花嫁の憂鬱
ただそこにいるだけで圧倒的な存在感と威圧感を与える男の前に、美しい少女が一人、立ちふさがった。
感情の見えない表情、怜悧で気味が悪いほどに美しく整った顔。その男の瞳が少女に向けられた。
「ねぇ、いいでしょ?」
少女は恐れもせずに、その男の手を引いた。
男はちらりと彼女を見るとすぐに興味なさげに目をそらす。
「もう、ちょっとぐらい三つ編みさせてよ!」
「……やめぬか」
仕方なさそうにつぶやく声に、少女はにこにこと笑う。
誰もが恐れをなすほどの男の威圧感など何の役にも立っていない。男はどうしようもなくこの少女には弱かった。
「だって、こんな綺麗な顔をしているんだもの。きっと似合うと思うの……女装!!」
「……断る」
「お願い、見てみたいの」
この少女にこう懇願されれば、大抵のことは聞いてやろうと思わないでもない男だったが、こんな冗談に付き合うつもりは毛頭ない。
「着飾りたければ、そなたがするがいい。そなたの方が、よっぽど美しかろう」
男は少女の髪をそっと撫でる。
くるくると変わる愛らしい表情。恐れることなく当たり前に側にいて男の心を和ませる少女をじっくりと観察する。着飾らせることに興味はないが、少女が美しく着飾って、いつもと違う表情をしたのなら、……そう、たとえば、うれしげに笑顔を浮かべるのであれば、それもまた楽しかろうと、男には思えた。
男はこれほどまでに愛らしい存在を他に知らない。むしろ、愛らしいという感情を少女に出会うまで知らなかった。
男がそのまま頬に触れると、少女の顔が一気に赤くなる。
少女は、男の視線と手の感触に、どうしようもない羞恥心があおられていた。
この世の物とは思えない美しい男が、少女を美しいと言って見つめてくるのだ。
少女はその男の美しさに慣れたつもりであったが、それでもどうしようもなく気恥ずかしくなる瞬間がある。
「あ、あの……とりあえず、その……お、お茶にしましょう、私、お菓子取って……」
どうしてこんなに照れてしまっているのか自分でもよく分からないまま、少女は慌てて男から身を離すと、くるりと体をよじった。
その瞬間、足下がスカートの裾に取られバランスを崩した。
「……ひゃっ」
転ぶ。と、目をつぶった瞬間、体がふわりと何かに包まれて、横たわった。
ごつっ、ぽふっ
少女が目を開けると、男を下敷きにして転がっていた。
「ご、ごめんなさいっ」
少女は男の上に乗っかったままそっと手を伸ばす。
「大丈夫?」
上半身を起こした男の頭に手を伸ばし、そっと触れると、柔らかな髪の感触が少女の指をくすぐった。
「そそっかしいな。気をつけろ。そなたは人の身だ。簡単に傷つく」
「……はい」
溜息混じりに言った男の様子に、少女はしゅんとなって肯いた。
「痛いところはないか?」
その問いに肯いて、少女が男をおそるおそる窺うと、男が穏やかに微笑んでいた。
滅多に見せない笑顔に遭遇して、少女は胸がぎゅうっと痛くなった。
「だ、だいじょうぶっ」
答えた瞬間、コンコンっとドアがノックされた。
「魔王様。先日の件で……」
入ってきた魔物は、二人の様子に気がつくと、一瞬固まり、「失礼しました」と、固い声で言って、何事もなかったようにパタンとドアを閉めた。
「……ん?」
はたと少女は気付く。
床に座り少女の腰を抱く男、その膝の上にまたがるようにして乗り、手をその男の首に巻き付けるように伸ばしている少女。
こ、この状況は……!!
「ま、待って、違うの、これは私が転んだだけで……!!」
叫んだ時には、もういろいろ遅かった。
少女はおそるおそる男を見上げた。
にやりと男が笑う。
「……期待には、答えねばならぬのだろうな」
何事もないようにつぶやいて、男はそのまま少女を抱いて立ち上がった。
「き、期待なんてしてないから……!」
しかし、少女の叫びなど耳にも届いていない様子で、男はそのままあるドアに向かって歩く。
そ、そのドアの向こうは……!!
「応えなくて良いから~~!!」
少女の叫びは聞き届けられることはなかった。
☆期待に応えた結果。☆
「かわいい……!」
フリーシャは、生まれてきた我が子に夢中だった。
動きの一つ一つが愛らしくて、いくら見ていても飽きない。
泣く時のくしゃっとゆがんだ顔も、かわいらしすぎてもっと見たくなる。
抱いた時の重さも、ほっぺを触った柔らかさも、ふんわりとにおうその香りも、ただただ愛おしい。
特に、生まれた赤ちゃんは、とても美しい子で、その瞳と髪が、愛する旦那様にそっくりな、とても美しい闇色。愛おしさも倍増、という物だ。
「……しあわせ」
愛娘を見つめながらうっとりとつぶやく。
その時だった。
「フリーシャ、出かけるぞ」
感情の読み取れない声だったが、フリーシャは、動じることなく、ただそれに眉をひそめた。
「どうしたの? 突然」
「そなたが言っていたのだろう? たまには外に出たいと。……連れていこう」
「……一緒に?!」
未だかつてない驚きを覚えてその顔を見る。
魔王の花嫁となって早数年。魔王からのデートのお誘いとは。未だかつて、こんな魔王を見たことがあっただろうか(いいやない。(反語)。
何だかよく分からないが、機嫌を取られている。
「……行く!」
よく分からなかったものの、フリーシャは、滅多にない夫からのお誘いに、気が変わらぬうちに慌てて返事をする。
「ちょっと待っててね。すぐにこの子の準備と……」
我が子のお出かけ準備を始めようとしたフリーシャに、魔王が後ろから抱きしめてその動きを止める。
「行くのは、そなただけだ」
「え、でも……」
「城の者にまかせておけ」
不愉快そうに言い捨てたその顔を見て、フリーシャは唖然とする。
そして、破顔したフリーシャが魔王の腕に絡みついた。
「ねえ、寂しかった? 私がこの子ばっかりに構うから」
「…………」
そうして、上機嫌なフリーシャは、人間を装った美貌の青年と、久しぶりに訪れる人間の町中を堪能したのだった。
そのときフリーシャがうきうきとしながら買い求めた物が、全て子供の物で、魔王の機嫌があまりよろしくなかったとか何とか、荷物持ちのお供に付いた魔物が嘆いた。
その後、魔王が「子は二度と作らぬ!」と、決意したかどうかは定かではない。
おしまい。
でも、この後、もう一人姫が生まれますw
一人目の姫は、目と髪は黒いですが、後はフリーシャ似。元気にアトールを追っかけます。
二人目の姫は、見た目はフリーシャに似ているのですが、雰囲気がどうしようもなく魔王似。フリーシャに似ているのに、なぜだか人外の美貌。マーシアを凌ぐ美しさ。「どこが違うのよ…!!」と、ちょっぴり嘆く母。
魔物は我が子に興味を持たないので、二人とも、執事な魔物カリファを実質の父親認定。娘二人にとって魔王は母親を横取りする敵。
二人目の姫は、カリファが好きで、大人になってから、魔王並みの美貌と威圧感でカリファにアピール。
親子の情はないが、フリーシャに似ている実の娘がカリファに言い寄っているのが気にくわない魔王。カリファ、絶体絶命。
みたいなその後があったり、なかったり。