41 対峙5
フリーシャの力一杯の一太刀は、素手の魔王によって、いとも簡単に止められた。
フリーシャは、衝撃にしびれる手をかばいながらため息をつき、剣を投げ捨てた。
カラン、と広間に音が響いた。
こんな物が魔王に傷をつけるとは、欠片ほども思っていない。
ただ、胸に渦巻くこの怒りをどんな形でもいいからぶつけたかった。
目の前にいる、#魔王__かれ__#に。
斬りかかったというのに、魔王は防御にわずか動いたのみで、やはりそこにただ立ってフリーシャを見ているだけだった。
睨み付けるフリーシャの視線を、魔王は無表情に受け止めている。しかし、その視線は興味深そうにフリーシャをとらえていた。
「ずいぶんな挨拶だな」
無感動な魔王の言葉にフリーシャは吐き捨てるように言った。
「私怒っているのよ」
フリーシャは魔王を睨め付けて、低い声で唸るように魔王をなじれば、その体はピクリと身じろいだ。
「ずっと待っていたのに」
そう、私は、ずっと待っていた。黒騎士が、目の前の存在が迎えにくるのを、約束したあの日からずっと。
なのに、黒騎士は憎むべき魔王だった。
睨め付けるフリーシャの目が、わずかに揺らいだ。
魔王の元に向かう白竜の背の上でフリーシャはその事実を前に、どうしようもないジレンマに陥っていた。
フリーシャは全てを思い出したとき、自分のなすべき事がなんなのかを見失った。
私の黒騎士。
ずっと、ずっと、待ちわびていた人だった。
思い出すだけで愛しくて胸が締め付けられる人。
なのに、彼は来なかった。あまつさえ、彼はフリーシャの大切な姉を連れ去ったのだ。
マーシアをこんな目に遭わせたことが許せない。氷の花嫁になってしまうだなんて、許せるわけがない。
なのに、黒騎士の……魔王の姿を思い出すと違う感情にとらわれそうになる。
こんな時なのに、あふれ出した黒騎士の記憶はどうしようもない幸福感とともにフリーシャを支配するのだ。「私と共に来るがいい」そう言って彼は「来るか?」と笑った。無表情な顔が笑顔になった瞬間の、胸が締め付けられるような幸せが思い出されて、どうしようもない恋しさが胸をしめる。
どうして、間違えたりしたの。
フリーシャは唇を噛み締めた。魔王が間違えさえしなければ憎む必要もなかった。黒騎士が魔王であっても良かった。なのに。
なぜ、姉様だったの。
私なら、黒騎士が魔王と知っても、迷わずついて行ったのに。
待ち焦がれた人を敵だと思わなければいけない苦しさに心が引き裂かれるように痛む。
なぜ、間違えたの。
……それとも、間違えたりなど、していなかったら……?
そう考えた瞬間、身震いがした。
もし魔王が、フリーシャの存在とマーシアと、印を持った二人の花嫁候補を前に、あえてマーシアを選んだのなら。間違えたのではなく、彼がマーシアを選んだのだとしたら。
そう考えただけで、絶望に襲われた。
彼は、意図的に私を選ばなかったのかも知れない。美しいマーシアの方がふさわしいと思ったのかも知れない。
その考えが、フリーシャの中でこびりつくように浸食する。
そんな場合じゃないのに、フリーシャは不安に襲われた。
黒騎士は、私を、選ばなかった……?
体が震えた。
違う、違う。姉様を氷の花嫁にさせないことが優先だ。私が先じゃない。私が選ばれなかったことは、その後だ。私のせいで姉様をこんな目に遭わせたのだから、姉様を助けないと。
どうしようもない絶望に襲われかけたフリーシャは、必死に考えを元に戻そうとする。
なのに、心はどうしようもなく黒騎士へと向かった。
仮に魔王が望んだのがマーシアでも、マーシアは運命の花嫁ではない。フリーシャこそがそうなのだから。マーシアを氷の花嫁などにさせるわけにはいかない。
魔王を許してはいけない。
けれど、魔王は黒騎士なのだ。
間違えるな。
フリーシャは感情にとらわれそうになる自分に言い聞かせる。
黒騎士は、魔王だった。
そして、フリーシャは魔王を、許せない。
必死でそう考えた。考えようとした。
だから、うれしいなんて思って良いはずがないのだ。
胸が苦しかった。
うれしいなんて、嘘だ。
フリーシャは歯を食いしばる。
彼が存在していることが分かって、会えると思うだけでうれしさがこみ上げているなんて、そんな事があって良いはずがない。
魔王は、マーシアをさらった敵だ。マーシアを危険にさらしている敵だ。
うれしいなんて感じるなんてダメだ。
姉様を助けないと。
助けないと。
そうだ、それが今は何よりも大切なことだから。
考えるな。
フリーシャは心の中で何度もつぶやく。
考えるな、考えるな。姉様を氷の花嫁にしようとしている魔王を許すな。