2 旅立ち
眠りに落ちかけていたフリーシャの意識がふっと醒めた。
周りが騒がしい。
遠くで声を荒らげている人の声が飛び交い、城内をせわしなく駆けていく多数の足音が響いてくる。
フリーシャは目を開けて周りを見渡した。
外は暗い。
しかし、あまりにも人の動きが騒がしく響き、ただ事ではないことが寝ぼけた頭でも理解できた。
「姫様、ご無事ですか?」
作法にうるさい乳母が不作法に扉を開けると駆け寄ってきた。
「何があったの?」
「……ご無事でしたか……」
乳母はフリーシャには応えず、へなへなと座り込んだ。
「ばあや?」
彼女らしからぬその様子を不思議に思っていると、乳母は、困ったようにフリーシャを見上げた。
その表情の悲壮さに、フリーシャは胸騒ぎを覚えた。
「……姫様。心をお確かにして、お聞き下さい」
乳母は膝をつくと、ベッドに腰をかけているフリーシャの手を握りしめた。
「マーシア様が、さらわれました」
「……え? 姉様が……、さらわれ……?」
乳母の言葉に、しばらく意味が分からなかった。心臓が早鐘を打ち、頭がクラクラする。
けれど、ショックを受けている場合ではない。働こうとしない頭でフリーシャは必死に考えた。
「何者の仕業かは分かっているの?」
言葉にすると、だんだんと頭が動き出す。フリーシャは、マーシアを拐かして有益になる人間を数人思い浮かべた。
姉様が拐かされて気付かなかったなんて、私としたことがどこで抜かったのかしら。
彼女はフリーシャと違い大きな権力争いの種になっているのが分かっていた。ゆえにフリーシャはそれに備えて対策を講じていたのだ。なのにそれが全く役に立たなかったことが腑に落ちない。
フリーシャは、秘密にしてある自分の力の、どこに不手際があったのかと考える。
考えながら乳母の言葉を待つが、なかなか口を開こうとしないのに気持ちが急いてしまう。
早く姉様を助けないといけないのに。
「どうなの?」
「それが……」
「まだ、分かってないのね」
返答につまる乳母の様子に、まずはどこにさらわれたか探す為の手段を考えていると、乳母は躊躇いがちに口を開いた。
「いいえ、そうではなくて……」
「わかっているの?」
煮え切らない返事を繰り返す乳母の様子に、フリーシャは少し苛立ちはじめていた。
少しでも早く対策を取らないといけないのに。姉様が殺されてしまうかもしれないのに。
フリーシャが声を荒げようとした瞬間、乳母が覚悟を決めたように口を開いた。
「それが……魔王の仕業らしいのです」
「……魔王……!?」
フリーシャの頭は真っ白になった。
なぜという思い、どうすれば助けられるかという不安、マーシアの身の安全、全てがフリーシャの頭の中を混乱させた。
想像だにしていない相手だった。そして、フリーシャでは敵うとは思えない相手だった。
寝起きの頭には、少々荷が勝ちすぎた。
呆然とするフリーシャに、乳母は痛ましそうな目を向けてくる。
どうしたら良いか分からないまま、フリーシャは、少しでも情報を…と、乳母の知ってることを聞くことにする。
「なぜ、魔王とわかったの……?」
「国王陛下の元にやってきて、花嫁にもらい受けると、そう言ったそうです。すぐにマーシア様を御護りに行ったそうなのですが、部屋には、もう……」
「……そう」
姉様……。
どれだけ怖い思いをしているだろうかと、フリーシャは姉を想う。
魔王だなんて。
フリーシャの体が震えた。
力が及ばない相手だ。
魔王ならば自分の魔術が反応しなかったのも納得がいく。
マーシアに何かあれば、すぐに分かるようにと、フリーシャはこっそりと異母姉にに魔術をかけてあった。
なのに、それは全く反応せず、乳母が来るまでフリーシャは姉の異変に気付けなかった。
フリーシャは自分が今何をすべきかを考えた。マーシアに何が起こっているのか、自分に何が出来るのか。そして国はどう動くのか。
考えながら、フリーシャは窓の外を眺める。
線のような月が浮かんでいた。