盗賊ギルドの夜闇 ~受付アリカの場合~
残暑厳しいクレドランスの城下町も、夜になれば石畳や石造りの壁もひんやりとして、吹き抜ける風にも秋の気配を感じます。
昼間はさんさんと陽光が降り注ぐ外でもこうなのですから、思わず夜食代わりに買ってしまった新しい味の魔法アイス――卵とたっぷりのバターを思いっきりかき混ぜて、氷の魔法でキンッキンに冷やしたやつで、2、3時間は普通の温度の部屋に置いておかないとスプーンも刺さりません、夏の正午に買えばおやつの時間に食べるにはぴったり――は、ちょっと体が冷えすぎるかもしれないなぁ、と思いながら、あたしは銀の箸亭の勝手口をくぐります。
盗賊ギルドに所属しない人がギルドを訪れる時は、表から入ってちょっとばかり面倒で傍から見たら意味のわからないやりとりをしなきゃいけませんが、ギルド員は勝手口から入って、とっとと下に降りていくことが多いです。具体的に言いますと……あ、先客が。
「あらナナリちゃん、こんばんは」
「あ、アリカさん。こんばんは。今日は夜勤ですか?」
「そうそう、というかあたし大抵は夜勤よ。優秀だから忙しい夜勤もバリバリこなすもの!」
胸をどんと叩いて言ったあたしの言葉に、ナナリちゃんはくすと笑って頷きます。背中の編み上げ部分とか短いスカートと長い靴下の間とか、ちょっと露出の多い銀の箸亭のお仕着せに対して、まだ成長しきっていない体や幼さを残した顔がどこか背徳的で、なかなかイケナイ感じなのがタマラナイらしく、銀の箸亭を訪れるお客さん――特に大きいお兄さんや、そういう趣味のお姉さんからは結構好評だそうです。
そう、ナナリちゃんはあたしにスリを見つけられて震えていた姿からは想像できないなかなかのしたたかさで、盗賊ギルドに入ってから半月後くらいに空きが出た銀の箸亭のウェイトレスにちゃっかり収まってしまいました。
……誤解しないでね、盗賊ギルドでは「したたか」とか「ちゃっかり」は褒め言葉です。それもかなり手放しの。
ちなみに銀の箸亭で働いているウェイトレスや料理人は、全員盗賊ギルドの所属者です。そりゃあ、うっかり外部の人を雇って、盗賊ギルドへの入り口が見つかっちゃっても困りますしね。
「ナナリちゃんは今日は上がり?」
「はい。なので今日もちょっと、ログロ爺さんに新しい本の読み方を教わってから帰ろうと思って」
いやぁ勉強熱心。ギルドの若いもんに見習わせたい所です。
「けどナナリちゃん、その格好で行くの? 着替えないの?」
「あ、はい。そうですよ」
ナナリちゃんはぱたぱた手を振って、にっこり笑って言います。
「この格好をしてると、ログロ爺さんもお兄さん達も、すごく優しくしてくれるので」
いやぁしたたか。これもギルドの若いもんに見習わせたいところです。
盗賊ギルドの入り口は、銀の箸亭のお手洗いにあります。お世辞にもお上品とは言えませんけど、これもうっかり普通のお客さんが入ってこないため。
それというのも、一見入り口はお手洗いの掃除用具入れにしか見えないように、永久に働き続ける幻覚の魔法がかかってるんです。扉を開けても箒や雑巾やバケツや、その他もろもろの掃除用具の入った小部屋にしか見えませんけど、掃除用具も壁も全部魔法の幻。最初は戸惑っていたナナリちゃんも慣れたもので、すいすい踏み込んでいきます。あたしもさっさと行っちゃいましょう。ほーら手も足も引っ掛からないし壁にもぶつからない、幻を抜けたら地下への階段です。
何でもギルドの創設の時に、初代ギルド長と一緒に冒険していた大魔術師が、友人のよしみで掛けてくれた、結構大がかりな魔法なんだってログロ爺さんが言ってました。幻の魔法を使う魔術師の人達は、大抵は冒険者として戦いに幻を役立てたり、劇団に勤めて演出係になったりしてますけど、確か1つの場所に永遠に消えない魔法を掛ける、なんてのは相当偉い魔術師にかなりの金貨を積んで、失敗してもお金は返って来やしないとか……それを思うと大魔術師様々、初代ギルド長の人脈万歳です。
少々長い階段を、天井に掛けてあるランプの光を頼りに降りていけば、ほんの少しずつ体を包む空気がひんやりしてきます。けれど空気の淀む感じはありません。ギルド建設当時の最高の換気技術を使っているそうですから……まぁ、このギルドが出来たのは100年以上昔ですけど、それでもそれなりにいい技術には違いないんですよ。
そうでなけりゃ、盗賊ギルドなんて酒と煙草と男どもの汗の匂いしかしませんからね。あたしとかナナリちゃんみたいな妙齢の可愛い女の子……ナナリちゃんはまだちょっと若すぎるかしら、まぁとにかく可愛い女の子も所属してはいますが、盗賊ギルドはかなり男性率が高いですし。
……誰か、妙齢にしては年食ってないか、とか言ってませんよね? あたしは25歳、25歳はまだまだ妙齢のうちっ! ……だと、思うんですけど。
「アリカさん? アリカさんは綺麗なお姉さんですよ?」
「え、ナナリちゃんあたし何か声に出してた?」
「なんか25歳はまだまだ妙齢のうちっ、とか……」
「あーあーあーきーこえーないー」
「聞いといて聞こえないふりはどうかと思います」
うっ。超冷静にツッコミを入れられてしまいました。あたしの半分の年齢にして、ナナリちゃん侮れない実力者です。
「それじゃどうぞ、レディファーストで」
「ナナリちゃん、どこでそういうの覚えて来るの……?」
その間にナナリちゃんは、ドアを開けて押さえておいて、そんなキザな台詞を口にしてみせます。それを言うならそもそもナナリちゃんもレディでしょ、とぽんぽん頭を軽く叩いてから、一緒にドアをくぐりまして。
「あぁ、アリカさんにナナリ、こんばんは」
カウンターに座っている好青年、ハレスくんが顔を上げます。どうやらカウンターで、品物の鑑定をしていたみたい。ハレスくんは純粋な盗みの技術には全くもって才能がありませんが、豪商の長男らしく鑑定に関しては誰もが一目置く腕の持ち主です。
なんで豪商の長男が盗賊ギルドにいるかって? ちょっと長くなる話だから、また今度にしましょう。
ナナリちゃんは「こんばんはー」と手を振って、今日もログロ爺さんのところへ。「おお来たか来たか」と頬を緩めるログロ爺さんは、まるで孫を見ているみたいです。
「さて、今日はナナリが読みたいと言っていた、歴史の本を用意しておいたぞ」
「わぁログロ爺さんありがとうございます!」
ログロ爺さんは天涯孤独の身だと言いますが、酔っぱらった時ぽつっと奥さんと娘がいたような話をしていたことがありましたから……ナナリちゃんが本当の孫みたいに思えるのかもしれません。
さて。それはそうとしてあたしも仕事です。
「アリカさん、もう交代の時間かい?」
「うーん、まだちょっとあるけど交代しちゃってもいいわよー? 鑑定するにせよ休むにせよ、ゆっくりしたいでしょ?」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
ハレスくんと交代して、あたしは受付の椅子に座ります。魔法アイスはこっそり机の下に隠しておきます。
「おいアリカ、今、机の下に何か隠さなかったか?」
あら鋭い指摘。ハレスくんは鑑定品を大事にまとめてるし、後ろの方ではカードゲームが盛り上がってるし、気付かれないと思ったんですけど。
「荷物よ荷物。盗品じゃないわよー」
「いや、まぁ盗品でも構わないけどな」
そう言って彼はカードゲームに戻ったようです。しかしあいつら相手に隠しものがバレるとは、あたしの腕もまだまだだなぁ……。
さてさて、とにかく夜勤の始まりです。ナナリちゃんが入会した時は昼の担当でしたが、あたしの仕事は元々夜がメイン。なぜなら夜は盗賊達が闇に蠢く時間ですから。
盗賊ギルドのお仕事は、夜の方が忙しいんです。
ほら、またドアが開いて、無精髭の伸びたギルド員が一人。
あたしはにっこり笑って、今日一番にあたしの前に来た彼に向かって元気に言います。
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」
受付の一番のお仕事は、上納金の受け取りです。まとめて1ヶ月に1回払ってもいいんですけど、その場合ちゃんと収入を記録しておかなきゃならない上、まとまったお金で払わなきゃなりませんから、お金の管理が苦手なギルド員――結構な割合なのよねこれが――は、収入を得たその日に払いに来るんです。
「おうアリカちゃん計算頼むわ」
そう、中にはこう、そもそも計算が苦手な人もいますからね。今日の戦利品らしい高そうな財布を開いている、無精髭のダルムさんみたいな。
「はいはい、それじゃ今日の収入は?」
「今日はしけてたぜ、せっかく金持ちっぽい野郎からスッてきたのにな。銀貨16枚に、銅貨12枚だ」
まぁ、没落したいい家の人は、服装やお財布だけ豪華で肝心のお金はそんなに持ってないって事もありますからね。
ふむふむ。銀貨1枚は銅貨10枚の価値ですから……20分の1にしてっと。
「銅貨9枚になるわね」
「あいよっと」
太い指が小さな銅貨を摘まんで、じゃらじゃらっとあたしの手に乗せます。銅貨9枚、間違いなしっと。
「あーそれとアリカちゃん、悪いがこの銀貨も半分くらい、銅貨に換えちゃくれねぇか」
「えー、またカードゲーム?」
振り向けば部屋の奥の方では、既にカードゲームのテーブルができています。銅貨をチップにしてね。要するに賭けカードゲームです。
「また食事代がなくなって朝ご飯抜く羽目になるわよ?」
「おいおいアリカちゃん、心配するなって。世の中は勝つか負けるか、つまり勝つ確率は2分の1だ」
「その計算はおかしいってば……」
「大丈夫! 昨日もおとといも、さきおとといも負けてるんだ。今日は勝つぜぇ」
……まったく、あと10年後にこういう大人にはなっていたくないところです。
いやいい人なんですけどね、勝ったら銀の箸亭でみんなに奢ってくれたりするし。勝っても負けても散財するからお金が貯まらないって話もありますけど。
ともあれ、今日は半分だけ両替してくれってことは、まだ理性が働いてるんでしょう。あたしはとりあえず8枚の銀貨を受け取って、80枚の銅貨に換えてダルムさんに渡します。「ありがとな!」と銅貨をじゃらじゃら自分の財布に入れたダルムさんは歯を剥き出しにして笑って、カードゲームのテーブルにどっかと腰を下ろしました。高級そうな財布の方は、きっと故買商のエレカおねえさんが来た時に買い取ってもらうんでしょう。
エレカおねえさんは盗賊ギルドに持ち込まれる盗品を一手に扱っていますが、遠い場所で売り捌かなければならないので、忙しくて1ヶ月に1回も来ればいい方です。宝石泥棒なんかをやってる人達は、エレカおねえさんが来ない期間が長くなると、現金収入がなくなるから生活が大変そうで。もちろん、盗賊ギルド専属のエレカおねえさん以外の店に売るのは、足が付きかねないですし掟違反ですよ。
ちなみに盗賊ギルドでも、実は買い取りサービスがあるんですけど、エレカお姉さんに直接売るより3割くらい引かれちゃうので、使う人はあまりいません。それでも生活に困っちゃったり、あとは特例として魔法のかかった軽い武器や防具に護符、ちょうど盗賊ギルドで教えている戦闘術に使いやすそうなのだったら、盗賊ギルドが直接かなりいいお値段で引き取ったりします。そういう時はハレスくんの出番、そういえばさっき鑑定してたのも、きっと魔法のかかった護符でしょうね。
さて……ダルムさんのゲームの行方を見届ける暇もなく、次のギルド員がやってきます。夕方の混雑する時間帯にスリで一仕事してこの時間、もしくは夜中にお金持ちの家とかに盗みに入り込んで明け方にやってくる人が多いですね。おっと、また一人やってきました。
稼いだ金額と上納金として受け取った金額を帳簿に記入して、さらに受け取った金額を小さな紙に書いて払った人に渡します。結構厳重ですけど、一応盗賊ギルドですから。受付が上納金を盗んだりしないように、ってことです。まぁ、滅多なことで確かめやしませんけど……バレたら5倍以上の金額で賠償した上に、利き手の一本くらいは覚悟しなきゃいけないとこです。
受け取ったお金は、足元に置いてある金庫の中の麻袋に入れておきます。金庫は三重になった丸い取っ手みたいなの――ダイヤルって言うそうです――がついていて、そのそれぞれに1から0までの数字が丸く書いてある不思議な鍵が付いていて、一番上に来る数字が一定じゃないと開かないという、クレドランス城下町の有名な錠前師が2年前に開発した最新技術を使ってるんですよ。ここやギルド長の部屋にある大きな金庫は、ケチケチせずに最新型が出たらいつも交換です。何せここは盗賊ギルド、お金が置いてあったらつい手が動いて盗っちゃう、なんて天性の盗賊みたいな人もごく少ないけどいるんです。そういう人からお金を守るだけじゃなくて、そういう人達をギルドの掟破りから守るって意味もあるんでしょうね。
一人終わってはまた一人、時には2、3人くらい並んじゃったりと、上納金を納めに来るギルド員はなかなか途切れません。簡単な仕事とはいえ、これだけ続くと銅貨1枚でも間違ったらあとで怒られるから集中して数えていて神経を使うのと、細い羽ペンを持つ手には変に力が入っちゃって手が軋みそうになるのとがちょっと辛いところ。大抵は銀貨何枚かとかですけど、たまーに金貨の大袋が持ち込まれたりして、数えるのが大変です。でも大きな稼ぎがあればギルドも潤うし、何より嬉しそうにしているギルド員の顔を見るのはいいものです。……そんな、高級焼き菓子詰め合わせのお土産なんかもらっちゃったから言ってるわけじゃないですよ、ええ決して!
「おいデュオン、アリカだけじゃなくて俺にも奢れよ」
「へへっ、俺は可愛い子だけにしかプレゼントは贈らない主義でね」
そう言って鼻を擦るのは、金貨の大袋と焼き菓子の木箱を持ち込んだデュオン。そこにログロ爺さんに助けられて本を読んでいたナナリちゃんが顔を上げて悪戯っぽく笑ったかと思うと、「ねぇデュオンさん」と呼びかけてちょっとたどたどしい流し目を送ります。
「デュオンさん、私、可愛くないですか?」
きょとんと首を傾げるようにして尋ねられ、金貨の大袋を持ち込んだデュオンが「え、あ、あの」と慌てます。自分の年の半分より小さな女の子にからかわれるデュオンに、ギルドのあちこちから上がる笑い声。ま、あたしよりたった4歳年上なんですけど、大富豪だとか貴族の家にしか盗みに入らない上にここ7年は捕まったことがないというデュオンは、密かにみんなの憧れの的です――背丈があたしと同じくらいしかない上に御面相も良く言って普通といったところなので、女の子にモテるって話はとんと聞きませんけどね。
でもギルドの仲間には優しいし、すごく良い人です。小さい頃にギルドに引き取られたあたしにとっては、一番優しいお兄ちゃんでしたし、今も一緒に飲みに行ったりもするし。
「そーよ、あたしは可愛くないってゆーのー?」
「ほほほ、わたしもあまり可愛らしくはないかしらねぇ?」
さらに何人かの女性ギルド員から声が上がって、デュオンはたじたじです。
「え、あ、その……あ、アリカに分けてもらってくれ……アリカ、いいかい?」
「構わないわよーこんなにいっぱいもらっちゃったし。それじゃ、みんな受付に取りに来てねー」
すまなそうに背中を丸めるデュオンに気にしないで、とウィンク。「やったぁ!」とナナリちゃんがログロ爺さんにぺこりと頭を下げてからカウンターへと駆け寄り、狐色に焼けた大きなクッキーの袋を二つ取って行きます。長い手足をばっちり見せる服装にマントを羽織った怪盗のユメちゃん――物凄くスタイルいいんですけど、あたしより5つも年下でまだ20歳なんです――も、それに昼間は物乞いのふりをしてる情報屋のココットばあちゃんも……あら、男達まで来ちゃいましたよ?
「ちょっとちょっとお前達! 俺は女の子達に買ってきたんだぞ!?」
「まぁいいじゃないですかデュオンの兄貴ぃ」
お菓子の木箱を隠そうとするデュオンさんの横から、すいすいとお菓子が抜けていきます。さすがみんな、スリや盗みで生計を立ててるだけありますよねぇ。
って、このままじゃあたしの分がなくなっちゃいます。あたしは急いで、ふわっふわの生クリームの挟まったとっておきの大きな焼き菓子を確保しときました。あたしが買ってきた魔法アイスみたいな、チーズやバターを使ったお菓子ならともかく、日持ちのしない生クリームを使ったお菓子はあたし達みたいな身分の者にとってはとっても貴重、男達なんかに取られては、せっかく買って来てくれたデュオンにも申し訳ないってもんです。
その間にも盗賊達が集まって、木箱はみるみる空に。「ごめんなぁせっかくプレゼントしたのに」としょんぼりしているデュオンに、あたしは「いいってことよ、あたしがみんなも取って良いよって言ったんだし」と笑って肩を叩きます。ちゃんとあたしの大好物のお菓子は確保したし、みんなも喜んでるしあたしに言うことなんてありません。……独占できたら何日おやつに高級焼き菓子を楽しめたかしらん、なんてちょっとは思いますけど、まぁまぁ詮無きことですし。
「はい、それじゃ上納金受け取りました。デュオンのおかげで金庫が潤ったわぁ」
「ん、そっか。そりゃ良かった。それじゃ」
言葉少なに言ってデュオンは背を向けて、扉に手をかけます。……ううむ、案外堪えてるみたい。
「デュオン、ちょっと待ってっ」
あたしはそっと魔法アイスを取り出し、振り向いたデュオンの懐に滑り込ませます。
お、今度はみんなには気付かれなかったみたい。みんなお菓子に夢中のようです。
「っ!? ……アリカ、何だこれ……?」
突然の冷たさに目を丸くして懐を覗き込んだデュオンが、ぱちくりと瞬きします。
「魔法アイス。おやつに食べようかと思ったけどあたしはデュオンのくれたお菓子食べたいし、でも全部受け取ってあげれなかったからお詫びに、ね」
「いや、そんな……受け取ってもらえなかったのはアリカのせいじゃ……」
「女の子の贈り物は受け取っておくものよ」
あたしのウィンクにわたわたとデュオンは頷いて、ようやく嬉しそうな笑顔を見せてくれます。「それじゃ」と扉を開け出て行く前に、手を振ったデュオンは明るい顔をしていました。
さて、そろそろ日も出た頃でしょうか。絶え間なく続いた上納金処理も、そろそろ落ち着いた頃です。そろそろ一休みしようかと、あたしはふわふわクリームの焼き菓子に手を伸ばしました。薄い高級紙に包まれた大きな焼き菓子を手に取って開けば、ふわんとバターの香り。かぶりつけば柔らかな生地と、滑らかなクリームがすっと口の中で溶けちゃいます。こりゃ王宮のお姫様が食べていてもおかしくないんじゃないかしら、なんて思いながら、あたしはちょっとずつ焼き菓子をかじって、幸せに浸ります。
ふと振り向けば、ナナリちゃんがログロ爺さんと一緒にクッキーを頬張っていました。そのために2つ持って行ったんだなぁ、とあたしはふんわりとろける甘さと一緒に、ナナリちゃんの良い子っぷりを噛み締めます。ログロ爺さんは片足が義足だから、狭いテーブルの間を抜けて受付に来るには時間が掛かっちゃいますからね。しかし眼光鋭く物覚えが悪いと手の甲に定規を振り下ろすログロ爺さんも――あたしも数回ぺしっとやられました――ナナリちゃんには骨抜きメロメロだし、ナナリちゃんもログロ爺さんに懐ききって、おかげでログロ爺さんに読み書きを習う子達は、ナナリちゃんがいる時は定規で叩かれないのでナナリちゃんがいる時を見計らって来てるとか……しかしそろそろ明け方、クッキーを食べ終わったナナリちゃんはそろそろ眠そうです。
「ログロ爺さん、私そろそろ帰りますね……ふわぁ……」
「おお、またおいで。さて、わしもそろそろ休むとするか……」
「じゃあ上まで一緒に行きましょう!」
ログロ爺さんが杖を手に立ち上がれば、ナナリちゃんが後ろについてきます。受付を通る時に「おやすみなさい」と手を振ってくれたので、あたしも「お疲れ様っ」と手を振りかえして。
ログロ爺さんを先に立てて、ナナリちゃんは階段を昇って行きます。きっとログロ爺さんが転びでもしたら、支えられるようにと思ってのことでしょう。ログロ爺さんとナナリちゃんが一緒にギルドを出るときは、ナナリちゃんが銀の箸亭の2階までログロ爺さんをこうして送っているそうなんです。
ちなみに銀の箸亭の2階と3階は、宿になっています。普通のお客さんも一応来ますが、盗賊ギルドの人は安く部屋を取れて、予約の時も優先されるので、長期で借りて寝床にしている人も結構多いです。
ナナリちゃんみたいに親御さんの遺したおうちに住んでたり、あたしみたいに小さな部屋を借りて住んでる人も、それ以上にいっぱいいます。ちなみにギルド長だけは、あたし達が普段いるギルドの奥に、専用の部屋を持ってるんですけど……この時間は、出かけてることの方が多いんですよね。
あ、でも……今、帰ってきました。あたしは立ち上がってギルド長に頭を下げます。
「お帰りなさい、ギルド長!」
他の人には「ようこそ!」って言うのがあたし流ですけど、ギルド長にだけはこう言うのが恒例。だってギルド長は、ギルドに住んでるわけですし。
『おかえりなさいませ!』
ギルド員達が立ち上がり、頭を下げます。普段は礼儀作法とかにうるさくないギルドですけど、ギルド長は特別です。
いや、ギルド長が強制してるとか、そういうわけじゃないんですよ。あたし達のほとんどは、困っていたところをギルド長に拾ってもらって、あたしやデュオンみたいに小さい頃からいる子なんかは育ててもらったんですから――ギルド長はギルドや売春宿で育てられる子どもに、育てるのにかかったお金を借金として要求したりしないんです――どんなギルド員でも、ギルド長には敬意を示しちゃうんです。
「ただいまー、みんな元気ー?」
へら、とギルド長が笑います。元気です、と返事を返す一同に満足げに頷くギルド長の、その服から立ち上るのはほのかな香水の香り。それも、とびっきり高級なやつだとか。
ギルド長が自分で付けてるんじゃないんですよ。ギルド長は、恋愛詐欺師なんです。
それも普段は領地に住んでいて、社交に訪れる貴族の奥方なんかを相手にする、凄い人なんですから。貧しい女の子と『自由恋愛』することもありますけど、そういう時は高級なお店に連れて行ってディナーしたり、高級連れ込み宿を選んだり、帰りにお小遣いを渡したり、全部奢ってあげたり、『素敵な夢を見せてあげる』ってのがギルド長の信条だそうな……売春って言っちゃったらそうなんですけど、きっとそれで何人もの女の子が窮地から救われてるはずなんです。
「あ、ギルド長、今日の上納金、お渡ししちゃった方がいいですか?」
「うーん、そうだねー僕も早く寝たいしー。あ、これ僕の今日の収入ねー」
とん、と机に置かれた麻袋は小さいですが、中に入っているのは全部金貨。きっかり20枚入っていたので、1枚抜いて帳簿に記入し、金額を書いた紙をギルド長に渡します。ギルド長が詐欺の相手からお金を引き出す時はいつも20の倍数にしてくれるので、計算が大変助かります。
「ありがと、それじゃー部屋に来てねー」
「はい、ありがとうございましたっ」
ギルド長に受け取った金貨1枚を集金用の麻袋に入れて、帳簿に今日の合計金額を計算して書きこんでから、あたしは金庫を閉めてギルド長の部屋に向かいます。ノックしたら「はーいどぞー」と声が聞こえたので「失礼します」と扉を開けて……
「きゃああああ!?」
「あっごっめーん。着替えてたー」
「だったらノックした時に言ってくださいよぉ!」
慌ててドアを閉めます。きゃー、と女の子達の黄色い悲鳴。
「いいなーアリカちゃん、ギルド長の着替えシーン目撃だなんてー」
ユメちゃんがにやにや笑いながら近づいてきたので、「よよよ良くないわよ!」とあたしは首を振ります。ああ、びっくりしすぎてまだ声が震えてます。
「どうだった? かっこよかった? 意外と筋肉ついてた?」
「見てない見てない!」
まったく、ユメちゃんはギルド長大好きなんだから。
……といっても、ギルド長は盗賊ギルドの子には手を出さないことにしてますから、きっとユメちゃんの片想いが実ることはないんですけど。夢の早足って名前の怪盗として派手に活動してますから、正体を明かすわけにはいかないとはいえファンの子達もいっぱいいるらしいし、街を歩いてても声を掛けられる派手な顔立ちをしてますけど、ユメちゃんは本当にギルド長に一途なんです。
「もーいーよー」
かくれんぼの鬼に呼びかけるような気の抜けた声。ギルド長が女の人を口説く時もこうなのか、それともその時はシャキッとするのか、ギルド員達の永遠の謎です。
「はい、失礼します」
ドアを開けると、しっかりお洒落に決めていた服から、ざっくりとした貫頭衣とズボンに着替えたギルド長がいました。後ろから覗きこんでユメちゃんが「きゃー♪」と声を上げていますが、毎回見ているのによく飽きないなぁとあたしは感心するばかりです。
「こちら、今日の収入になりますー」
「やー今日は多いねー」
「銅貨が結構ありますし、デュオンの収入がかなりあったみたいなので」
「あーデュオンかー。彼はがんばってるねー」
ふわぁ、とあくびするギルド長に帳簿を渡して、あたしはギルド長の机の上に硬貨を積み上げていきます。10個ずつの山を作って、数えやすいように。
銅貨が328枚、銀貨が48枚、それに金貨が52枚。普段はこんなに金貨があることもないんですけどね、デュオンに感謝感謝です。
「んー間違いないねー」
その間に帳簿のチェックを終えたギルド長が、へらーと笑って帳簿を返してくれます。そして山積みの硬貨をまた袋に入れて、大きなギルドの金庫へ。
この金庫の番号の組み合わせは、ギルド長ともう一人、ココットおばあちゃんしか知りません。ココットおばあちゃんは物乞いに扮していますけど実は情報屋達の取りまとめ役で、盗賊ギルドに集まる全ての情報を管理してます。新しい情報を買うのに、いくら使ってもギルド長も咎めることは絶対しません。
それくらい、情報は大事ってことなんですよね。
「それじゃ、お疲れ様でした」
「んーおやすみー」
そう言いながらあたしが出ていく前に、既にベッドに滑り込んでいるギルド長。扉を閉める時にユメちゃんが覗き込んで、「いいなーいいなー」を連発しています。
さて、あたしもそろそろ交代の受付が来たら、帰って寝たいなぁ……。
「おはようございます、アリカ先輩」
「あ、おはよう、ペルンちゃん」
ちょうど扉が開いて入ってきたのは、あたしと同じ受付のベルンちゃん。
「一仕事してきたので、これだけ記入してもらっていいですか?」
「もっちろーん。あ、ギルド長にゆうべの分渡してあるから、これは今日の分ってことでお願いね」
「わかりました!」
そう言ってベルンちゃんは、光沢のある布地の財布から、お金をざらざら取り出します。……お、金貨まで入ってる。
「すれ違いざまにいい身振りのおじさまが歩いてたので、ちょっとやってきちゃいました」
へへっと笑うベルンちゃんは、受付であたしと同じお給料をもらっていますが、よくお金持ちの財布をスリ取りながら通勤してきます。元々スリが大得意ですから、我慢できないのかもしれません――上納金には絶対手を付けないからこそ、受付やってるんですけどね。
「はい、終わりました。それじゃ、あとはよろしくね」
「了解です!」
元気いっぱいのベルンちゃんに見送られて、あたしはみんなに挨拶して階段を昇ります。そのままお手洗いを出ると、朝の光が眩しくて、目の奥が痛む感じがしますけど、お仕事上がりだと思うと達成感と心地よさの方が先立ちます。
……あれ?
「デュオン?」
「ああ、お疲れ様」
銀の箸亭のテーブルに座って、手を振っているのはデュオンです。
「帰ったんじゃなかったの?」
「いや、せっかくいい収入があったから、朝ご飯でも奢ろうかと思って」
「そんな、焼き菓子だけで十分なのに」
そう言いながらもあたしは、デュオンの向かいに座ってメニューを眺めはじめちゃったり。何せ晩ご飯から食べたのが焼き菓子1つですから、お腹が空いちゃって……。
「あはは、腹減ったって顔してるじゃないか。せっかく稼いで来たんだからタカれタカれ」
「それじゃ、お言葉に甘えてー」
いやぁ、頼れる兄貴分を持つって、幸せだなぁ……。
そんなわけで閑散とした店の中、あたしとデュオンは朝ご飯を楽しみながら、しばしよもやま話に明け暮れるのでした。