第2話 -最後の召喚-
大陸で最も栄えていた国はここ、ササン王国であった。
だが、花の都と謳われた王都フィリオリでさえ、20年以上続く戦争の影響を受け、往時の華やかさは残っていない。
王都から光が失われたのは、10年ほど前に行われた勇者召喚実験の失敗が原因である。
ササン王国の劣勢を挽回すべく、王国全土から集められた魔力結晶を用いて異世界から勇者の素質を持った人間を召喚する実験だ。
起死回生を狙って行われたその召喚は、召喚主である王女の魔力制御ミスにより失敗に終わったのである。
それから10年。
王国は衰退の一途を辿っていた。
ササン王国、王国歴1862年紅玉の月。国王は王国存亡の危機にあって、再び勇者召喚を実施すると宣言した。
この召喚に当たっては、前回の失敗から問題点を検討を重ね、再びの失敗を起こさぬよう綿密な計画が策定された。
また、この計画に当たり国王は前線の縮小し、前線から余剰魔力をかき集めるよう通達を出している。
それからまた1年が過ぎ、王国歴1863年紅玉の月第2週1日目。
ササン王国における最後の勇者召喚が実施された。
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「冬弥君、冬弥君っ…冬弥、とうやっ!」
召喚の儀式は終了した。
現在は残留魔力が発生する光で魔法陣が輝いているが、それも暫くすれば消える。
「起きて、冬弥…返事してよ!」
余計な荷物も付いてきたようだが、確かに勇者の素質を持った人間を召喚できた自覚がある。
召喚主の少女は大魔術行使後の心地よい疲労感につつまれ、そんなことを考えつつ残魔力の発光が収まるのを待っていた。
「誰か、誰か助けて…冬弥が死んじゃうよ!」
ふと召喚主の少女は気が付いた。言葉は未だ理解出来ないが、状況がおかしい。
勇者と思わる少年に、同年代の少女が必死で呼びかけている様子から、危険な状態である事がうかがわれた。
倒れたまま起き上がる気配のない少年は、小さく痙攣を続けている。
折角召喚できた勇者が使い物にならないのでは意味が無い。召喚主の少女は、部屋の隅に控えていた数名を呼び、この場で緊急対応の指示を下すと、先ほどから少年にしがみついている少女に駆け寄り、手を伸ばす。
「なに?何を言ってるのっ…!?」
怯える目をしているが、少年から離れる気は無い様子を見て、少女の額にそっと手を添え『言語理解』の魔術を行使。
少女の周囲に光の輪が生成されるが、次の瞬間に全て砕け散ってしまった。
予想もしていない事態に召喚主の少女は一瞬戸惑いを見せ、先ずは警戒心を解く事が先決だと考える。
警戒を解き、魔術を受け入れてくれれば『言語理解』を使って意思疎通が図れるからだ。
召喚主の少女は深呼吸をして、優しく微笑みながら声をかけた。
「ク・レ・ア、クレア」
自らを指さして自分の名前だけを名乗る事にする。
「クレア…さん?」
自分の名前を理解したと認識した召喚主の少女、クレアはもう一度微笑んだ。
少年に縋り付いたままの少女もクレアと同じように自らを指さして
「ま・り・や、真里谷」
と名乗る。
クレアは膝をつき、真里谷と視線の高さを合わせると、再度『言語理解』の魔術を行使する。
先ほどと同じように光の輪が生成され、今度は体へしみ込むように真里谷の体に溶け込んだ。
「マリヤ、私の言葉がわかりますか?」
真里谷の表情が驚きのそれに代わる。
先程までは理解できなかった言葉ではなく、流暢な日本語で話しかけられた様に聞こえたからだ。
意思の疎通が見られた事を確認したクレアは、待機させていた術者と簡単な応急処置を済ませ、城内の客間へと二人を案内した。
「マリヤ、聞きたい事は沢山あると思ますが、説明などは明日、彼が起きてからにしましょう。身の回りの事は侍従を寄越すのでそちらに言いつけて下さい」
クレアはそういって、部屋を出て行く。
二人だけになった広い客間の寝室で、真里谷はそっと冬弥の手を握る。
手の暖かさは、何も知らない世界においてたった一つ、真里谷の居場所なのだ。
穏やかな寝息をたてる冬弥の寝顔をみて、真里谷はそっとつぶやいた。
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クレア・セイルーン・ササンは巫女である。
11年前の勇者召喚に召喚主として参加し、そして失敗した。
国家の一大事業を失敗した責を問われたが、彼女以上の力を持った巫女が存在しなかった為、その座を追われる事は無かった。
また、クレア・セイルーン・ササンは王女である。
過去の勇者召喚失敗時には、お飾り等と噂を立てられたものだが、表立って彼女を非難するものはいなかった。
しかし2度も失敗をすればいくら王女と言えど、非難を受けるであろうことは想像に難くない。
そして、既に召喚の間で勇者が召喚された事、その勇者が倒れたままでいる事、更に従者の少女がいる事まで噂として流れていた。
謁見の間へと続く廊下を歩きながら、今後発生するであろう厄介事の数々を考えると頭が痛くなるのだろう。
クレアの機嫌がよろしくない事を察した者達は、遠巻きに眺めるだけで声をかけることが無い。
「父上、召喚の儀が終了し、勇者とその従者を召喚致しました。現在勇者殿とその従者は、客間にて休んで頂いております」
玉座の父に向かって一礼の後、クレアはそう言って密談の部屋へと歩いてゆく。
謁見の間は、言わば公共の場でもある。こんな所で話を続けたら3日と経たずに国内外で噂が立ってしまうのだ。
密談の間、正式には魔力遮断結界の間と言うが、この部屋に置かれた椅子に座り、クレアはぼんやりと考える。
今回の召喚は、はたして成功と言えるのだろうかと。
部屋に掛かる古い地図には、ササンを中心とした世界地図が描かれていた。
地図が描かれた当時はササン最盛期、北は漁港として栄えたサモーナから南は大穀倉地帯のほぼ全てがササン王国として描かれている。
今では往時の勢いは無く、かつての資産を切り売りしてどうにか国の体裁を保っていた。
― マナの不足が恨めしい。
クレアは心底そう思う。建国当時、ここは魔力あふれる大地だった。
大気に、大地に、植物にさえ含まれる魔力は膨大で、そこから抽出される魔術元素のマナも尽きる事は無かった。
巨大な魔力は魔術文化を生み、様々な魔術が考案され、今では再現できない魔術付与された宝物も盛んに作成されていた。
それがいつの頃からか、供給量が消費に追い付かなくなった。
この長い戦争が始まったのも魔力の枯渇が原因なのだから、クレアが生まれる前からその兆候はあったのだろう。
そして魔力が少なくなるに連れて勢力を伸ばしてきた、南方のヴァロワ。
今では南の穀倉地帯、その大部分を占拠している。
問題は山積し、されど解決策は見当たらず。
全身を包む疲労が思考の回転を落としている事はクレアも認識しているが、鈍った思考が違う方向へと傾いて行く事は、全く認識していなかった。
二人の姿を思い出し、今まで考えもしなかった事が口をついて出る。
「はぁ…あのお二人は夫婦なのでしょうか」
だとしたらとても羨ましい。あの様子ならきっと政略結婚でも誘拐されたのでもないだろう。
自分も、物語に出てくるヒロインの様な恋愛をしてみたい。
勇者の寝顔を思い出し、物語の主人公に置き換えてみる。
自分の危機に颯爽と現れて救い出し、恋に落ちた自分は愛を囁き、そしてそのまま…。
どこまで想像しているのか、クレアの顔は真っ赤に紅潮し、瞳は何も無い所を彷徨っている。
「あぁ勇者さま、私達は出会ったばかりだと言うのに、そんな所まで…」
クレアの妄想は止まらない。ドアが開き、国王が入って来ても、彼女は未だに夢の中だ。
「勇者さま、今、私の全てを、ささ……お、父…様……?」
国王がにこやかに微笑んで、椅子に座っているのが目に入る。
だが、目は笑っていない。
クレアの顔色が、青くなり、白くなり、そしてまた赤く染まる。思考がいつの間にか妄想にすり替わって暴走していた事に気が付いたのだろう。
一言も発言しない父親の姿に、普段とは違う恐怖を感じて目を逸らし、咳をひとつ。
「コホン…失礼しましたお父様」
「まぁ良い、お前の妄想癖は昔からだ」
国王の一言で、クレアは態度を普段のそれへと変え、召喚の間で起きた事柄を説明してゆく。
「…ふむ、その勇者殿の力は未知数なのか」
「はい、ですが従者の方が持つ魔術抵抗能力から鑑みると、勇者殿も相応の能力を持っていると思われます。また、勇者殿本人の体から発せられる魔力も、私たちからすると並外れて高く感じられます。ただ、剣を持つ方と比較すると手が柔らかく感じましたので、召喚元の世界では文官だったのでは無いかと思いました」
この辺りは流石に異世界を知らない為、二人が学生である事を想像もしていない様子である。
最も、この世界で学生と言うのは王都フィリオリにある魔術学院の様な施設であり、後は申し訳程度に神聖教会が子供たちへ簡単な読み書きを教える程度だ。想像しろと言う方が無理な話である。
「どうするにせよ、勇者殿が目覚めんと話は進まんな。クレア、お前は勇者殿と生活を共にして手綱を取るのだ。
勇者殿には申し訳ないが、一刻も早くこの世界に慣れて頂かんと、早晩に我らは滅亡となるぞ」
国王はクレアに幾つかの指示を与えると、密談の間を後にする。
既に賽は投げられたのだ。尽きた天命と言えども、座して待つ訳にはいかないのである。