12 師匠8
けれど、無理だろうが何だろうが、フリーシャには「行かない」という選択肢はなかった。マーシアを助けに行くのは揺るぐことのない決定事項だ。それでなくても時間がないのだから、迷う暇などない。
「わかりました。とりあえず湖に行って、一休みしたら魔王のもとに向かいます」
棒読みしたフリーシャに、アトールが苦笑いを浮かべる。
「信用してないな」
「してもらえると思っているんですか……?」
「いや」
ため息混じりにつぶやいたフリーシャの頭を、アトールが笑いながらなでた。
撫でられて安心してしまう自分が腹立たしい。
フリーシャは、むっつりと黙り込んで足下を見た。
こんなにうさんくさいことを言われても、それでも、きっとアトールの言うことなら間違いないだろうと思ってしまう。
刷り込まれすぎだ、とフリーシャは思う。
それでも、本当にフリーシャにとって危険ならば止めるだろうと信じていた。アトールも、そんなフリーシャを分かっているのだろう。
悩んでも仕方がない。毒を食らわば、皿まで。
フリーシャは覚悟を決めて彼を見上げた。
「師匠、行ってきます」
アトールが目を細めて彼女を見つめ返す。
結局、そんなアトールの表情やまなざしにフリーシャは励まされる。
「ああ、気をつけて行けよ。マーシア様をお助けしてこい。おまえならできる」
「はい」
家を出て馬にまたがると、フリーシャは見送りに出てきてくれたアトールを見た。彼がふと思い出したようにフリーシャに向かって何かを投げた。
それはカチャリと音を立てて、フリーシャの手に収まる。
「御守りだ。湖で役に立つ」
アトールがいつも身につけていたペンダントだった。フリーシャはぎゅっと握りしめ、そしてうれしくてアトールに笑顔を向けた。アトールが微笑んでそれを見つめる。
フリーシャはそれを首にかけると、彼に大きく手を振って馬を走らせた。
「私を敵にまわすか」
見送ったアトールの背に、どこかおもしろがっているような声がかかる。
誰もいないはずの家の中には黒い人影があった。影しか見えぬと言うのに、気味が悪いほど美しく、なのにひどく禍々しく見える。
「まさか」
アトールは振り返りもせずに笑って答える。視線の先にはもうフリーシャの姿はない。
「むしろ……手を貸したのさ。あんたは、俺に感謝する」
アトールが不敵に笑った。
「……魔王」
影がくつりと笑った。
「ありえぬ」
「どうかな」
向けられた嘲笑にアトールは軽口で応えると、フリーシャの進んだ先から目をそらし、家の中に目を向けた。
もう、そこに影はない。
「のぞき見とは、趣味の悪い奴だ」
どうせなら、もっと早くのぞいとけばいいのになぁ。
誰もいない家の中に入ると、どこか楽しげにアトールはベッドに転がる。
だが、こちらには都合が良い。いろいろと限界が来ていた。フリーシャには悪いが、俺にも事情がある。ついでにちょっとだけ働いてもらおうか。
フリーシャ、君の幸運を祈っているよ。
アトールは心の中でつぶやく。
目を閉じたその顔は、どこまでも楽しそうだった。