37 対峙
日が落ちた。
まもなく魔王の婚礼が始まる。
フリーシャは白龍と共に数多いる魔物から妨害を受けることなく駆け抜けてゆく。
それは先導する魔物の存在が、想像以上に強い魔物であったことに起因する。彼は魔王と最も近い側近の一人だった。ただの魔物であれば、全てにおいてこう上手く事が運ばなかっただろう。
この魔物と山に入ってすぐに出会えたのは幸運であったと、今なら言える。
フリーシャは厳しい顔をして目指す城をにらみつけた。
あと少し。視線の先に、はっきりとその存在はとらえられている。
「あと少しです、お急ぎ下さい」
頭に響くような魔物の声に、フリーシャは静かにうなずく。
ここまでに来る間、分かったことがいくつかあった。
それはフリーシャにとっては知りたくなかった事実であり、知らなければならなかった事実だった。相反する感情を内包する内容に、躊躇い、戸惑い、怒り、そして、自分の心の深淵を見た。
だが、それも今はどうでも良いことだった。間に合いさえすればいい。全てはそれからなのだから。フリーシャの覚悟は決まっていた。自分がどうするかも。自分がどうしたいかも。
だから。間に合いさえすればいい。
フリーシャは祈るように魔王の城を見つめる。
わずかに西の空は明るいが、辺りはもう薄暗い。
山の頂上に城が見えている。
その時、一帯に鐘の音が響いた。
暗く染め上げられてゆく夜空に、婚礼の始まりを知らせる鐘が。
「……姉様!」
フリーシャは襲ってくる絶望を追い払いながら白龍の背の上で祈る。
あと少しだから、もう少しだから。
人の足では遠くても、竜ならばあとわずかな距離なのだ。しかしそのわずかな距離が今は遠かった。
一刻、一刻が、フリーシャの不安を駆り立てる。
早く行かないと、姉様が魔王と契ってしまう。姉様を氷の花嫁にしてしまう……!!
城にたどり着くと白竜が扉を乱暴に開いた。
「姉様ー!!」
フリーシャは白龍から飛び降りると、先導する魔物と共に走った。
急がなければマーシアが氷の花嫁になってしまう。
城内では、白竜も飛べない。
フリーシャは走りながら叫ぶ。
「姉様ー!!」
城内にフリーシャの叫び声が響く。
「今、行きます!!」
その声に応えるように、小さく響く叫び声が聞こえた。『フリーシャ!』と。
「すぐに行きます!」
人間らしい感情の感じられるマーシアの声に、少し安心して叫んだ。
すると悲鳴のような悲痛な叫び声があがった。
『来てはだめ! フリーシャ! 来ないで! 逃げて! 逃げてぇ!!』
離れたところから小さく反響するその声にフリーシャはあふれる涙をぬぐった。
今、誰よりも恐ろしい思いをしているのはマーシアのはずだった。なのに、マーシアは自分の身よりもフリーシャの身を案じているのだ。
マーシアの悲痛な叫び声を聞きながら、フリーシャは走った。
私のせいなのに。ごめんなさい、ごめんなさい、姉様。
悲痛な声に、マーシアの恐怖がどれだけの物かをフリーシャは感じ取っていた。
すぐに、すぐに助けるから。
フリーシャは腕で無造作に涙をぬぐった。
あと少し、あそこの扉の向こうに姉様がいる。
「姉様ー!」
フリーシャは叫ぶ。私は大丈夫だから、そんなに心配しないで。走りながらでは伝えられないそんな思いを込めて。
フリーシャは広間の前に立った。
開け放たれた扉の向こう、広間の中央に黒衣の男と、黒いドレスに身を包んだマーシアの姿があった。
フリーシャの心臓が、どくりと音を立てた。
「……フリーシャ!」
声を上げたマーシアの顔。
姉様! ご無事だった……!!
体中の力が抜けるような安心感。
マーシアは氷の花嫁にはなっていなかった。