第4話 ―首輪―
訓練が始まって10日、二人の訓練も日常になりつつある。
冬弥が模擬戦闘において決して攻撃しないのも、真里谷が魔法で訓練場の的を残らず吹き飛ばすのも、だ。
魔法を使えなかった冬弥も、ようやく基本の魔術を使うことが出来るようになった。
しかし、そこから先には進んでいない。
冬弥は自分に魔術の才能が無いのだと笑っていたが、クレアにはそれが不満なのか、自分の指導方法について悩んでいる様子だった
遠くで木剣のぶつかる音が聞こえる。
フェルマと真里谷の模擬戦が、佳境に入ったところであった。
「相変わらず、対人では武器を向けないんだな、向こうのお嬢ちゃんとは偉い違いだ」
訓練を終えた冬弥に、ゲイルが水でぬれたタオルを投げた。
ゲイルが言う『向こう』では、真里谷がフェルマと訓練をしている。冬弥の目からは人外同士の殴り合いにしか見えない。
「あんな怪獣大決戦と比較しないで下さい、元々こういう事は好きじゃないんですよ」
時折届く爆風も、ここまで離れていればちょっと強い微風同然である。
「そうなのか。となると、勇者殿の国は武に優れた国なのかね?先代の勇者は無手の達人だったと聞いているんだが」
無手、つまり柔術か合気か空手あたりだろうか。そうやって考えてみると確かに個人が教える道場は数多い。
武術の国と言っても良いのかもしれない。
一際大きな爆音が響き、土煙で視界が効かなくなる。静かになったという事は決着がついたらしい。
「僕はそういう経験はありませんが、確かに国内には無手の流派が多数存在していました。剣や弓もありましたね」
それにしても先代勇者とは何者なのだろうと、ゆっくりとクリアになる視界を余所に、冬弥は考える。
無事に帰還できたのか、それともこの地に骨を埋めたのだろうか。
疑問を迂闊に口にすれば疑惑の種になり、聞かねば答えは得られない。
恐らくは帰還など出来ていないのだろうが、それならそれで彼らの記録を確認したい。
焦りが苛立ちを生み、冬弥の表情が硬くなる。
「あー、スマンな。嫌な事を思い出させたか」
「いいえ、今の僕にはどうしようもない事です」
「冬弥君、何の話してるの?」
木剣を肩にひっかけ、真里谷がやってきた。横目で見たフェルマは、地に伏したまま動く気配を見せない。
流石に訓練で死人を出す事は無いだろうが…。
「あぁ、向こうの武術について話をしていたんだよ」
真里谷へは、返事を意図的に捻じ曲げて答えた。冬弥に武術の経験があると知られる事を警戒した発言だった。
真里谷は冬弥から奪ったタオルで汗を拭い、軽く全身のストレッチを行う。
「向こうかー。今なら小牧先生に勝てるかなぁ?」
小牧とは、二人が通っていた学校の体育教師である。
生徒指導の担当もしていたので、生徒指導室の常連だった真里谷とは良く顔を合わせる人間の一人だった。
「はぁー、嬢ちゃんより強い人が居るのか。まぁ先生と言うくらいだから当然なのだろうけど。ところで嬢ちゃんより強いのはどれくらい居るんだ?やっぱり100人くらいは居るんだろうなぁ」
ゲイルの口調に負のイメージは感じられない。純粋に感心しているんだろうと冬弥は思う。
「いいえ、少なく見ても100万人くらいは居るんじゃ無いでしょうか」
ちなみに、日本の剣道有段保有者だけでも150万人近い数が居る。冬弥の言う100万人はそう間違った数字でもないのだ。
真里谷は特に剣道などの段位を持って居ないから、日本にいたときの基準で言えば正しいのである。
「……え?」
冬弥の爆弾発言にゲイルが凍りついた。
なお、ササン王国は全人口で20万人に届かない。戦闘技能保有者数は、更に少ない。
人口比で1対5の戦闘技能保有者数と言うだけでも脅威である。
それが真里谷クラスと言うオマケ付きだ。理性が理解する事を拒んでもおかしい事は無い。
― まぁ、勘違いしてもらった方がこちらは助かるのだが。
真里谷の戦闘能力はさして驚く事では無いのだと暗に主張できた冬弥は、ゲイルの勘違いを訂正する事無く話を流してしまう。
「それよりも。今日の午後は特に予定が無いので、街の案内をお願いしても宜しいでしょうか」
「ついでにゲイルさんのお家にも遊びに行きたいでーす」
二人の発言に、凍り付いていたゲイルが返答を返す。
「え、あぁ。構わないよ」
「それでは、後程詰所に伺わせて頂きます」
訓練場を後にする二人を眺め、異世界の常識について深く悩むゲイルであった。
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「…で、何でクレアもここに居るの?」
異世界に来て初めてのデートは、オマケ付きだった。
真里谷の視線がとても冷たい。
ついうっかり喋ってしまったのが、そもそもの原因である。
異世界の生活に慣れてきた事で油断もあったのだろうと思うが、この結果は冬弥にとって2重の失敗である。
一つは、真里谷の機嫌を損ねてしまった事。
もう一つは、城を抜け出す為の裏工作に手を出せなくなった事。
二つ目の問題は冬弥にとって致命的である。
だが、やってしまったことは仕方がない。こうなっては別の手段を考えるだけだ。
「まぁ、良いですけど。クレアのお財布に頼ればいいんだし」
機嫌のよろしくない真里谷が、堂々とクレアに奢れと要求する。
「いや、それは俺が怒られるから止めてくれ。姫さま付きの侍従さん本当に怖いんだよ」
どうやら何度か怒られるような事をやって居たようだ、ゲイルの顔が今にも泣きそうになる。
「トーヤさま、今日はどんな目的でマリヤと街へ降りたのですか」
外野の発言を全て無視して、クレアは冬弥に問いかける。
相変わらず、図太いのか細かい事を気にしないのか、良く解らない娘である。
ここまで他者を空気に思えなければ、王女という地位に立っていられないのだろうかと考える。
「そこに住む人の顔を見たかったんです。国ではなく、そこに住む人々の姿を。僕が守るのは、そういう人々なのだから」
冬弥はちょっと笑って、後は真里谷とデートですと付け加えた。
ゲイルの案内により、街で一番大きな広場へと歩いてきた。
広場には露店が並び様々な食品が売られているが、これでも昔よりは随分と寂れてしまったんですと、ゲイルが説明する。
「戦争が始まる前あたりから、徐々にお店も減ってしまいました。昔は人がすれ違うのが難しいほど店が出ていたんですよ」
4人が横並びに歩いてもまだ余裕のある通路を歩きながら、一行は付近の食堂に入った。
「おや、トーマスん所の不良坊主。こんな昼間っから酒でも飲みに来たのかい?」
「いやいやおばちゃん、今日は街の案内役。一応こちらの貴族様ご一行の護衛だよ」
王女に勇者と言われても困るし、勇者の召喚は未だ公表されていない為、ゲイルは貴族の一行として3人を紹介する。
「宜しくお願いします、お姉さん」
「あら嫌だ、そんな言われるほど若くはありませんよ」
冬弥の世辞に笑いながら返す女将さんは、注文を取ると厨房へと引っ込んでいった。
「時々冬弥君のストライクゾーンに疑問を感じるのよね」
「いや、お昼のテレビでも『お嬢さん』って言ってるでしょ。それと同じだよ」
角突き合わせて言い合いをする二人を見たクレアが何を勘違いしたのか、冬弥はあれくらいの年上が好きなのかと問いかけて、更に話が混乱するのであった。
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「この辺りは、それぞれの職能ギルドが集中する所です」
食堂で休憩を済ませた後、4人は職人街へと歩いてきた。
「手前から、木工、皮革、武器、防具等のギルドと続きます。宝飾品のギルドは貴族の皆さん御用達という事で、行政区にありますよ。逆に商業、製粉、パンのギルドは運河の近くにあったりします。この辺りは利便性なんでしょうね」
まあ冒険者ギルドなんてお話の世界だけだよなと冬弥は考えて、それを内心期待していた自分に笑ってしまう。
「トーヤ様は、こういうお話が好きなのですか?」
笑っていたことに気が付いたのか、クレアが冬弥に問いかける。
「ええ、僕達の国でも関連する職能はお互いに隣接したり、集中していた事を思い出しました。パンのギルドが川の近くにあるのは、やっぱり火事を気にしているんでしょうね」
「その通りです勇者殿。ついでに言うと、先日もそのあたりでボヤ騒ぎがあったりします」
口を挟んだゲイルが、そのまま解説を続ける。
「これから向かいますが、向こうに見える背の高い建物が神聖教会の大聖堂で、その向かい側に魔術師のギルドがあります。ここからは見えませんが、魔術師ギルドの施設内には学院が併設されていて、魔術も学ぶことが出来ます」
お金がかかるので、一般の人はあまりいませんけどね。
そう言って、ゲイルは幾つかの狭い路地を経由し、行政区へ向かった。
「ねぇゲイルさん、何でこんな狭い道で移動するの?さっきの大通りから随分離れているよね」
何かを感じたのだろう。真里谷は足元のネズミを避けながら、悪路を選択した張本人を問い詰めた。
「済みません皆さん。先程の大通りは妙に騒がしかったので、万が一を考慮し別経路で戻ります」
何があったのか冬弥は気になるのだが、重要人物の護衛を兼ねているゲイルの立場からすれば妥当な選択なのだろうと考える。
「少々遠回りになりますが、新月門から行政区に入ります」
新月門とは、下町と行政区を分ける内壁に設けられた門の一つである。
大通りに通じる大門を太陽門と呼び、その周囲にある小さな門を、満月門、新月門、半月門と呼んでいる。
太陽門は日の出から日の入りまで開かれ、それ以外は門を固く閉ざしているのに対して、
月の名を持つ門は深夜でも開放しているが、夜間は衛兵が身分の確認を行っている。
また、王都を取り囲む大城壁の門にも名前が付けられている。こちらは農耕国家らしく、大麦、牝牛、などの名が付けられている。
一行は狭い路地を抜け、下町と行政区を隔てる内壁を通過すした。
壁の内部には衛兵の詰め所があり、夜間はここで出入りする人間の監視を行うはずなのだが、日中は衛兵一人が立っているだけだ。
冬弥の視線は衛兵と詰所の内部に向けられるが、詰所内部を見通す事は出来ない。
「この壁は随分と厚みがあるんですね、外の大城壁と大差ないのではありませんか」
「これは、最初にフィリオリが出来たときの城壁なんですよ。今では随分と街が大きくなりましたが、1862年前に完成した最初の城壁なんです。つまり昔は、この城壁の外に街は存在していなかったんです」
冬弥の疑問に、今度はクレアが答えた。
「建国王がここを王都に定めたのは、当時既に『天樹』が大きく成長していたからだと聞いています」
天樹とは、フィリオリの一角を占める巨大樹の名である。
建国王がこの地に拠点を定めた当時、既に他を寄せ付けない大きさの大樹であった。
王はこの地に自分の名を国名とし、ササン王国建国を宣言。
配下の傭兵団を家臣として、この地に根を張り栄えていった。
なお、この建国王の名はササンである、家名は無い。元々は無名の剣士だったとも奴隷上がりとも伝えられている。
最初の城壁は天樹を囲むようにして建設されていた。
しかし1800と余年が過ぎて、壁の一部は天樹が侵食してしまい崩落している個所も見られるが、天樹そのものが城壁の役割を成している為か崩れるままに放置されている。
現在の大城壁は建国からおおよそ200年程過ぎてから建設されたものである。
過去には3度目となる城壁建設の計画もあったが、20年ほど前から徐々に税収が落ち込み始めた為、流れたという事だ。
新月門を抜けて10分ほど歩くと、道の両脇に宝飾品の店が並ぶ通りに出た。
「ここは黄金通りと言います。貴金属のお店が並んでいるのでそういう名前が付きましたが、本来の名前は宝飾ギルド通りです」
通りの奥、この街の最高教育機関である学院の隣に宝飾ギルドが存在しているとゲイルが説明する。
「この先にあるお店には、私も時々買い物に来るんですよ」
流石クレア、お姫様らしい発言である。
自分の好きな分野を説明できるのが嬉しいのか、クレアは次々と薀蓄を披露する。
「…と言うわけで、このネックレスを作ってもらった時は毎日見学に来ていたんです」
店舗の中には未だ陽が高いにも拘らず、店を閉める所もあった。
これは防犯の意味もあって、暗くなる前に店を閉めているのだとゲイルが説明する。
店によっては午前中しか開けないところもあるそうだ。
「さて、ここがササン王立大学院、誰もそう呼ばずに学院とだけ呼んでいますね」
小さな広場の正面には白亜の塔がそびえていた。
関係者以外は入れないという事で、入口にてゲイルが簡単な説明をする。
「財前さんとか里見さんとか居たら面白いんだがなぁ…」
「それって冬弥君の読んでた小説の話でしょ」
異世界へ墜ちる前に読んでいた小説の登場人物を思い出し、冬弥と真里谷が小さく笑う。
「…ですから、現代の世界では新たな魔術付与された道具が生まれる事はありません。魔術付与方法について研究している賢者も居るという事ですから、これからに期待でしょうね」
途中からクレアが現在の魔術研究などについて概要を話した。
「と、いう事は。このイヤリングや冬弥君の指輪って貴重品じゃないの?」
「確かに貴重品ですが、私たちには無意味な道具ですし、使う人も居ませんから」
真里谷が聞いたのは、クレアから渡された『言語理解』のかかっている宝物についてだ。
確かにササン王国の言葉を理解するための宝物は、この国の人間にとって無用の長物である。
しかし、この宝物は二人に知らされていない、この場ではクレアだけが知っているもう一つの機能がある。
その名を『無限鎖』と言う。
『無限鎖』とは目に見えない鎖を装着者に繋げ、現在の場所を探知者へ正確に伝える機能を持っている。
この日のお忍びも、この機能で冬弥を見つける事が出来たからこそクレアが同行できたのだ。
目に見えない鎖。
首輪のついた、犬2匹。
この道具はまさに、墜ちた奴隷の為に用意された道具なのであった。