15_新たな一面(3)
シャンさんはもしかしたら不器用な人なのかもしれない。
わたしに蔑んだような視線を投げてくるのには、深い理由があるのかもしれないと思った。
弾むような話題が2人にあるわけもなく、お互い自分の作業を無言で進めていた。
本のページをめくる掠れた音と、トントンと資料を揃える音だけがわたし達を包む。
どれくらい経ったか、与えられたノルマを半分ほど消化した頃、わたしのお腹が盛大に自己主張した。
「ぐぅぅ〜‥」
お腹すいた‥
あれからどれくらいの時間、こうやって作業を続けてたんだろう。
シャンさんは資料に目を通しては、スラスラと洋紙に何かを書き留めていく、という動作を淀みなく繰り返している。
「‥休憩にするか」
わたしのお腹の悲鳴を聞いたシャンさんは、手を止めてフッと肩の力を抜いた。
「だいぶ進んだな」
「はい」
シャスさんはわたしがまとめた資料をざっと確認し、冷たくなったコーヒーを飲み干した。
「あの、お昼はどこで?」
気になることを尋ねてみると、シャンさんは少し考えるようなそぶりを見せた後、無言で給湯室に消えていった。
あれ、行っちゃった‥?
どうしたものかと、足をぷらぷらさせて待っていると、数分も経たないうちにお皿を片手に持ったシャンさんが戻ってきた。
「食べろ。昼食だ」
コトリと目の前に出されたお皿には、一口大のサンドウィッチが綺麗に並べられている。
「美味しそうっ!いただきます!」
お腹が空いていたわたしは、サンドウィッチと一緒に出されたお手拭きで簡単に手を拭き、1つつまんで口にほうり込んだ。
食べたことの無い具のサンドウィッチだけど、これはこれで美味しい。
わたしの向かい側に腰を下ろしたシャンさんは、パクパクとサンドウィッチを平らげていくわたしをジッと観察していた。
観られていて気分が良いものではないけど、シャンさんと付き合っていくなら仕方ない事なのかも知れない、と半ば諦めたわたしは気にせず口を動かした。
「‥旨かったか」
綺麗になったお皿に視線を向け、シャンさんは興味なさそうに呟いた。
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
お腹が満たされて落ち着いたわたしは、シャンさんに向かって笑いかけた。
「‥‥そうか」
ほんの少しだけ表情が和らいで見えたのは、わたしの気のせいかな?
シャンさんはわたしを見つめて、何を思ったかずいっと顔を近づけてきた。
「え‥‥わぁ!?」
犬や猫がするように、ペロッと唇の端を舐められて飛び上がる。
ざらりとしたなんとも言えない感触にゾワっと鳥肌が立った。
「ちょっ、ちょっと!いきなり何するんですか?!」
「‥特別旨い物でもないんだがな‥」
「はぁ?」
「‥暫く休憩にする。好きにしてて良い」
舐められた口元を押さえてソファーから飛び降りたわたしに、一瞥をくれたシャンさんは、スタスタとお皿を持って行ってしまった。
「なに、一体‥」
これがスキンシップだと言うなら、こっちの世界の文化を本気で疑う。
それに好きにしてて良いって言われても困るよ。
ソファーに座り直して、軽いショックから立ち直ったわたしは、手持ち無沙汰になって室内をウロウロしていた。
シャンさんの気配が完全になくなって、彼女もどこかに行ったんだろうと思ったわたしは、そろっと部屋を出て辺りを見渡した。
この日は誰もここに来ていないらしく、シーンと静まり返っていた。
天井を仰ぎ見てみると、天窓から眩しい太陽の光が差し込んでいた。
「どうせなら最上階まで上ってみよー」
行くなって言われてないし平気だろう、と勝手に解釈して階段を上りはじめた。
その階毎に壁に飾られてる絵画が違って面白い。
まるで小さい美術館に来たみたいで。
わたしはキョロキョロ辺りを見ながら順調に上っていった。
他の部屋には入るなと言われていたから、さすがに言い付けを破ろうとは思わなかったけど、他はどんな部屋になってるのか気になった。
「はぁ〜‥着いた。脚痛い‥」
1番上の階まで上りきったわたしは、痛む太ももを叩いて一息つく。
「‥あれ?」
最上階も他の階と同じ様に5つドアがあったけど、そのうちの1つのドアが少しだけ開いていた。
誰かいるのかな?
そっと近づいて聞き耳を立ててみる。
よくは聞き取れないけど女の人の声がした。
会話をしてるようだから2人はいるみたいだ。
言い争ってるような、和やかな雰囲気ではないような、そんな感じがする。
どう考えてもここに居ちゃいけないと思ったけど、わたしは好奇心に負けてほんの少しだけドアを押してしまった。
中から微かに漏れるソプラノな声に聞き覚えがあったものだから。
ルル‥?
ちょっと中を確認するだけ、とそんな軽い気持ちで覗いてみた。
ルールシエルが居たら声をかけようと思って。
‥だけどドアの隙間から見たその光景に、わたしは文字通り固まってしまった。
大きめのソファーの上で重なる2人のシルエットが目に入り、全身から冷や汗が吹き出した。
『あっ‥まだ話がっ‥ん、』
『もういい』
『っ‥あっ!』
真っ赤なドレスを身に纏った女の人をソファーに押し倒して、組み伏せてるのは紛れも無くルールシエル、彼だ。
馬乗りになった彼はその人の首筋に顔を埋めていて、わたしからその表情は伺えない。
女の人が吐き出すなまめかしい吐息が嫌に耳についた。
組み伏せられた女の人の細い腕がルールシエルの首に回り、彼の手がドレスの裾をたくしあげた時、わたしの脚は反射的に動き出していた。
時間をかけて上ってきた階段を一気に駆け降り、さっきまで居た13階の一室に飛び込む。
後ろ手に閉めたドアが派手な音を立てたけど、気にしてる余裕なんて微塵も無い。
ドアに寄り掛かって乱れた呼吸を整えた。
今見た光景が目に焼き付いてしまって消えてくれやしない。
ぎゅっと心臓を捕まれたような感じがする。
初めて実際に目の当たりにした、そういう場面に動揺を隠せず、じわじわと身体の血液が顔に集中していくようだ。
わたしは熱をもった頬を両手で包み、ズルズルとしゃがみ込んだ。
「あれ‥ルルだったよね‥」
信じたくない気持ちが強い一方、ルールシエルを見間違えるはずがないという、確信に近いものを感じていた。
こっちの世界に来て、無条件で信頼を寄せていたルールシエルが、別人の様に見えたのを認めたくないのかもしれない。
いつも優しくて大人なルールシエルが、力に任せて女の人を組み敷くなんて信じられない。
女の人も女の人で、本気で嫌がって拒絶してる様には見えなかったし。
やっぱり2人はそういう関係なのかな‥‥
あの後2人がどうなったかなんて、全く経験の無いわたしにだって想像はつく。
考えれば考えるほど、気分は悪くなってほてった頬から血の気が引いてくようだ。
「はぁあぁー‥なんか、なぁ‥」
変なモヤモヤが心に居座るようで気持ち悪い。
「そんなところで何をしている」
膝に埋めていた顔を上げると、マグカップを2つ持ってソファーに座ろうとしているシャンさんが、わたしに怪訝な顔を向けていた。
ドアの前で膝を抱えて座り込んでいたわたしは、ノロノロと立ち上がってシャンさんの隣まで歩いていく。
「‥なんでもない、です」
「顔色が冴えないな。‥‥どうした」
説明する気にもなれず、脱力感にみまわれるわたしを見て、彼女は何か感づいたみたいだ。
「‥‥21階に行ったのか?」
21階と言う単語にピクリと反応してしまい、それに気づいたシャンさんはあぁ、と小さくため息をこぼす。
「‥最上階は主の私室でもあると、言い忘れていた。もっぱら女との逢い引きに使われている‥最近はあまり見なかったんだがな」
「あ、アイビキ‥ですか」
ガーンと頭を叩かれたような衝撃を受け、呆然とシャンさんを見つめると、彼女はなんてことも無いように言い放った。
「なんだ、知らなかったのか。おまえも愛人のうちの一人になったんだろ?」
あいじんのうちのひとり?
アイジンのうちの一人‥
愛人のうちの一人‥?
友達じゃなくて?
‥恋人、じゃなくて?
「愛人、だなんて‥わたしそんなつもりじゃない‥」
ルールシエルはわたしを愛人として側においてたの‥?
だからあんな風に接してたの?
‥やっぱり、ルールシエルにとってはなんて事の無いことだったんだ‥‥今までのすべてが。
「わたし‥いろいろ初めてだったのになぁ‥」
思わず呟いた声は、消え入りそうなくらい小さいものだった。
わたしにとってルールシエルは特別だったんだと思う。
だけど彼にとってわたしは特別じゃなかった。
たったそれだけの事なのに、わたしの頭は真っ白になってしまった。
読んでいただきまして、ありがとうございます!




