1.催眠殺人
警視庁捜査一課。
「暇ね……」
そう言って机に突っ伏す端正な顔立ちをした黒色長髪の女性、黒沢 聡美警部。
「平和なのはいいことですよ」
と言うのは新米刑事の荒川 洋子巡査だ。
プルルルルル──部屋に設置された電話が鳴る。
洋子は応答した。
「はい、捜査一課。……はい!……分かりました!」
受話器を置く。
「警部、事件です!」
「場所は?」
「杉並区の住宅街です。行きましょう!」
聡美と洋子は覆面パトカーで現場へと臨場した。
現場では鑑識が証拠の採取をしていた。
二人は遺体の前で合掌する。
鑑識からの報告で、遺体は平田 啓助だということが判った。歳は三十五。職業はウェブデザイナー。死因は腹部の刺傷による出血によるものだ。死亡推定時刻は二十三時ごろである。
「荒川さん、周辺の聞き込みに行くわよ!」
聡美と洋子は聞き込み捜査を始めた。
周辺で聞き込むこと数十分、二人は昨晩の二十三時ごろに男女が言い争いしていたという情報を入手した。
次に二人は害者の交友関係を洗った。その結果、二人の女性が捜査線上に浮上した。
一人は小松原 郁恵という二十代後半で、被害者と交際関係にあった。
もう一人は榊原 湊という被害者の高校時代の同級生だ。彼女は高校時代、被害者の交際相手だった。
「黒沢警部、どこから当たるんですか?」
「そうね、取り敢えず小松原の家から」
聡美と洋子は小松原の家を訪ねた。
ピンポーン──インターホンを鳴らすと、女性が出て来た。
二人は女性に警察手帳を見せた。
「小松原 郁恵さんですね?」
「はい、そうですが……」
「先ほど、平田 啓助さんが遺体で発見されました」
「え!?」
驚きと惑う小松原。
「小松原さん、貴方、昨晩の二十三時ごろ、どちらに居ましたか?」
「け、刑事さん、私を疑ってるのですか?」
「いいえ、これは形式的な質問で、事件関係者や友人に訊いているのです」
「あ! アリバイってことですね!?」
「ええ、まあ……」
「それで、どちらに居たんですか?」
「それなら私、事務所に居ました」
「事務所?」
小松原は懐から名刺を取り出した。その名刺には私立探偵と書かれていた。
「私立探偵ねえ……」
「あの、これから仕事なんで、用が無ければもう行きますけど?」
「これは申し訳ございません。荒川さん、おいとましましょう?」
聡美と洋子は小松原の家を後にした。
次にやって来たのは、榊原の家だった。
インターホンを鳴らすと女性が出て来る。
「榊原 湊さんですね?」
「はい、そうですが……どちら様ですか?」
「これは失礼」
二人は榊原に警察手帳を見せた。
「警察の方が何か?」
「貴方が高校時代に交際していた平田 啓助さんがお亡くなりになりました」
「え、啓助が殺された!?」
聡美はその言葉に疑問を覚えた。
「それで今、誰が殺害したのか調べているんです。榊原さんは夕べの二十三時ごろ、どちらに居ましたか?」
「たぶん、家で寝ていたと思います。その時間帯の記憶がないので……」
「そうですか。それを証明することは出来ますか?」
「出来ないです」
「そうですか。平田さんのことで何か気になることってありますか? 例えば、誰かに恨まれていたとか」
「そうですね……。特にこれと言ったことはないと思います」
「そうですか。では我々はこの辺で。何かあったらまた来ます」
「分かりました」
ドアが閉じられる。
聡美と洋子は榊原の家を離れた。
すると、榊原が家から出て来た。
尾行する聡美と洋子。
榊原はある探偵事務所へと向かった。そこは小松原が個人でやっている事務所だった。
榊原が事務所のドアを開けて中へ入る。
それから暫くして、榊原が事務所から出て来た。
聡美と洋子は榊原をやり過ごし、事務所へと入った。
「いらっしゃい。……あ、さっきの刑事さんですか」
「小松原さん、榊原さんとはどういうご関係ですか?」
「榊原さん?」
「今の、榊原さんですよね?」
「いや、彼女は工藤 蘭さんですよ。私の依頼人です。それ以上のことは守秘義務があるのでお答えしませんけど」
「それ、恐らく偽名です。彼女の本当の名は榊原 湊です」
「え?」
「彼女の依頼内容を教えていただくことは出来ませんか?」
「守秘義務があるので……」
「人一人の命が奪われているんです。教えていただけませんか?」
「守秘義務です。法的開示請求権のある弁護士にでも依頼して下さい」
「そうですか。では他の方法を探させていただきます」
聡美と洋子は被害者の平田が住むマンションへ行き、管理人室を訪ねた。
管理人に警察手帳を見せる聡美。
「あ、ご苦労様です」
「昨日の防犯カメラの映像は見れますか?」
「はい。ちょっと待って下さい」
管理人がキーボードを打ち、昨日の防犯カメラの映像を再生させた。
映像に小松原の姿が映った。
「警部、この人、探偵の小松原さんじゃないですか?」
「管理人さん、防犯カメラの映像はここだけですか?」
「いいえ、他にもありますよ」
管理人が映像をエレベーター内のものに切り替える。
映像にはやはり小松原が映っており、彼女は五階で降りた。
「管理人さん、五階には平田さんの部屋がありますよねえ?」
「あ……、そうですね」
「と言うことは、小松原さんは平田さんを訪ねた、ということかしら……? あ、それと、昨夜二十三時ごろの映像を映してもらえますか?」
管理人が二十三時ごろまで早送りをした。
映像に榊原の姿が現れる。
「荒川さん、小松原さんのところへ戻るわよ」
「はい」
聡美と洋子は小松原探偵事務所へと戻った。
「小松原さん、貴方は昨日、平田さんの自宅へお伺いしてますよねえ?」
「ええ、まあ……」
「榊原……いえ、工藤さんに平田さんのお住まいを探すよう依頼されたのではありませんか? そして今日お会いしたのは調査料のお支払いと言ったところでしょうか?」
「短時間でよくもそこまでお調べしましたね。確かにその通りですよ。でも、工藤さんが啓助を殺すなんて考えられません。別の誰かが殺したんじゃないんですか?」
「いいえ、工藤さんが平田さんを殺害したのは確実です。事件当夜にマンションの防犯カメラに映っていましたからね」
「それだけで犯人と断定するのは早計では?」
「容疑をかけるには十分かと思いますけど。ではこれで」
聡美と洋子は榊原の家に移動した。
ピンポーン──榊原家のインターホンを鳴らすと、榊原が出て来た。
「あ、さっきの……」
「先ほど、探偵事務所に行かれましたよね?」
「え? 行ってないですよ」
「では何をしてました?」
「強烈な睡魔に襲われたのでベッドに入って寝てました」
「そうですか……」
(工藤 蘭の方を調べてみるか……)
「荒川さん、他を当たりましょう」
「え? 追いつめるんじゃないんですか?」
「いいからいいから」
聡美と洋子は榊原家を離れ、杉並区役所へと移動し、窓口で警察手帳を示して工藤 蘭の戸籍を閲覧した。それによると、工藤 蘭は一ヶ月前に他界していた。
「警部、まさか工藤 蘭が榊原さんに乗り移って……?」
「それはないから安心して」
聡美は工藤 蘭の戸籍謄本を確認した。
謄本には蘭の兄、総一が記されていた。
(工藤 総一と言えば世間を騒がす催眠療法士ね)
「ご協力感謝します」
聡美と洋子は総一の家へ向かった。
ピンポーン──インターホンを鳴らす。
「はい?」
総一が出て来た。
「工藤 総一さんですね?」
「はい、そうですが……。あなた方は?」
聡美は警察手帳を見せた。
「け、警察!?」
驚き戸惑う総一。
「貴方の妹さん、蘭さんは一ヶ月前にお亡くなりなられていますよね?」
「ああ、その通りだよ」
「どうしてお亡くなりになったんですか?」
「首吊りだよ。俺が仕事から帰ったら首を吊って死んでいたんだ……」
「そうですか。ところで、貴方、催眠術師だそうですね」
「ええ」
「催眠術を使って誰かを操ることも可能なんですか?」
「もちろん可能ですよ。あ、だからって俺が平田さんを殺した理由にはならないですよ?」
「貴方、嘘吐きましたね? 平田さんは確かに殺害されていますが、他界されたことはまだ公開していません。貴方、榊原 湊さんに催眠術をかけましたね?」
「なっ、そんなことしてねえよ! 榊原 湊って誰だよ!? これ以上言うんなら名誉毀損で訴えるぞ!」
「お好きにして下さい。ではこれで」
聡美と洋子は総一の家を後にして、榊原家へ舞い戻った。
榊原が玄関のドアを開ける。
「ああ、刑事さん、まだ何か?」
「工藤 湊さんをご存知ですか?」
「工藤 湊……? うっ!」
榊原は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「どうされました?」
「頭が割れるように痛い……!」
「榊原さん、工藤 総一さんをご存知ですか?」
「今付き合ってる彼氏です……。痛い……!」
「荒川さん、救急車呼んどいて! 私は工藤のところへ行くわ!」
聡美は総一の家に戻った。
総一がドアを開ける。
「まだ何かあんのかよ?」
「総一さん、あなた湊さんと交際しているようですね。湊さんが証言しましたよ」
ちっと舌打ちする総一。
「工藤 蘭さんの名前を出したところ、湊さんは激しい頭痛に襲われています。貴方が湊さんに催眠術をかけ、平田さんを殺害させたのではないですか? そしてその平田さんが蘭さんを殺害した犯人……。そうですよね?」
「くっ!……ああ、そうだよ。俺が湊に催眠術をかけて平田を殺させた」
聡美は懐から手錠を取り出した。
「工藤さん、貴方を殺人容疑で逮捕します」
聡美は総一の手に手錠をかけ、予め呼んでいたパトカーに乗せ、警視庁まで連行していった。