2章3話 詩音の小学校
教室の窓から差し込む春の柔らかな日差しが、カーテンを押して綺麗な影になって僕の机の上で踊っていた。そこに、川島先生の優しい声が重なる。先生は、楽さんや茜さんの先生であったこともあったらしくて、昔は僕と同じようにここに座ってたのかと思うと不思議な気持ちになる。
あまり意識してしまうと読み取ってしまいそうだからしないけれど。
僕の、新しい学校での座席は教室の窓側の前から三番目の席だ。『くがやましおん』と楽さんが頑張って書いてくれたえんぴつで、終わりの会のメモを連絡帳に書く。
「次の土曜日は二年生になって初めての授業参観です。保護者の皆さんがいらっしゃるので、いつもと違って土曜日ですが学校に来ることになります。皆さん、よろしくお願いしますね」
黒縁の眼鏡をかけた川島先生の姿を見つめながら、僕はふと東京での生活を思い出していた。前の学校の先生は、もっと雑な言い方だった。「はい、来週の土曜日は授業参観ね。忘れずに親に言っとくように」という感じで。
でも、川島先生は違う。柔らかな声でゆっくりと説明してくれる。その声を聞いていると、左手がほんの少しだけ温かくなるのだった。それは、先生の優しさが伝わってくるような、不思議な感覚で、心地よかった。
「ほごしゃって何?」
教室の後ろから元気な男の子の声が上がる。
「パパとかママのことでしょ。だから土曜日になるって言ってたもん」
すかさず、別の女の子の声が続いた。
詩音は小さく微笑んだ。大抵の場合、男子が少し思いついたことを声に出して、それにしっかりものの女子が先生の代わりに答えることが多いのは、東京だろうと長野だろうと変わらないんだな、と思う。
「ふふ、そうですね」
川島先生がそれに優しく笑って言った。そして一拍置いて、皆が聞く態勢になるのを少し待ってから続きを言う。
「皆さんのお父さんやお母さんかもしれないですし、おじいさんやおばあさん、お兄さんやお姉さんかもしれないですね」
先生の目が、ちらっとこちらを見て、僕はお礼を言うように小さく頷く。先日の家庭訪問で、先生は「もしも何か困ったことがあったら相談してね」と言ってくれたのだ。そして、その言葉どおり、静かに気を配ってくれているのを端々に感じる。
もっとも、「楽さんもお祖父ちゃんも、愛想は悪いけれどとても優しいので大丈夫です」と言ったら、先生に少しだけぽかんとされもしたのだが。
『……祖父さんに比べりゃ大分愛想は悪くねぇと思うんだが』
『茜さんと比べたら?』
『…………ありゃ別だ』
『ふふ、仲が良いのですね、久我山君も南野さんとまだ仲良しのようで安心しました。急に子供を預かることとなって色々大変な状況かとは思いますが、担任としてもフォローしていけたらと思いますので、気軽に相談してくださいね』
『ありがとう、川島先生、詩音のこと、よろしくお願いします』
『ふふ、実を言うと、あなた達は私にとってこの学校での初めての生徒でしたから、まさかこんなに早く保護者としてかつての生徒に会うとは思っていなくて、とても楽しいのですよ』
『……あはは、俺も予定外でしたけれど、なるべくちゃんとしていこうと思います』
連想のように会話も思い出して、僕は楽さんの困った顔を思い出してクスッと笑った。
(おじいちゃんと楽さんが二人共来てくれるって言ってたけれど、ふふ、少しだけ楽しみかも)
昨年の授業参観を思い出す。お母さんは忙しくて来られなかった。後からたくさん謝られたけれど、教室で皆が休み時間に来てくれた親に駆け寄るのを見ながら、どこか胸がギュッと締め付けられるような気持ちが沸き上がって、でもそれを誰にも言えなくて。
でも今年は違った。楽さんとおじいちゃんが来てくれる。その思いだけで、胸がほんのり温かくなる。
「はい、では授業参観についての説明はこれで終わりです。何か質問はありますか?」
川島先生の声に、詩音は我に返った。質問もなく、いつもどおりの号令と共に今日の授業は終わりになった。「起立」の声に合わせて、皆が立ち上がる音が教室中に響く。
帰り支度をしながら、友達同士の先程の授業参観についての話し声が色々と聞こえてくる。
「詩音くん、帰ろ!」「明日は楽兄さんがくるの?」
絵美と絵夢の声だ。一緒のクラスになれた、学校に通う前に友人となった双子の女の子達。その声に、僕は頷いて答えた。
「うん、おじいちゃんと楽さんが来るかなぁ」
詩音は少し照れくさそうに答える。楽さんとおじいちゃんが来てくれると思うと、なんだかドキドキする。でも、ふと嫌な感じがして振り向くと、クラスメイトの男子が二人、こちらを見ていた。
「なんでパパとママが来ないんだよ? 変じゃね? なぁ?」
「うん、僕のうちはふたりとも来てくれるよ?」
詩音は一瞬、言葉に詰まる。こういうときに、どう答えたら良いんだろう? なんてことを考えてしまう自分は、あまり『可愛くない』子供なんだろうな、と思う。
お父さんやお母さんがいて、来てくれるのが当たり前。そう思っている子がほとんどなんだ。それを羨ましいと思う気持ちもある。
でも同時に、急にやってきてクラスの中で中心に位置している絵美と絵夢と仲良くなったことに対する敵意のようなものも感じるから、話題は何でも良かったんだろうなって思ってる冷静な自分もいた。
そんな複雑な思いに包まれていると、突然、背後から声が聞こえた。
「……おい、うちも母ちゃんしかこねぇけど、何か変か?」
振り返ると、山本悠太くんが立っていた。少し身体が大きくて、小柄な僕も勿論ながら、普通の体格の二人からも見上げる形になる悠太くんの目は真剣で、少し怒っているようにも見えた。
「べ、別に...」
「そうだよ、変じゃないよ...」
二人の男の子は、悠太くんの言葉に少し慌てたように言い訳をする。
そして、そのまま逃げるように立ち去っていく。
「えっと……ありがとう?」
あまり喋ったことはないのだけれど、意外に思って、僕はそう言った。
でも、それに対して少し悠太くんは、僕に何の能力が無くても分かるくらいに気にいらなさそうな表情で。
「ふん……お前のためじゃねぇから」
そう言い捨てて、教室から去っていった。
でも、なんだか僕はその後姿から目が離せないでいて。
「もう、悠太ってば、最近特に素直じゃない上に言葉もつんけんしちゃってさ」
絵美がぷりぷりと怒りながらそう言うのに、僕は首を傾げて尋ねた。
絵美はハキハキしているけれど、こうして誰かに文句を言って怒っているのは珍しい気がする。
「結構悠太くんとは仲いいの?」
「まぁ、同じ幼稚園だったからね~、あたしと絵美のことちゃんと間違えないやつだったし」
絵夢がそう言って、そしてこっそり僕に囁いた。
「ま、ずっといっしょに居て、多分幼稚園の頃からあいつ絵美のこと好きだからさ。4月からは詩音に構ってるから寂しいんじゃない? でも根は悪いやつじゃないから大目にみてあげて」
僕はなるほど、と思って立ち去っていった悠太くんの方向を再び見る。
その背中はどこか、僕も知っている寂しさをまとっているようで、僕の中に山本悠太くんの名前は印象に残ったのだった。




