2章12話 不確かな煙と確かな勇気
小学生4人を前にした健一が白衣を整えながら深呼吸を一つするのを見て、俺は口元を緩める。
大人の伝と格好良く言ってみたはものの、一つは俺のものではなく、もう一つについてもこうして数少ない友人に頼った形であった。
こういう時に頼りになるのは科学に詳しい友人ということで、俺から断片的に話を聞いただけでいくつも思い当たり、さらに大学からも近いからと意図も汲んで説明のためにふらりとやってきてくれたのは本当に感謝でしかない。
わかりやすく説明するのは苦手だがと嘯いていたが、やる気は十分らしかった。
「さてと、とりあえず二人が煙を見たのは事実だとして、いくつかこういう事もあるかもなっていうのを説明していくけど、わからんってなったら質問してくれ」
「「はい、先生」」
絵美と絵夢がそう言って、悠太と詩音も頷くのに、健一は苦笑して話を始める。
「いや、別に先生というわけじゃないんだが……まぁいいか。ひとまず、話を聞いて思い当たるのは、気温逆転層が原因なんじゃないかってことだな」
「気温逆転層?」
早速子供たちが首を傾げ、そして俺も聞き慣れない言葉に同じように首を傾けるのをそれぞれ見やって、健一は言葉を探すようにして続けた。
「あー、とりあえず知ってほしいのは、『目で見えたものが本当にそこにあるとは限らない』ってことだ」
「……どういうこと?」「意味がわかんない」
「そうだな。例えば皆は、蜃気楼は知ってるだろ?」
ようやく聞き慣れた単語が出て、楽が頷いて、悠太が答える。
「知ってる、砂漠とかで、オアシスが見えたのに近づいても全然着かないやつ!」
「おおそれだ。でなまぁそれに似たような現象っていうのは、別に砂漠みたいな特殊な環境じゃなくても発生したりする」
そして、子供たちが聞く態勢に入ったことを確認しながら、健一は続けた。
「普通は地面に近いほど空気は暖かく、上に行くほど冷えるんだが、時々逆になることがある。下が冷たく、上が暖かい状態、これを気温逆転っていうんだ。それが山間部の盆地では特に起こりやすい。今朝みたいに前の日が雨で、その後晴れた日は要注意、ってわけだ。」
「じゃあ、その気温逆転ってのが悠太達が見たことに関係してるってこと?」
絵美が控えめに尋ねると、健一は満足そうに頷いた。
「そう。気温逆転層があると、光が少し不思議な曲がり方をすることがある。その結果、本来なら見えないはずの遠くの景色が、空中に浮いたり伸び上がったりして見える現象が起きるんだ。これを『上位蜃気楼』という」
「……でも、俺が見たのは煙だけで、山で海じゃないと思うんだけど」
そして、今度は悠太が自信なさげに呟く。
「まぁ、蜃気楼でいうと海とか水面上が有名だけど、そもそも気温逆転層ができると、遠くのものが浮いて見えたり、伸びて見えたりする。もしかしたら、悠太くんが見た煙は、実は遠くの木や岩肌、あるいは何かの影が屈折した光によって、細長い煙柱のように見えてしまったのかもしれない」
「……じゃあ、朝見たあの煙は、実際には煙じゃなかったってこと?」
悠太が少し肩の力を抜くように言うと、健一はさらに続けた。
「かもしれない、だけどな。後は他にも可能性がある。昨日の夜から、春なのに一桁台まで温度も下がったろ? 今はこんなに暑いのに」
「うん……風邪引かないようにって言われた」
「だろ? そういう朝晩の寒暖差が激しい日は、空気中の水蒸気が凝結したり蒸発したりを繰り返しててな。その時、小さな氷の粒や、水滴が空中に漂って、それに太陽の光が当たると『光柱現象』っていう不思議な光の柱が見えることがある」
「光の柱……朝日が当たって、キラキラしてた感じ?」
詩音が遠くの空を仰ぐようにして言う。
「そうかもな。特に気温逆転で空気の層が安定している時は、光がまっすぐじゃなく屈折して届くこともある。それが煙のような細い線に見えたとしても不思議はないってのが、俺の思いついたこと。他にも色々可能性はあるだろうけど――――」
健一はスマホで検索した写真を見せながら、光の屈折や反射の簡単な図解を行う。海辺で起きる下位蜃気楼や、寒い地方で見られる光柱の写真に、子ども達は目を丸くしていた。
「後は火事なら、燃えた跡や燃えた匂い、他にも誰かが目撃してるはずだ。でも、消防が確認しても何もなかったって話だし、かといって君らが嘘をついているわけじゃない以上は、自然現象が有力ってわけだ。起こっても変とは言えない気象条件だったわけだしな」
「……じゃあ、俺、恥ずかしい思いしただけかぁ。なんかさ、見たつもりだったのに、嘘扱いされて、だんだん記憶も曖昧になって、不安だったけど、そういうことも在るって説明してもらって、詩音も見てくれてて、気が抜けたかも」
悠太が苦笑まじりに呟く。
その表情には少し照れと、でも安心感が混ざっていた。
「いや、全然恥ずかしくない。悠太くん、君は"もし火事だったら大変だ"って思って勇気を出して通報したんだろ?」
健一が真剣な目で悠太を見つめる。
「あ、うん……」
その問いに、悠太は少し頬を染めて頷く。
「実際に火事じゃなかったかもしれない。でも、何かが起きていると感じて声を上げること、それ自体がとても大事なことだよ。火事じゃなければ『良かった』で済むし、本当に火事なら、人命が助かることだってあるんだからな。俺はそう思うぜ?」
健一がそう告げるのを、悠太は嬉しそうに聞いて、そして俺は少し意外な顔で健一を見た。
「何か言いたそうだな、楽」
「いいや、友人の新たな一面を見れてよかったなと思っているとこだ」
「……まぁ、ガキのうちの疑われた記憶ってのは、残るからな。第一この歳でちゃんと通報できるなんて大したもんじゃねぇか」
そして、健一はその長身を折りたたむようにして悠太や詩音たちの目線に合わせて、ニカッと笑う。
「ありがとう、ございます」
それに、悠太がそう言って、詩音や絵美たちもぺこりと頭を下げて、健一が照れたようにして言った。
「ま、可能性の説明くらいだけど、少しでも気が楽になったなら良かったよ」
「うん、めっちゃ気分楽になったよ! それによく考えてみたら俺ら、めっちゃ珍しいもん見たってことでしょ?」
「あはは、そうだな。自慢していいぞ」
前向きな事を言い始めた悠太に笑いながらそう答えた健一は、首をぐるりと回して、ポツリと呟く。
「ま、俺に出来るのは可能性の話だけで、その、聞いただけで少しむかっとする先生に証拠を叩きつけてやることはできないわけだけどな」
だが、そんな健一の少しの悔しさを乗った言葉を聞きながら、俺はスマホに来ていた二通の連絡を見て答えた。
「いや、意外とそうでもないかもしれん」




