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結婚二十五年目。初夜に「愛することはできない」と言った夫に「これからは全力で君を愛して生きていきたい」と告白されました

作者: 可嵐
掲載日:2026/03/02

テンプレを書けない私のリハビリ短編です。少しでも楽しんでいただければ、有り難き幸せ。



「ウィルバード・オルキン。

 其方を、これよりオルキン騎士団の団長に任命する」


 春の訪れを告げる花が芽吹き始めたある日。良く晴れた空の下、大勢の騎士の前でその宣言は成された。

 堂々とそれを告げたのは、林檎のような赤髪の大柄な男性。名前はリヒト・オルキン。ジャーイッシュ王国北部に広がるオルキン辺境伯家の当主であり、今この時までオルキン騎士団の団長であった人物だ。


 ジャーイッシュ王国北方には、大きな火山とそれを囲むように広がる森があり、これらは隣国との国境にもなっている。その周辺には薬の材料となる植物が多く自生しているが、豊かな自然と共に魔物たちも住み着いていて危険がある。そのため、北部の管理を任されたオルキン家は、代々独自の騎士団を組織して人々や国の資源を守っていた。

 魔物の被害が出ないよう、森や山道を定期的に巡回し、必要に応じて魔物を討伐するのは勿論。魔物が国境を越えたり、近隣の領地や王都の方角へ逃げてしまったりすると大問題となる。

 過度に魔物を追い込まず、周辺の安全を守る。

 そんな難題を担うのがオルキン辺境伯家であり、オルキン騎士団である。

 リヒトはそんなオルキン辺境伯家の代表として、二十年を越える長きに渡って前線に立ち続けていた。時には騎士として、時には指揮官として。


 そんなリヒトが、本日、ついに息子であるウィルバードにその座を明け渡す。

 この日はオルキン辺境伯家にとっても、そしてジャーイッシュ王国にとっても大きな転換となる日だ。


「拝命します」


 リヒトがその身を持って繋いできた大きな責任を背負う決意を示すように、ハリのある力強い声が空高くまで響く。先程リヒトから指名を受けたウィルバードの声だ。

 リヒトによく似た林檎のように赤い髪色。しかし、纏めてもふわふわと動物の尻尾のように広がるリヒトとは異なり、セレナに似た流れるように真っ直ぐな髪質のウィルバードは、「ほどけないように」と複雑に編み込まれてから首の後ろで纏められている。それでも決して女性には見えない騎士らしく鍛え上げた体格は、彼の努力によるものだ。

 リヒトから差し出された騎士団長が身につける赤いマントを恭しく受け取り、ウィルバードは彼の妻であるステラの助けを借りて優雅に身に付けた。そして、リヒトにもう一度一礼してから、その様子を見守っていた騎士たちに向かって決意を述べる。


「我らがオルキンの地を見守る知恵と勝利の女神マディーナよ。

 私は誓う。これからもこの地、この国、そしてここに暮らす人々を、仲間とともに命を懸けて守っていくことを」


 ウィルバードの宣誓に、参列していた騎士たちが賛同の声を上げる。

 それと共にホッと表情を綻ばせる息子を眺めながら、セレナは感慨深い気持ちに浸っていた。

 これで私の役目はお仕舞いね、と。



 ◇



 ノブレス・オブリージュ。

 セレナにとって、今日までの結婚生活はまさにその言葉そのものだった。


 セレナは元々、オルキン辺境伯家が籍を置くジャーイッシュ王国の第二王女だった。

 元々は国交のために隣国へ嫁ぐ予定だったのだが、相手国の情勢が変わったことで成人直前に婚約が白紙となった。そして、そのタイミングでオルキン辺境伯領で魔物の大量発生が続き、辺境伯家の財政が逼迫してしまったとのことで、オルキン辺境伯領へ潤沢な支援金を送る名目として、セレナとリヒトの婚約がすぐに結ばれた。

 元より政略結婚をすることが決まっていたセレナは、結婚相手が変わったことに思うことはなかった。学問に対して意欲が高かったので、他国からも積極的に学生を受け入れている隣国の教育制度やそこから生まれた最先端の研究成果をいち早く知る機会がなくなってしまったことだけは残念であったが、重要な研究成果は時間は掛かっても世界に広がっていくものだ。いつかセレナの元にも、情報が巡ってくるだろう。

 そう思えば、日々魔物の脅威から国を防衛してくれている辺境伯家への支援が、セレナがいることでスムーズに、そして潤沢に用意できたことに満足さえしていた。オルキン辺境伯家からも、『第二王女と婚約を結ぶことについて異論はない』と話があったとの報告もあり、油断さえしていた。

 セレナが嫁ぐのは、一部の王宮貴族たちから『脳筋オルキン』と呼ばれるオルキン辺境伯家であることを。

 彼らのことを過信していたことに気付くのは、初めてリヒトと顔を合わせた結婚式の後。所謂、初夜の場面のことだった。大勢の貴族たちの前でとこしえの愛を宣誓したはずのリヒトは、しっかりと整えられた夫婦の寝室でこう言った。


「私は貴女を愛することはできない。だから、貴女も私を愛さなくて良い」


 厳しい表情で投げ掛けられた言葉。その意味を理解するために、セレナは数秒の時間を要した。けれど、王族として受けた教育の成果で笑顔のまま受け止めることができた。


「左様ですか」

「あぁ」

「私も貴方との婚姻は王族としての義務として受け入れました。顔を合わせたのも今日が初めてですし、物語のような熱烈な愛情は私も抱いておりません。そもそも、今回の婚姻はオルキン辺境伯領を支えるためのものです。ですので、後継者を独り立ちさせるまで、私はオルキン辺境伯夫人として義務を果たすつもりですが……もしかして、私と子を作らずとも、どこかにリヒト様の後継者となる方がいらっしゃったりしますか?」 

「……いない」

 セレナの直接的な質問にリヒトは一瞬目を丸くしたが、すぐに真顔に戻って首を振った。

「ちなみに、隠し子だけでなく、愛人などもいないぞ。

 それに、私もオルキン辺境伯家の当主として、貴女と婚姻したからには、後継者は貴女と私の子であるべきだと思っている」


 先程、結んだばかりの婚姻関係を破綻させかねない発言をした人物の言葉とは思えない常識的な考えにセレナは心中で驚いた。

 それはまさか……愛情はないけれど、やるべきことはやるということかしら?

 そんなのリヒトに都合が良すぎる、と怒り出す令嬢もいそうな発言だが、セレナはむしろ「この人は、きちんと貴族の関係や義務を理解できる人だ」と安心した。


「私もそれが最善かと思います」

 ホッと胸を撫で下ろして頷き、一人の貴族としてリヒトに確認を続ける。

「では、この先私とリヒト様の子が生まれたとして、教育や領地や屋敷の管理については、私はどれ程関与を許されますか?」

「貴女はオルキン辺境伯夫人となったのだから、教育や屋敷の管理は勿論貴女に一任する。領地や騎士団の運営についても、私が不在の時の判断は貴女に一任するつもりだ」

「立ち入りが制限される場所は?」

「屋敷では特にない。むしろ、緊急時の経路については、隠れている部分も含めてしっかりと確認しておいて欲しい」

「勿論です」

「領地内についても、特に出入りに制限はないが、外出時は護衛はつけて欲しい。それと警戒区域は魔物が出る危険があるから基本的に騎士以外の立ち入りは制限されているが、貴女は領主夫人だから絶対に立ち入れないというわけでもない。ただし、立ち入る必要がある時は、必ず騎士団に知らせて多めに護衛を準備して欲しい」


 淡々と答えるリヒトによれば、彼はセレナの行動や実務、そしてそれに伴う責任も制限する気はないようだ。お飾りや名ばかりにするつもりはなく、正しく辺境伯夫人として遇するという意思が感じられる。

 むしろ、制限されているのはたった一つ。愛情だけだ。

 どうして、そこだけ頑ななのか気にならない訳でもないが、顔を合わせたばかりでこれ以上踏み込むのは躊躇われる。それに、愛されることはないが、それによって政略結婚としての機能が失われないことだけは理解できた。それならば、ここに来るまでに振り絞った勇気がなくなってしまう前に、義務をしっかり果たしたい。


「リヒト様の気持ち、しかと受け止めました。他に問題がなければ、私……辺境伯夫人としての、務めを……果たしたい、と、思います……」


 恥ずかしさに声を震わせつつも、セレナはゆっくりとリヒトに近付き、リヒトの手を取って自分の頬にあてた。

 結婚式用に厚く施されていた化粧を落とし、しっかりと手入れされたセレナの肌は瑞々しく、リヒトの手に吸い付くように柔らかい。硬い指先が触れる月のような黄金色の髪からは、侍女が丁寧に塗り込んだ花のアロマがふわりと香っているはずだ。

 ピトリ、と。

 身体がくっ付くほどに接近した。リヒトはどんな顔をしているだろう。

 不安と期待を半分ずつ抱きながら彼を見上げれば、セレナの若葉のような瑞々しい緑の瞳と、先程まではなかった熱を灯したリヒトの赤い瞳がしっかり交わった。

 初めて目にする異性の『欲』に、セレナの背中にぞわりと感じたことのない感覚が走った。────けれど、もう逃げられない。

 セレナをふわりと軽々抱き上げたリヒトは、そのまま広いベッドへ向かい、寝かせるように下ろして優しいキスを降らせる。

 結婚式ではすぐに終わったはずのキスが、何度も絶え間なく与えられ、セレナの緊張や恐怖を少しずつ溶かしていく。


 ……愛がなくても、大丈夫かも。


 セレナがそう思えるほどに優しいキスで、二人の結婚生活は始まったのだった。


 ◇


 それからそれぞれの責務が滞らない頻度で夜を共に過ごし、セレナとリヒトは三人の子宝に恵まれた。

 長男のウィルバードは、リヒトに似て武勇や知略に優れ、次男のモルガンと長女のエリーザベトはセレナに似て社交性と知性を備えて成長した。三人ともオルキンの血筋らしい赤系統の髪色で、悪戯盛りでも活躍中でも目立って見付けやすかった。

 また、お互いを尊重し合う両親のもとで成長した子どもたちは、自然と役割分担をするようになり、騎士団はウィルバード、領地はモルガンと分担を決めてオルキン辺境伯家を運営していくことにしたらしい。そうは言っても「どちらが領主になるんだ?」とリヒトが確認した際は、お互いに押し付けあっていたので、リヒトとセレナのように阿吽の呼吸になるのはまだまだ先になるかもしれないけれど。

 それでも、セレナも心配はしていない。お互いを良く見ている兄弟だから、そのうち程良く役割分担できるだろう。

 そして、兄妹の中で唯一他家へ嫁入りすることになるエリーザベトだが、彼女は彼女で、娯楽の少ない辺境でセレナとともに勉学と研究に勤しんだ結果、「私も領地運営に携わりたい!」と瞳を輝かせるようになり、それを許してくれる殿方をなんと自力で見つけてきた。

 お相手はオルキン辺境伯領から一週間、王都からは数日離れた場所にあるロマーク伯爵家。南方に広い海岸線があり、日々海の魔物や海賊と渡り合っている、こちらも武の家系だ。武の家系のあり方を理解し、領地運営にも携われるエリーザベトはロマーク伯爵家から大歓迎と言われているらしい。双方前向きに親交を深めているので、セレナも安心だ。



「セレナ?」


 ぼんやりと四半世紀のことを振り返っていたセレナの横に、いつの間にやって来たのかリヒトが立っていた。


「リヒト様」

「珍しいな。ぼんやりして」


 心配そうに目尻を下げ、リヒトはセレナの腰を抱き寄せて顔を覗き込んだ。何でもないと微笑みつつ、セレナもリヒトに身を委ねて話す。


「騎士団長のマントをつけたウィルの姿が、出会った頃の貴方と重なってね。色々思い出してたの」


 結婚した時から凛々しさや逞しさがあったリヒトだが、今ではそれらもすっかり馴染み、『威厳』として感じられるようになった。長い年月を戦場で過ごしていたからか、いくつか顔にも傷ができ、眉間の辺りの皺が深くなってしまったのが少しだけ惜しいけれど、いつも五体満足で帰って来てくれたのだから本当に良い夫だとセレナは思っている。


 四半世紀を共に走り、その中で実感したのはリヒトの強さと優しさだ。

 戦場から欠かさず手紙を送り、帰ってくれば積極的に子育てに参加し、セレナと共に過ごす時間も惜しまなかった。ドレスやアクセサリーは戦闘服や装備品だとしっかり予算を割き、その上セレナがフィールドワークをしたいと希望を出すと予算も確保してくれた。

 愛することはできない。そう言われた。けれど、セレナはパートナーとして十分愛されていたと思っている。

 だから────


「今までお疲れ様でした」

「あぁ」

「これからは、貴方はどうするの?」


 もしも、何か望みがあるのなら叶えたい。役目はお互い果たしたので、もはや必要がなくなった婚姻契約を終わりにしたいなら、それでもいい。

 心からそう思って問いかけたセレナに、リヒトは一瞬驚いた顔をした。

 けれど、なにかを察したかのように、すぐに、最近「痛い」と溢している膝をつき、セレナの手を取って告げる。


「許されるなら、これからは君を全力で愛して生きていきたい」

「……えっ?」


 あまりにも予想外の希望にセレナは初めて公の場で淑女の仮面を落としてしまった。

 困惑するセレナをよそに、リヒトは普段の寡黙が嘘のように言葉を重ねてくる。


「自分勝手なのは理解しているが、昔の言葉は取り消したい。あの頃の俺はバカだったんだ。

 騎士団長である間は、それなりに戦死の可能性があるし、妻や子など愛するものが出来ることで、戦場での判断が鈍ることがあってはならない。父の死を嘆く母のことも見ていたので、当時は本気で妻となる人と愛を交わすことはお互いのためにならないと思っていた。……息子夫婦を見た今となっては、あの頃の自分が酷く独り善がりだったと気付かされたが……」


 そう言って怒られた子どものように落ち込んだ顔をするリヒト。それは年を重ねるごとにセレナの前で見せるようになった彼の『素』のようで、こんな風に公の場で見せたことはなかった。

 息子に騎士団長の役割を受け継いだことで、リヒトも気が緩んでいるのだろうか。

 部下たちに、そんな姿を見せないで欲しい。けれど────

 捨てないで。

 そう訴えるような赤い瞳に、セレナの心は更に揺さぶられ、怒ることなんてできない。


「……当時、貴方が何を考えているのか分からなくて、戸惑うこともあったわ。だから、あの時に貴方のその気持ちを知っていれば、私たちの二十五年はもっと良いものだったと思うとちょっと悲しいの」


 素直に気持ちを言葉にしたら、恨み言みたいになってしまった。リヒトは慌てて立ち上がり、セレナの手をギュッと握って謝る。


「……すまない。あの頃は特に、話すのが得意ではなくて……」

「知っているわ。でも、私に貴方を責めることはできない。……独り善がりだったのは、私も同じだから……」

「……えっ?」

「私はリヒト様と結婚するまで、王族として教育を受けてきた。

 そんな私にとって、国を支えてくださるリヒト様を愛するのは当然のことだったの。……たとえ、リヒト様が『愛さなくて良い』と言おうとも……」

「セレナ……」

「私はずっと、貴方を愛していましたよ」


 最初は意地だった。

 私はこれまで全ての国民を愛し、慈しむ立場に身を置いていたのだから────リヒト様が何と言おうとも、たとえ気持ちを返してくれなくても、私はこの人を愛するのだ、と。

 だけど、愛さないと言いつつ、セレナの立場や考えをしっかり尊重し、夫婦の時間は丁寧に扱い、興味に寄り添ってくれる。

 そんなリヒトの誠実さに、意地なんてすぐに必要なくなった。

 貰ったものを返すように。リヒトのことを大切にしたい、という気持ちは自然とセレナの中に生まれて育っていった。誤魔化せないほどの大きな『愛』を実らせるほどに。


 とはいえ、リヒトに必要とされていなかったから、今まで言葉にしたことはなかった。

 それでも、『リヒトへの愛情』はずっとセレナの中にあった。

 だから、リヒトが当時の言葉を取り消すと言うのなら、セレナも言葉にしても良いだろう。

 死ぬまで伝えることはない。

 そう思っていた、あたたかい愛の言葉を。


「セレナ、ありがとう。これからも、よろしく頼む。……愛している」


 リヒトの言葉に「はい」とセレナが微笑む。すると、それを待っていたかのように歓声が上がった。

 セレナの身体に声の震動が伝わってくるほどの騎士たちの声量は、先程ウィルバードへ贈られたものよりも圧倒的に大きく、喜びという熱量が籠っていた。それに気を良くしたリヒトが、今日も軽々とセレナを抱き上げて、一緒になって叫び出す。

 そのせいで、この後驚いたらしい魔物たちが暴れ出して、就任したばかりにウィルバードが早速出動することになったりもけれど────二人が積み上げて来た時間を証明するように、今日もオルキン辺境伯領には沢山の元気な声が響いて、平和だった。




読んでいただいてありがとうございました。

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