど、盗賊が不意打ちを受けるなんて笑えません。
ギリギリとロープが絞められて、首の後ろと挟んでいる右手首に鋭い痛みが走ります。急いで太腿にベルトを巻いて挟んでいるナイフに伸ばそうとした左手がぐいと掴まれて、そちらを見ると、顔に包帯を巻いた……考えるまでもありません。背格好からしてあの女の子です。
「とっとと気絶させなさいよ、使えない奴ね」
でも、後ろにいる男は? 処罰された男は右手を斬り落とされたんですから、ロープで首を絞めるなんて不可能です。
「じゃあその手首抜いちまってくれよ。邪魔なんだよ」
「あは、じゃあ斬っちゃう? あたしの顔にこんな傷をつけた報復よ」
冗談じゃありません。でももっと冗談じゃないことに、女の子は腰に差した大振りのナイフを抜き放って、ぺろりと包帯から出ている舌で舐めてみせます。
「男の腕の仇じゃないのか?」
「あんな使えない男、もう捨てるわよ。アンタだって、あたしの相棒になりたいんでしょ?」
み、身勝手な……!
「まぁ、殺しちゃ駄目だけどね。甘ちゃんギルドからさんざん金を巻き上げたら、好きにしていいわよ」
あたしを人質にして盗賊ギルドから金を巻き上げる、そんな魂胆に違いありません。けど、今のあたしには、右手で必死にロープの食い込みを抑える以外に、出来ることはありません。
……いえ、もう一つ方法はあります。盗賊ギルドのみんなに、迷惑をかけるくらいなら――!
「アリカっ!」
鋭い声がすると同時に、ロープにかかった力が僅かに抜けます。その間にあたしは右手を抜き、素早く掴んだナイフでロープを切って逃れます。
「こ、このアマぁ!」
首を掴みに来た腕をしゃがんでかわします。次の瞬間後ろで「ぐっ」と低い唸り声、そして重いものが倒れるような音。その間にあたしは女の子の方に距離を詰め――怯んだ包帯だらけの顔に、容赦なく拳を叩き付けました。
「ぐぎゃああああああ!」
顔を押さえた女の子の手の間から、ぼたぼたと血が流れ出します。まだ塞がり切っていない傷口を、あえて狙ったのだから当たり前です。
その間にあたしは、女の子の腕を捻じり上げて振り向きます。
「デュオン、ありがとう」
「ああ、無事で本当に良かったぜ」
デュオンが来てくれなかったら――あたしは為す術もなく気絶させられるか、それまでに舌を噛むことができているか……どっちにしろ、あたしは生きては盗賊ギルドに帰れなかったでしょう。
「とりあえず、この2人をもう1回ギルドに連れてかなきゃな。アリカへの……ギルド員への手出しは、厳罰だぜ」
あたしが腕関節を極めている女の子の前に回り込み、デュオンが思いっきり腕を振り上げます。派手な打撲音が上がりますが、口を押さえていたデュオンの手に悲鳴は呑み込まれてしまいます。
「ちょ、デュオン、やりすぎちゃ……」
「やり過ぎなもんか。どうせ、これから死ぬか、死ぬより辛い罰が待ってんだからよ」
顔から溢れる血が、石畳を濡らします。デュオンの顔に跳ねた血が、ひどく鮮やかで……
「おい、アリカ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「ああ、うん、だいじょう……ぶじゃ、ない、か、も……」
あぁ、こんな軟弱なのは盗賊じゃなくて、物語のお姫様に相応しいんだけど。
それでも女の子の腕を極めたままだったのだけは、自分を褒めてあげてもいいかもしれません。
急に血の気が引いて、あたしは石畳の上にぐったり倒れ込んでしまったんですから。
「……終わったよ」
目を覚ましたあたしに、デュオンは開口一番に言いました。
既に部屋に入ってくる光は薄赤く、石畳とデュオンの顔に飛び散った血の色を思い出させます。――もちろんあたしは、大量の血に怖気づいて倒れた訳じゃ……ないと思うんですけど……。
「疲れてたところに、あんなことがあっちゃ倒れるのも当たり前さ、気にすんなよ」
「なんで、あたしの言いたいことわかるのかなぁデュオンは……」
そうあたしが起き上がりながら言うと、デュオンは少しだけ何か言いたそうな顔で、けれど口をもごもごさせた後、ぽつりと目を逸らして「わかるさ」とだけ言いました。
でもあたしも、気付いていました。「気にすんなよ」の言葉に、デュオンが込めたもう1つの意味。
あの2人の悪党が、あたしの前に現れることはもうない、ってことでしょう。そうじゃなければ、どうやって処罰されたか、デュオンは口にするはずですから。
「まぁ今日は寝てろよ。この部屋は、ギルド長が奢りでいいってさ」
「ギルド長も今回はお金が出ていくばっかりね、申し訳ないや」
「ま、それくらいはってことなんだろ。自分の処罰が甘かったせいでギルド員が危害を加えられたって、結構気に病んでたみたいだからな」
「そっか……じゃあありがたく、受け取っとく」
受け取れません、って言って返した方が、きっとあのギルド長は傷ついちゃうでしょう。
それにあたしも、まだちょっとめまいがして……ここに泊まれるのは、ありがたいです。
「夕食、食えそうか?」
「んー……もうちょっと寝てから、自分で食べに行くから……」
「遠慮すんな、取って来てやるよ」
「女の子を甘やかすとロクなことになんないわよぉ……」
でも、あたしの意識もまた限界。
それにちょっと、あたしのせいってわけじゃないですけど……あたしがきっかけで人が死んだっていうこと、ちょっと起きたままよく考えるには、重たくって。一旦寝て、少し印象が薄れてからじゃないと、冷静に思い出せない気がして。
直接処刑を見た時だってあったのに、それとは全然違う重さです。
「……あんまし、気に病むなよ」
ああ、なのにデュオンは、なんであたしの言いたいことが、こんなにわかっちゃうんでしょう。
「お休み」
デュオンのその言葉を最後に、あたしの意識はまたあったかい布団の中に埋もれて行きました――。