盗賊ギルドの日中 ~やっぱり受付アリカの場合~
そろそろ昼よりも夜が長くなってきた今日この頃。朝のひんやりと優しい涼しさの空気のおかげで、ちょっと肌寒い日陰よりも、昇ったばかりの柔らかな日差しが照らしてくれる日なたの方が心地良くて、ついついそんな道を選んでしまいます。
けれど残念ながら、盗賊ギルドの入り口である銀の箸亭の勝手口は、路地裏に面していますから結構長い日陰を通って行かなくちゃいけません。地下への階段を下っていくと、さらに空気が冷たさを増して……もしかしたら、盗賊ギルドが一番寒く感じるのは、秋なのかもしれません。
「おはようございまーす」
階段を下りきって扉を開けると、ベルンちゃんが「おはようございます先輩!」と立ち上がり、ひょいと受付の机を飛び越えます。うーん、元気が有り余ってるって感じ、若い子は体力がありますからねぇ。何せあたしと一回りも違う16歳、徹夜明けだろうとなんのそのってところかしら。
はっ、あたしが若くないわけじゃないですよ! 今日は昼勤だけど、普段は夜勤ですからね! まだまだ徹夜に耐えうる若い体、あたしは若いあたしは若い、まだ25歳です。
「ゆうべの分はもうギルド長に渡しちゃってます。今日もギルド長、朝帰りでしたから」
「まぁ、ギルド長が朝帰りじゃないところって、いまいち見ないわね」
「ですよね!」
朝眠そうに帰って来て、帳簿の確認だけ済ませたらベッドに直行するギルド長ですから、今は既に熟睡中でしょう。朝日と入れ替わりで寝て夕日と入れ違いで起きる、ある意味生活サイクルまで盗賊ギルドを体現してるって言えるかもしれません。
「それじゃお疲れ様、ベルンちゃんはこのまま帰るの?」
「いえ、上で朝ご飯食べてからにしようかなって」
「そうねぇ、朝帰ると眠くて、自炊するのが面倒なのよねぇ」
銀の箸亭では日替わり朝食だったら、盗賊ギルドのギルド員は格安で食べられるんです。夏の終わり頃にデュオンが稼いで来て奢ってくれた時は、お構いなしにいろいろ頂いちゃいましたけど。
「あはは、眠くはないんですけどー」
うぐっ。こんなところで、体力の違いを思い知らされるとは……!
「朝ご飯食べてから『官僚の坂道』にでも行って、ちょっと一仕事してから帰ろうかなって!」
ううむ、流石は技芸神の指先を持つ娘、ベルンちゃんにとってはスリなんて帰り道のちょっとした寄り道でしかないんです。
ちなみに官僚の坂道っていうのは、丘の上の王城まで続く緩やかな坂道で、歩いて通わなきゃいけない官僚や(うちの国では馬車を使って登城していいのは爵位を持つ貴族だけで、貴族の人達が住んでる高級住宅街からは別の道を通って登城してるんですよ)、王城で下働きを務める中で住み込みじゃない人達が毎朝歩いて登り毎夕歩いて下る道で、この時間からしばらくすると凄まじい混雑になるんです。道の橋にはその人達の朝ご飯やお昼のお弁当向けに食べ物を売る屋台が並んでいて、足を止める人や少ないけど引き返す人もいるので、お城のお仕着せに身を包んでいればなかなか怪しまれることはありません。身分の高い人もいますから初心者にもオススメとはいきませんけど、ちょっと経験を積んだ子達なら官僚の坂道で腕を磨くのもいいかなって感じのスポットです。最近はナナリちゃんも、主に朝寝る前にスリに行って、ウェイトレスのお給金に加えてちょっとした生活の足しにしてるみたいです。
でもって技芸神の指先を持つ娘、もしくは男ってのは、器用な人のことを褒めて言う言葉。主に刺繍だとか絵画だとかがすごく上手な人に言いますけど、盗賊ギルドではスリがすごく巧い人のことを言うことが多いかな。技芸神にとってはいい迷惑だと思うかもしれないけど、盗賊の中には技芸神の声を聴いて、その力である神聖魔法を使える人もごくまれにいるんですから、案外技芸神は盗賊のことも可愛がってくれてるんじゃないでしょうか。
……さて、ちょっとばかり長い話になっちゃいましたね。ベルンちゃんはもう「それじゃ先輩、あとお願いします!」と言って上に昇って行ったところです。
帳簿を見ると、今日は特に大きな稼ぎはなかったけど、結構な人数が来てたみたい。それで疲れを見せないんだから、ベルンちゃんもなかなかにタフです。
この時間の盗賊ギルドは、一番閑散としているんじゃないかしらと思います。夜通しやっていたらしきカードゲームも片付けられ、夜に一仕事片付けたギルド員は既に上納金の支払いを終えて帰ったのでしょう。もう少ししたら官僚の坂道でお仕事してきたギルド員達が早速上納金を支払いに来たりして、ぽつぽつ人が来るんですけど、今いるのは裁縫箱を前にせっせと針を動かしているユメちゃんくらいです。
「あら、ユメちゃんお疲れ様。新しい衣装作ってるの?」
「あ、うん。前のが結構破れちゃったんで、そろそろ新しいのにしようかなって」
そう言ってユメちゃんが針を走らせているのは、ところどころがキラキラ輝く銀色の布地。ランプの光が当たると、そこはまるで二枚貝の裏みたいに、薄い虹色に輝くんです。
「すごい布ねぇユメちゃん。これ、何の布?」
「えっとね、ニジイロカイコの糸と銀糸を互い違いにして織ったんだって。ニジイロカイコの糸だけでもこういう光沢は出るんだけど、やっぱりキラキラしてた方が目立つじゃない?」
そう、ユメちゃんは、夢の早足って名乗る立派な『怪盗』ですからね。普通のギルド員は闇に溶ける黒い服や、盗みを働く場所でよく見かけられる服装で人ごみに紛れるんですけど、怪盗っていうのは反対に、とっても目立つように盗みを働く――わざわざ挑戦状を書いたり、盗んだお金を高いところから貧乏な人達に向けてばら撒いたり、派手な衣装で憲兵から逃げ回ったり。あとは怪盗としての名前で、稼いだお金を自分の育った孤児院なんかに寄付してる怪盗さんもいます。大抵の孤児院は教会が経営してることが多いんですけど、よっぽど大貴族か大商人が援助してない限り、年中お金が足りないようなものですから、法律神の教会みたいなよっぽどお堅いところ以外は、通報せずにこっそり受け取っちゃうとか。それで小さい子ども達が冬に寒い思いをしなくて、お腹いっぱい食べられるんだから、立派な社会貢献ですよね。
まぁユメちゃんは、その法律神の教会にある孤児院で育ったんですけどね。どうしても堅苦しい生活に息が詰まりそうで飛び出してきたけど、自分と同じ孤児院で育ってる子達のことは、弟や妹みたいで気になるんですって。;夢の早足の名前でお金やプレゼントを贈るわけにはいかないから、こっそり匿名でお祭りなんかの時にプレゼントを贈ってるなんて、泣かせるじゃあないですか。
ユメちゃんは挑戦状を出すわけじゃありませんが、首尾よく盗みを終えた後、とってもセクシーで派手な衣装でその家の屋根に上って名乗り、口上を述べるんです。そして憲兵が集まってきたところで屋根から屋根へ飛び越えて逃げるんだから、まさに夢みたいな早足。あたしも一回ユメちゃんの盗みの現場に出くわしましたけど、そりゃもう華麗な姿でした。街中に熱心なファンがいるのも頷けちゃいます。もちろんバッチリお化粧して、仮面で顔を隠したユメちゃんと、憲兵なんかに本人だって気付かれないように地味な服装をした普段のユメちゃんは全く別人にしか見えませんから、直接本人と話したことのあるファンなんて、盗賊ギルドにしかいないんですけどね。……実はあたしも、ファンの一人だったりして。ふふふ、盗賊ギルドの特権特権。
でもとっても派手な盗みの時の姿とは裏腹に、孤児院への差し入れがあるためか、普段のユメちゃんの生活は慎ましいもの――いやあのギルド長のおっかけをしてる時の姿が、慎ましいかっていうとまた話は別ですけど――とまぁ、盗みに入る時の衣装も、衣装屋には頼めなくて、自分で縫ってるんです。「孤児院で仕込まれた中で唯一役に立ってるわね」なんて、ユメちゃんは言いますけどね。
縫っている形からしてワンピースでしょうけど、背中ががばっと開いてたり、かなり丈が短かったり、今回も随分セクシーな衣装になりそうです。
「縫い終わったら着て見せてね!」
「いいわよー存分にこのユメちゃんの裁縫の出来と抜群のプロポーションに酔いしれるといいわー」
いやー楽しみ。ユメちゃんはセンスがすごく良いから、いつもその抜群のプロポーションにバッチリに合う衣装を、針一本で縫い上げちゃうんですから。その姿を一番最初に見ることが出来るなんて幸せ、あたしのプロポーションが残念なのもどうでもよくなっちゃいます。
うう、腰の細さには自信があるんだけど、肝心の胸とお尻の突き出てる部分の量が、ね……!
「おーん? 抜群のプロポーション見せてくれんのかいィ?」
あら、受付を随分長い時間離れちゃってたみたいです。あたしは慌てて戻りながら、「ようこそ、盗賊ギルドへ!」と今日の朝一番の挨拶を、重そうな紫色の財布を手にしたリュンスさんに。
「あら、リュンスさんも見るー? 今回はちょっと高級な生地使ってるし、気合い入れちゃおうかなって」
「そりゃぁ楽しみだァ」
目を細めてにこにこ笑うリュンスさんは、「計算しといとくれィ」と言って財布をぽんとあたしに渡します。開けてみると、数枚の金貨に、銀貨や銅貨が結構たくさん……ううむ、この財布の持ち主はもしかして、買い物する時に釣り銭が少なくなるように、銀貨や銅貨で調整しない人なのかしら、なんて首を傾げてみちゃったり。
あたしが硬貨を数えてる間に、リュンスさんは部屋の奥の方に行ったみたいです。ちらっと見ると、誰もいないテーブルに向かって……
「おーいダルム、風邪引くぞォ」
「ほへっ!?」
思わず変な声が出るあたしです。だってそのテーブルの傍に言ったけど、誰もいないと思い込んでたんですよ!?
「うぃー……なぁんだ、リュンスかぁ」
頭をばりばり掻いて椅子から起き上がったのは、確かにダルムさんです。
「ダルムさんいたの!? というか宿じゃないの?」
「いやー、ゆうべちょいとカードやったら、昨日稼いだ分を全部突っ込んじまってねはっはっは」
「それ、はっはっはじゃ済まないんじゃないの……?」
「なぁに、またスッてくりゃいい話さ」
ま、まぁ……そういう問題かも、しれませんけど。
「しかしリュンスさんよく気付いたわねぇ」
「いや、テーブルの下から足が見えたんだよ。まぁこんなところで寝てる足のぶっとい奴はダルムだろうと思ってねェ」
そう言ってリュンスさんは、ダルムさんの向かいに座ります。ダルムさんが34歳、リュンスさんがそのちょうど10歳上ですけど、この二人はリュンスさんが朝を、ダルムさんが夜をメインに活動してるにも関わらず、朝とか夕方によく話したりカードゲームしたりしてるんです。
「おいリュンス、ちょいと付き合えよ。賭けようぜ」
ほら、ダルムさんがもうカードを取り出して、シャッフルしてるみたい。
「おいおい、お前さん一文無しだろォ、どうすんだいィ?」
「なぁに、リュンスから巻き上げりゃトントンさ」
「ダルムは何賭けんだいそりゃァ」
「おお、そりゃ考えてなかった」
……なんだか、道端でやってる大道芸人の漫才みたいな会話です。いや、上手いって意味じゃなくてね。
結局二人は賭けなしで遊ぶことにしたみたいです。あたしが上納金を取った後の財布をリュンスさんに返しに行ったら、「やっぱり賭けなきゃやる気出ねぇなぁ」と言いながらも、にやにやダルムさんがカードを切ってましたから。
っと、また一人、ギルド員がやって来ました。テーブルの間を速攻で抜けて、受付に滑り込んだあたしはまた笑顔で。
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」
朝の一仕事を終えたギルド員は、夜に比べたらあまり多くはありません。朝のうちに活動してる盗賊が夜より少ないのもそうですけど、夜に盗みに入った後、朝ちょろっと官僚の坂道でもう一盗みして、そのまま家に寝に帰って、夕方ギルドに来る、なんて生活をしてる人も多いみたい。昼と夜が逆転した生活が、もう板に付いちゃってる人って結構いるんですよね。
朝にやって来る少ないギルド員も、そのまま帰って寝ることも多くて、朝の盗賊ギルドにはあまり盗賊が留まりません。でも反対に、昼の間主にやってくる人達もいます。
それは、情報屋。
情報の元締めをしてるのはココットおばあちゃんですけど、ココットおばあちゃんは朝から夜にかけては浮浪者に混じって、噂話を集めてるんです。夜になったら残飯をもらいに来るふりをしながら勝手口の扉を叩いて、中に入った瞬間曲げていた腰がしゃんと伸びて、表情に力がみなぎる様子を初めて見た人は、か弱いおばあさんが別人に変身したと思うに違いありません。結構長いお付き合いさせてもらってるあたしだって、外ですれ違ったらわからないこともあるくらいなんだから。
というわけで夜の間にもしも情報を求める客が来たら、それは大抵ココットおばあちゃんが担当します。でもそもそも夜に来るのが、ココットおばあちゃんじゃないと対応できないような情報を求めていて、いくらそれに払っても惜しくないような人ばかりですから、本当に少ないんです。1ヶ月に1人、来るかどうかじゃないかしら。
昼の間はココットおばあちゃんがいませんから、その場にいる情報屋の中から依頼人が求めている情報を持ってる人が担当します。その場合は依頼人から直接情報料を受け取って良いことになってますから――もちろん上納金はその中からもらいますけど――情報屋達は昼の間盗賊ギルドに集まるわけです。もちろんココットおばあちゃんも情報屋達から情報をもらった時はそれなりの金額を払ってますし、そうやってココットおばあちゃんに情報を届けてお金をもらうだけの情報屋もいるんですけどね。
おっと、ちょうどよく情報屋の一人が来たみたいです。
「ようこそ、盗賊ギルドへ! おはよ、レオンディール」
「うん、おはよう。アリカちゃんはいつも元気でいいね」
そう言ってにこっと口元を緩ませるのは、帽子を目深に被って茶色のマントで体を包んだあたしと同い年のレオンディール。受付を抜けてみんなに挨拶しながら帽子とマントを取れば、そこには金色の長く伸ばした髪と、作りの良い絹の服が現れます。盗賊ギルドにはそぐわない様な格好をした彼も、もちろんギルドの一員。でもなんと、レオンディールは貴族の御曹司なんです。
レオンディールはちょっとグレていた頃があって、その頃の盗賊ギルドの若い衆――中にはあたしやデュオンもいたんですけど――と一悶着起こしたり殴り合って友情を深めたりしつつ、ついには盗賊ギルドに出入りするようになっちゃったんです。とはいえただ一人の御曹司だったレオンディールは家を継がなきゃいけませんし、盗賊にはなれなかったので、貴族社会の情報を集めて盗賊ギルドにもたらしてくれる情報屋になったんですよ。こうして貴族らしい格好で来てるのも気取ってるからじゃなくて、依頼人に対して情報を売る時に、貴族身分の者が得た情報だから信頼できると思ってもらうため。もちろん悪評が広がったら情報屋としてのレオンディールだけじゃなくて貴族としての家までピンチになりかねませんし、貴族はともかく情報屋に対しては誇りを持っているレオンディールが、嘘の情報をわざと教えるなんてことないんですけどね。
「おいレオンくん、こいつまた盗賊ギルドで寝てたんだぜェ」
「あっはっは、いや羨ましいなぁ。僕、流石に夜はちゃんと帰らないと死ぬほど怒られるんで」
「お貴族様もお貴族様で大変だなぁ。仕事は?」
「今日は夜の舞踏会まで暇ですよ」
「いいわねぇ舞踏会。あたしもそんなところ行ってみたいな」
「あはは、そんなに素敵なものでもないよユメちゃん。陰謀は渦巻いてるし、好きでもない女の子にキスの一つもしなきゃなんないし」
「ああ、踊りたいんじゃないのよ。そんなところからシャンデリアの一番大きい宝石でも盗んだら、気持ちいいだろうなって」
「あ、そっち? あは、でもその方がユメちゃんに似合うよ」
リュンスさんとの会話から、ダルムさんを交えて、さらにユメちゃんまで口を挟んで、会話の輪がどんどん広がっていきます。ちょっとあたしも混ざりたくなっちゃうけど、今は仕事中だから我慢我慢……ほら、また情報屋の人がやって来ました。だいたい毎日入れ替わりはありますけど、10人くらいは来ています。誰が来ていて何の情報を扱ってるか、ちゃんと覚えておかなきゃいけませんからね。
おっと、今度はギルド員じゃなくて、お客さんみたいです。なんでわかるかって? ギルド員はね、よっぽどの新人以外はみんな足音を立てないんです。お客さんはそんなことはお構いなく足音立てて来ますからね。
「こちらになります、どうぞお入りください」
お、聞こえてきた声はナナリちゃんのものです。今日は昼勤だったのね。
「失礼します」
ちょっと緊張した感じで入って来たのは、真新しいマントに金属片を繋いだ鱗鎧、腰に軽めの剣を差した青年です。いわゆる一つの冒険者、ってやつでしょうね。それもどうやら新米さんと見ました。
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」
あたしが笑顔で迎えると、青年は少しびっくりした顔をします。うふふ、何だか薄暗くて男達がギラギラした目で獲物を狙い合ってるところなんか想像してたのかもしれませんね、受付のお姉さんがちゃんと出迎えてくれるなんて思わなかったんでしょう。
昼に来るお客さんは大抵は冒険者で、大抵は初見さんで、大抵はあたしの挨拶にびっくりした顔をするんです。
「あ、どうも初めまして……」
おお、物腰丁寧な人です。実はなかなかいい家の三男坊とかで、領地を継げないから冒険者に、なんて背景があったりして……おっと、仕事中です。
「情報ですか?」
「あ、はい」
「何が知りたいですか? もし言いづらい話でしたら大雑把に、でもいいので」
そう言ってあたしはちら、と後ろの情報屋達に目を走らせます。今日来てるのは9人、扱う情報の種類もそれなりにばらけてる感じです。情報屋は受付みたいにいつ来るか決まってないから、時には誰もいなかったり、商人関係の情報屋ばっかり5人来たりとかしちゃうんですよね。今日は連絡を取る必要もなさそうです。
「あ、えっと……うーん、あの、この街の上流社会に詳しい人、とか……」
お、レオンディール、いきなりお仕事です。
「ええ、わかりました。個室をお使いになりたいですか?」
「あ、はい。お願いします」
「では」
あたしは机の裏に掛けてある鍵を持って、レオンディールのところに行って耳打ちします。
(上流社会に詳しい人ってご指名ね。手前の個室でどうぞ)
(オーケー、そりゃ僕だね)
立ち上がったレオンディールに鍵を渡して、あたしは受付に戻ります。ついてきたレオンディールが「お待たせしました」と優雅に青年を案内し、手前の個室へと消えます。
そう、実は個室があるんです。といっても自由に使えるわけじゃなくて、こうやって情報屋と依頼人が秘密の会話をする時専用なんですよ。ちょっとした情報だったら受付の立ち話で済ませちゃったりしますけど、大抵の場合は個室を使います。それだけ事情を聴かれたくない依頼人が多いですからね。
……と、ドアが再び開きます。今度は足音はなかったですが、先に入って来たのはマスターでした。こういう時は……
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」
「……ど、どうも」
続いて入って来た女の人は、いかにも盗賊って感じの目立たない服の上に革鎧、武器を持っている様子はありませんが、おそらく膝丈のスカートの下にでも隠してるのでしょう。髪も短く切っていますし、武装してるってことは他の地域からやって来た冒険者でしょう。
「この街での一時的な活動希望だそうだ」
それだけ言ってマスターは「あとはよろしく」と上に昇って行きます。そういえばそろそろお昼時、マスターも一番忙しい時間でしょう。
「はい、クレドランス城下町盗賊ギルドのアリカです、よろしくお願いします」
「ああ、あたしはワイザリック自由都市盗賊ギルド所属のリルド。よろしく」
「あら、随分遠くから……」
ワイザリック自由都市と言えば、私達の住む国クレドランスと、南東にある竜の国とも呼ばれて竜人やドラゴンがたくさん住んでいるドラゴニコン、そして南西にあって城塞国家とも呼ばれているウォーレンスの間にある、貿易と冒険者で有名な都市です。国家みたいな生産力はありませんけど、貿易がすごく盛んだから、手に入らないものはないんですって。
「ああ、ちょっと邪術士を一人、取り逃しちゃってな。放っておけるような相手じゃないから追って来て、この国に入り込んでるらしいんだが所在が掴めなくなっちまって。一旦ここでしっかり情報収集しようと思うんで、とりあえず3カ月ほど盗賊ギルドの庇護を受けたい」
「了解しました、それじゃ書類に……クレドランス語は書けますか?」
「ああ、大丈夫だ」
そう言ってさらさらと書類を書き始めるリルドさん。もしかしたらあたしより綺麗に書けてるかもしれません。
そう、盗賊ギルドでは、こういうよその盗賊ギルドから来た盗賊に、活動の許可を与えてもいるんです。特に盗賊行為を行わなければ別に来なくても平気なんですけど、情報を集めるなら入っておいた方がいいし、路銀をスリで調達しても盗賊ギルドから追っ手をかけられることもないですしね。
「えっと、ここのギルドは上納金をこちらにも納めるだけでいいのかい?」
「はい、大丈夫です!」
「へぇ……安いなぁ」
ぼそりとリルドさんは呟いて、ほっとしたように息を吐きました。よそから来た盗賊の一時的な所属を受け入れる盗賊ギルドは数多くありますが、その時の規定や受け入れ金については様々です。ま、確かにうちはギルド長が良心的で、安く収めてるんですけどね。
「はい、ありがとうございました。それではこちら、規約になります」
「あぁありがと」
「あ、もし良かったら銀の箸亭での食事も、ギルド員価格になりますので」
「本当!? そりゃありがたいなぁ」
リルドさんは嬉しそうに笑って、「いいギルドだね、それじゃ」と出て行きました。褒められたのが嬉しくって――褒められたの、あたしじゃないですけど――あたしも頬が緩んじゃいます。
かと思えばまた足音、現れたのはまたも冒険者風の男。
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」
あたしは思わず頭に浮かんだ不吉な予感を打ち消しながら、また笑顔を浮かべるのでした。
ちなみに予感は的中しました。そう、お昼ご飯の時間がなさそうだっていう予感が。
あたしは結局夕方の受付の交代まで食べる暇なく働き、腹ペコのあまりお給料をまた銀の箸亭に還元する羽目になるのでした……。