32 魔物4
「……何のつもり」
フリーシャは弓をおろさない。魔物の言葉など信用できるはずもない。しかし、何という誘惑か。フリーシャは魔物に先を促す。
「なにやら、手違いがあったようです。魔王様も、連れてきた姫君に戸惑っておいででした。幼い頃は確かにそうと感じたのに、今の姫には何も感じぬと。それも道理。連れてきた姫君がフリーシャ姫ではなかったのですから。あなたさまこそ、真の花嫁。はっきり申しまして、城においでる姫には、何の用もございません。姉君をお助けしたいのでしたらお急ぎ下さい。急げば夕刻には間に合いましょう。私がお供させて頂きます」
フリーシャは眉をひそめた。意図が理解できなかった。
本当は、私をさらうつもりだったということ……? 姉様をさらったのは誤り?
魔王は何らかの意図があって、花嫁を選んだという事か。
そして、選ばれたのは本来ならフリーシャだったという事か。
いい迷惑だ。選ばれたことも、間違ってマーシアを連れ去ったことも。
不快感がこみ上げる。
「私は、氷の花嫁になる気はないわ」
このまま話に乗れば、邪魔されることなくマーシアの元にいけるかもしれない。
でも、嘘だったら? ただ、姉様も私も二人ともつかまるだけだったら?
わからない。
嘘ばかりかもしれない、本当なのかもしれない。嘘なら、このままはなしをさせてみれば矛盾が出てくるかもしれない。だから、できるだけ、情報を引き出さなくちゃ。
考えもまとまらないまま、不信感と共ににらみつけ、挑発するように言い捨てる。しかし魔物は垂れた頭をわずかに上げ、まぶしげに親愛すらこもっているような目でフリーシャを見つめる。
「もちろんです。我々としても氷の花嫁となる程度の人間風情を魔王様の花嫁と認めるつもりはございません。フリーシャ姫、あなたでなければ意味がないのですから。あなたは宿命られた花嫁です。人の身でありながら、魔王様と契り、その強大な魔力を有しても変わることなく人として生きておられる。契られてもなお、人として生きておられるその御身が証拠」
「……私が、既に魔王と契っている……?」
思いがけない言葉に、フリーシャはしばらく意味が理解できなかった。
なぜという思い、まさかという猜疑心。
「あなたさまの強大な魔力は、魔王様と契られた証。そして、姫を取り巻く護りの力は魔王様の印。フリーシャ姫、あなたこそ、我らが王の花嫁」
その言葉を聞いて、弓をかまえたままのフリーシャの体が震えた。震えて、狙いさえ定まらない。
「魔王の、印……?」
フリーシャにとって、自分が魔王の花嫁であったということ以上に衝撃を受けた言葉があった。
「魔王の印って、私を守っているこの力の事……?」
震えを押さえながら冷静を保って訊ねると、魔物が笑顔で、容赦なくうなずいた。
「さようでございます」
その瞬間、フリーシャは、全てを理解した。
「私のせいだわ!!」
フリーシャは悲鳴のような声を上げた。恐怖と絶望と後悔でフリーシャの理性が瓦解した。手元の力は抜け、矢はあらぬ方向に飛び、弓は霧散する。
「私が姉様を危険にさらしてしまった!」




