2章1話 新しい風
季節も五月になり、一人増えた生活にも慣れてきた頃。
俺は遠慮からだろう、聞いてみても中々リクエストというものをしなかった詩音からの初めてのリクエストに全力で応えるべく、フライパンの蓋を取った。とろりとした絶妙な状態で出してやりたいと思っているので、凝ったものではないがタイミングが大事である。
同じくチン、という音とともにパンも焼けた音がして、俺はそれを皿に盛り付けると、祖父さんと俺の分もお盆に乗せて食卓へと運んだ。
「うわぁ、美味しそう! 見たまんまだ、楽さん凄い」
詩音がそう嬉しそうに声を上げる。
まぁ、シンプルなものだから似せるのは難しくはないのだが、それでも褒められると嬉しいものだ。
気持ちは俺もわかる。
詩音が喜んでくれたそれは、つい先だって近所に住む年配の女性から「もう随分と昔のものだから今じゃ動画で見れるのかもしれないけれど……」と渡されたDVDで見た、あまりにも有名なアニメ映画に出てきた由緒正しい目玉焼きトーストだった。
日本では残念ながら配信されていないため、その機会がなければ見せなかっただろうし、詩音は物語はとても好きなようで食い入るように見ていたから、後でお礼の一つでも言っておかなければなるまい。
大学生が多い場所ではそんなことも無いが、このへんは昔からの家が多くて、田舎ならではの口コミであっという間に変化は伝わる。だが、祖父さんの友人達の計らいもあるし、犬の件で犬村のおじさん達には認知され、茜の家でも話題にしてくれた結果。
詩音のことは随分と好意的に受け止められ、先だってのDVD以外にもお菓子や少し古いおもちゃなどが提供されていた。
「おじいちゃんは、醤油と塩とソースは?」
「塩だ」
朝は和食が良いという祖父さんにも、鮭の塩焼きの他に同じく目玉焼きをつけてやったが、詩音が祖父さんに向かってそう尋ねている声を聞いて、俺は少しの新鮮さを感じる。
それこそ、姉がまだこの家にいたときからずっと、塩でなかったことはなく。例えば俺などは色々な味を試してしまいがちだが、一貫して好みを貫き通すのがこの祖父だった。
(柔らかくなったな)
詩音が来てから、劇的にとまではいかないが、色んなことが代わりつつある。
俺も祖父さんも自分のものに対してはしないが、詩音のこととなれば別で。
元々、自分の用意はなるべく自分で、と教えられていたという詩音は、まぁ比較対象はうろ覚えの自分程度だが随分ときちんとしていた。
とはいえこちらが用意をするものもあり、俺は朝の用意で水筒にお茶を入れてもたせるし、厳格そうな外見の割にそれなりにまめな祖父さんは、給食袋やランチョンマットをアイロンにかけてやったりしている。結果的に俺も祖父さんも会話が増えた。
はい、と詩音から塩の容れ物を受け取って振りかける祖父さんと、いよいよとトーストにかぶりつくように食べている詩音を見ながら、俺は口元を緩める。
一人増えただけで、随分と懐かしい雰囲気が、風が家に入り込んだような気はしていた。
ふと、思い出す。
俺も、この家で暮らし始めてからはほぼ毎日、この祖父さんと話をしていたのだ。
寡黙だった祖父さんだが、意外と話を聞くのは上手で、決して話上手ではなかった俺に、今日は何があった? と聞いて、あれがどうだった、これがどうだったというくだらない話を飽きもせずに聞いてくれていたものだった。
――――姉が居なくなるまでは。
◇◆
ピンポーン。ピンポーン。
決まって二回なるのは、それぞれが一回ずつ押しているかららしいことは、本人たちから聞いた。
どっちかが押せば聞こえる、という俺の言葉には不満げに、それじゃフェアじゃないじゃん。とどこかで覚えたのだろう言葉を賢しらに告げる。
まぁ、生意気な面もあるが、俺は感謝をしていた。
「おはよう、絵美ちゃん、絵夢ちゃん」
「「おはよう!」」
詩音が学校にすぐに馴染めたように見えているのも、この二人が同じクラスで当たり前のように友人として紹介したからだと聞いている。
俺や茜が通っていた時は三クラスだったが、少子化と言われているものだろう。詩音達の学年はニクラスになったようで、知り合いということで同じクラスに転入できていた。
この辺の融通を聞かせてくれる辺りは、ちょっとしたコネというものも大事だなと思う次第である。
「忘れ物はねぇか?」
「うん! 大丈夫! じゃあ楽さん、おじいちゃん、行ってきます」
「あぁ、いってらっしゃい。気を付けてな」
小学校に通う子供たちの朝は早い。
こうして見送った後、少しばかりの洗い物をして、一コマ目がある日は俺もそのまま大学に、無い場合はゆっくりと読書でもというのが、俺の最近の日々だった。




