40 対峙4
「フリーシャ!!」
魔王に向かうフリーシャを見てマーシアが悲鳴を上げる。
白竜がそれを支えるようにして、寄り添うようにその首を彼女にもたげ、静かに、彼女を落ち着かせるようにささやいた。
『マーシア姫。フリーシャは大丈夫だ。彼女は約束を思い出したのだから』
「……約、束……?」
マーシアは、その言葉に、はっと思い出す。魔王が何度も口にした言葉だった。
マーシアは確認するように白竜を見た。
白竜が、ゆっくりと頷いた。
フリーシャは剣を構え魔王に向けて駆けてゆく。
わずかに苦い思いが胸をよぎる。
「約束」を、思い出した。
それは魔物の先導にまかせ、白竜の背でフリーシャが混乱しているときだった。
その時は自分が魔王の花嫁だという事実に、どうしても心当たりがなかった。
フリーシャは過去の記憶をさらうが、どうしてもわからないのだ。
いつ自分は魔王と契ったのか。
それは、この護り……魔王の印がいつ付けられたか、という事でもある。
この強大な魔力は生まれ持った物だと思っていた。けれど魔王の花嫁となった故の魔力ならば、それは違っていたということになる。
とはいえそんな衝撃的なことを忘れるというのは腑に落ちない。
なのに記憶をたぐり寄せたところで思い出せず、フリーシャは息をついて、改めて目的地を見た。
その時だった。
とたんに、どくん、と、心臓が跳ね上がった。
言葉にしがたい衝撃だった。
その衝撃を与えた物は。
視線の先には魔王の城がある。そして、取り巻くのは次第に強まる魔物の気配。この辺り一帯をしめるこの圧迫感は、おそらく、魔王の気配。
それまでくすぐるようにフリーシャの記憶の琴線に触れていたそれらが、襲いかかるように、フリーシャの心を揺さぶってきたのだ。
フリーシャの中でせき止められていた何かが、はじけ飛ぶように、壊れた。
そして気付く。
この山に入って以来感じていたどうしようもない心地よさ、その理由。
自分が魔王の花嫁ならば納得がいくと思っていた。けれど、それは違うかも知れないと気付いた。
フリーシャは、この存在感を知っていた事に気付いてしまった。
そうだ、この心地よさは懐かしさだ。いつか自分が感じた、懐かしい、愛しい記憶をくすぐる、そんな心地よさだ。
この圧迫感を、あたりを支配する圧迫感のような空気をまとう人をフリーシャは知っていた。
これは彼を思い出したときの感覚。
私の黒騎士がまとう空気。
どくり、どくり……刻む心臓の音が頭の中にまで響き渡るような感覚に、フリーシャはあえぐように浅い呼吸を繰り返す。息をするのさえ苦しく感じた。
この存在感は、私の黒騎士の物。
しかし望む先にいるのは、魔王。
分かりたくなかった。分かってしまえば、自分はどうすればいいのか分からなくなってしまう。
けれど、おそらくは、それが事実。
「……そんな!!」
自覚した瞬間、息切れするほどの動悸が一気におさまり、一転して体が冷える。ざっと血の気が引く音を聞いた気がした。耳の奥が痛い。
私の黒騎士が、魔王。
血の気が引いた頭は、真っ白で、その事実だけがフリーシャに突きつけるように存在していた。
思い出した。思い出してしまった。
歓喜と絶望に、フリーシャの中の感情が付いていかない。
そう、約束したのだ。だから私はずっと彼が迎えに来ると信じていた。
そして魔王は迎えに来た。花嫁としてフリーシャを。なのにフリーシャではなく偽の印が付いたマーシアを誤ってさらってしまった。
魔王が、私の黒騎士。
じわり……と漏れるように、今まで思い出せなかったことがフリーシャのたぐる記憶の糸に絡まってくる。失っていた記憶が、閉ざされていた記憶の扉の向こうから、じわりとにじみ出てくるように思い出される。
黒騎士に出会った記憶が明確さを増してゆく。
『じゃあ、くろいきしさま、おやくそくね?』
あのとき、私はそう言った。
『約束しよう』
彼はそう答えた。
思い描く黒騎士の姿に、幼い頃の自分の声が重なる。
そうだ、私は、約束をした。
あの約束が、私の全て。そのためだけに生きてきた。
それなのに。
握りしめた両手の拳がふるえる。フリーシャは耐えるように奥歯を噛み締めた。
魔王はマーシアをさらった。マーシアを危険にさらしているのだ。
フリーシャは、全てを思いだし、そして理解した。
許せなかった。