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『右脳夢遊』

作者: 御今覚筆

 右脳と左脳の違いにフォーカスが当てられていたのは何年前のことだったか。当時から脳の機能局在は当然の常識だっただろうが右脳と左脳の違いに一喜一憂していた時代があった。さらに一部の論者は真剣に「脳には使われていない部分があって、それは9割も使われていない」といったようなことを言っていた。初めて聞く分には夢のある話だが、本来考えるべきなのは、既に使っている1割がこの程度であるという事実の方だった。私のこの脳があと9割開放されて10倍になったところで、たかがしれている。

 そんな悲観的な連想話は考えるだけ現実逃避の飲食に手が伸びるだけだろうがしかし、そういったことを日々考えておくことも人生を豊かにする・・・。意味のなさに対して、どう意味を見出すか。

 例えるなら、140円のジュースを買うために自動販売機に千円札を入れ、お釣りが410円しか返ってこなかったような意味のなさ。それこそがむしろかえって、考えてみるべき即興のような気がする。

 効率は既存の論理体系の最適解であり、その既存の論理というものは非論理的ないろいろから析出される結晶でしかない。間違いたくないから理論立てられたものばかりにすがっていても、辿り着くのは機械にすら満たない生ごみのような腐敗臭だ。

 社会は価値あるものしか重んじない現実主義者。そういった試練を己に課し続けている変態。そのくせいまだにこの程度の経済停滞。それ自体がアイロニーであり、社会人の無能っぷりを証明している。だが、そういった無能にすら価値なしと烙印を押されている真実にこそ次のダンジョンがある。

 右脳左脳。無駄な夢遊。そういった主題を考えては捨て、捨ては考え。そうやって残った自分にとっての学問にこそ生きがいがある。

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