盗賊ギルドの入会 ~ナナリちゃんの場合~
あたしが住んでいるクレドランス城の城下町の、旧市街地にある銀の箸亭という酒場。さらにそこから階段を何段も下った地下が、あたしの職場、盗賊ギルドです。
賄いのお昼ご飯(美味しいけど有料です。ホント、ケチ……いえいえしっかりしてるんだから)を食べ終わって、午前中担当の受付と交代したところで、ゆっくりと目の前の扉が開きました。
普通のお店とか、もしくは職人ギルドなんかだったら、お洒落なベルの音でも鳴るところ、もしくはもう少し貧しい所ならドアが軋む音なんかするところでしょうけど、うちのギルドのドアの音は静かなもんです。
まぁ盗賊ギルドともあろうものが、賑やかな音なんか出してたらちょっと締まりませんからね。
盗賊ギルドへの入り口を兼ねる酒場、銀の箸亭のマスターが連れてきた女の子――昨日路地裏であたしの財布を盗もうとした子に間違いありません――は、きょろきょろと辺りを見回していました。表の酒場と違って、そこそこ長い階段を下りた先にある盗賊ギルドは、夏の真昼とは思えない涼しさと暗さを誇ります。
……いや、暗さは誇るものでもないかもしれませんけど。でも日焼けしない職場ってのはそれはそれでいいものなんじゃないでしょうか。
――だけど、雰囲気まで暗くなるのはいただけませんから。
あたしは、最高の笑顔で女の子――新規入会者を迎えます。
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」
「おいアリカさんよ、そのようこそっていうの、どうにかならんのか……?」
「いいじゃない、ここまで来るのはわかってて来る人ばっかりなんだから。ねー?」
銀の箸亭のマスターの苦言を受け流し、アリカことあたしは女の子に向かってウィンク。緊張した様子でこくこく頷く彼女も、そろそろこの暗さに目が慣れた頃でしょうか。
明るい外から来たらとても暗く感じる盗賊ギルドですが、ちゃんといくつものランプが煌々と火を灯していますから、生活するのに困るようなことはありません。
受付にもランプがありますから、文字を読み書きするのにもね。
「えーっと……お嬢ちゃん、お名前は?」
「あ……はい、ナナリです」
「ナナリちゃんね。あたしはさっき聞いてたと思うけどアリカ。盗賊ギルドの受付よ、よろしくね」
「はい……よろしく、お願いします」
随分スリに慣れてた割には、礼儀正しい感じです。うちに入ってくるこのくらいの子の中には、もっとスレたのがいっぱいいますからね。
まぁでも、素直な方がうちのメンバーに可愛がってもらえて、結果的には技術が伸びるのも早くなるだろうし、いいことなんじゃないかしら。
「ナナリちゃんね。読み書きはできる?」
「い、いいえ……あの、駄目ですか?」
「いーえ全然。自分の名前は書けると嬉しいけど」
「それくらいなら……大丈夫です」
ちょっと自信なさげですが、ナナリちゃんが大丈夫というなら信じておきましょう。
読み書きは出来ないけど名前だけなら書ける。まぁ、盗賊ギルドの扉を叩く人達の中では普通ってところですし。
「んじゃ、俺は戻ってもいいかな」
そう尋ねるマスターに、あたしはびしっと片手を上げます。
「はぁいお疲れ様でしたっ。あとはあたしがナナリちゃんとしっぽり入会手続きしますんで!」
「しっぽり……?」
ナナリちゃん何顔赤くしてるのかしら。最近の若い子はませてるわ……おおっとあたしが若くないわけじゃないですよ! まだ花の25歳なんだから!
ともあれ苦笑いしながらマスターは戻っていきました。音もなく扉が閉じ、ギルドにはあたしとナナリちゃんと、昼間からたむろしている盗賊達数人ばかりになります。
あたしの座っている受付は一番前にありますが、背後から視線が集中しているのが何となくわかります。もっとも彼らが注目してるのは、あたしじゃなくてナナリちゃんですけどね。
「それじゃ、あたしが誓約書の内容を読み上げるから、納得いかなければ質問するよーに。くれぐれも聞きたいことを残したままサインなんかしないように。いいわね?」
「あ……はい」
あたしがにっこり笑ってそう言うと、ナナリちゃんは明らかにほっとした様子でした。……字が読めないのをいいことにうっかり契約書にサインさせられて、借金まみれになった両親でもいるのかしら。
まぁうちの盗賊ギルドは、入会希望者に対してそういう詐欺じみたことをすることはありません。
盗賊ギルドってのはよく誤解されますが、犯罪を増長させるためにあるんじゃありません。むしろ逆に、犯罪を抑制してるんです。……ちょっと違うかな、犯罪者の統制を取るっていうのが一番近いかもしれません。
スリであれば、それくらいならば生活に困らない金持ちの懐を狙えるような技術を教えますし、出来ることならスリよりも割のいい仕事、密偵や冒険者なんかに就けるようにサポートしたりします。そんな入会希望者――大抵は生活に困っています――にわざわざ詐欺を働いてもメリットもありませんし、騙された人がもっと悪質な犯罪に手を付ける可能性も高いですからね。
……ともあれ。うちはそんな悪いギルドじゃないですよー、ってことです。
それよりまずは、ナナリちゃんに誓約書の説明をしなければ。
「それじゃまずその1。この誓約書にサインした地点から、ナナリちゃんは盗賊ギルドの一員になります……これは大丈夫かしら?」
「はい」
一度少し肩の力を抜いていたナナリちゃんは、再び緊張の色を顔に走らせます。けれど彼女は、迷うことなく頷きました。後ろの方からへぇ、と感心したような息が漏れます。
「この歳にしちゃ胆が据わってんな。まだ12、3だろ」
「いや、だからこそ怖いもの知らずなのかも知れねぇぜ」
ひそひそと交わされる言葉に、ますますナナリちゃんは体を固くしている様子です。ま、ギャラリーの雑談はうるさいですが、あえて止めるほどのことはないでしょう。
盗賊たるもの、過保護に育てられていいことなんかありませんからね。これから世間の荒波に乗っかって生きていかなきゃならないのですから。
なのであたしは、後ろから聞こえてくる雑談を放ったまま、次の説明に入ります。
「その2。盗賊行為によって得た金銭は、その20分の1を盗賊ギルドに納めること。これがギルド所属代になります」
ん、ナナリちゃんが首を傾げているようです。
「質問はすぐに聞かないと忘れちゃうわよ?」
「あ、はい。あの……盗賊行為って何ですか?」
あ、やっぱりそこよね、とあたしは心の中で呟きます。盗賊行為っていうのは、盗賊ギルド特有の言い回しですから。
「盗み……ですか?」
「盗みは基本的に全部盗賊行為ね。それから、ギルドから仕事を請けた場合は総収入の中から20分の1払う必要があります」
「お仕事もらえるんですか!?」
がたん、と机が揺れました。慌ててランプが倒れないように手を伸ばせば、「あ、ごめんなさい」と小さくなってぺこりと頭を下げるナナリちゃん。
こーゆーのが可愛いところです。後ろで眺めている奴らと違ってね。……ナナリちゃんまで染まって同じようにならないといいなぁ。
「いえいえ。まぁお仕事って言っても、盗賊としての高い能力や、戦闘能力が必要な場合が多いわ。敵国から大切な書類を盗んでくるとか、遺跡探索の手伝いとか」
「難しそうですね……」
しょんぼり肩を落とすナナリちゃん。まぁでも学び盛りのお年頃、数年真面目に技術を磨けばどうなるかわかりません。
「まぁ、まだ今は考えなくてもいいわね……それから、他には『盗賊としての技術を使って得た収入』ね」
「盗み以外に……ですか」
「ええ。遺跡探索でも鍵開けや罠探しの技術は盗賊ギルドで教えるものだし、あとはまだ関係ないとは思うけど、ギルドメンバーに自分の持っている技術を教えた時の報酬もその中に入るわね」
「いろいろあるんですね……全部20分の1納めなきゃいけないんですよね?」
「うん。ただし、盗賊としての技術を使わない仕事、例えば酒場のウェイトレスとか、お針子とか、そういう仕事からの収入から納める必要はないからね。上手く兼業するのがポイントかもしれないわね」
「……はいっ」
ちょっと考えた様子ですが、納得いったらしく勢いよくナナリちゃんは頷きます。うんうん、元気のいい返事はいいことです。
「それじゃその3……」
「アリカ姉さん、アレ、教えなくていいんすか?」
……どうやら、後ろの男どもが余計な差し出口をしたいようです。
でも、それを説明するのはあたしもちょっと、特にこのくらいの年の女の子相手には、控えたいわけで……。
「あーのーね。そういうのナナリちゃんには教えなくていいの」
「反対でーすアリカせんせーい」
わざと高い声を作って、手を挙げてからかうように言う男。あいつも先生とか言ってますけど、学校なんか行ったことないはずなんです。学校なんていうのは、貴族だとか大商人の子どもが行くものですから。
そうじゃない子ども達の学びの場っていうのは、職人だとか商人だとかのギルドなんです。盗賊ギルドだって例外じゃないんですよ。……ちょっと方向性が違うだけで。
この男も小さい頃に盗賊ギルドに拾われて、読み書きがちょっとは出来るようになった口です。なぜ学校に通う生徒の真似なんかしているかって言うと、おおかたギルドに来るメンバーが暇つぶしに回し読みしている薄っぺらい女子校ものの小説なんか読んだんでしょう。
……ま、それを買ってきたのはあたしなんですけど……いいじゃないですか憧れるくらい。あー、ドレス着て優雅に女の子同士でお茶会なんかしてみたいなぁ……でもそれもこんな職場じゃ夢のまた夢……。
「あ、あの、アリカさん」
「ふぁっ!? あ、あーごめんね?」
思わず想像の世界に飛んで行きそうになった意識を、ナナリちゃんの声が引き戻します。
「えっと、その3についてだったわよねー」
「いえ、あの、お兄さん達が言ってたこと、教えてくれないんですか……?」
あぁもう、男どもってばこれだから。
後ろで男達が高く挙げた手を打ち合わせて喜んでいます。「お兄さん達だってよ」だとか「へっ、オレに言ったんだよ。お前なんかその無精髭のせいでおっさんにしか見えないぜ」とか……まったく、気楽なんですから。
「あのね、ナナリちゃん、これは知らない方がいいことだから……」
「でも知らないでやっちまったら罰則か罰金になっちまうぜぇ」
男どもの言葉にナナリちゃんが蒼ざめます。盗賊ギルドを始めとする裏社会の罰則ってのは、子ども達でも知ってるくらい恐ろしいものだって言われてますからね。
……実際は、そんなに怖くないのも多いんですけど。命まで取られるのはごくごく稀ですし、指なんかを切り落とすこともあまり多くはありません……盗賊ギルドに15年いるあたしが、3回見たか見ないかです。
まー普通の人は一生見ませんけどね!
「お、お願いします教えて下さい。間違ってやっちゃったら大変ですから……」
「あー、うー、あー……」
「ほらナナリちゃんがここまで言ってるんですから」
「俺達が実践するより、アリカさんが教えた方がいいだろー?」
「あんた達は黙ってて!」
後ろの男達に振り向いて怒鳴りつけてもにやにや。……はぁ、でも彼らの言う通りです。
男達から聞くよりも、こういうのは女のあたしから説明した方がいい……んだ、ろう、なぁ……。
「あの……」
でも確かに、もうナナリちゃんだって『女の子』になってるんでしょうしね。今はそんなこと考えもしなくても、あたしが説明しなかったせいで酷い目に遭うなんてちょっとごめんです。
「あー、それじゃ、説明するわね。あの……」
でもやっぱり少々躊躇うのが、女心ってもんです。
だって……。
「あのね、売春も、盗賊行為の一つになってます。盗賊ギルドの管轄するお仕事の中に、売春婦も入ってるのね。……わかる?」
「は、はい」
こういうことだからです。
ランプに照らされるナナリちゃんの顔が僅かに赤くなったのに、後ろの誰かが口笛なんか吹いています。まったく、他人事だと思って気楽なもんなんだから。だからあいつは八百屋のお嬢さんにこっぴどく振られたんですきっと。ううん知らないけど絶対そう!
「街角に立つにしても、そういうお店で働くにしても、盗賊ギルドにお金を納める必要が出るのね。お店で働く場合は、お店の方でまとめて払ってる場合が多いと思うけど。……そういう仕事をするんでもあたしは止めやしないけど、それだけは覚えといてね」
「はい……」
あえて事務的に説明を終えて、あたしは一つ息を吐きました。ナナリちゃんくらいの子ならともかく、15歳を超えるような女の子には基本的に説明しなきゃいけないんですが、この説明はいつも気が重くって。
「俺達とただ遊ぶだけなら上納金いらないぜ!」
後ろからかけられる言葉に、ナナリちゃんの頬が真っ赤に染まります。とりあえずうるさい黙れ幼女趣味野郎って怒鳴りつけておきました。……ま、あいつらも冗談で言ってるんですけどね。ちょっと下品ではありますが、嫌がる女の子をどーにかするような奴らじゃないです。
そーゆー奴らも盗賊ギルドには少なからず入ってくるのですが、大抵は……いや、この話はやめときましょう。長くなるし、ちょっとばかり嫌な話になりますからね。
ままま、深呼吸して頭を切り替えていきましょっと。
「それじゃ、改めてその3……ギルド所属代を納めている限りにおいて、以下の特典を得ることが出来る……読み上げても大丈夫?」
「はい、お願いします」
「わからなかったらいつでも聞いてちょうだいね」
前置きしてからにしたのは、この欄は割と項目が多くて面倒だからです。
「まず、クレドランス城下町における盗賊行為の許可。それと、盗みを伴わない盗賊行為の許可」
「あの」
そっと手を挙げるナナリちゃん。わからないことはちゃんと質問してくれるとこっちも説明が楽です。
「はいどうぞ」
「えっと……盗みをしていいのはクレドランス城下町だけ、あとは……遺跡とかの探索なんかは、城下町以外でも大丈夫ってことですか?」
「その通りね。物わかりいいじゃない」
「あ……ありがとうございますっ」
顔を真っ赤にして大きく頭を下げるナナリちゃんは、褒められ慣れていないのでしょうか、こんなちょっとした褒め言葉に嬉しそうに頬を緩めて、ここに来て初めての笑顔を見せてくれます。
いやーこんなに喜んでくれると、こっちも先輩らしく可愛がってあげたい気分になりますねぇ。
「うんうん、それじゃわかってくれたみたいだから次ね。クレドランス城下町で盗賊行為によって逮捕された時の、釈放金の支払いと身元引受人の派遣。ただし釈放金は基本的に逮捕された本人の、ギルドからの借用金とする」
「……えっと?」
「うん今のトコは難しかったわよねぇ。えっと、要するに盗賊行為、主に盗みによって憲兵さんに捕まったら、盗んだ分を5倍にして弁償することで、釈放してもらうことができるのね」
「銅貨10枚盗んだら、50枚払えばいいんですか?」
「OKその通り。ただしそれには、身柄を引き受けてくれる人、具体的にはお城のお役人さん以上の地位の人に来てもらって、お金を払ってもらう必要があるのよね。盗賊ギルドはこのお役人さんに何人か協力してくれる人がいて、盗賊ギルドで用意したお金を代わりに払って身柄を引き受けてくれるのね」
ちなみに盗賊ギルドの協力者には、お役人さんなんてものじゃなくてかなりの大貴族や、爵位は持っていなくても国中で商売している大商人もいまして、とんでもない盗みで捕まった時なんかの身元引受人だとか、釈放金の立て替えだとか、いろいろやってくれるんです。表立って言ったら国が引っくり返っちゃいますから、まだギルドに入るかわからない子に話すことじゃないですけどね。
「じゃあ、盗みで捕まっても大丈夫なんですか?」
「大丈夫……ってわけでもないかな。釈放するのにギルドが払ったお金は、逮捕された人がギルドから借金してるってことになるからね。ギルドの金利は少々お高いわよー」
にまっと笑ってちょっと脅しておきます。ひ、と息を呑むのが可哀想ですがこれも本人のため。実力に合わない無茶な盗みなんかしないに限ります。
ま、実力があるならたとえ王城に忍び込もうが、成功するなら構わないですけどね。失敗しても自力で釈放金を払えるならこれもまたよし。王城に忍び込んで失敗したら、大抵は処刑されちゃいますが。
「では次。いくつかの基本的な技術は、教官から追加料金なしに教わることができる。教官以外から教わるなら、その人との交渉次第だけどね」
「基本的な?」
「そ。例えば読み書き、算数、針金で鍵を開ける方法、忍び歩きなんかね。あとは軽い武器や隠し武器を使った戦闘術なんか。才能のある子には、もっと難しいところまで教えたりするわ」
「え、読み書きも教えてもらえるんですか!?」
嬉しそうにナナリちゃんが身を乗り出します。「読み書きは必須みたいなもんだからね、教官も大抵一人は来るようにしてるし」と言った時の、輝いた顔ったら。
このくらいの年頃なら、大抵の子はそんな感じです。読み書きが出来るってことに、凄く憧れを持ってるんでしょうねぇ……あたしもそうでした。初めて自分のお金で物語本を買った時の感動はそりゃぁもう……おっといけない、説明中でした。
「教官が誰かは、ナナリちゃんが来た時にここにいたら教えるわね。そうそう、今日来てる中では、読み書きと算数が……」
「儂だ」
隅の方で若い男達とカードゲームをやっていた爺さんが、軽く手を挙げてみせます。眼光鋭くよく見れば片足は義足、顔には傷跡、怖い要素満載の爺さんに、ちょっとナナリちゃんの顔が引きつりました。それでも「よろしくお願いします」とちゃんと頭を下げるのが多分彼女のいいところです。
「びしばし鍛えてやるからな、覚悟はいいかい?」
「は、はい……頑張り、ます」
「こらこらログロ爺さん、ナナリちゃん脅かしちゃ駄目ですよう」
ふっと笑って、ログロ爺さんはカードゲームに戻ります……あ、勝ったみたい。頭を抱える若い衆からにやにやしながらお金を巻き上げています。
ま、若い子を怖がらせるのが好きですが、本性はおちゃめじじいに他ならないんですけどね。あたしが入ったばかりの頃は、まだ足もあったし『仕事』もしてたんですけど……今は若い子達に読み書き算数を教えるおちゃめじじいです。
「他の教官は今日は来てないし、次に行っちゃいましょっか。まぁ、あとは賄いのご飯が格安で食べれるとか、他の街に行く時にそこの盗賊ギルドに紹介状を書いてあげられるとか、盗賊ギルドからの依頼が請けれる……こんな感じね。他にも細かいのはいっぱいあるけど、ログロ爺さんから読み書きを習えば自分で読めるようになるだろうし、その時わからないことがあれば聞いてちょうだい」
「はいっ」
そう勢いよく頷いて、「これ、読めるようになるんだぁ……」と幸せそうに頬を緩めるナナリちゃん。なるべく短い文章に必要事項を全部詰め込んだ誓約書ですから、ちょっと難しい内容も多いですが、これだけ学ぶ意欲があればあっという間なんじゃないかしら、なんてあたしもちょっと楽しみになってきちゃいました。
なんてったってあたしは受付ですから、ナナリちゃんの成長を近くで眺めることができるんですから。ギルド内で教わる技術の向上はもちろん、受け取る上納金の額から外でどんな活躍をしてるのかもわかっちゃいますからね。
「で、あとはギルドの保護を受けられなくなる条件ね。『事前の申請なしで1ヶ月以上ギルドに顔を出さなかった時』か、『事前の申請なしで1か月間上納金の納付がなかった時』、つまり基本的には1ヶ月ここに来ないか、1ヶ月上納金を納めなかった時は1ヶ月と1日目からギルドの特典を受けられなくなります。それでもギルドを脱退したって扱いにはならないから、何かやらかしたら罰則を受ける可能性はあるから注意してね」
こくんとナナリちゃんは頷いて、少し考えた後口を開きます。
「えっと、1ヶ月以上来なかった後に、またここに来て上納金を納めたら、いろんな特典はまた受けれるんですか?」
「うん大丈夫よ。上納金を受け取ったその日から、また盗賊ギルドに所属してることになります。あと事前の申請ってのは、『1ヶ月以上かかる遺跡の探索とか冒険に行きます』ってのが基本ね。生活費に困った場合なんかは大抵通らないから、そこら辺注意してね」
「はい……そこはちゃんと稼いで上納金持って来なきゃ、駄目なんですね」
「そうですっ。ギルドはみんなの上納金で成り立ってるからね、例えば教官のお給料とか、この建物の維持費とか、ちなみにあたしのお給料も上納金からいただいてるのよね」
ちなみにヤバイ仕事の口止め料とかも入ってるので結構な金額だったりするんですよ。その分極秘事項について口を滑らせたら本人の処刑じゃすまないことさえありますけど。
「というわけで、最後まで説明し終わったけど質問ある?」
ちょっと怖い想像を振り払い、あたしはまた笑顔でナナリちゃんに尋ねます。ナナリちゃんは少々長い時間迷っていたようでしたが、おずおずと口を開きます。
「あの……脱退についてとか、ないんですか……?」
「そんなものはない」
「えっ……」
思わずちょっと真顔になっちゃうあたしです。
「盗賊ギルドはこれでも裏社会の一員だからね、いろんな秘密やちょっとヤバイ技術も抱えることになります。それを『盗賊ギルドを脱退したから』で自由に話されたり、使われたりしちゃダメなわけね。上納金を納めずにギルドの特典を受けないことはできるけど、罰則は受ける可能性があるってのはそういう意味なのよ」
ごく、とナナリちゃんが息を呑みます。
「一応、今話したことにはほとんどギルドの秘密は入っていないから、今ならギルドに加入しないで帰ることもできるわ。それでも、ここで聞いたことを誰かに話したら……まぁ、端的に言って酷い目に遭います」
そう言ってから、「で、どうする?」とあたしは問います。――この問いは、彼女の一生を決める問いです。一生をそれなりに稼ぎながら裏社会の人間として過ごすか、それともまた日の当たる場所で稼げないけれど胸を張って誰にでも言える職に就くか。
12歳だか13歳だかのまだ成人も迎えていない子には、厳しい選択ですけれど。それでも15歳の成人前に勝手に人生が決まってしまう子だって多いことを考えれば、選択肢があるっていうのはそれだけで幸せなこと。
だからあたしは、この決断に関してだけは、ナナリちゃんを手伝う気は全くありません。
――軽く俯いたナナリちゃんは、長い間考えていました。後ろで茶化していたギルド員達も、この時ばかりは口をつぐみます。だって誰もが、この問いに多かれ少なかれ悩んだ末、盗賊ギルドに、日の当たらない裏社会に足を踏み入れ、一生歩んでいくことを決めたのですから。盗賊ギルドに属する者なら、誰一人としてこの決断を前にする人をからかうことはできませんし、恐らくはアドバイスもできないでしょう。
長い長い沈黙の後――ナナリちゃんは、はっきりと顔を上げました。
「私……盗賊ギルドに、入ります」
かすれた声でした。けれど部屋全体に響く、しっかりした声でした。
「よろしく、お願いします」
そして今まで黙っていた分が爆発したような歓声が響きます。ナナリちゃんは目を見開いてびくりと肩を震わせます、けれど――、
「いやっほう、何カ月ぶりかのかわいこちゃんだ!」
「お前そればっかりだな。同業者が増えたことを素直に喜べよ」
「けっけっけ、これでお嬢ちゃんもワルの仲間入りか……」
「アンタと一緒にするなよ。もしかしたら『真っ当な』盗賊の方になるかもしれんしな」
「ま、何はともあれめでたいめでたい。今夜は俺がご飯を奢ってやろう」
「パーティじゃないのかよー」
「俺にそんなに金があると思うのかよ」
人相の悪い男達の言葉に、歓迎の意思がしっかりと込められていることに気付いて、嬉しそうに頷きます。
――さて、最後の仕上げです。
「それじゃ、ここにサインしてね。……サインは大丈夫、よね?」
「はい!」
慣れない手で持った羽ペンが、丁寧に文字を書いていきます。ナナリ、とちょっとつたない字で書かれたそれが、彼女が裏社会に足を踏み入れた証。
二枚の誓約書にサインしてもらいます。一枚は盗賊ギルドに、もう一枚はナナリちゃんに。
片方を受け取ったあたしは、今日一番の笑顔で手を差し出しました。
重なった手をぎゅっと握って、あたしは大きく頷いて、口を開きます。
「ようこそ、盗賊ギルドへ!」