ルミエール=カンティークの日常(1)
燈火の街。
その愛称から街の全容は大幅に掴める。四方を山地に囲まれた一帯、なだらかな斜面を長年かけて丁寧に舗装し、その左右にデザインを統一し住宅を建設。白を主体とした美麗な景観を際立たせるのは、窓縁の有色の花壇やワンポイントの蒼。隣り合わせの宅窓から繋がれる縄には模様色様々な装飾旗。
高所に進むほど最もの低所=荘厳な蒼がより目立ち、衆目の目を奪う。
鼻孔を擽る塩の匂い。
賑やかさと鳥の囀り。
心地が良いと誰でさえ思うだろう。住まいが密集しているからこその全体的な親睦が深く、脇道の出店での物品の流出も良い。
他の街と比較すれば治安もいい上に、この街の教会はかなり大きい。
それはこの街の修道女見習いの一人、ルミエール=カンティークには最も嬉しいことであった。
ルミエール=カンティークという齢一五の少女は人々を救いたい、そう強い願いを持っている。故に彼女は修道女になるための学問を学び、一八に行う終生誓願の為に、掟を守り続けているのだ。
貞潔、清貧、従順。
結婚をせず、私的財産を持たず、上長の正当な命令へ従順を誓い続ける。
彼女は幼い頃からそうだった。別に彼女の家庭は一般的なものであり、他の秀でたことと言えば多少神様への信仰心が一家を通して強固であったことくらいだろう。だが彼女の両親の代ではかなり薄れてはいた。朝晩の黙祷や祈りはあったが、それっきりだ。その点では彼女は毎朝の教会通いをし、日々の祈りを欠かさず行っていた。
金銭的な面では無欲であった。が、人間的な面では強欲であった。「みんなを救う」といつも呪文のようにそう主張し続けて現在でも彼女にとって大きな志の一つであろう。そのきっかけとなった出来事もほんの些細なことで、ここまでま膨れ上がり志となったのは彼女の人間性に由来するのだろう。
単純なことだった。
彼女は両親や友達、近所の人々の笑顔が好きだったのだ。
信仰心の有無関係なしに。
純粋に。
ただそれだけが、今の志に繋がる。みんなの笑顔をみる=幸せなで平穏な生活=みんなを救うとなる訳だ。安直的で愚直的、捉えようによれば単純で馬鹿馬鹿しいと思われる。彼女もそれを承知しているが、何も言わない。
修道女というのは禁欲的な信仰生活をする女性を指し、彼女がその道を選んだことはここ最近の出来事で確定したことだ。神様への信仰というのもあるが第一は彼女の志に大きく関連するものであった。それが、これから始まる物語だ。ルミエール=カンティークという一人の少女の志が動き出す前の物語であり、希望と絶望の間で葛藤する少女と絶望に立ち向かう英雄兼『聖女』の物語。
何処にでもあるような典型的な、憧憬の物語。
◆
嫋やかな空気が身を包む。小瓶に飾られたシロユリが揺れる。
まだ眠りについている燈火の街は、心地の良い静けさを感じさせる。幼い頃から何度も何度も体感する窓から俯瞰する景色、蒼が好きだった。本日は穏やかなようで白波もなく、顔を出し始めた光を反射する眩しさに目を細めた。
一つ一つの動作に音がつく。
風も匂いも、彼女自身の動きに。カタリカタリと小さな物音が、BGMのように響く。袖に腕を通し滑らせる爽快、髪をとぐブラシ音。窓辺の小鳥の囀りで彼女は丁度支度を終える。
そして、鏡で最後の確認を。
艶のある手入れの込んだ臼杵の髪、大きな琥珀の瞳。
特にこれといった装飾はなく、簡素でありのままの顔は清潔感や純真を思わせる。
彼女は自身の確認を終え、小さく頷いた。自身の部屋の扉をゆっくりと締め、両親を起こさぬようにゆっくりと階段を降りる。そうして小さく囁いた凛とした声、風に乗せられて消えてしまう。
それでも彼女は笑顔で日常を始めた。
「行ってきます母様、父様」
彼女、ルミエール=カンティークの日常は朝の水浴びと祈祷から始まる。態々この街の最高場所にそびえる教会まで徒歩で通い、付属建設の井戸で修道女達と共に冷水をかぶり、祈る。その後、再度着替えて教会内での祈りを行う。司祭立ち会いのもと行う祈りは簡単ではない。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、神様を愛し、同時に隣人を愛することを誓う。
彼女はその祈りをするのも見るのも好きであった。
精錬された祈りというのは静寂を生む。思わず感嘆を漏らしてしまう程の美しい横顔は誰にも汚されない、そんな信念すら感じられる清潔を感じさせ、何者にも染まらないという考え方を持った。
彼女は、彼女らしくあることをここで誓う。
そうして神様への祈りに含めた敬愛を、精一杯で願い祈る。その間の静寂も好きだった。
澄んだ空気も、
窓から漏れる有色の光も、
すべてが精錬されているように感じて。
彼女は毎度思う。やはりこの場所が好きだと。
祈りを終えると、少しだけ話をする。彼女は顔が広く、愛される。その従順無垢に、律儀に、優しさに。
街の中で彼女を知らないものはいないほどまで、彼女は愛されているのだ。この教会でも然り、修道女の中で特段仲が良いのは現在両隣で彼女とともに祈りを捧げた二人の修道女だ。
「ルミも成長したものですね」
「初めから見込みはあったからねー、祈りも精錬されてきたしー最近は神聖さも増してきたってところって感じかな」
「誰目線ですか」
「先輩からの評価だよ」
「リリスよりかは修道女らしいよ、ルミは」
「ねーぇ!シエルが酷いこと言うわ」
「リリスがいつまでもその口調を直さないし、先輩ぶるからです!」
彼女は愛称でルミと呼ばれるのが大半、彼女をそう呼称する者は多かった。その親しみも愛しさも込めて彼女をそう呼ぶ。二人の修道女こそ、であった。
頭一つ背の高い女性がシエル=イデアル。
対してシエルの半分ほどの背の少女がリリス=クレール。
燈火の街でも凹凸コンビと名高い、修道女であり彼女の友人でもあった。シエルとリリスは二十で幼馴染、対する彼女は一五と年の差はあるものの教会に通い始めて初めに親しくなったのがこの二人でもある。
彼女はシエルやリリスから修道院での暮らしや司祭のこと、他の街のことについてもよく話を聞いている。修道女である故の他の街への派遣官として信仰を広め、人々を救いの道へと導く。その際の土産話や愚痴話をしてくれるのだ。
「別に偉ぶる必要なんてないじゃん?だって、リリスとルミは友達なんだから!!」
「さっき先輩からって言った発言を失言と言いなさい。先輩と友達は全くの別物ですよ。仮にも五つ上なんですから」
身長もルミより低いですのに先輩ってないと思いますけど、とボソリと悪戯な笑みをこぼすシエル。一風大人びた面もあるが、こうして幼馴染をからかう様子は大人だとはいえまだ無邪気さはあるのだと彼女はいつも思う。
シエルとリリスの毎度の口喧嘩、じゃれ合い。
彼女はそれを見守り共にいるだけで幸せだった。
「それじゃあね、ルミ!神父様に今日は呼ばれちゃっててね、だから今日はまた夕刻の祈りに会おうね!」
「貴方の道に主の光があらんことをーーーまた、会いましょうルミ」
■
彼女は少し寄り道をしながら家へと戻る。下るのみの一本道、影を踏む。空を見上げれば大好きな蒼の先、山の端に臼杵が瞬く。ようやく、夜明け。日の出だ。周囲の人気はなく、外窓に取り付けられた植物が顔を出す。ようやく私の朝は始まるのだ、と彼女は思う。
彼女は不意に道端に寂しく咲いた花を見つける。
歩道に配置された燈火の影に隠れた小さな蕾をつけた花に、そっと笑いかけた。
「早く咲くといいですね」
燈火を少しずらして、陽に当たるようにする。彼女はしばらくそれをじっと見つめ、手を編んで祈る。なんとなく嫌な予感がしたからだろう。彼女は直感的な危機察知ならぬ未来察知をする。今まであり大抵のことが当たってきた。
そういう時はこうしていつも祈るのだ。
「ばいばい!」
そうして彼女が去った場所には、花が咲く。
■
帰宅。扉をゆっくりと開き、耳を澄ませる。両親はまだ起きていないようだ。確認すると彼女は厨房に向かい、朝食の準備をする。三人分の食器を配置、二人分のものには埃がかぶらぬように食卓カバーをしておく。静かに手を合わせて、先に頂く。
すると、扉の奥人の気配と足音を感じた。
彼女は玄関へと向かい、扉の前へと一歩を踏み出したと同時に声が聞こえた。
「カンティークさん、おはよう」
この声はよく話す隣人の声だった。彼女は故に迷いなく、笑顔で迎える。
「おはようございます、ナルサさん。すみません、まだ母様と父様は寝ているんです」
「あら?いつもなら起きてるのに珍しいわね、病気…ではないのよね?」
「はい、ご心配ありがとうございます。母様と父様は私のために毎日働いてくれてますからその疲れだとと思います」
「それならいいんだけど。あ、これ回覧板ね」
「態々ありがとうございます」
そう言って彼女は回覧板に目を軽く通す。特にこれといった変異的なことは内容で胸を撫で下ろす。そんな彼女の笑顔を見て、隣人も笑う。
「平和です」
「いいことだよ、平和なのは!」
そんなやり取りをして、軽い挨拶をした後扉を閉める。去り際に隣人は今日もよろしくねと言った。彼女もそれを当然ですと快く了承していた。
彼女の朝はまだまだ続く。