9 師匠5
フリーシャは乗ってきた馬をつなぐと、見慣れた扉を静かに叩く。
「師匠、突然すみません」
小さく声をかけると、すぐに扉が開いた。
「来ると思っていた」
アトールが気遣うようにわずかに微笑んだ。
家の中は明かりが一つあるのみで、ひどく暗い。昼間には見慣れていた部屋も、夜には違う表情に見える。それとも、自分の気持ちが沈んでいるせいか。
それでも、彼の顔と声にフリーシャは安堵するのを感じていた。
フリーシャはアトールを見上げた。何もかもを見通しているような表情に、覚悟を決めて尋ねる。
「……もう、ご存じなのですか?」
「ああ。魔王が来たのだろう?」
この人は、どれだけのことを知っているのだろう。
フリーシャは、何も気付かなかった自分のふがいなさに、唇を噛んだ。
家に入るとテーブル脇にある、座り慣れた椅子に促されるまま腰を下ろし、フリーシャは息を吐く。向かい合ったテーブルの向こうに、アトールもまた、腰を下ろした。
「師匠は、魔王が来たことを感じたんですね……。私は、感じる事すら出来ませんでした。姉様がさらわれたのに、姉様を守るための魔術さえ反応しませんでした」
「……それは、しかたがないかもしれないね。相手は魔王だ。魔力で敵う者がいないからね。それに、俺が魔王が来たのを知っているのは、感じたからじゃない。魔王に直接釘を刺されたんだ。何があっても手出しをするなとね」
その言葉にフリーシャはがっくりとうなだれる。
まさか、魔王が釘に刺しに来るとか、師匠何者……。
「えぇ……当てにしてたのにぃ……」
アトールはアトールで、そんな弟子の姿を見ながら「あれ?」と首をかしげた。
「って、フリーシャ、ちょっと待て。悪い、大事なところを聞き逃しそうになっていた。姉様とは、マーシア様のことか? 彼女がどうかしたのか?」
「魔王にさらわれたんです。花嫁にすると」
アトールが驚いた顔をした。
その反応に、今度はフリーシャが驚く。
招き入れられたときのアトールの反応に、彼は全て気付いているのかと勝手に思い込んでいたが、どうやらそうではないらしい。
「師匠こそ、なぜ私が来ると思ったんですか? それに、なぜ魔王がわざわざ師匠に釘を刺しに来るんですか。師匠は、何が起こったと思っていたんですか?」
詰め寄るフリーシャにアトールが困ったように頭をかく。
「俺は、てっきり、おまえのところに行ったんだと思ったんだ。人間にその魔力ははっきり言って異常だ」
「師匠に言われたくありません」
フリーシャのツッコミを意に介さず、アトールは当然とばかりに断言した。
「その異常なおまえに、何か話しがあるんだろうと思ったんだ。」
なんか失礼なことを言われた気がしながら、フリーシャは詳しく話を聞く事にした。