第5話 ―失望―
―ここは血の匂いで満ちている。
こみ上げる吐き気を覚えながら、真里谷はそんな事を考えた。
戦場。文字にすればそれだけで説明が不要になる土地である。
何かの腐った匂いが鼻につき、服にすらしみ込むように錯覚する。
ここは王都フィリオリから馬車で3日ほど離れたササン王国配下の町、グラーノである。
または、最前線とも言う。
真里谷と冬弥が城下町を歩いたその日、城内では勇者とその従者を前線へ派遣する事が決定した。
二人の前線派遣を強く進言したのは、貴族でもある第三飛龍騎士団唯一の女騎士である。
一行が城へ戻ると、謁見の間で二人の前線派遣が決定した旨を侍女から通知された。
クレアが抗議の為に国王の元へ走って行ったが、現状を鑑みるに説得は失敗したのだろう。
土埃と血の匂いで充満する町を歩きながら、真里谷はそう思っていた。
「…ですので、初陣となる勇者殿とその従者は遊軍と言う扱いになります」
つまり役立たず、である。
グラーノを半包囲する敵国ヴァロワ軍は約5千。対してササン軍は勇者と共に戦場に入った第三飛龍騎士団を足しても2千8百。
外壁が存在する町を守るだけなら何とか持ちこたえる数だが、荒れ果ててはいるが麦を収穫できなければ国そのものが干上がってしまう状態だ、どうにか撃退しなければならない。
その日の会議では、真里谷と冬弥は第三飛龍騎士団の一部と共に町の防衛を行う事と決まった。
その夜。
「真里谷、大丈夫か?気分が悪いなら無理しないで寝ていた方がいい」
「ゴメンね冬弥君。明日には元気になるから、今夜はここに居て…」
血の匂いで体調を崩した真里谷は、旅行者向けの宿屋だった部屋のベッドで横になっていた。
「流石にマリヤ殿も女の子だな。勇者殿、何かあれば下に居るから呼んでくれ」
「有難うございます、ゲイルさん」
冬弥の声が、真里谷の耳に心地よく響く。
内心二人っきりになれたのに、艶っぽい話をするような体調でないのが悔やまれた。
「真里谷、これで二人っきりだね」
と、心を読んだかのような言葉に、ビックリして目をあける真里谷。
真里谷の手を取り、冬弥は静かに話を始めた。
初めて二人が出会った時の事、学校での出来事、こちらに来てからの日々の事。
そしてこれからの事。
「つらくなるから、考えたら駄目だよ。戦うときは、優しい心を我慢して。自分の身を守るだけでいいから」
「でも。私が、私が冬弥君を守りたいの」
何故なんだろう、今日は歯止めが効かないな。真里谷はそう思うが、漏れる言葉は止まらない。
「私は要らないの?置いていかないで」
そんな事はしないよ。そう冬弥は言うが、急に冬弥の姿を遠くに感じた真里谷は、小さな子供の様に言葉を繰り返す。
「置いていかないで…」
小さな子供を相手にするように、頭を撫でられながら真里谷は思う。
冬弥と、ずっと一緒に生きて行く事を。
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真里谷が眠りについたのを見て、冬弥はそっと部屋を出る。
「ゲイルさん、起きていますか?」
階下のゲイルに声をかけ、冬弥は配置の変更を申し出た。
「嬢ちゃんが血に弱いと思わなかったからな。まぁ、飛龍持ちは騎士団の半分も居ないから、地上組の何人かを嬢ちゃんの護衛に回すのは可能だ」
血生臭い戦場に縁が無い、現代日本人であればこその欠点ではある。
「それにしても、流石に勇者殿はこれくらいじゃ大丈夫か」
「似たような経験は、子供の頃にしていますから」
― お前らの国王のせいでな。
飲んだ果実酒に甘みを感じず、ただ苦みを感じながら心の内で吐き捨てる。
「切った張ったは俺らの仕事よ、たーだし捕まっても平民の俺じゃ身代金なんか出ないけどな」
笑いながら盃を重ねるゲイル。果実酒とは言え、結構きつい酒である。
「お前さんはこの国が好きかい?俺は好きだぞ。酒はうまい、飯も食える、王女は優しく美人ときたもんだ。これ以上何を望んだもんか」
ゲイルの顔色が変わっていないので気が付いていなかったが、酒が過ぎているようだ。
「共に戦う友である勇者殿を監視しろとは、陛下も何を考えているんだかな」
「陛下も不安なのでしょうね、なにせ私たちには本来関係のなかった戦いですから」
にこやかに冬弥は返すが、内心ではやっぱりか、と考えている。
しかし、団長がこんなに口が軽くて良いのだろうかと、冬弥はちょっぴり心配する。
この男が政治に巻き込まれたら、あっという間に磨り潰されるだろう。
考えてみると、冬弥の周囲は日本でもこの異世界でも体力馬鹿の比率が高い事に気が付く。
日本では真里谷、その兄、男性の友人も運動部の連中ばかりだ。そしてササンでも、王女と言う例外を除けばフェルマにゲイル。
やはり体力の化け物である。
「それでは、僕も部屋に戻ります。明日の事はよろしくお願いしますね」
一人酒を飲み続けるゲイルに声をかけると、冬弥は部屋へ戻って行った。真里谷の居る部屋へと。
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「うーん、いい天気!」
一晩寝て、体調の回復した真里谷である。
ここは外壁の上にある通路。
現在二人は出撃する部隊を見送った後、外壁の上へと登って戦況を眺める事にした。
突然門を開けて突撃を行うササン軍の勢いに押されて、町を包囲していた部隊の中央が大きく押されてゆく。
その勢いに乗って、第2陣も門の外へと飛び出してゆく。
「どんな感じなのかな」
「そうだね、突撃そのものは成功と言えるだろうね。ただ、敵陣の後退が速い所を見ると何か仕掛けてくるんじゃないかな」
真里谷の問いかけに、冬弥は冷静な回答を返す。
「あぁ、やっぱりだ。両翼が包み込みに来たね…これは、不味いかな」
冬弥のつぶやきが聞こえた訳ではないのだろうが、にわかに町の内部が慌ただしくなってくる。
「…来た、別働隊か!」
言うなり冬弥は梯子を滑るように降りて行く。
一方、真里谷は城壁を飛び降りた。
周囲に重い物を落とした音が響くが、飛び降りた真里谷は何事もなく走っている。
日々人間の領域から遠くなってゆく真里谷であった。
真里谷が外壁に設けられた門に到着した時には、すでに戦闘が始まっていた。
事前に、工作員を町の内部に潜入させていたのだろう。
門の開閉を行う装置が破壊されている、これでは門を動かせない。
「真里谷、無理するな、自分の身を守るだけでいい!」
剣を抜いた真里谷へと怒鳴る冬弥。真里谷も無理をせずに、左腕に構えた盾で敵兵を殴る様に押し飛ばす事に専念していた。
既に、門の周囲は乱戦状態である。血が石畳を濡らし、濡れた石畳が足を滑らせ、双方の死体を量産してゆく。
真里谷が敵兵を殴りつける度伝わってくる、硬い物が折れる時の振動と軽い音。
尋常でない力で殴られている為、殴られた肋骨や腕が折れる音である。
既に真里谷も冬弥も、お互いの事を気にしているような余裕などなくなっている。
目の前に迫る敵を捌くので精いっぱいだ。
気が付けば、真里谷の盾も剣も血で濡れていた。真里谷の周囲は大量の死体で囲まれている。
小さな少女が戦闘に参加しているのだ、組し易しと見た敵兵が真里谷に切りかかり、そして一刀の下に切り捨てられる。
冬弥は、真里谷が同時に複数の敵から襲われないように牽制をかけているだけで、一人も殺してはいない。
血塗れの少女と、それを従える表情のない少年。
この日、戦場に敵味方を問わず、等しく死を告げる生き物が誕生する。
接近戦では勝ち目がないと見たのか、敵の弓隊が敵味方入り乱れる中に一斉射撃を行った。
それを見た真里谷は、即座に迎撃用魔術を用意。
威力の大きさを示す様に周囲から光が溢れ、一定のパターンを形作る。
この世界から逆流してくる情報の渦を、捌き、再設定する為の呪文が真里谷の口を突き、周囲の大気が真里谷の下に集中する。
魔術の正体に気が付いた冬弥が叫ぶが、既に呼吸がギリギリ可能なまでに薄くなった大気の為、声を周囲に届かせることが出来ない。それであっても、被害を減らす為に冬弥は叫んだ。
「全員地面に伏せろ、吹き飛ばされるぞ!」
冬弥が伏せるのとほぼ同時に真里谷は魔術を解き放った。
真里谷を起点として、暴風が四方八方に荒れ狂いながら広がってゆく。
真里谷オリジナルの魔術。
『過圧大気一斉解放』
極限まで圧縮した空気を開放して、術者の全周囲に暴風を叩きつける魔術である。
この魔術は、前段階として周囲の大気を根こそぎ持ってゆくため、急激な気圧変化を生む。
このため、室内に居てもこの気圧変化で鼓膜を破壊されたりする人間が出る、言ってしまえば欠陥魔術である。
ただし、その威力は。
降り注ぐ矢のみならず、弓兵その他敵兵、味方の兵士、外壁、そして真里谷に近い建物も吹き飛ばした。
真里谷の真下に伏せった冬弥は、上から叩き付けられて呼吸が十分に出来なくなる。
今、真里谷の周囲に立って居る者は皆無である。
人も、建物も、外壁も。残らず吹き飛ばしたのだ。
しばらくして、どうにか立ち上がった冬弥が、涙目になって真里谷に怒鳴りつける。
「アホかお前は馬ッ鹿じゃねぇのか、敵味方全部吹き飛ばしてどうするんだ!」
怒鳴る冬弥を見るのが初めてなら、こんな口調で喋る冬弥も初めて見る。
真里谷は、改めて周囲を見回し、自分の行為に唖然とする。
「真里谷、君が今何をやったのかわかる?」
怒鳴って落ち着いたのか、冬弥の口調が何時ものそれに戻る。
冬弥は、瓦礫となった建物に近づいて、小さな腕を引っ張り上げた。
その先には何も繋がっていない。
瓦礫に押しつぶされて、切断されたのだろう。切断面からは血がしたたり落ちている。
「手伝って、真里谷。生存者を助けよう」
冬弥は瓦礫を掘り起し、生存者を探した。
比較的軽症だった味方の兵士も、それを見て手伝いを始める。
鼓膜の破れた人間が多いため、声が聞こえないのだ。冬弥の行動を見て、初めて状況を理解する兵士がほとんどであった。
敵兵の姿は一人も見えない、逃げたか全員吹き飛んだか死んだのか。
「真里谷、まりや…ま・り・や。手伝って、こっち」
冬弥が立ち尽くしている真里谷を手招きで呼ぶ。
瓦礫が多くて、人の手では容易に取り除くことが出来ないのだ。
動ける人間総出で生存者の救出を行い、怪我の手当てに忙殺される。
この、外壁の防戦で双方合わせて約1600名が死亡した。そのうち6割が真里谷一人によって殺害され
その中には、守備隊の8割とグラーノ市民168名も含まれる。
言い方を変えれば、グラーノは真里谷が壊滅させたと言える。
グラーノ市民は、そんな黙々と作業をする真里谷を窓の、扉の隙間から伺っていた。
王都が呼び寄せた災害を。
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「伝令、伝令っ!」
グラーノ防衛部隊の壊滅が前線に伝わったのは、おおよそ10分後である。
町の方から爆音が響き、もうもうと煙があがってから10分ほどという事である。
守備隊壊滅、敵襲撃部隊撃退。外壁が吹き飛んだ事も合わせて報告を受ける。
「何がどうしたら、そういう事態になるんだ」
普通の人間には、自分を巻き込みかねない魔術を行使しようとは考えないし、味方を巻き込んでまで魔術を行使するような魔術師は、軍に同行させない。
魔術を習い始めて半月経つか経たないかのド素人が、町と外壁を味方ごと吹き飛ばして更地を作るとは考えもしないのである。
伝令を怒鳴りつけ、混乱の極みに陥る指揮官を横目に、ゲイルは明後日の方向を向きながら、内心で頭を抱えていた。
「あの嬢ちゃんなら、やりかねない」
とかく真里谷は精密操作が苦手なのだ。
それは模擬戦の時もそうだったし、クレアから聞いて魔術の練習時も同じだという事を知っている。
だから、出力で押し切る。
当たらないから、広範囲の魔術で撃ち落とす。逃げられない魔術で仕留める。
― このまま黙っていれば、町の被害は広がる一方か。
ゲイルはため息一つ吐き出して、攻撃部隊の司令官へ状況の推測を口にした。
「……では、あの爆破は勇者殿の従者がやらかした、と?」
「まぁ、そうでしょうね。あのお嬢ちゃん、魔術の破壊力だけは誰よりも強力なので」
「ゲイル卿、何故それを昨夜の段階でお話にならないのですか。昨夜の段階で知っておれば、こちらに引きずって来たものを」
「卿、は止して下さい。平民の成り上がり者ですよ私は。それよりも、あの二人を町に置いておくと被害が広がるのは確かですね。早期にこちらへ引き取らないと、戦に勝ったら町消えた。と言う事態になりかねません」
それに、とゲイルは付け加える。
「誰が魔術を覚えて10日前後で、あれだけの威力と考えられますか」
司令官と現状の確認を行ったゲイルは、自分の飛龍を休ませている一角へ歩き、フェルマを呼び出した。
「フェルマ、あの二人を拾いに行くぞ。ついて来い」
ゲイルはそのまま、飛龍に飛び乗ってグラーノへと引き返す。
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ゲイルとフェルマが出来たばかりの更地へ下りてきた。
「いやいや、また激しく吹き飛ばしたね」
軽い冗談を口にするゲイルにフェルマが口を指し挟む。
「団長ふざけないで下さい、笑いごとで済む状態では無いのですよ」
真里谷は二人の漫才を、別世界のものを見るかのようにぼんやりと眺めていた。
「あれ、嬢ちゃんどうしたんだ?」
ゲイルは、真里谷と肩を寄せて座っていた冬弥に問いかける。
「真里谷は、自分が打ち込んだ魔術の結果が余りに酷かったので…」
「あぁ、そういう事か。色々と規格外だね」
「ですので、ここで休んでもらっています。町の人からも避けられている節がありますから」
「そうか…で、俺の部下は何処に行ったのかな?」
「恐らく大半はさっきの魔術で、残りは現在生存者の探索と救出に回っています」
ゲイルは大変だね、と薄く笑って表情を改め、二人に命令を下す。
「勇者殿とその従者は、これより第三飛龍騎士団と連携して最前線の敵兵殲滅を命じられた。どちらにでも構わないが、飛龍に乗って最前線まで来てもらう」
ゲイルの言葉に、真里谷はゆっくり顔を上げて立ち上がる。
表情に覇気が無く、幽霊を相手にしているようだった。
「なぁ、嬢ちゃんは本当に大丈夫なのか?」
冬弥はため息を一つ吐いてゲイルに返した。
「移動中に説得します。申し訳ありませんが僕達二人を同じ飛龍に載せて頂けますか」
話を終えた冬弥が、真里谷へと顔を向けた時だった。
「ふっざけるなあぁっ!」
鈍い音と共に、真里谷が地面へ倒れた。
涙目になったフェルマが、倒れた真里谷の襟元を掴んで引きずり起こす。
「何故だ、何でお前は私の従者を殺したんだ?」
答えない真里谷をみて、襟元を掴んだままもう一発殴りつける。
「お前の力なら、こいつを守ることぐらい出来たんじゃないのか。何故私の、マルコを…」
最後は泣き崩れて言葉にならない。
何故だと繰り返して、真里谷を殴り続けるフェルマを引き剥がす為、冬弥が二人に割って入る。
「フェルマさん駄目です。今はやめて下さい」
ゲイルもフェルマを羽交い絞めにして引きずって行く。
「フェルマ、落ち着けフェルマ。聞いているのか、フェルマ・リカータ!」
「悪魔、貴方はこの国を食い滅ぼす悪魔よ!」
「いい加減にしろ!」
歯止めのかからないフェルマに対して、ゲイルが一喝して黙らせる。
「フェルマさん」
底冷えのする声で、冬弥が声をかけた。
「僕たちを否定するという事は、そのまま僕たちの派兵を決めた方々の、ひいては国王陛下に対しての否定となりますが、よろしいのですか?」
そもそも、派兵を進言したのがフェルマ自身である。
じっと見つめる冬弥の、何時かと同じ目の色に思わず声を詰まらせた。
「後日、貴方の下へお伺いしますから、今日は下がって下さい」
フェルマは力を失って、地面に手を突いた。
足元に転がる骸、おそらく彼がマルコなのだろうが、その頭を両手で抱きながら静かに涙を流す。
ゲイルにも、冬弥にも目をくれず、愛おしそうにその躯を抱いて頬を寄せていた。
「マルコ、マルコ……」
ここは最前線、戦争はまだ続いている。