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1章1話 思いがけない来客


 意識がうっすらと覚醒して(まぶた)をなんとか開くと、窓から日差しが差し込んでいるのが見えた。

 天気予報が正しければ夕方からは雨になるはずだが、まだ太陽は頑張っているようで、もう朝日では無い事を主張しているようだ。

 部屋の隅には、いつも通りに積み上げられた料理本の山が見えて安心する。


 俺、久我山楽(くがやまがく)は平穏というものを愛する人間だ。

 昨日と同じ今日、今日と同じ明日が訪れること。訪れると信じられること。それは、人によっては刺激が足りないと言うのかもしれないが、俺にとっては心から感謝すべきことだった。


 カレンダーは春を告げているが、山間部に位置するこの街では都心部に比べて春の訪れは少し遅く、まだ肌寒い朝は惰眠を(むさぼ)るに限る。


 大学に入りたての頃こそは新たな空間に緊張していたこともあったが、二年間を過ごし大学生活も折り返した三回生となる前の春休みでは、思う存分だらけることができていた。

 同居人である祖父は朝から出かけると言っていたので、本日のご飯は自分の分を用意するのみ。

 ごろりと横になって、スマホで無料のウェブ小説を流し読みし始める、そう、その日も何気ない休日のはずだった。


 しかし、そんな怠惰を楽しもうとしている俺に起きろとでも言うように、玄関のチャイムが鳴る。

 最近の家であれば、それこそスマホと連動していたり、モニターが付いていたりもするのだろうが、残念ながら築50年を超えるこの家にはそんなものはなかった。


「……しょうがねぇ、起き上がるか。約束はしてねぇはずだが(あかね)でも来たか? それとも、エンジン音がした気がするから宅配か?」


 そう面倒さに負けそうな自分を奮い立たせるべく、言葉を口に出しながら玄関へと向かう。

 そして――――。



 ◇◆



「……あー、えっと?」


 俺は、片足だけ靴を履いただけで顔だけ扉から顔を覗かせるというずぼらな状態で、そう呟く。

 この家に訪れる来客は、大抵の場合は宅急便か、セールスお断りの張り紙を突破してくる営業さんか、または祖父と二人暮らしの俺達を心配してくれる幼馴染くらいのものなのだけど、今日の来客はそのどれでもなく、俺を戸惑わせるものだった。


「…………」


 目の前には、その小さな身体には似つかわしくない大きなカバンを持った少年が無言でこちらを見つめている。

 小学生? 幼稚園生ということは無いだろうが随分と小柄だった。

 少なくとも俺の知り合いではないし、今日は寄り合いということで出かけている祖父(じい)さんの知り合いということもおそらくないだろう。


「悪戯ってわけでもなさそうだけど……どうかした? もしかして迷子か? だったら警察とかには電話するけど」


 道を歩いている幼児に声をかけただけでも事件扱いされる世の中とはいえ、流石にチャイムを鳴らされて出たところの子供と話しても不審者とは思われないはずだ。

 そう思った俺は、咄嗟に思いついた迷子という可能性から、そう声をかける。


 だが、現実は小説よりも奇なりとはよく言ったものか、少年の発した言葉は俺の脳内にない言葉だった。


「あの……おじさんが(がく)さん、で合ってますか? 僕は、おかあさん。えっと、奏音(かのん)の子供で、詩音(しおん)です。僕を……僕をこの家に置いてくれませんか?」


「…………おじ、さん?」


 人間というものは、あまりに想定していない言葉を聞くと、機能を停止してしまうものらしい。

 何故なら、少年の言葉の中で、明らかに重要なものは沢山あったはずなのに、俺の脳をたどって最初に出た言葉は、お兄さんの間違いじゃなくて? の意味のそんな言葉だったのだから。


「えっと、やっぱり、無理……ですか?」


 そう、詩音と名乗った少年は、どこか諦めたような、期待することを恐れるような瞳で言った。

 俺の心に、おぼろげな記憶が蘇ってくる。随分と昔、出奔したまま連絡一つよこさないまま疎遠になった姉、奏音の面影が、詩音の瞳に重なった。


「…………あのさ―――」


 正直、悪戯とも思えないが、かといって言われるがままに「じゃあいらっしゃい中にお入り」とはならない。冷たいと言われるかもしれないが、まずは確認することがあった。

 しかし、俺が続きの言葉を発するより先に、俺と詩音の間で()()音が鳴り響く。

 どう考えてもそれは、目の前の詩音のお腹からの訴えに違いなくて。


「あ…………ごめん、なさい」


 そして、同時に恥ずかしそうに、詩音が顔を俯かせる。

 覚えがある感覚だった。幼き心にも訪れる羞恥。


「……まぁ、腹減ってんなら、とりあえず入りな」


 だからだろうか、俺は思わず、そう言ってしまっていた。

 詩音が、驚いたように、うつむいた顔を上げる。


 平穏に、いつも通りに始まり、そして終わるはずだった毎日が変わった日。

 これが、俺と詩音の出会いだった。


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